新型コロナウイルスの発生源だった武漢を封鎖し、中国は早々に感染収束を宣言。国内外に喧伝した。
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コロナ禍で延期された習近平・中国国家主席の国賓訪日は、年内実現の可能性はほぼ消え、無期限延期すら囁かれている。しかし「訪日」は、日中双方に関係悪化を抑制させる効果を生み、手放せないカード。習氏はさながら日中関係の「人質」と化している。
茂木敏充外相は6月3日のテレビ番組「プライムニュース」で、習氏来日について11月のサウジアラビアでの20カ国・地域(G20)首脳会議の開催後になる可能性に言及した。菅義偉官房長官も6月4日の記者会見で、「具体的な日程を調整する段階に現在はない」と追認した。
茂木発言に基づけば、G20の場で日中首脳会談が実現して訪日実現の意思を再確認したとしても、準備期間などを考えれば年明け以降に持ち越されたと考えるのが常識的だ。
「取り消し」の選択肢はない
2019年6月のG20で正式に訪日を持ちかけた安倍首相としては、自ら「中止」という選択肢はない。
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では2021年のリセットは可能か。
自民党や共産党を含む野党内にも、中国が香港に国家安全法制導入を決めたことなどを理由に「国賓訪日」を見直す声が高まり、日本の厳しい対中世論が改善する展望が開ける可能性は低い。産経新聞は6月6日付紙面で、「習氏は来日できないし、来ないだろう」という、日本政府高官のコメントを引用し、訪日中止を「早打ち」した。
ならば、訪日中止を決めればいいと思うかもしれないが、そうできない事情が日中双方にある。
まず日本側。習氏訪日は2019年6月27日大阪で行われた日中首脳会談で、安倍首相が「来年の桜の咲く頃、習氏を国賓として日本にお迎えし、日中関係を次の高みに引き上げたい」と正式招請、習氏も「いいアイデアだ」と即応したことで決まった。招待側が取り消すのは外交儀礼に反する。安倍政権が続く限り、少なくとも日本側に招待取り消しの選択肢はない。
それだけではない。「外交の安倍」の目玉だった対ロシア、対北朝鮮外交は完全に行き詰まっている。2014年以来積み重ねてきた日中間の首脳往来の結果、「改善の軌道に乗った」日中協調は「唯一の外交成果」である。
米中対立激化と日本カード
一方の中国側。米中対立激化の中で、日本を引き寄せることは周辺諸国との関係強化を打ち出す習外交の目玉の一つ。訪日が外交懸案として残っている限り、日米同盟を基軸にする安倍首相といえども、日中関係を険悪化させる政策はとりにくいとの読みもあるだろう。
北京側から訪日を取り消すメリットは何もない。訪日が「棚上げ」状態でも構わない。アメリカが対中攻撃のため「台湾・香港カード」を使うように、中国も大切な「日本カード」を手元に置いておくメリットは十二分にあると言っていい。
国家安全法の導入が決まった香港では、今年も6月4日に天安門事件に合わせた追悼集会が開かれた。
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「訪日」が双方に、関係悪化の「抑止力」になった例を挙げる。
まず日本側。共同通信ワシントン電は6月6日、国家安全法制導入をめぐり中国を厳しく批判する米英豪加4か国共同声明に「日本政府も参加を打診されたが、拒否していた」と報じた。
5月28日に発表された4カ国共同声明は、国家安全法制導入は「一国二制度」による香港返還を定めた「中英共同宣言」(1984年)に反すると、強く批判する内容。記事によると、日本政府も声明発表前に水面下で参加を打診されたが拒否したという。
拒否の理由について記事は、「(習氏の)の国賓訪日実現に向け、中国を過度に刺激するのを回避する狙いがある」と解説する。観測に過ぎないとも言えるが、中国外務省の趙立堅副報道局長は共同声明発表の翌29日、習氏訪日について、「日本側が良好な環境と雰囲気をつくりだすよう望む」とのコメントを出している。
この報道について菅官房長官は6月8日の記者会見で、日本が参加を拒否したかどうかを問われ、「外交上のやりとり一つ一つにお答えすることは差し控える」と答えるにとどめ、否定はしなかった。
尖閣地名変更に黙る北京
一方、中国の対日配慮の例を挙げる。
日中間のノド元に突き刺さった尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題で現在、興味深い動きが進行している。
日本側は尖閣諸島を沖縄県石垣市の行政区域に入れている。その石垣市の中山義隆市長は6月9日、尖閣諸島の住所地名を「登野城(とのしろ)」から「登野城尖閣」に変更する議案を市議会に提出し、22日に採択される見通しだ。
2012年の尖閣国有化に中国が強く反発した理由は「現状変更」にあった。とするなら住所地名変更もまた「現状変更」に当たる可能性がある。しかし、最初に反発したのは中国政府ではなく台湾政府だった。
台湾外交部は6月6日の声明で「釣魚台(台湾側名称)はわが国固有の領土であり、いかなる国も島の名前の変更やいかなる(地位の)改変もすべきではない」と批判し、日本側に自制を求めた。
主要矛盾は対米、対日矛盾は「副次的」
石垣市では尖閣諸島の住所を変更する動きが。
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中山市長は対中強硬派として知られる。台湾外交部によると、市長は6月15日、台湾側に対し、地名変更は中国公船の同島海域での侵入をけん制する意味があると説明したという。
一方中国は、6月18日現在、一切反応を出していない。石垣市議会は提案通り採決する可能性が高く、中国外務省報道官はそれを受けて声明を発表するはずだ。しかし北京の外交関係筋は、「おそらく強硬な抗議にはならないと思う」と筆者に語った。
その理由として同筋は、
- 中国にとって主要な矛盾は対米関係にあり、日本との矛盾は「副次的」に過ぎない
- 地方自治体による字名変更で、国家の作為ではない
- 尖閣は台湾に属する島嶼というのが中国の公式見解
の3点を挙げ、台湾側は宜蘭県長らが日本に激しく抗議しているから、「これに同調すれば中国側の主張は明確になる」とも付け加えた。
日中関係が悪化している時期なら、中国は相応の「対日報復」に出るはずだ。
日台矛盾利用「漁夫の利」も
台湾側は尖閣諸島を東部の宜蘭県の所属としており、林姿妙県長(国民党)は6月8日、蔡英文総統に「島に上陸して台湾の街区表示板を据え付けよう」と呼び掛けた。中国としてはこれを奇禍として、住所変更によって「日台対立」が発火し、日台矛盾を利用して「漁夫の利」を得ようとするかもしれない。
中国の尖閣問題への対応が、習訪日をめぐる日中間の「利益交換」(ギブアンドテーク)になっている直接証拠はない。だが香港問題をめぐる4カ国声明に日本が参加しなかったことへの「返礼」の可能性は否定できない。
「訪日」という懸案が生きている限り、日中関係悪化を抑止させる効果はあるだろう。
江沢民(1998年)、胡錦涛(2008年)と、ほぼ10年ごとに実現してきた中国最高指導者の訪日の値段が、これほどつり上がった例を知らない。底の見えない米中対立激化という大環境激変の中、トップ・リーダーを「人質」にした際どいバランス外交が、東京と北京で進行中だ。
岡田充:共同通信客員論説委員、桜美林大非常勤講師。共同通信時代、香港、モスクワ、台北各支局長などを歴任。「21世紀中国総研」で「海峡両岸論」を連載中。