撮影:竹井俊晴
ポストコロナ時代の新たな指針、「ニューノーマル」とは何か。各界の有識者にインタビューをしていくシリーズ。8回目は日本ラグビーフットボール協会理事で株式会社チームボックス代表取締役の中竹竜二さん。
プロ野球やJリーグなどプロスポーツだけでなく、高校野球や高校総体などあらゆるスポーツイベントや試合は、コロナの感染拡大防止のために中止を余儀なくされ、2020年夏に予定されていた東京オリンピックは来年に延期が決まった。
スポーツ界は、またスポーツ選手はこのコロナ危機をどう受け止め、乗り越えようとしているのかを聞いた。
—— 新型コロナウイルスの影響を最も受けた業界の一つがスポーツです。2月下旬に、セリエAが試合延期・無観客開催を決定したことが報道されて以降、ラグビー、テニス、野球など各競技の大規模試合イベントは軒並み中止や延期に。感染拡大が比較的抑えられた日本ではプロ野球も再始動しますが、当分無観客での試合開催が続きそうです。
この数カ月にスポーツ界で起きた変化を中竹さんはどう見られていましたか?
まず前提として、危機に直面したときのリーダーのメッセージはポジティブであるべきだというのが私の考えです。状況判断は冷静に、時に悲観的な視点を持ちつつも、「どう捉えるか」を示すメッセージは建設的な行動を促すものでありたいと、常日頃から考えています。
その上で改めて、今回のコロナショックがスポーツ界にもたらした影響を考えてみると、実は悪いことばかりではない。むしろ、良い面の方が大きいと私は考えています。
まず分かりやすい変化で言うと、コミュニケーションのスタイルが変わりました。これまでどの競技においても団体の足並みを揃えるために優先されてきた「全員が一堂に会して意思決定する」というミーティング形式が、一気にオンライン化しています。「できるはずだから、導入すべきだ」という意見はあってもなかなか進まなかった慣習の更新が、感染症予防というやむを得ない理由によって加速したのは良かったことですね。
3月以降はほぼ全ての競技が試合や団体合宿ができない状況が続きましたので、否が応でもオンラインでのチームミーティングやセルフトレーニングの時間ができました。一見、ネガティブに思われる現状ですが、実はこれが非常にいいきっかけになっていると私は感じています。
——どのような点がいいきっかけだと?
これまで試合優先で二の次になっていた“思考の時間”が増えたことです。選手自身が中長期的にどのようにその競技に向き合っていくのか、最終的に目指したいゴールは何なのか、引退後はどういう人生を歩みたいのか。自分のキャリアや人生について深く見つめ直す機会を、きっと多くの選手が受け取っているはずです。
もちろん、これまでも一部の選手は真剣に考えてきたことですが、どうしても試合消化優先のスケジュールをこなす中で、先送りにしてきた選手の方が圧倒的多数だと思います。
全てのスポーツで試合や合宿などが中止となった。こうした生まれた時間を、選手たちはどう生かしたのだろうか。
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——「もしかしたら競技自体が継続できなくなり、自分のアスリート人生は終わってしまうのではないか」と危機感を抱く選手も少なくないのではないでしょうか。
相当いると思います。特に大規模な集客試合を中心に成立している競技の場合は深刻な破綻リスクを抱えていますし、すでに破綻した団体もいくつかあります。
しかし、考えてみれば、今後も感染症のようなリスクは起こり得るわけで、将来も見越して、よりタフにアスリート人生を続けられるための方法を考えた方がいいに決まっているのです。従来の常識に取られない斬新なアスリートの選択肢が生まれるチャンスだと、私は期待しています。
例えば、アスリートのパラレルキャリア。新型コロナウイルスに対抗するワクチンや治療薬の開発と普及には、少なくとも数年単位かかると言われています。その間、試合の開催自体が難しい競技も出てくるでしょう。この期間に、選手が他競技に活躍の場を変えられる仕組みができればいいと思っています。ラグビー選手が水泳や陸上の競技にチャレンジできる、といったキャリアコースの拡張です。
——スポーツにおける“異業種転職”ですね。
そうです。もともとスポーツが好きでトレーニングを重ねてきた選手は、複数の競技で才能を開花させる可能性が高いですし、「タレントトランスファー」といって人材開発の分野では有効とされてきた手法の一つです。
スポーツ界に限らず、日本では「脇目を振らず、一本道を突き進め」と指導されることが多く、選手のキャリア形成も、「高校・大学・プロ入り」というように競技単位の単一・縦割りの世界で決められてきました。もっと横の行き来、つまり、競技をまたぐキャリアが当たり前になれば、選手の選択肢はぐんと広がるはずです。あるいは、スポーツ界に限らず、学術や教育、ビジネスの世界で能力を発揮できる道も、開拓の余地が大いにあると感じます。
目の前の試合に勝つことより、もう少し長い目で自分のキャリアを考えるきっかけになれば、と中竹さんは言う。
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——より長く活躍できる選手を増やすための提言ですね。
「この競技がダメになったとしても、他の選択肢がある」と選手が考えられるようになれば、目の前の試合で結果を出すという短期目標だけに捉われず、「自分自身の人生を豊かにしていく」という上位概念を持てるようになります。
すると、精神的にゆとりが生まれ、結果として競技のパフォーマンスも上がっていきます。これはダブルゴールコーチングという指導法として確立されている考え方です。
育成システムとして実現するのはまだ先かもしれませんが、今競技ができなくなっている高校生の中には、自分を売り込むチャンスとしての試合がなくなった中で、YouTubeやTwitterなどで自ら大学に売り込むといった動きもあり、少し兆しが見えています。
——昨年はラグビーワールドカップで日本中が熱狂するなど、「スポーツの感動」を多くの人が同時に体験し、消費としてもこれから一層盛り上がると期待されていました。「集客」を前提とするスポーツビジネスは、これからどんなデザインを描いていくのでしょうか?
世界の感染状況を鑑みると、大勢が集まって観戦する試合形式を実施するのは当面は難しいでしょう。
今のところは「無観客試合」という開催方法をとる競技が多いですが、やはり選手のパフォーマンスには影響を及ぼします。個人差はありますが、大観衆の前で力を発揮することで自己肯定感が高まり、勝利を引き寄せる力が育まれると、一般的には考えられているからです。
無観客の環境の中でもいかにしてサポーターの存在を感じられるように演出するかという技術の導入については、各競技団体で議論が進んでいるところです。
一方で、感染リスクが高い接触系の競技では、安全優先の観点から、より慎重な議論が必要になります。私が理事を務める日本ラグビーフットボール協会でも、「安易な競技開催はしない」という方針を明確にしています。
2019年に日本で開催されたラグビーW杯。このW杯をきっかけに改めてスポーツが社会に提供できる価値を考えた選手は多いという。
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背景として、もともとワールドラグビー協会では、コロナの問題が起きる前から、選手一人ひとりの人生の充実を重視する姿勢を明示しているんです。2年ほど前から協会の重点項目の一つを「ウェルフェア(怪我予防など身体的ケア)」から、一段上の「ウェルビーイング(人生全般の幸福度の充実)」へと変更しています。
短期的な収益を最大化する経済合理性よりも、選手のウェルビーイングを優先する。今回のコロナショックを機に、行き過ぎた資本主義から一段上のステージへと上がったような気がします。
それは昨年のワールドカップなどを通じて、選手や関係者が、“スポーツが社会に提供できる価値”に改めて気づけたという理由も大きいと思います。
単に勝敗のドラマがもたらす感動だけではなく、個人の生活に渡って行動や価値観を前向きにし、社会全体を刺激する力。自分たちのプレーや生き方が、誰かのモデルになるという発見が、ラグビースポーツに関わる人たちの視座を高めたのでしょう。
——2021年に延期された五輪が果たしてどういう形での開催になるのか。これも今後のスポーツ界を大きく左右すると言われています。中竹さんはどう予測していますか?
撮影:竹井俊晴
正直、通常の開催は難しいでしょう。五輪の開催有無によって影響を受ける業界の範囲、その損失規模が巨大であるためにギリギリまで判断を待つことになるのでしょうが、「中止」という最悪のケースもあり得るだろうと個人的には見ています。
あるいは、これまで過剰に肥大化していた部分を削ぎ落として、競技の数を絞り、規模も縮小した“新しい五輪”の形で開催するという可能性も高いと思います。
重要で歓迎されるべきなのは、この危機で本質的な議論が進むことです。そもそも人類にとって五輪とはどういう価値を持つものなのか。その価値を活かすには、どういう形の五輪を目指すべきなのか。
これまで立ち止まって議論してこなかった“スポーツの価値の見直し”をする時を、私たちは迎えているのだと思います。その価値が明らかになった後、再び開催できる五輪は素晴らしいものになるはずです。
2021年に延期された東京オリンピックも、通常の形での開催は難しいのではないかと中竹さん。
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——中竹さんが考える“スポーツの価値”とは?
「興奮の探求」を満たすことです。これは私の研究員時代の専門でもあるのですが、人間には「興奮の探求(quest for excitement)」の欲求があります。最後の最後まで結果が見えない、勝敗が分からない展開に胸を躍らせ、熱中し、感動を味わうのが、人間の本能的欲求です。
そして、「勝敗が最後まで分からないゲーム」を最も凝縮して楽しめるのがスポーツであり、人間の欲求を満たせる価値がそこにあります。
勝つか負けるか、最後まで分からない。これは新型コロナウイルスに直面している全人類の現在とも重なります。刻一刻と変わる現実をいかに前向きに捉え、勝利につながる一歩を踏めるのか。そのモデルを示せる役割が、スポーツ選手にはある。
この価値にもう一度気付くことが、全ての競技の選手に求められているのだと思います。私は多種目のコーチング指導にも関わっていますが、例えばサッカーの場合は「そもそもなぜサッカーを続けているのか、選手にはその意味を考えてほしい」と伝えています。
また日本ラグビーフットボール協会では、ラグビーという競技が提供できる価値を明らかにして共有する“言語化プロジェクト”を構想中で、7月にはその具体的内容を公表できる予定です。
今はスポーツ界にとって非常に厳しい時期です。しかし、この巨大な危機を乗り越えることが、長年解決できなかった数々の課題を一気に前に進められるチャンスにもできる。そう信じて、前へ進んでいきます。
(聞き手・構成、宮本恵理子)
中竹竜二:日本ラグビーフットボール協会理事。株式会社チームボックス代表取締役。一般社団法人スポーツコーチングJapan代表理事。一般社団法人日本ウィルチェアーラグビー連盟副理事長。1973年福岡県生まれ。早稲田大学卒業、レスター大学大学院修了。三菱総合研究所を経て、早稲田大学ラグビー蹴球部監督に就任し、自律支援型の指導法で大学選手権2連覇を果たす。2010年より日本ラグビーフットボール協会、指導者を指導するコーチングディレクターを務め、2019年、協会理事就任。2012年より3期U20日本代表ヘッドコーチを経て、2016年には日本代表ヘッドコーチ代行も兼務。2014年、企業のリーダー育成トレーニングを行う株式会社チームボックス設立。2018年、スポーツコーチングJapanを設立、代表理事を務める。著書に『新版リーダーシップからフォロワーシップへ カリスマリーダー不要の組織づくりとは』など多数。