イスラム教が「過激」だという勘違い
シマオ:キリスト教と仏教については、今までのお話で何となくイメージがつきました。世界三大宗教と言えば、あとはイスラム教ですけど、正直なところ、なんか怖い宗教っていうイメージなんですよね……。完全に偏見だとは分かっているんですが。
佐藤さん:イスラム教のどこが怖いと思うんですか?
シマオ:だって、ニューヨークの世界貿易センタービルにハイジャックした飛行機で突っ込んだ9・11のテロとか、IS(イスラム国)とか、過激な印象です。
佐藤さん:大前提として「イスラム教は~、キリスト教は~」というように、特定の宗教を一括りにして語ってしまうことは非常に危険です。その上で、では仏教は過激じゃないと思いますか?
シマオ:仏教って、瞑想したり修行したりで割とおとなしいように思いますけど……。
佐藤さん:今、ミャンマーではロヒンギャと呼ばれるイスラム系の少数民族に対する弾圧が起きて国際問題になっていますが、その主体は仏教徒です。スリランカでも仏教系の過激派によるテロ事件が起きていますし、オウム真理教だって仏教の要素を持つものでした。
シマオ:そうか……必ずしも仏教が穏やかというわけではないんですね。
佐藤さん:イスラム教が危険な宗教だというのは、単なる風説でしかありません。
シマオ:やっぱり、イスラム教徒で過激なのはごく一部だけってことですか。
佐藤さん:そのとおりではあるのですが、実はその言い方は正確ではないんです。というのは、どの宗教にも過激な面と穏健な面の両方があり、それはイスラム教もキリスト教も仏教も変わりありません。誰だって過激化する可能性はあります。大事なのは、その過激な部分をどううまく抑えていくか、ということです。
シマオ:宗教活動で過激になるってところが矛盾してませんか? だって宗教って、人の心を安らかにするためのものですよね?
佐藤さん:そうです。本来はそういうものですが、一神教のなかにも他の宗派との共存や対話を目指す人たちもいるし、原理(根本)主義的になる人たちもいるということもまた事実なんです。
宗教が攻撃的になってしまう理由
シマオ:いくら自分の神様を信じているからといって、他の宗教を信じている人を殺してもいいことになる論理が、どうしても分かりません。
佐藤さん:一つは、そもそも神様とは暴力的なものであるということがあります。旧約聖書を読んでも、ヤハウェはことあるごとに人間を殺そうとしています。ノアの方舟の話を知っていますよね?
シマオ:大洪水が来ることを知ったノアが、大きな船を造って、人間だけでなく世界中の動物たちをつがいで乗せて助けた。だから、生物が生き残ったというお話です。
佐藤さん:あの大洪水を起こすのは誰かと言えば、神様自身なのです。神様は暴虐な人々に激怒して、この世のすべてを滅ぼしたって話ですが、考えてみればとても暴力的と言えませんか?
シマオ:確かに。
佐藤さん:あともう一つの理由は、イスラム教は原罪という考え方がないということがあるかもしれません。そのことが過激な考えを許す余地になっていると言うことはできます。
シマオ:原罪って、人が生まれながらにして罪を背負っているという考え方でしたね。
佐藤さん:イスラム教はそういう考え方をしません。そもそもの人間の善悪は中立なんです。生きている間にどれだけ善いこと・悪いことをしたか。最後の審判の場で神様の前にすべてが提出され、天秤にかけられた上で裁きが下される。それがコーランに書かれた教えです。
シマオ:だったら、善いことをしないといけないのに……。
佐藤さん:イスラム教の悪というのは、神様の命令に背くことです。逆に言えば、神様の命令であれば「悪い」ことはないわけです。
シマオ:だから聖戦は善いことになる、と。
佐藤さん:イスラム教徒が約束の時間に15分遅刻をしてきたとします。それに対して文句を言うと彼はこう言います。「私が遅刻したのは、アッラーが遅らせたからだ。私に文句を言うことはアッラーを恨むことだから、止めなさい」と。
シマオ:神様を都合よく使いすぎじゃないですか……。
佐藤さん:だからこそ、人生そのものを律することにつながる面もあるんです。イスラム教では人間一人ひとりと神様がダイレクトに結び付いています。だから自分の心の声と神様の声が同じものと考えやすいところがあります。最近の過激な原理主義者たちは、そこを利用していると考えられるんです。
シマオ:どういうことでしょう?
佐藤さん:以前、イスラエルのテロリズム研究者、ボアズ・ガノール教授と話した際に聞いたことですが、イスラム系過激派のメンター(思想的指導者)と精神科医がペアを組んで自殺志願者を探しているそうです。 彼らはこう言います。「このまま自殺したら、おまえの人生には何の価値もなかった。でも、ジハード(聖戦)に加わって自爆テロで殉教すれば英雄だ。天国で永遠に生きられる」
シマオ:人の絶望につけこむなんて、とんでもないですね!
佐藤さん:自分が死んでもいいという絶望と、原理主義的な考え方は結び付いてしまいやすい。逆説的ですが、自分の命を捨てる覚悟があるということは、他者の命を奪うハードルが低くなるということでもあるのです。
「原罪」の概念がないイスラム教では、罪の指標が神に委ねられている。なので解釈次第で自分を正当化することができる。
そもそも一神教とはなぜ仲が悪い?
シマオ:一神教どうしって、なんであんなに仲が悪いんでしょうか? イスラム教とキリスト教は世界中で対立しているし、エルサレムではユダヤ教とイスラム教の対立がやみません。やはり信仰の違いが問題なんですか?
佐藤さん:いや、対立というのは、多分に政治的な要素が絡んでいるんです。イスラエル建国まで、エルサレムにはユダヤ教・キリスト教・イスラム教すべての聖地が共存して大きな紛争はありませんでした。
シマオ:確かに、言われてみれば2000年間、ずっとその3つは存在していたわけですものね。
佐藤さん:そもそも、3つの一神教それぞれの特徴を知っていますか?
シマオ:いや、よく正直全然分かりません……。
佐藤さん:実はキリスト教・イスラム教・ユダヤ教と、すべて同じ神様を崇めているのです。
シマオ:え? 同じ神様ですか?
佐藤さん:はい。同じ神様ですが、信仰の仕方が違うんです。 ユダヤ教は、神様がユダヤ民族を選んで契約を結んだというところから始まる信仰です。特徴的なのは、「ユダヤ人」は女系継承、つまり母親がユダヤ人であることが基本的な条件なんです。
シマオ:そうなんですね! お父さんがユダヤ教徒でも、お母さんがキリスト教徒だったら、子どもはユダヤ人にはならないということか。そもそも、ユダヤ教に改宗ってできるんですか?
佐藤さん:不可能ではないでしょうが、受け入れてくれるシナゴーグ(教会)を探したり、戒律を覚えたりと、かなりハードルは高いでしょう。ユダヤ教は信徒数を増やすことを目標とはしていない、ある意味で閉じた宗教なんです。
シマオ:だからこそ結束が固く、世界中にネットワークがあるんですね。Google創業者のラリー・ペイジ氏や、Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグ氏など、IT業界でもユダヤ教徒の成功者は多いのも納得です。
佐藤さん:またキリスト教とユダヤ教の違いは、イエスが救い主(メシア)であると考えることです。イエスはいつか必ず復活し、人びとを救ってくれるというのです。そして一番の特徴が「三一(三位一体)論」の考え方です。
シマオ:三一?
佐藤さん:イエスは、もともとは神の子であったものが、聖霊によってマリアから人として生まれた。そして、父なる神、聖霊、子であるイエス・キリストは三つで一つのものだと考えるのです。
シマオ:人なのに神様……。何度聞いてもよく分かりません……。
佐藤さん:でも、最終的には分からないから信じるしかない。それがキリスト教なんですよ。
シマオ:信仰っていうのは、そういうものなのかな……。奥が深い……。
イスラム教に対する西洋の怖れ
シマオ:そう言えば、最近はイスラム教の信者数が増えていると聞きますけど、なぜでしょうか?
佐藤さん:理由の一つは、戒律によって避妊が禁止されていたり、一夫多妻制が維持されているということがあるでしょうね。もう一つは意外と緩いところがあるからですよ。
シマオ:えっ? イスラム教の戒律って厳しいものなんじゃないですか。毎日決まった時間に礼拝をしたり、断食をしたり、大変そう。
佐藤さん:ちゃんとやろうとすると厳しいけれど、実はできる範囲で構わないという緩さも持ち合わせているのがイスラム教です。だから、入るのは簡単です。例えば、湾岸戦争時にイラクで日本人が人質に取られた時、当時議員だったアントニオ猪木さんは人質解放のためにイスラム教に入信したんです。
シマオ:そんなことがあったんですか!
佐藤さん:そのときに割礼をしなければいけないけれど嫌だから、昔やった包茎手術で代用できないかと聞いたら「いいよ」と。 だけど一度入ったらやめるのは難しい。猪木さんは、「イスラム教はすごい宗教だ。入るときは皮を切り、出るときは首を切る」と言っていました。
シマオ:……(苦笑)。
佐藤さん:それは冗談としても、イスラム教の超越的な神様への信仰の強さに対して、最近の西洋諸国の恐れは非常に高まっています。それを描いたのがフランスの作家ミシェル・ウェルベックの『服従』という小説です。
シマオ:何を恐れているんでしょうか?
佐藤さん:その小説は、フランスの大統領選挙でファシズムに近い国民戦線とイスラム同胞党という究極の選択の結果、イスラムが勝つという設定です。政策は福祉を充実させるから不満はないんだけど、女性は男性に服従させられる。義務教育は12歳までになり、専業主婦になると多額の助成金もらえるようになります。
シマオ:今の価値観とはまるで逆ですね。
佐藤さん:でも、主人公の大学教授は結局イスラム教に改宗することを決断します。そこから読み取れるのは、ヨーロッパの人々が、自分たちの築いた知識や教養による普遍的な価値観が崩れることへの恐怖感なんです。
シマオ:そうした対立は今後も深まっていくんでしょうか?
佐藤さん:可能性はあります。けれど、一方で宗教というのは対話のためのOSでもあるんですよ。
シマオ:OS?
佐藤さん:WindowsのアプリケーションがMacのOS上では動かないように、OSが違うとコミュニケーションも難しくなります。3つの一神教は、どれも1つの神を信じるという同じOS上で動いていますから、そこに対話の起点が生まれるとも考えられます。
シマオ 話が通じる、ってことですね。逆に言えば、日本人には分かりにくいってことですか?
佐藤さん:そうですね。一神教の考え方では「見えない世界」にいる超越的な神様との関係を重視します。そこは多神教的な日本との1番の違いで、理解しづらいところです。
シマオ:日本人は世界で話が通じない……?
佐藤さん:だからこそ、宗教に学ぶことが大切なことなんですよ。宗教を知り、相手の内在的な論理が分かるようになれば、対話することができるんです。
※本連載の第20回は、6月24日(水)を予定しています 。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2019年6月執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的に言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)