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- オープンソースのコミュニティではインクルージョンを推進しようと、「マスター」「スレーブ」「ブラックリスト」「ホワイトリスト」といったソフトウェア用語をやめる動きが始まっている。
- 用語変更の推進派によれば、よりインクルーシブ(包摂的)な用語を使うことで、黒人や、その他軽視されがちな人種の開発者が、自分が受け入れられていると感じられるだけでなく、新しい用語の方がソフトウェアの機能について技術的により的確な説明になっている。
- こうした変化はGitHubをはじめとする企業や、OpenZFS、グーグルのChromiumブラウザ・エンジンなどのオープンソース・プロジェクトにとどまらず、Android OSにまで見られる。
- これまでは「テクノロジーと政治は無関係だ」と言う人たちの抵抗に遭ってきたが、推進派は「つくる人の価値観をソフトウェアに反映させるべきであり、こんな小さな変化でも大きな影響をもたらす可能性がある」と言う。
「ここに自分の居場所はないんだ」
マイクロソフトのシニア・ソフトウェア開発エンジニア、マイケル・ブラウン(Michael Brown)は20年以上テック業界に携わってきたが、ほとんどの職場で「エンジニアの中で黒人は自分だけ」という状況を経験してきた。
業界では標準的に使われているが問題もはらんでいる用語(よく例に挙げられるのが、「マスター」と「スレーブ」)に出くわすと、さらに居心地の悪い思いをした。ブラウンがこういった用語を初めて目にしたのは、エンジニアとして働き始めて間もなく、ITハードウェアのプロジェクトに関わった時だったが、これらの用語は現在でも広く使われている。
現代にはふさわしくないこうした奴隷制度の用語を使うことで、黒人開発者に対する「マイクロアグレッション」、つまり暗示的な差別的言動となることがよくある、とブラウンは言い、こう続ける。
「テクノロジー業界において黒人の数がとても少ないことは、純然たる事実です。長い時間をかけていろいろなことが積み重なってきて、今のこの状況があるのです。黒人がとても少ないという状況は、大学在学中から既に始まっています。
マイクロアグレッションに直面すれば当然ながら、自分は歓迎されていないんだ、自分の居場所はないんだと感じてしまいます」
マイクロソフトのシニア・ソフトウェア開発エンジニアであるマイケル・ブラウン。
Michael Brown
また、こうした用語は技術的にも不正確なことが多いとブラウンは指摘する。ハードウェア業界にいた駆け出しの頃は、「マスター」の機器は「スレーブ」に対するクライアントであり、その逆ではなかった。
その後、「マスター」はソフトウェア・プロジェクトのメイン・バージョンを指す言葉として使われるようになった。「プライマリ」「トランク(「幹」の意)」「メイン」と言った単語の方がより正確ではないか、と用語変更推進派は指摘する。
白人警察によるジョージ・フロイドの殺害事件以降、全米で制度的人種差別についての議論が盛んになるなか、テック業界では「マスター」「スレーブ」以外にも「ブラックリスト」などを標準用語から外すような動きが出ている。
それ以外にも、企業がバグを見つけるのをサポートするためにハッキングする人を指す「ホワイトハッカー(whitehat hackers)」、悪意のハッキングを行う「ブラックハッカー(blackhat hackers)」がある。こうした用語は偏見を助長するおそれがある、と推進派は言う。
マイクロソフト傘下のコードシェアリング・サイトであるGitHubはすでに、こうした用語を今後なくしていく方向だと声明を出している。また、グーグルのChromiumブラウザ・エンジンなどのソフトウェア・プロジェクトやAndroid OSなどにも同様の動きが見られる。
これは小さな一歩にすぎず、シリコンバレーにおける多様性の大きな隔たりを大幅に改善させるわけではないものの、黒人開発者に対して「この業界にあなたたちの居場所はある」というメッセージを発信する重要な動きになる、と推進派は言う。
「職場を居心地よく感じてもらい、自分は周りの人と同じ価値があるんだと思ってもらえるようインクルーシブな環境をつくることは、基本的に大切なことだと思います」と、Delphixのシステム・プラットフォーム開発ディレクターであるセバスチャン・ロイ(Sebastian Roy)は語る。
ロイは、Delphixの製品に今よりもインクルーシブな用語を増やすためのジューンティーンス(Juneteenth)・ハッカソンも開催した[訳注:1865年6月19日に南北戦争が終結し奴隷が解放されたことを記念して、6月19日は「Juneteenth」と呼ばれる]。
6月19日、「JUNETEENTH」の横断幕を掲げてデモをする人たち。
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GitHub、Android OS…広がる変革推進の動き
GitHubは、「マスター」という用語をなくそうと声を上げて最も注目を集めている企業のひとつだ。現在GitHubはデフォルトブランチの名称である「マスター」という用語を変えようとしており、新規プロジェクトについてはデフォルトブランチの名称を自分たちで簡単に選べるようにしている。「マスター」から名称変更したいユーザーに対しては、ガイダンスやツールを提供している。
同様の動きは他のプロジェクトでも見られる。
9to5Googleのカイル・ブラッドショー(Kyle Bradshaw)が最初に出した記事によると、グーグルのAndroid OSとChromiumのブラウザ・エンジンのプロジェクトでは、「ブラックリスト」「ホワイトリスト」をやめ、「ブロックリスト(blocklist)」「許可リスト(allowlist)」を使うようにしている。
この変更内容を昨年の段階で最初に提案していたのはマイクロソフトのコントリビューターだったと、ティム・アンダーソン(Tim Anderson)はThe Registerの記事に書いている。マイクロソフトのEdgeブラウザには、Chromiumエンジンが使われているためだ。
オープンソース・ストレージのプロジェクトであるOpenZFSは「スレーブ」を「従属(dependent)」に変更した。グーグルが開発したプログラミング言語のGo、Kubernetesクラウド・コンピューティング・プロジェクトであるRed Hat OpenShiftも、同様の変更を行っている。
ストレージ・ソフトウェアのOpenZFSにおいて「スレーブ」への参照をなくす変更を提出したのは、創設者であるマシュー・アーレンス(Matthew Ahrens)だ。
アーレンスは、Delphixで働く同僚がジューンティーンス・ハッカソンを開催したことをきっかけに、自分が今でもよくコードを提供しているOpenZFSでも同様の用語がないか確認してみたところ、「スレーブ」という単語がいくつか出てくることを見つけ、驚いたという。
「こうした用語は人を傷つけるし、これまでの悪しき人間同士の相互作用を思い起こさせるものだと思います」とアーレンスは言う。また、「軽い気持ちで重い意味を持つ単語を使うのが正しいとは思えません」とも語った。
不満の声は1990年代から
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ハードウェア・ソフトウェアの両業界において、こうした用語は長年使われてきた。1969年のコンピュータのハンドブックには「マスター」「スレーブ」といった用語への言及がある。これらの単語に関する議論も数十年前からあり、Ars Technicaによれば、少なくとも1990年代には不満の声も上がっていた。
実際2003年にも、ロサンゼルス市の職員が、メーカー、サプライヤー、請負業者に対して「マスター」「スレーブ」という単語をコンピュータ用品に使うのをやめるよう要請していた。
当時も、こうした言葉を使うことに対して反対意見を述べるエンジニアもいた。もっと最近では、2018年にインターネット技術タスクフォース(Internet Engineering Task Force、IETF)もこの点についてメモを公表し、IT業界における「圧制的な用語」を指定し、代替案を示している。
他にもいくつかのプロジェクトがマスター・スレーブ用語をすでに置き換えている。例えば、DrupalおよびDjangoのウェブ・アプリケーション・フレームワークでは、2014年から「プライマリ」「レプリカ」を使い始めている。
人気のプログラミング言語であるPythonも、ここ2、3年でこうした変更を行ってきた。
Pythonのコア・デベロッパーであるマリアタ・ウィジャヤ(Mariatta Wijaya)は2017年当時を振り返り、ユーザーがコントリビューター・ライセンス契約に署名したかを確認する機能を、開発者たちがGitHubのbotに導入したがっていたと回想する。
ウィジャヤは意識的に、既に署名しているユーザーについて「ホワイトリスト」という単語を、まだ署名していない者について「ブラックリスト」という単語を、使わないことを決めた。代わりに、「信頼できるユーザー(trusted users)」とそれ以外のユーザー、というふうに分けた。
その後まもなく、2018年9月には、Pythonは「スレーブ」を「ワーカー(workers)」「ヘルパー(helpers)」または「子(child)」に、「マスター」を「親(parent)」に置き換えた。ウィジャヤは言う。
「歴史的な理由があって不快になる人がいるのだから、これは重大なことだと思います。そうした人たちのトラウマの引き金を引いてしまうかもしれません。自分が同じ体験をしたわけではなくとも、共感を持つこと、マスターやスレーブといった用語を使い続けることで誰に疎外感を持たせているかを理解することが大切です」
新規のオープンソース・プロジェクトは人気のプロジェクトを参考にするため、こうした変更をすることで、業界全体に波及効果があるかもしれない、とウィジャヤは話す。オープンソースのコミュニティにおいてこれが見本となり、メンバーは他の場でも言葉遣いに気をつけようと思うようになるかもしれない。
ウィジャヤは言う。「メンテナーは、マスター・スレーブ用語に限らず、人前で言葉を選ぶ際にも、模範を示し、もっとインクルーシブな言葉を使う責任があると思います」
“殻”をかぶってきた黒人エンジニアたち
話題になっているこれらの用語も、それに関する議論も、数十年前からあった。ただ業界全体での幅広い変化となるまでに時間を要していたのは、開発者たちが声を上げづらいと感じていたからかもしれない、と先述のマイクロソフトの開発者であるブラウンは語る。
IT業界の黒人たちはそのように「殻をかぶる」ことを選び、仲間外れにされる恐怖からこの話をすることを避けていたのではないか、と。
「波風を立てたくないから、私たちは気にしていないふりをするのです。現場に行って、『マスター・スレーブの機器です』と言われて、その議論を吹っかけようとはしないでしょう。『あ、厄介な人だな』と思われることは目に見えていますから」
例えば、Adama RoboticsのCEO、ドーダ・バリー(Dauda Barry)は黒人だが、まだ大学生だった頃に初めてソフトウェアの「マスター」「スレーブ」という用語に出会った。その時は不快になったものの、「気にしすぎだ」と自分の気持ちを忘れようとしたという。
テック業界のダイバーシティは進んでいるとは言いがたいのが実情だ。
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しかし、ツイッターで最近この件が話題になっているのを見て、嫌な思いをしたのは自分だけではなかったのだと気づいた。バリーはBusiness Insiderにこう語る。
「初めて目にしたときは少し面食らったものの、すぐにその気持ちをかき消しました。でもこうした用語を変えることが、テック業界全体をもっとインクルーシブなものにするんです。ある場をインクルーシブにする方法はたくさんあります。白人以外の開発者にももっとこの業界で気持ちよく仕事をし、自分らしくいられるようになってもらいたい」
オープンソースのコミュニティでは「優しい独裁者」と呼ばれる人が生まれることがよくある。あらゆる議論に際して最終的な決断を下すプロジェクト創始者またはメンテナーのことだ。そうした人たちは、インクルージョンを大切なことだと思っていたとしても、優先すべき事項とは考えないこともあった。
SNSのハッシュタグの発明者として有名なプロダクト・デザイナーのクリス・メッシーナ(Chris Messina)は言う。
「その結果、コントリビュートしたり、そういった大きなテーマの問いを投げかけたりできるのは、同じような属性の人たちばかりという状況になってしまいました。どんな言葉を使っているかで、誰が参加できるかにも影響を及ぼしてしまうのです」
変化を起こすべきという新たな切迫感
以前からあった議論ではあるが、制度的人種差別が全米で話題になっている今、この動きには新たな切迫感が生まれていると、フリーランスのプロダクト・デザイナーでありオープンソース・コントリビューターの常連であるタチアナ・マック(Tatiana Mac)は言う。
今までは、こうした用語を変えようと提案してきた人たちは無視されたり脇に追いやられたりしていた、とマックは言う。そういった変更をするプロジェクトがあると、ソフトウェア・コミュニティの中には「自分たちのソフトウェアを政治的な目的で変えさせようとするな」とツイッター上やコミュニティの中で反感を示す人たちが出てきた。
用語を変えることが「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」の問題だととらえられることがあったという。
例えば、Pythonが2018年に用語を置き換えたとき、その件で何人かのメンテナーがハラスメントを受けることになってしまったとウィジャヤは言う。そういった事件があると、変化を推進しようという機運を萎縮させてしまう、とウィジャヤは言う。
「用語を変えること。それが、私たちが行ったことであり、気にかけていることなのです。議論を呼ぶ話だということもわかっています。この事件のせいで燃え尽きてしまったメンテナーもいます。そういった議論に付き合っていく気力までなかったのです。
変更自体はもう終わっていた話だったのに、オープンソースのメンテナーが精神的ハラスメントを受けるという犠牲が伴ってしまいました」
マックは言う。「IT業界だって、人種の議論は他人事ではありません。マイクロソフト、セールスフォース、アマゾンは黒人コミュニティとの連帯を誓ってはいますが、これらの企業が警察に提供するテクノロジーは、連帯のスタンスとは矛盾するという批判もあります。警察とIT業界の密接な関係を考えると、重要なのは、つくる人の価値観がソフトウェアに表れるということなのです」
「私たちの倫理観に合わせてテクノロジーを進化させていくことが大切です。テクノロジーに政治の色はつかないという発想を盾にしたがる人たちが、この業界にはたくさんいます」
実際、これは議論の余地すらない話だ、とブラウンは言い、この議論を(奴隷制廃止に反対した)南軍時代の記念碑をこのまま立たせておくべきだと主張する人たちになぞらえる。
「こうした単語にトラウマを抱える人がアメリカには何百万人もいる状況で、『そんなの大したことじゃない』と主張したい。『これで傷つく人がいるかもしれない』と言うのではなく、『技術的に不正確でも変えるな、このままにしろ』と主張する。こんなこと、すぐに変えられるんだから変えましょうよ」
「言葉には大きな力がある」
「マスター」「スレーブ」「ブラックリスト」「ホワイトリスト」は人を傷つけるだけでなく、不明確で、不正確なことも多いと、変更推進派は言う。新たな用語である「メイン」「プライマリ」「許可リスト」「ブロックリスト」の方が実際の意味を明確に反映している。
「こうした様々なマイクロアグレッションが存在していること自体が、もう1つのマイクロアグレッションです。変更はさほど大変ではありません。技術的にも正確でない用語を守ろうとするなんて」とブラウンは言う。
ソフトウェアにおいて、用語が排他的である例は他にも多々ある。例えば、ソフトウェアのプロジェクトでは、適切なコードの設定・実行方法を説明する文書がついてくることが多いが、エンジニアについて「彼」(he, him)という代名詞で言及することが多く、女性やノンバイナリーの開発者を蚊帳の外に追いやっている。
手順書に何気なく使われている「He」という主語も、男性以外のエンジニアに疎外感を抱かせる。
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MozillaのモバイルAndroidエンジニアであるエミリー・ケイガー(Emily Kager)はBusiness Insiderにこう語る。「資料を見ていてそういうことはよくあります。ちょっとしたことですが、自分は対象ではないのだな、と疎外感を覚えます。ジェンダーについて可能な限りインクルーシブな言葉を使うべきです」
もう一つの例として、開発者がコードをレビューすることを意味する「サニティ・チェック」(直訳すると「正気確認」)がある。この言葉は精神疾患・障がいを持つ人たちに居心地の悪さを感じさせるものだ、と上述のプロダクト・デザイナー、マックは言う。
これを理由に、マックはSelf-Definedという名でテック業界向けの辞書プロジェクトを始めた。問題のある用語を特定し、その影響について説明し、代替となる用語を提案する内容だ。
「言葉には大きな力があります。私たちの目に映るすべてのものに潜在的に刷り込まれるのです。こういう議論はもっとすべきだと思います」とマックは言う。
ダイバーシティや機会平等、インクルージョンという面では、テック業界はまだまだ改善余地がある。だが、こうした小さな変化の積み重ねが業界全体をよりインクルーシブなものにし、業界内のより多様な人たちの信頼を獲得し、黒人開発者にとってより居心地のいい空間を作っていくだろう、と変更推進派は主張する。
ブラウンは言う。「たった30秒で済むのに、どうして変えないのか? 変えても何も問題は起こりませんし、自分のプロジェクトがより友好的なものになるんですよ」
(翻訳・田原真梨子、編集・常盤亜由子)