撮影:津山恵子
ミネソタでのジョージ・フロイド氏の殺害事件から約4週間。抗議活動は今や全米すべての州、およそ2000の都市に広がり、ロンドン、パリ、ベルリン、シドニーなど、世界の都市にまで拡大している。東京でも渋谷で行われたデモの映像を見た。
1人の男性の死がなぜここまで大きな流れを引き起こしたたのか、そこには複数の理由があったと思う。詳しくは後述するが、今起きていることは歴史の教科書に載るレベルの出来事だろう。デモの動員数という意味だけではなく、この動きが社会に与えているインパクトという意味でもだ。
アメリカでは警察による黒人への過剰な暴力、理不尽な殺害はこれまでしばしば問題になってきたし、そのたびに抗議活動が起きてきた。ただ今回は、過去10〜20年に起きたどれとも違う勢いがある。1968年のキング牧師暗殺後の大規模デモに例える人たちもいる。
私も、この4週間の展開を見ていて、これが「公民権運動2.0」になる可能性がある気がしている。
BTSとファンは200万ドルを寄付
Black Lives Matter運動はアメリカだけでなく欧州などにも広がった。写真は6月13日、パリ。
Veronique de Viguerie/Getty Images
この4週間、事件の影響は社会のあらゆる側面に現れてきている。
数多くの著名人、芸能人、スポーツ選手たちは個人のSNSアカウントを通じて人種差別に反対する声明を出し、人権団体への寄付を発表、ファンにも行動を呼びかけている。その中には、韓国の人気グループBTSも含まれ、彼らが100万ドルの寄付を宣言すると、賛同したファンたち100万ドルを集め、合計約200万ドルがいくつかの人権団体に寄付された。
俳優のジョージ・クルーニーは、「America’s Greatest Pandemic Is Anti-Black Racism(アメリカの最大のパンデミックは黒人に対する人種差別だ)」と題する寄稿の中で「これは我々のパンデミックだ。我々すべてを感染させ、400年もの間、ワクチンを見つけることができずにいるのだ」と述べている。
ベストセラーには黒人差別、人種関連本
イングランドのプレミアリーグでの試合でも、選手たちは背中にはBlack Lives Matterの文字を背負った(6月20日)。
Andy Rain/Pool via Getty Images
ニューヨーク・タイムス・ベストセラーのノンフィクション部門(紙とeブックスの合計)では、6月21日の時点で、トップ15冊のうち13冊が黒人差別、人種関連の本となっている(ミシェル・オバマの『Becoming』も含む)。
アメリカ各地では奴隷制度を肯定していた南軍の軍人たちの銅像や、南部連合関係の記念碑、植民地主義を肯定する像を公共の場から除去する作業が急速に進んでいる。フロリダ、アラバマ、ノースカロライナ、バージニアなどで既に始まっているし、ニューヨークでも自然史博物館にあるセオドア・ルーズヴェルトの像が「植民地主義的である」という理由で、取り除かれることに決まった。
同様の動きはイギリスのブリストル、ベルギーのアントワープなどでも起きている。
ハーバード・ビジネススクールの学長の謝罪
ワシントンでは奴隷解放を祝う祭日に合わせたデモの参加者が、南北戦争時の南部連合のアルバート・パイク将軍の像を引き倒した。
REUTERS/Jonathan Ernst
美術館や大学なども素早くメッセージを発信していた。
特に印象に残ったのがハーバード・ビジネススクール(HBS)学長の手紙(和訳版)だ。この中で学長は、HBSがこれまでたった4人の黒人教授にしか終身のポジションを付与してこなかったこと、長い間黒人学生の割合を十分に増やせずにいることなどを挙げ、
「人種差別に対して我々が最大限戦ってこなかったこと、黒人コミュニティにより良い形で役に立っていなかったことに対し、HBSのコミュニティーを代表して謝罪いたします」
と述べている。明確に「謝罪」という言葉を使っているところに問題意識の深刻さが表れている。
そして今後、人種差別に関する理解を深めるための研究や教育に力を入れること、学内・学外の黒人コミュニティを支援すること、幅広いビジネス界を巻き込んで、人種差別をなくす努力をすることを約束し、「我々は、人種差別を減らすことだけではなく、積極的に人種差別反対主義の姿勢を取っていく」と宣言している。
黒人の雇用を増やし、キャリア支援する企業
NIKEは今後4年間、傘下のジョーダンブランドやコンバースを通じて、黒人コミュニティの支援を発表した。
出典:NIKE NEWS
フロイド氏の事件以来、毎日のようにいろいろなところからメールが届くようになった。内容は「我々は人種差別を許さない」という声明だ。大学や美術館だけでなく、金融機関、クレジットカード会社、テクノロジー企業から、地元のレストラン、アイスクリーム屋のBen & Jerry’s、コーヒーのBlue Bottle Coffeeまで。
6月2日には、数多くの企業がSNSの画面を真っ黒にし、#BlackoutTuesday と呼ばれる啓蒙活動に参加、「経済活動を止め、今起きていることについてしっかり考えよう」と呼びかけた。幅広い業界の企業が続々と人権団体への寄付を発表し、6月8日の段階で、米国企業から各種人権団体への寄付金は、4億5000万ドルを超えていると報じられた。下記はその一部の例だ。
Bank of America $1 billion
Sony Music $100m
Apple $100 million
Walmart/Walmart Foundation$100m
Nike $40m
Alphabet/Google$12m
Amazon $10m
Facebook $10m
Goldman Sachs $10m
Procter & Gamble$5m
Walt Disney$5m
寄付だけでなく、企業として人種差別反対のメッセージ、今後の方針についての声明も出している。より具体的な方針にまで踏み込んだNIKEやアディダスは、黒人コミュニティのサポート、奨学金、黒人従業員の雇用を増やすこと、キャリアのサポート、黒人従業員たちとの対話の機会を設けることなどを発表している。
テクノロジー企業に対する厳しい視線
グーグル、アップル、フェイスブック、ツイッター、マイクロソフト、アマゾンなどのテクノロジー企業は軒並み、CEO自身のSNSや会社のウェブサイトを通じてメッセージを発信したが、「聞こえの良いメッセージとカネだけ出して、行動が伴っていない。偽善的だ」という反発も呼んだ。アメリカのテクノロジー業界はしばしば黒人に与えられる機会が少ないと批判されてきたからだ。
アップルはマイノリティ従業員の割合が少ないことでしばしば批判されている。
Randy Shropshire/Getty Images
アップル CEOティム・クックはこんなメッセージをアップルのウェブサイトで発表した。
「アメリカは、私が育ったころに比べれば進歩してはきた。でも、有色人種の人々が引き続き差別とトラウマに耐えていることもまた真実だ。変化を起こすには、我々が自分自身の考えかたや行動を再度見つめ直すことが必要だ ——あまりにもしばしば無視されてきた彼らの深い痛みを考慮した上で。
"We've seen progress since the America I grew up in, but it is similarly true that communities of color continue to endure discrimination and trauma. To create change, we have to reexamine our own views and actions in light of a pain that is deeply felt but too often ignored."」
私は彼のメッセージはとても心に訴えかけるものだと思ったが、アップルは、マイノリティ従業員の割合、特に上層部における割合が少ないことでしばしば批判されている。実際、黒人はリーダー的ポジションの3%しかいないという報道もある。
「あなたのようなお客は失っても結構」とベゾス
アマゾンCEOジェフ・ベゾスはBlack Lives Matterに対してクレームをつけてきた顧客との決別を宣言した。
REUTERS/Joshua Roberts
アマゾンのジェフ・ベゾスも、自らのInstagramでメッセージを発信、アマゾンのTwitterアカウントでも明確にBlack Lives Matter支持のメッセージを打ち出した。
これに対し、顧客と名乗る男性から「アマゾンがBlack Lives Matter の支持をしていると知る前に注文を入れていたけど、取り消した。役立たずのニグロをサポートなんかしたら、会社が潰れるぞ。俺たち白人は、こんなアホらしいことにはうんざりしてんだよ」と、放送禁止用語連発で罵倒するメッセージが送られてきた。
ベゾスは、そのメッセージをInstagramで公開し、
「私の先日のBLMを支持するポストに対し、多数の、気分が悪くなるような、しかし驚くまでもない反響がありました。このような憎悪を陰に隠しておくことは許されません。可視化することが大事です。これは問題の一つの例です。デイヴ、あなたのようなお客は失っても結構です」
と述べた。
これまでアマゾンは顔認識テクノロジー「Rekognition」を警察に提供していることでしばしば非難を浴びてきた。このテクノロジーは、肌の色の濃い人々を誤って認識する確率が高いと批判されている。アマゾンは6月10日、同技術の提供を1年間中止することを発表。リリースで具体的な理由は述べていないが、BLM運動の流れと世論に配慮しての動きであると解釈されている。
グーグルはリーダー30%をマイノリティに
グーグルCEOサンダー・ピチャイ。グーグルでも多様性と人権の問題における努力が不十分だという声が上がっている。
REUTERS/Denis Balibouse
グーグルは、CEOからのメッセージで、シニア・リーダーシップの地位における黒人はじめマイノリティの割合を2025年までに30%に引き上げること、黒人スタッフの雇用を増やすこと、キャリア形成のサポートをすること、社員への教育を改善すること、問題があった時の相談窓口を社内に整えることなどを宣言している。
しかし、6月3日に行われた親会社アルファベットの株主総会では、投資家たちから、多様性と人権の問題における努力が十分でないという批判が上がり、ニュースになった。株主からは、「経営陣の報酬を、Diversity & Inclusion (多様な人材をどれだけ受け入れているか)の達成度と紐付けさせたらどうか」という提案が出た。
この仕組みはIBMやインテルなどで既に採用されているが、アルファベットは採用を拒んでいるという。グーグルが多様性の面で批判されるのはこれが初めてのことではなく、昨年も、同社を辞めるにあたって黒人社員が「Googleで黒人であることのつらさ」について書いたメモが流れ、話題になったことがある。
黒人の採用比率を上げ、教育投資を増やし、賃金を上げていく。企業はやっと踏み込み始めている。
撮影:津山恵子
ツイッター社は現在、テクノロジー企業の中でも最も微妙な立場にあるかもしれない。Twitter という媒体自体が人種差別、白人至上主義はじめ各種の憎悪に満ちた発言に場を与え、許容しているという批判は、BLM以前からあった。ツイッター社は、人種差別的な内容や暴力を引き起こすような言葉を許してはいないが、あまりにも多くの問題ある発言を完全にコントロールすることができていない。
加えてTwitter愛用者であるトランプ大統領の問題がある。ツイッター社は、最近続けてトランプのツイートに要注意警告を貼った。一つは、5月26日の「郵便投票が不正選挙の温床になる」という内容。「偽情報警告」を貼り、すぐ下にある「Get the facts about mail-in ballots(真実を知ろう)」というラベルをクリックすると、トランプ発言がいかに根も葉もないことだったかが分かるようになっている。
続いて5月29日、 トランプはBLMの抗議活動参加者たちを「Thug (チンピラ、暴漢)」と呼び、「略奪が始まれば、銃撃が始まる」と脅す言葉をツイートした。こちらには、「このツイートは暴力を称賛するもので、Twitterのルールに反しています(This Tweet violated the Twitter Rules about glorifying violence)」という警告を貼り付けている。
これらの例が示すように、企業が寄付金や声明を出すだけでは、もはや社会は満足しなくなっている。日頃の行動、雇用方針、経営のあり方などすべてをもって企業がその価値観や哲学を示すことが強く求められてきている。
エンターテイメント業界は関連作品を次々と
ネットフリックスは、数世紀にわたる黒人に対する差別とアメリカの刑務所システムについてのドキュメンタリー「13th」を無料公開している。
出典:Netflix『13thー憲法修正13条ー』
メディアや映画業界も、さまざまな形でBLMへの支持を表現している。例えばアメリカの動画配信サービス、HBO Maxは『風と共に去りぬ』の配信の一時中止を発表した。本作品が描く南部の生活が白人目線で奴隷制度を肯定しているように見えること、また差別的表現や偏見が随所に見られることが理由だ。これらについては削除はせず、時代背景についての説明を入れて再度公開するという。
ネットフリックスは、数世紀にわたる黒人に対する差別とアメリカの刑務所システムについてのドキュメンタリー「13th」を無料公開中だ。ワーナー・ブラザーズは、人権弁護士ブライアン・スティーブンソンの回顧録「JUST MERCY」を基にした同名映画(邦題:「黒い司法」)をアメリカで6月中無料配信している。
Just Mercyの公式Twitterアカウントより:
「我々は物語が秘める力を信じています。『黒い司法』は、社会を脅かす制度的人種差別を深く学びたいという方々にとって有意義な作品です」
「この国で懸命に求められている変革の活動に参加するにあたって、現在まで至った彼らの過去や、これまでに受けてきた無数の差別について深く学ぶことを推薦します」
人種差別について子どもとどう話すかということで悩んでいた親も多かった。CNNは「セサミストリート」と組み、小さな子どもにも分かるように人種差別について議論する特別番組を作成している。
謝罪に追い込まれたNFL
2016年、サンフランシスコ49ersのコリン・キャパニック選手(右)は警察の黒人に対する暴行に抗議し、試合前の国家斉唱の間ひざまづいた。
Thearon W. Henderson/Getty Images
BLMの流れの中で謝罪を余儀なくされた企業、失脚したリーダーたちもいる。人種問題に対する不適切な発言が原因になるケースもあれば、これまでの企業としてのあり方が人種差別的だったという内部・外部からの指摘が原因になったケースもある。
一番インパクトが大きかったのはNFLの謝罪だろう。6月5日、NFLのコミッショナーが、
「NFLは、これまで選手たちの言葉に耳を傾けなかったことが間違っていたと認めます。そして全ての選手が抗議の声をあげ、平和的に抗議することに賛同します」
という声明を出した。
2016年、サンフランシスコ49ersのクオーターバックだったコリン・キャパニック選手が、警察の黒人に対する暴行に抗議し、試合前の国家斉唱・国旗掲揚の間ひざまずき、これがトランプ大統領に批判されたのは有名な話だ。この後、キャパニック以外にも複数の選手たちが、リーグとして人種差別と警察の暴力に抗議するよう求めてきた。ここへきてやっとそれが受け入れられることになったわけだ。
スターバックスも『Vogue』も謝罪
スターバックスは当初Black Lives Matterと書かれたTシャツを着ることを店員たちに禁じていた。
Shutterstock/Alexander Oganezov
スターバックスは、「BLMを支持します」というメッセージを出しながらも、当初Black Lives Matterと書かれたシャツを着ることを店員たちに禁じた。この話は即座に大反発を招き、スターバックスはそのポリシーを撤回、黒人のスタッフたちと協力してTシャツをデザインし、着たい店員が着られるようにした。
『Vogue』などで知られる出版社コンデナストも話題になった。同社のグルメ雑誌「Bon Appétit」の編集長が、過去に撮った写真(顔を茶色く塗って、プエルトリコ人に扮していた)の流出で辞任に追い込まれ、それを機に、この会社全体の白人中心で不平等な雇用環境を指摘する社員たちの声が上がった。
これを受け、『Vogue』のカリスマ編集長のアナ・ウインターはスタッフ向けのメールで、今まで黒人の声を反映させず、黒人デザイナーやカメラマンを十分に採用せず、白人中心で不寛容な美の概念に基づいたコンテンツを発信してきたことを反省し、自分が全責任をとると述べた。ウインターが辞任するのでは、という噂も流れたが、CEOは否定している。
ただ、今後、外部諮問委員会の設置などを通して、コンテンツや雇用環境についての見直しを図るという。
同じくファッション雑誌の『Harper's BAZAAR』は、黒人女性編集長の就任を発表し、これもニュースになった。創刊から153年の同誌にとって、歴史的抜擢である。
商品キャラクターを変更する企業も
ロングセラーの人気商品であるAunt Jemima (ジェマイマおばさん)のパンケーキミックスとシロップのキャラクターは今秋に刷新される。
Shutterstock/Sheila Fitzgerald
原住民や黒人に対するステレオタイプに基づいた商品名を変える動きも複数出てきている。
一番話題になったのは、Aunt Jemima(ジェマイマおばさん)というパンケーキミックスとシロップだ。これはロングセラーの人気商品(発売は1880年代)で、アメリカのスーパーに入れば必ず目にする。この誰もが知るパッケージには、黒人の女性の顔が描いてある。
この商品名とロゴは、「黒人に対する、奴隷制度の時代から続くステレオタイプ(『風と共に去りぬ』のマミーの役のような)を基にしている」ということで、これまでにも問題になっていたが、名前を変えるには至らなかった。このたび、発売元の Quaker Foods は、「Aunt Jemima のキャラクターは、人種差別的なステレオタイプに基づくものだと認めます」という声明を出し、今秋に商品を刷新すると発表した。
6月19日を祝日に
6月19日はJuneteenthと呼ばれ、テキサスはじめアメリカの多くの州が祝日にしている。リンカーンの奴隷解放宣言は1863年だが、実質的に奴隷たちが全ての州で解放されたのは、1865年6月19日だった。今年ニューヨーク州などいくつかの州が、2020年からこの日を州の祝日にすると宣言した。
上院議員のバーニー・サンダースは、「国民の祝日にするべき」という声明を出し、同じく上院議員のカマラ・ハリス、コリー・ブッカーもその案を支持している。
企業も動いている。有給にする企業、黙祷の時間を設ける企業、不要不急の会議をキャンセルするよう通知する会社など、ツイッター、グーグル、JPモルガン、National Football League、ナイキ、マスターカード、Uber、Adobeなどが、企業としてこの日を祝日に指定し、過去の歴史について学び考える機会にしようという方針を打ち出している。
企業はどうしてここまでやらなくてはいけないか
BLM運動の中心にいるミレニアル世代、Z世代は社会正義に対して敏感であり企業のこともそのレンズを通して評価する。
REUTERS/Erin Scott
なぜ今、企業はここまでして人種差別反対のメッセージを発信し、寄付を行い、内部改革に着手することを表明しなくてはならないのか。
一つにはブランディング、マーケティングという観点だ。今社会に向けてメッセージを発信しなかったら、人種差別を容認している企業であると思われても仕方ない。
現在BLM運動の中心にいるミレニアル世代(25〜39歳)、Z世代(8〜24歳)は、消費者として重要なばかりでなく、企業にとっては将来の社員候補ともなる層だ。この世代は、環境、人権といった社会正義に対し、親の世代に比べてはるかに敏感で、企業もそのレンズを通して評価する。正しくないことをやっていると思うブランドの商品はボイコットするし、価値観に賛同できない会社では働きたくない。異議を唱える時にはSNSを使い、一気に拡散する方法も心得ている。
このような社会の流れに企業が敏感に反応できるかどうかは、人事面でのリスクマネジメントにも関わる。今日の社員たちは、自分の勤める企業がどの程度真剣に人権問題に向き合い、多様性に取り組もうとしているかを厳しく見ている。それはジェンダー、性的マイノリティ、障がい者、人種、あらゆる意味においての「多様性」だ。
そしてセクハラなど何か問題が起きたとき、企業としては「この会社は日頃から人権問題に真剣に取り組んでいない会社だ」と責められないようにしておかなくてならない。今回のような問題にしっかり取り組み、それを社内外に示しておくことは、将来のための防御としても重要なのだ。
環境や女性登用にも投資家の厳しい視線
2020年のダボス会議での最大のトピックは環境問題だった。社会が企業に期待する役割には、環境や社会への貢献が含まれるようになっている。
REUTERS/Denis Balibouse
さらにもっと大きな流れとして、社会が企業に期待する役割が変化してきているということもあるだろう。環境や社会貢献、企業統治を重視する「ESG投資」の考え方のもと、投資家たちは、企業のサステイナビリティ、社会問題との関わり方、ダイバーシティ&インクルージョン(多様化、包括性)ポリシーへの姿勢に真剣に目を向けるようになっている。
2020年1月、世界最大の資産運用機関である米ブラックロックのCEOラリー・フィンクが、「サステナビリティ宣言」を発表し、今後はESG(環境・社会・統治)を軸にした運用を強化すると表明した。投資先企業が直面する気候変動リスクについての情報開示を怠った場合、その企業の決定に株主として反対票を投じる構えであると強調、投資家は企業がESG課題をどのように認識しマネージしているかを把握する必要があると述べた。
彼はまた、ESGを考慮したポートフォリオのほうが、投資家により良いリターンをもたらすと確信するとも述べている。この発言のインパクトは大きかった。折しも、今年のダボス会議での最大のトピックも環境問題だった。
同じく1月に、米ゴールドマン・サックスが「女性の取締役がいない会社の新規株式公開(IPO)は引き受けない」と発表した。2020年7月1日から新方針を適用し、2021年からは最低2人の就任を求めるという。今回対象はアメリカと欧州で、女性の登用が遅れている日本などアジアでは現在のところ適用を見送っている。
ソロモンCEOは新指針の導入の理由として、上場企業のうち、女性取締役がいる企業のほうが業績が良いことを挙げた。経済協力開発機構(OECD)によると、2017年時点で、上場企業役員のうち女性が占める割合は、アメリカの22%、イギリスの27%、フランスの43%に対し、日本は5%だ。
このように、企業がどの程度真剣に女性やマイノリティを登用しようとしているかは、投資家サイドからも重要なファクターとして捉えられるようになっている。こうした動きを見て、私は、過去10年間に起きた性的マイノリティ(LGBTQ)に対する企業の姿勢の変化と似たようなことが、今後黒人はじめ人種マイノリティに対して起きてくるのではないかと思っている。
日本にも無関係ではない
大坂なおみのSNS上での発言に対しては、バッシングも起きた日本。スポーツ選手や芸能人が社会問題に関して発言するたびに起きる問題だ。
REUTERS/Hannah Mckay
上記のような潮流は一時的なものだとは思えず、日本に無関係なものだとも思えない。日本の大企業の多くはグローバルにビジネスをしており、日本国外に多くの消費者や現地採用の社員を抱えている。これらの消費者や社員たちが会社に何を期待しているかを読み間違えれば、いつか相手にされなくなるリスク、訴えられるリスク、ボイコットされるリスクにつながる。
今回BLM運動が盛り上がる中、SNS上や友人の発言などの中にはしばしば「日本には差別がない(あっても大したことはない)」という趣旨のものがあった。確かに、日本は、原住民や黒人とのトラウマの歴史の上に成り立っている多民族国家アメリカに比べたら、人種による差別は少ないかもしれない。
ただ日本にも、在日韓国人や中国人に対する差別、女性差別、障がい者差別、同性愛者はじめ性的マイノリティ差別、非嫡出子差別、被差別部落問題、性犯罪被害者差別、母子家庭差別など、多種多様な差別が明らかに存在する。本来であれば、それら一つひとつについて私たちはもっと真剣に議論し、教育に取り込んでいかなくてはいけないのだろう。
今、アメリカでは少なくとも議論し、歴史を振り返り、何が正しいことかを子どもたちに教えようとしている。
上記のとおりアメリカでは、数多くの芸能人やスポーツ選手が自らの意見をメディア上で発表し、インフルエンサーとしてファンたちに行動を促している。これは今回に限らない。彼らの考え方自体が一種のブランディングになり、ファンが増えたりもする。
今回のBTSの発信と、それに応えたファンたちの話なども、日本で芸能人が政治的な問題についての意見を少しでも表明するとバッシングにあうのとは対照的だ。大坂なおみのSNS上での発信に対してバッシングがあったことは残念なことだと思うし、負けずに発言し続けてほしい。
私たちは「偏見は誰にでもある」ということにもっと敏感にならなくてはならないと感じている。
日本に外国人の同僚たちを連れていくとよく聞かれる質問がある。「なぜ日本では、高級ブランドの広告モデルに白人が多いのか」と。これは中東などでも同じらしいが、背景にあるのは、明らかに、白人至上主義的な美の概念、白人への憧れだろう。
日本人は有色人種であり、決して白人ではない。でも、そのことを普段忘れてしまうくらい、白人中心の文化に私たちは慣れてしまっている。そうやって白人を頂点とする価値観を無意識のうちに取り込み、いつのまにかそちら側に共感するようになってはいないだろうか。
私たち一人一人が、自分の中にある偏見と向き合い、行動することを今、時代から求められているという気がする。(敬称略)
(文・渡辺裕子)
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパン を設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。Twitterは YukoWatanabe @ywny