この宇宙に存在する物質の85%は、いまだ正体不明の暗黒物質(ダークマター)で構成されている。私達が知っている世界は、この宇宙のごく一部にしか過ぎない。
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2020年6月17日の夜、素粒子物理学における大きな発見を予期させるニュースが飛び込んできた。
東京大学国際高等研究所Kavli IPMU、東京大学宇宙線研究所、名古屋大学、神戸大学などが参加する日・米・欧を中心とした国際研究グループ「XENONコラボレーション」が、6月17日・日本時間午後11時からの研究セミナーで「これまで予想していなかった過剰な事象が見つかった」と発表したのだ。
現状で最も可能性が高いのは「新しい素粒子・アクシオン」
実験装置の中で光を検出する部位を下から見た様子。
XENONCollaboration
研究グループは、今回見つかった「予想外の事象」が意味する可能性として、次の3つを挙げている。
・検出器内にわずかに存在する可能性のあるトリチウムによるノイズ
・新しい素粒子『アクシオン』の兆候を検出したもの
・知られていなかったニュートリノの性質に起因するもの
この中でも、解析の結果、最も可能性が高そうだとされたものが、2つ目に挙げた「新しい素粒子『アクシオン』の兆候の検出」だ。とりわけ、今回検出されたシグナルは、太陽から放出されたアクシオンによって得られるシグナルとよく似ているという。
念の為断っておくが、今回の発表はあくまでも「兆候を観測した」というレベル。
実際に「新たな素粒子を発見した」と証明するまでには、超えなければならないハードルが残されている。
また、今後の実験結果によっては「新たな素粒子の兆候だと思っていたけれども、実はただのノイズだった」という結果で終わることも十分に考えられるため、喜び過ぎは厳禁だ。
とはいえ、素粒子物理学における大きな発見の予感に、期待は高まらざるを得ない。
「何もおきていない」と考えるにはおかしなシグナルを検出
イタリア・グランサッソ国立研究所の地下施設。実験用水槽の側面には、中身が分かるようにポスターが貼られている(写真左)。
XENONCollaboration
今回の発表は、国際グループがイタリアのグランサッソ国立研究所の地下研究所で実施していた「暗黒物質直接探索実験 XENON1T」で得られたデータの分析の結果だ。
この実験は、「キセノン」と呼ばれる化学的に非常に安定な物質の液体と、宇宙の約85%を構成するとされる未知の物質「暗黒物質(ダークマター)」との間で起きるわずかな反応によって生じる光を直接検出することを目的に、2016年から2018年にかけて実施された(実験ではダークマター以外の現象も検出可能)。
この実験で検出できる光はごくわずかだ。
一方、データとして得られるシグナルの中には、さまざまなノイズが入り混じる。そのため、研究グループは、実験データからノイズとなりうるシグナルを徹底的に排除した上で、わずかな反応の有無を精査する必要あった。
今回、実験プログラムの終了を受けて蓄積されたデータを解析したところ、何も起きなかった場合に予想されるシグナルからの「ずれ」が確認された。
これが、冒頭に紹介した「これまで予想していなかった過剰な事象」であり、その原因として、今のところもっとも可能性が高いとされているのが「新しい素粒子『アクシオン』」の存在というわけだ(ただし、今回観測された可能性のあるアクシオンは、ダークマターとは言えない)。
超えなければならない「5シグマ」の壁
検出器には、実験で発生した光を検出するために無数の「光電子増倍管(PMT)」が取り付けられている。光電子増倍管は、素粒子物理学実験では欠かせない。
XENONCollaboration
ただし、前述した通り、素粒子物理学の世界で「新しい素粒子の発見」が世界的に認められるまでには、高いハードルがある。
実は、こういった実験では、実際に新たな素粒子が存在しなかった場合でも「統計的な揺らぎ」として、たまたま偶然、シグナルが検出されてしまうことがあるのだ。
現時点で得られたデータからの分析では、今回観測された結果はアクシオンが存在しなくてもたまたま起きる可能性が約0.02%(標準偏差:3.5シグマ)あるという(トリチウムによるノイズ、ニュートリノの新たな性質によるものである可能性は3.2シグマ)。
それでも十分低確率だと思う人も多いだろうが、素粒子物理学の世界で「新しい素粒子の発見」を謳うには、「検出されたシグナルがたまたま出てくる確率」が約0.0001%(同:5シグマ)以下になることを示さなければならない。
そこまで実験結果を積み上げることではじめて、
「さすがにこれは偶然起きた現象とは考えにくいのでは?」
と認められ、新しい素粒子の存在を前提に、確認された現象を説明しようという運びになるわけだ。
XENONコラボレーションに参加している、東京大学宇宙線研究所の森山茂栄教授は、
「今回の結果を受けて、アクシオンが見つかったとはまだ言えません。ここから実験を進めた結果、ありふれたノイズであったということもありえます。
今回は、実験のプロジェクトが一段落した段階で実験データを精査して注目してみたところ、たまたま(太陽から放出された)アクシオンが存在した場合に出てくるようなスペクトルに似たものがあらわれています」
と冷静に状況を話す。
2020年中を目処に、XENONnTと呼ばれる新たなプロジェクトがスタートし、今回の実験結果の検証に向けてデータを蓄積していくことになる。
「新しい物理を探る上で、狙い所が定まったといえます」
と、森山教授は今回の発表の意味を語った。
「標準理論」を次のステージへ
クリーンルームで検出器の整備が行われているようす。実験では、1✕10億✕10億✕1000万個(10の25乗個)のキセノン原子に対して、数個のトリチウムがあるとノイズが生じてしまう。その他にもノイズの要因になりそうな不純物は事前に極力取り除かれる。
XENONCollaboration
少し気が早いかも知れないが、仮にアクシオンが本当に発見されたのだとすれば、物理学においてどんな意味を持つのだろうか。
自然界は、「重力」「電磁磁気力」「強い力」「弱い力」という4種類の力によって支配されていると考えられている。
アクシオンは、このうち「強い力」に関連した理論と観測結果が矛盾する現象(強いCP問題)を解決するために考えられた素粒子だ。なお、「強い力」は原子核を構成するために重要な力である。
実際にアクシオンが確認されれば、アクシオンの存在を前提とした新たな素粒子物理学の理論が組み上げられることになるだろう。
これは、間違いなく、素粒子物理学の基礎的な理論「標準理論」を一つ上のステージに引き上げることにつながるはずだ(※)。
※今回の結果がニュートリノの新しい性質に起因するものだったとしても、同様に素粒子物理学における恩恵は大きい。
太陽の内部から、アクシオンが飛んできているかもしれない。
NAS/JPL-Caltech/GSFC/JAXA
また、今回検出されたシグナルは、太陽から放出された場合のアクシオンによく似ている。これが本当だとすると、天文学における影響も大きい。
森山教授は、
「アクシオンが本当に太陽のような天体から放出されているのだとすると、星が燃えるための燃料があっという間に燃え尽きてしまう計算になります。ただ、実際に天体(の燃え方)を観測してみると、アクシオンがほとんど無いと考えた場合の計算と一致しているのです」
つまり、これまで積み上げられてきた天体物理学の理論に、大きな矛盾が生じることにもなるのだ。
「矛盾」の存在は、新たな科学のはじまりである。
今回発表された成果がどんな結果に結びつくかはまだ分からない。重ねていうが、ここから「結局ノイズだった」となる可能性ももちろん残されている。
しかしそれでも、今回の発表は、物理学者たちにとって間違いなく今後が楽しみになる結果だったといえるだろう。
(文・三ツ村崇志)