撮影:竹井俊晴
ポストコロナ時代の新たな指針、「ニューノーマル」とは何か。各界の有識者にインタビューをしていくシリーズ。今回は、独立研究者で著作家の山口周さん。
2019年に出版した『ニュータイプの時代』で、自由で直感的でわがまま、好奇心の強い人材をニュータイプと位置付け、これまで社会から否定されてきたニュータイプの思考法こそ、変化の激しい時代には重要だと指摘した。
そして今、コロナ危機によって価値観の変化が加速し、仕事そのものの定義も変わろうとしている。山口さんにこれからの仕事をどう捉えればいいのか聞いた。
——コロナをきっかけに「そもそも仕事とは何か」を考えた人は多いと思います。
例えば、社会に必要不可欠な仕事に従事する人という意味でエッセンシャルワーカーという存在が注目されました。必要不可欠な仕事なのに、総じて低賃金のことが多く、今回感染のリスクにも晒されました。
一方で、高給取りと言われる仕事の多くは、止まってもすぐには影響を及ぼさない。この矛盾に改めて多くの人が気づいたことで、今後、仕事の価値付けや価格設定は変わるでしょうか?
高給取りの仕事というのは、社会人類学者のデヴィッド・グレーバーが言うところの「Bullshit Jobs(クソどうでもいい仕事、意味のない仕事)」ですよね。コンサルタントとかPR 、広告代理店などのことです。僕は思い切り、そのど真ん中を歩いてきたわけだけれども、まあ、なくても困らない仕事です。Bullshit なのにもかかわらず、需要と供給のバランスで決まってしまう市場の原理があるため、なかなか価値を見直されてきませんでした。
市場の原理を思い切り破壊する考え方は共産主義などと批判されてきましたが、コロナによって高給とされる仕事がいかに本質的に価値が薄いか、いよいよ分かってしまった。コロナはいろんな常識がフィクションだったってことを明らかにしています。
僕はやはり、最近提唱されている社会民主主義的な方向に世の中はいかざるを得ないだろうと見ています。仕事の価格設定もそこにならうでしょう。なぜならそもそも、もう経済成長はしないから。労働力となる人口は増えないし、環境もこれ以上、成長を許容しない。
格差の構造を明らかにし、『21世紀の資本』を書いたトマ・ピケティも言っていますが、どう考えてもこれ以上の経済成長は無理なんですよ。だけど、一番間違っているのは、それをみんな、「絶望的だ」とか「停滞だ」「衰退だ」と言うことです。僕からすると全く捉え方がおかしい。むしろ、できもしないのに無限の成長や上昇、拡大を求められている社会こそがdespair(絶望的)です。
逆に、僕らは今祝うべきなんですよ。先進国に対して、僕が今一番言いたいのは「僕らは1年間仕事をお休みして、お祝いするぐらいの素晴らしいことを成し遂げたんだ」ということ。「もうこの先はディストピアだ」とかみんな言っているけど、逆ですよと言いたい。 僕なりの表現で言うと「祝祭の高原」にたどり着いたという言葉になります。
今回のコロナの影響を受けて働き方を見直すきっかけができ、仕事を休むことについて考えた人も多いだろう。
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——高原とは?
僕らは、登らなきゃ死ぬぞと脅されながら山をずっと登ってきたんだけど、今頂上の高原に着いたということです。これ以上、高度は上がらないというテッペンまで来た。それは、まさに意味のない仕事や会社、クソ仕事から解放される時が来たということ。でも、僕らは高度で成績を測られるということをずっとやらされてきたから、ここから先もなお「どうやって登ったらいいのか」を議論している。実にナンセンスです。
「日本は労働生産性が低いから上げろ」とうるさく言う人たちが、経済界には多いですよね? あれなどまさに意味のない議論ですよ。瞬間の断面図、数値を切り取って、アメリカやドイツと比べているだけですからね。
そのドイツも労働生産性はここ50年で下がっています。下がったところで、どっちが低いとか高いとかどんぐりの背比べをしている。それなのに「日本は低いから上げよう!」なんて……議論にもなりません。
そうした中では無理矢理成長しようとするのではなく、富裕層に所得税80%くらいかける。その税金からまさにまずエッセンシャルと言われる、社会基盤を支えるサービスにちゃんとお金を回すようにする。
ニューヨーク市のゴミ収集局の人の給料はすでに一般的なビジネスパーソンと同じ給料水準になっています。民間業者も市のごみ収集にかかわっており、中には年収が1000万円の人もいると聞きます。かつて長期のストライキで、市長相手に労働組合が戦い、大幅な給料アップを勝ち取った結果なのですが、同じように、日本でも本当に価値のあるこれらの仕事に対して、価格設定をし直さなくてはならなくなるでしょう。
——経済成長が止まるというのは、悪いことではないということですね?
つくづく「経済成長」というのは一種の宗教なんだと思いますね。
望ましい水準と言われる4%の成長を続ければ経済の規模は100年後には現在の49倍、300年後には12万9000倍、1000年後には10京3826兆倍となります。科学的にあり得ないことを信じる、つまり「信仰」であり「宗教」だということです。フィクションなんです。コロナによってさまざまなフィクションが溶解している。
先ほどの「お祝いすべきだ」ということをもう少し分かりやすい事例でいうと、松下電器産業(現・パナソニック)の起業の精神を振り返ってみると理解できると思います。創業者の松下幸之助は「物資をあまねく世の中に提供することで社会から貧困をなくす」ことを社是として掲げ、この理念のもとに起業しました。
世の中の貧困には、物質的貧困と精神的貧困がある。精神的貧困の解決になるのは宗教と芸術・文化で、物質的貧困をなくすのは企業の使命である。すなわち、我々の会社の使命であるといったことがPHP研究所のホームページに今も掲載されています。
一方、NHKの放送文化研究所が5年ごとに行っている世論調査によれば、最新の調査で日本の物質的満足度は80%になりました。まさに企業は、あまねく物資を提供することができた。素晴らしいことです。使命を果たしたのです。使命を果たしたんですから、もう会社はいらない。本来なら解散すべきです。
ところが、それは非常に困るということで、今度はわざわざいらぬ混乱を作り出すということを今の企業の多くはやっている。わざと自分で火をつけておきながら、自分で消火し、褒めてくれと言う、マッチポンプを仕事だと思ってやっている。
コロナによって社会インフラを支えるエッセンシャルワーカーの仕事と待遇が改めて注目された。
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——ということは、もはや必要のない製品をつくって、さも必要であるかのように宣伝していると。
これはまさに広告代理店たる電通が、1970年代に作った「戦略十訓」に体現されています。10項目あるのですが、まず最初に「もっと使わせろ」「捨てさせろ」と来る。以下ずっと、すでに満足している人たちにどうやって新しくものを買わせるかということのあらゆる切り口が、ずっと並ぶ。もうインモラルそのものですよ。
要するに、言葉を変えるとメーカーも広告代理店も、消費を促進するということをやっているわけですが、消費とは、実のところ破壊の一つです。そして、破壊とGDPには大きな因果関係があります。
アベノミクスも GDP、GDPと言っていましたけれども、 GDP が急上昇するケースは世の中で過去2つのパターンがあります。1つは戦争、もう1つは大規模な自然災害です。どちらも、急激な破壊が起こる。そして需要が生まれる。これに対して、消費は緩やかな破壊です。いずれにせよ、社会を破壊することによってGDPの数値は伸びるわけです。
だから、企業は代理店などに破壊をさせる。物質的な繁栄を達成してもらっては困るので、破壊を意図的に作り出す。人心が荒廃するのも当たり前でしょう? だって人間として一番インモラルというか、破壊を通じてしか自分たちのパフォーマンスが上がらないということになっちゃっているわけですから、非常に困ったことなんです。
ここにはさらにからくりがあって、本当はGDPを計算するときは破壊の要素たる「戦時支出(軍事費)」と「広告費」は差し引くように、 GDP(当時はGNP)の手法を開発した経済学者のサイモン・クズネッツは強く主張していました。でも、第2次大戦前夜のことだったので、時の政権に押し切られ、政治的に負けてしまった。政府が反対したのは、戦時支出を組み入れないと数字が縮小してしまうからです。
結果、破壊による数字を組み入れたGDPが、今まであたかも国の豊かさや成長だと捉えられるようになってしまった。
コロナという「災害」で、社会は変わってしまった。これから必要な仕事とは何か、今後はより問われるようになる。
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——ところが、コロナによって人々は「本当に価値のある仕事とは何か」に気づきつつあります。本当の豊かさを生んでいる企業はどこか。高い給与を得るべきなのは誰か。今後はもっと厳しく問われることになると?
そうですね。少なくとも、コロナによって危機に陥る企業を全て再生させるという考えは長期的に禍根を残すと思います。企業再生が「大変な仕事」だということは理解しますが、だからと言って「価値ある仕事」だとは言えません。本来であれば市場から退出すべき企業を再生させることで社会の新陳代謝を阻害するという弊害もある。
日本では企業に雇用を守ってもらうというのが政府の考え方なので、企業を守ることで雇用を守るという考え方が通用しますが、今後もそのような考え方が通用するのか。個人的には「企業は守らないけど個人は守る」というセキュリティの考え方にシフトするべき時期に来ていると思います。
——所得税や法人税を上げると、優秀な人や稼ぎのいい会社が海外に出て行ってしまう。結局、日本の国際競争力が低下し、国民全員が苦しむのでは? とする論が根強くあります。
いや、むしろ所得税を上げないと、これからは逆に優秀な人にも会社にも逃げられちゃうよという世の中に、コロナを機になりつつあると思いますよ。これは、仕事とは何かという問題だけではなく、「国とはいったい何なんだ?」という話にもなるのですが、国の概念もコロナによって変わると思います(後編に続く)。
(聞き手・浜田敬子、構成・三木いずみ)
山口周:1970年生まれ。独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。World Economic Forum Global Future Council メンバー。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了後、電通、ボストン・コンサルティング・グループなどで経営戦略策定、組織開発に従事した。主な著書に『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』など。東京に生まれ育つが、現在は神奈川県葉山町に在住。