撮影:今村拓馬、イラスト: undefined undefined / Getty Images
企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にして整理するこの連載。不確実性高まる今の時代、「正解がない」中でも意思決定するための拠りどころとなる「思考の軸」を、あなたも一緒に磨いてみませんか?
参考図書は2019年12月に発売されて瞬く間にベストセラーになった入山先生の『世界標準の経営理論』。ただし本を手にしなくても、この連載は気軽に読めるようになっています。
今回は、コロナをきっかけに「これまでの経済活動にはいかに不要不急のもの多かったかを実感した」という読者の方の声を起点に、“常識”を疑うことの重要性について考えていきます。
この議論はラジオ形式収録した音声でも聴けますので、そちらも併せてお楽しみください。
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気づけば不要不急の仕事ばかり
こんにちは、入山章栄です。
この連載では毎回、記事の最後で読者のみなさんに「問いかけ」をしています。「コロナというパラダイムシフトを経験して、今あなたが感じていることや身の回りで起きている変化、来るべきアフターコロナ時代に対して思うことを教えてください」と呼びかけたところ、読者の方からこんなご意見が寄せられました。
和顔施さん、ありがとうございます。これは共感する方も多いであろうご意見ですよね。いままで当然と思ってやっていたのに、コロナを経験してみると「これはいらなかった」と思うものがいかに多かったか、ということですね。よく分かります。
例えば、多くのビジネスパーソンにとっては、その最たるものは「通勤」ではないでしょうか。ミレニアル世代であるBusiness Insider Japan編集部の横山耕太郎さんは、外出自粛が緩和されてから久しぶりに霞が関まで取材に出かけたようです。
連絡手段はいくらでもあるのだから、わざわざその場所に行く必要はないんじゃないかということはコロナ前から言われていたことです。本当は必要ないかもしれないと感じていたものを、われわれは変えずにここまで来たということです。
しかし、もともと社会や世の中というのは変わりづらいものです。これは技術的な問題というよりは、社会や組織の仕組みによるもの。経営学的には少なくとも2つの理由があります。
まずひとつは「経路依存性」という考え方です。つまり社会というのは、いろいろなものがガチッと噛み合った状態で動いている。ということは、その中の1つだけを動かそうとしても動かない。動かすには、それと噛み合っているものも同時に変えなければいけない。
分かりやすい例はダイバーシティ施策です。多様な人を組織に入れなければいけないというダイバーシティの重要性は以前から指摘されていましたが、実際にはなかなか進んでいません。
その理由は簡単で、ダイバーシティを高めるには多様な人材を採用するだけではだめで、評価制度から働き方から働く場所から、すべてを変えなければならないからです。
一口に「ダイバーシティ推進」と言っても、多様な人材を揃えただけでは不十分だ。
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今までは日本の伝統的な組織には日本人の男性ばかりだったから、評価制度も一緒でよかったし、みんなに満員電車を耐え忍んで通勤してもらえば働く場所も都心でよかった。
しかし多様な人を採用するとなったら、それに紐づくすべてのことを変えなければいけない。会社の評価制度も変えなければいけないし、多様な人がいれば多様な働き方が求められるわけだから、時差通勤やテレワークを認めなければいけない。みんなずっと都心のオフィスにいるとは限らないから、郊外にも拠点を持つ必要があるかもしれない。
この経路依存性の問題によって、ダイバーシティを進めようにも、(同質的な人材ばかりいる組織と)噛み合っている他の部分は変わらないため、遅々として物事が動かないわけです。
“常識”にとらわれ続けた平成の30年間
社会が変わらないもうひとつの理由は、この連載の第2回でも指摘し、僕の著書『世界標準の経営理論』にも書いている、“常識”です。
常識というのは、曲者です。真剣に考えると、絶対にそれに従う必要はないわりに、なぜか社会的な強制力を持つ。そして人間というのは基本的に、常識を作り出す生き物です。なぜならさまざまなことを都度「これって本当にそうしたほうがいいんだっけ?」と考えていると、判断に時間がかかるからです。
脳みそのキャパシティは限られているのだから、目の前の大事な問題に集中するためには、それ以外のことは「こうするのが常識」と片付けて、考えずに済むようにしたほうが脳としては効率がいい。なぜわれわれ日本人は(少なくともコロナ前までは)、会う人ごとに名刺交換をするのか。なぜ9時に出社して5時に帰るのか。それは常識だから、で済ませてきたにすぎません。
自分がやるから相手もやるし、相手がするから自分もやっておく。いちいち考えるのが面倒くさいので、「とりあえずそういうルールです」ということにしておくと、脳みそが楽なわけです。逆に、たまに常識がまったく違う環境に行くと、常識が通じなくて苦しむのは脳に負荷がかかるからだとも言えます。
9時に出社して5時に退社する。何も考えず“常識”に従って生きているほうがはるかに楽だ。
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さらに言うと、社会には同調圧力のようなものがあります。「他社がやっているから」「社会的な風潮だから」、自社もそうすることが正当なはずだという心理的なメカニズムが働きます。これを経営学では、社会的な「正当性(レジティマシー:legitimacy)」と言います。
日本ではバブルが崩壊した後、厳しい平成の30年間がありました。本当はこの期間に変化してイノベーションを起こさなければいけなかった。ところが常識にとらわれて変化することができず、結果的に日本全体の生産性が下がっていった。それが平成の30年間だったのではないかと僕は理解しています。
今こそ変革のビッグチャンス
逆に言うと、コロナを経験した今こそビッグチャンスです。和顔施さんが「不要不急のものがいかに多いか」と実感したということは、われわれが今まさに常識を疑っているということ。今こそ意味のない常識にとらわれた慣習をやめる絶好のタイミングです。
いろいろな方が「今、このタイミングで変わらない会社はこの先厳しいだろう」という話をされていますが、本当にその通りだと思います。何もかも全部変える必要はないけれど、ただの慣習や儀礼で続いているものを取り除いて、会社や組織や自分自身を変えていく。それができるところだけが生き残れると思います。
僕はアメリカに10年いて経営学者になり、日本に帰ってきて7年が経ちました。帰国してからずっと「日本企業が変わるためにはこういう考え方が必要です」と言い続けてきましたが、多くの企業は変わりたいと言いながらも変われずにここまで来た。もちろん若干変わってきた企業もあるけれど、伝統的な日本の組織の多くは、変わりたくても変われなかった。
そこへコロナ危機という大きな社会的な変動が起きた。これだけ大きな出来事はそうそう起こるものではありません。この機会を逃さず、積極的に動いてほしいと思います。
撮影:今村拓馬
ただしここで大事なポイントは、「他社がどう変わったか」はどうでもいいということです。他社の事例を情報として得るのはいいけれど、あくまでも参考程度にして、真似をするのはやめたほうがいい。「他社がやっているからうちもやろう」となった瞬間に、それは“常識”になってしまうからです。
放っておけば、われわれは他の人たちと同じことをしたくなるものです。これを経営学では「同質化(アイソモーフィズム:isomorphism)」と言います。だからこそ、この連載の大テーマでもある「自分で考える」ということがとても重要なのです。
例えば、他社が「やっぱりテレワークはやめよう」とコロナ以前の働き方に戻ったからといって、「じゃあうちも元に戻そう」ではなく、「うちの会社はこういう会社で、こういう人に働いてもらっているから、だったらこうすべきだ」と自分たちで考えること。これからは特に、自分自身で考えることが重要になると思います。
今回は和顔施さんのご意見から大きなヒントをいただきました。またご意見をいただけると嬉しく思います。
【音声版フルバージョン】(再生時間:17分03秒)※クリックすると音声が流れます
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。