コロナ接触を通知する日本版「接触確認アプリ」を作ったのは誰か?…「6割普及」への挑戦

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撮影:小林優多郎

厚生労働省は現在、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の“感染が疑われる濃厚接触”を通知する「接触確認アプリ」の開発を進めている。

開発を受注したのは日本国内のベンダー。一部で「米マイクロソフトが受注した」と報道されたが、これは間違いだ。とは言え、マイクロソフトが無関係というわけではない。そこには多少事情がある。

実は、日本で使われるアプリのベースとなる部分は、個人が中心となったボランティアベースのプロジェクトで、オープンソースとして開発されたものを利用している。

そのアプリは、なぜオープンソースで開発されたのか? そして、そこに人々はどう関わっているのか、開発にかかわった関係者を取材した。

「接触確認アプリ」とはどんなものなのか

厚生労働省資料1

接触確認アプリの利用イメージ。

出典:厚生労働省

接触確認アプリがどういうものか、おさらいしておこう。

接触確認アプリは、スマートフォンのBluetooth機能を使い「一定以上の長い時間、スマホを持っている人同士が近くにいた」情報を記録するアプリだ。日本では、厚生労働省が管轄し、予算をつけて開発し、無償配布する。

ある人が新型コロナウィルス感染症に罹(り)患した場合、その情報をもとに「14日以内に、その人と濃厚接触した可能性がある人」に通知が送られ、「あなたは新型コロナウィルス感染症に罹患した人と濃厚接触した可能性があるので、適切な対応を」という通知が表示される。アプリを自らインストールする必要はあるが、利用時の操作などはほとんどなく「導入したまま放置」しておけば働く仕組みだ。

厚生労働省資料2

接触確認アプリの仕組み。

出典:厚生労働省

日本が導入するアプリは、幅広いスマホで使えるようにする目的から、アップルとグーグルが共同開発したフレームワークに基づいてつくられている。「誰と濃厚接触したのか」「どこで濃厚接触したのか」といった個人のプライバシーに関わる情報は記録されておらず、データもあくまで自分のスマホの中に蓄積されるのみだ。

スマホメーカーやアップル・グーグルはもちろん、政府にも蓄積はされないため、「自分の行動が政府やメーカーに筒抜けになる」という懸念は無用だ。

こうした部分については、厚生労働省側もQ&Aを作成しており、プライバシーについての懸念に配慮している。

「自分が濃厚接触しないように注意してくれるアプリ」という誤解もあるが、そういう性質のものではない。そのため、アプリを導入したからといってあなたの感染を確実に防げるわけではないが、

  • 感染が疑われる初期から素早い対処が可能にになること
  • 個人・政府共に通知量の変化に応じた対応をしやすくなること

……などが利点となる。今後想定される第二・第三の感染拡大期に向けた対策のためのアプリ、ということもできるだろう。

日本、シンガポール、香港など有志200名規模で開発

COVID-19 Radar Japan

接触確認アプリのベースは「COVID-19 Radar 」というエンジニアを中心とした有志が集まって発生したプロジェクトだ。

出典:COVID-19 Radar Japan

厚労省は予算を立て、ベンダーに対して正式に開発を依頼してアプリを開発し、公開の準備をしている。

冒頭で述べたように、その核となっているのは、個人を中心に集まって開発されたオープンソースのプロジェクトだ。ビジュアル面など、100%そのまま使われた訳ではないが、基本的な部分は共通と考えていい。

プロジェクト名は「COVID-19 Radar」。エンジニアを中心とした有志が集まった。アプリの仕組みや動作条件、ソースコードからデザインに至るまで、一般的なオープンソースプロジェクト同様、GitHubで成果が公開され、修正提案や協力依頼が交わされ、開発が進められてきた。

その性質上、プロジェクトに関わる関係者の数を正確にカウントするのは難しいが、日本とシンガポール、香港などを中心に200名以上の人々が参加しているという。

コミュニティから生まれたオープンソースのプロジェクトとはいえ、もちろん、起点になった開発者は存在する。日本マイクロソフトに所属する廣瀬一海さんだ。

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プロジェクトの起点になった開発者、廣瀬一海さん。日本マイクロソフト所属だが、開発には個人として参加している。

ビデオ会議を筆者キャプチャー

廣瀬さんは同社のAzure(アジュール)エンジニアで、「デプロイ王子」の愛称で、さまざまなイベントなどにも登壇する業界の有名人だ。しかし、このプロジェクトはマイクロソフトでの活動とは関係なく、完全に個人的で始めたものだった。

そして今に至るも、マイクロソフト社員としての業務ではなく、個人の活動としてコミュニティに参加している。冒頭で述べた「マイクロソフトが受注した、という情報は誤り」というのは、この点と関係している。

実際、複数の関係者に取材した中にはマイクロソフトの従業員もいたものの、そうでない人の方が多い状況で、「アプリ開発をマイクロソフトという企業が請け負った」案件ではない。

Xamarin

アプリの開発にはマイクロソフトの開発環境「Xamarin」が使われている。

とはいうものの、最終的にアプリはマイクロソフトのスマホアプリ開発環境である「Xamarin」(ザマリン)で開発されており、サーバーとしても同社のAzureを使う。そのため、マイクロソフト関係者がコミュニティ支援に多く関わっているのも事実である。

「開発は3月にスタートしました。シンガポールで公開された接触確認アプリ『TraceTogether』をみて、良いソリューションだな、と考え、そのオープンソースによるクローンをつくろう、と考えました」(廣瀬さん)

廣瀬さんはそう説明する。個人的な活動ではあるが、最初からオープンソースでつくられたのにはもちろん意味がある。廣瀬さんは日本マイクロソフト以前に、医療用のシステム開発に従事した経験を持つためだ。

「私は20年前に、日本医師会の医事会計ソフト『ORCAプロジェクト』に関わりました。医療に使われるソフトは、すべて“検証可能”である必要があります。ですから、その時もオープンソースで開発しています。今回も同様です。接触確認アプリについても、中身を検証・証明できるようにするには、オープンソースによる開発が必要だと考えたのです」(廣瀬さん)

そうして開発されたコアに、多くの専門家が参加した。デザイナーの松本典子さんもその1人だ。

デザインで心がけたのは「感情をあまり揺さぶらないこと」

Adobe XD

アプリのUI/UXの設計には「Adobe XD」が活用されている。

出典:COVID-19 Radar Japan

松本典子さんはアプリデザインの専門家だが、マイクロソフトとは別の企業に勤めている。「3月頃、廣瀬さんから、個人的にアプリでのデザインについて相談を受け、なんとなくそこからお手伝いが始まった」と笑う。

アプリデザインについてのもう一人の専門家である児玉哲彦さんは「Facebookの書き込みで計画を知った」と話す。接触確認アプリ、という存在を多くの人は知らない。多くの人にわかりやすくするには、狭いアプリ画面の中に必要な情報をうまく詰め込む必要があり、ていねいなUX(ユーザーエクスペリエンス、ユーザー体験)デザインが必要になった。

デザインはあえて簡素。狙いは「感情をあまり揺さぶらないこと」(松本さん)。新型コロナウイルス感染症は「マイナスの感情」をともなう場合が多い。そこで感情を揺さぶるようなウェットな部分のあるデザインにすると、利用者に苦しい思いをさせる可能性も高い。だから、あえての「シンプル路線」だ。

アプリのイメージ

あえて感情を揺さぶらないデザインが採用されている。

出典:COVID-19 Radar Japan

エンジニアの松田恭明さんは、「最初に廣瀬さんの書き込みを見た時には、趣味でやっているのかなと思った」と当時を振り返る。だがそのうち、「エンジニアとしてなにかできることはないか」という気持ちになってきた。結果的にその時は、サーバー関連のエンジニアが不足していたため、その部分で手を貸すことになった。

同じように「なにかしなければ」という意識で合流したのがエンジニアの竹林崇さんだ。竹林さんはアプリの「国際対応」を手掛けた。日本でこのアプリを使うのは、日本語を母国語とする人々だけとは限らないからだ。

竹林さんは「別に世界中の言葉に精通しているわけではないんですが」と笑う。日本語と英語には堪能だが、それ以外に詳しいわけではない。そこで自動翻訳を使い、60以上の言語への対応を進めた。より質の高い言語対応は、そこから公開することで進んだ。「オープンソース」だからできることでもある。

「感染症対策テックチーム」がすり合わせを担当

Code for Japan

「Code for Japan」が進めていた別の接触確認アプリのイメージ(今回、厚生労働省からリリースされるものと異なる)。

出典:Code for Japan

実のところ、2020年3月末から4月にかけて、同様のアプリの開発計画は、日本各地で同時多発的に生まれ、バラバラに開発が進められていた。有名な例としては、一般社団法人「Code for Japan」による開発計画がある。本誌を含め、複数のメディアで紹介されている事例だ。

それぞれが善意に基づいて開発していたものだが、バラバラに開発されると互換性の問題が出る可能性があった。接触確認アプリはその性質上、「可能な限り多くの人が、同じ仕組のものを使う」ことが重要になる。どれだけの人が利用する必要があるのか、という点については諸説あるが「全人口に対し6割の普及率に到達することが望ましい」とされている。

廣瀬さんのプロジェクトによる「COVID-19 Radar」も4月末には公開できる状態にあったが、互換性問題を解決するためにも、「Code for Japanとも、Bluetoothによるビーコンの規格は統一し、お互いのアプリが問題なく使えるようにしよう、という話を進めていた」(廣瀬さん)という。

AppleとGoogleのリリース

アップルとグーグルの共同リリース。

出典:グーグル

そこに出てきたのが、アップルとグーグルによる「統一規格」の話だ。そもそも「統一」は必要とされていたし、Bluetoothでの「待ち受け」を続ける場合、特にiPhoneでは、OSの側に改良を施す必要もあった。プライバシー面での検討も重ねられており、日本の場合、アップル・グーグルのフレームワークを使うのがいいのではないか……という議論が生まれる。

重要なのは、アップル・グーグルのフレームワークでは「各国の保険衛生に関わる機関が直接アプリを提供する」ことと、「1国1アプリとする」ことが定められていた点だ。

この種のアプリは非常にセンシティブな情報を扱う。そのため、偽のアプリが生まれてフィッシング詐欺などに利用されたり、収集したデータを別の目的に利用したりするアプリが出る可能性も否定できないからだ。

「1国1アプリ」制度は多くの関係者にとって想定外であったようだが、この時期から、正式に厚生労働省が音頭をとり、国内での接触確認アプリの一本化対策が始まった。

結果的に「COVID-19 Radar」をベースに、仕様に合わせた開発が行われることとなった。

エンジニアは交渉が苦手だ。そうした政府交渉を担当したのは、マイクロソフトで開発者リレーションを担当している‪安田クリスチーナさんだ。だが彼女も、このプロジェクトについてはあくまで「ボランティア」。日常の業務での経験を生かした活動、という扱いだ。

「6割普及」という高い壁を越えるには

スマホを見ている人

まもなく登場の「接触確認アプリ」だが、全国のスマホ利用者に届くのか(写真はイメージです)。

撮影:今村拓馬

アプリの開発は最終段階に差し掛かり、公開も間近だ。しかし、課題はまだまだ残っている。 児玉さんはUXの専門家として次のように語る。

「このアプリがほんとに役立つには、6割の国民が利用する必要がある、と言われています。利用者のことを考えると、アプリの中だけでなく、アプリを見つけて認知してもらう、という“体験”も重要になります。

その結果、起きる行動変容についても、カスタマージャーニー(注:利用者がどう行動するかを想定すること。アプリやサービス開発では、それらの想定が重視される)が必要です。信頼を得るべく説明をしていかないと、アプリの利用は広まりません。そしてそれは、チームの範囲を超えることでもあります」(児玉さん)

記事執筆段階では明確でないが、当然、厚生労働省も普及と広報には勉めるだろうし、報道側の我々ができることもあるだろう。

アプリの段階では「6割」に到達するのは難しく、2020年末頃に予定されている、スマホOSそのものへの組み込みによる「標準搭載化」まで無理ではないか、という予想を立てる関係者もいる。

この戦いは長期戦だから、そうした考えは重要だ。

しかし、それだけでなく「多くの人にアプリの本質を理解して、協力してもらうこと」がやはり重要なのではないか。多くの人々が開発コミュニティに参加したのも、そうした意識の表れである。

そして、筆者がこの原稿を書いているのも、例外ではない。

(文・西田宗千佳


西田宗千佳:1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。取材・解説記事を中心に、主要新聞・ウェブ媒体などに寄稿する他、年数冊のペースで書籍も執筆。テレビ番組の監修なども手がける。主な著書に「ポケモンGOは終わらない」(朝日新聞出版)、「ソニー復興の劇薬」(KADOKAWA)、「ネットフリックスの時代」(講談社現代新書)、「iPad VS. キンドル 日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏」(エンターブレイン)がある。

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