撮影: 竹井俊晴
慶應大学医学部教授の宮田裕章は、データを扱う「料理人」だと前回書いたが、素材の吟味だけでなく、届ける相手の笑顔をつくるための想像力も必要だという。いつも念頭に置いているのは、データを提供してくれる相手に対して、「価値を返していくこと」。
まず調査を構想する時、まず最初に、「今」必要な切り口は何なのかを考え抜いて、どんな項目のデータを取得するかをデザインする。さらに、そこから得たデータを相手にどんな形で届けていくかは、必ずセットで考えるという。
社会に価値を提供し情報の搾取はしない
宮田はこう話す。
「データ社会に移行する上で大事になってくるのは、データを共有した瞬間から返せる価値っていうのがあるということ。私は20代の頃から、データに関する基本コンセプトは、『Give and Share』だと考えています。
まずは貢献して、その結果、成果を社会やみんなと共有するという考え方。構想段階から、きちんと価値をユーザーに返す設計にするっていうことが、私たちが常に大切にしているところです」
痛みを抱えた人たちに寄り添う視点を持たないと、こうしたゼロベースのデザインはできないという。
「調査をお願いする彼らは今、どんなことに悩んでいるのか。モチベーションはどうか。幸せはどうしたら生まれるのか。いいデータをもらって分析して終わりではなく、継続的なフィードバックを通じて生まれる関係やコミュニティを想定して、デザインを行います」
緊急事態宣言では営業や外出の自粛が求められ、多くの人が経済的にも苦境に陥った(2020年4月新宿で)。
撮影:竹井俊晴
この連載の初回で触れた、新型コロナウイルス感染症対策のためのLINE活用による大規模調査でも、「まずはユーザーに価値を提供していく。情報の搾取はしない」という方針を貫いた。LINE調査のうち、神奈川県をはじめとする地方自治体とのプロジェクトでは、個々の症状や状況に合わせた情報提供と長期的なフォローアップを行ってきた。
「熱があったときに高齢者なのか、持病があるのかで気を付けるべきことは変わってくる。4月末には、厚労省がコロナ感染症で療養中の軽症者に、気を付けるべき13項目を公表しましたよね。あれは、私ですら全部覚えてられない。
私たちの調査では1回、調査にアクセスして定期的に簡単な質問に答えていただければ、必要なときにフィードバックします。まさに個人を軸にしたソーシャルメディアだからこそ、こういう仕組みを作れるんですよね」
コロナ下の調査で「社会の痛み」と向き合う
国レベルの全国調査となったLINEプロジェクトでは、感染状況の把握や医療キャパの予測、規制の引き締めや緩和の検討などにつなげていけるような情報の提供に努めた。
「緊急事態宣言下で行ったLINEの大規模調査で向き合ったのは、コロナ下の社会の痛みです。経済活動を再開させなければ、暮らしがつなげないという綱渡りを多くの人がしているんだと。感染リスクに怯えつつも現場に出る医療・介護従事者たちにも目を向けねばならないと」
そうした人たちに意識を寄せ、刻一刻と変化するリスクに目を配りつつ、宮田はひたすら考え続けていた。今だからこそ可視化すべき情報とは何か。どうしたらデータを使って社会により良い変化をもたらしていけるか、と。
緊急事態宣言が明けても、コロナは長期戦だ。
「また前と同じ生活に戻せば、間違いなく感染拡大するんですよ。ただ、マスクと社会的距離と3密回避を続けながら、感染拡大を防いだ状態をしばらくキープしたままでいける可能性だってある。
ゴールデンスタンダードがない中、ガードをいつ上げるのが適切なのか。我々はさまざまな関係者との連携の中で、正しい情報提供を行うシステム作り、早い段階で感染再拡大を察知する仕組み作りなどを準備しています」
データを独占しない方向への転換
グーグルなどのテックジャイアントでは、社会のためにデータを活用するという方向に舵を切り始めた。
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パーソナルデータを保護するGDPR(EU一般データ保護規則)が施行された2018年以降、個人が国や企業に提供したデータへアクセスする権利は、21世紀の基本的人権だという意識が根付き始めている。
「ひと頃、データの不正利用が事件化しましたが、世界の最先端では、データ活用のシェアモデルを構築するのが原則というフェーズにきています。今ではアメリカのテックジャイアントは意識を高め、『AI for Social Good』『Data for Good』という原則を掲げています」
企業によるデータの独占は望ましくないが、こうした時代の変化から、逆にパワーを持つGAFAだからこそ実現できる、「民主主義的に開かれた公共」という側面も生まれてきた。Googleはコロナ禍で人々の移動に関するビッグデータを公表。宮田らのチームはGoogleと連携し、「自粛の穴」を見つけてコロナ対策に貢献する分析も行った。
民主主義的アプローチは、万能ではない。
例えば、コロナ禍で携帯電話のBluetoothを用いて接触者を記録する「コンタクトトレーシング」が注目を浴びているが、プライバシーを保護するユーザー同意のステップから離脱者も多く、普及の点で課題がある。感染の経路を追う取り組みには、規模が必要だ。
日本でも、厚労省が6月19日から新型コロナウイルス対策としての接触確認アプリを公開。データ活用の試行錯誤が続く。
撮影:小林優多郎
一方で、中国の社会信用システムのように、トップダウンでのデータの一元管理を強力に推し進めれば、安定的に高速に規模のデータが取れる。ポスト資本主義へのヒントが、こうしたあり方から生まれる可能性もなくはないと宮田は見る。
だが一歩誤れば、デジタル監視社会へと突入する。
既に宮田らは、既存の資本主義や社会信用システムの限界を克服し、そのどちらも超える新しい社会の実現にむけて動いている。
「人を軸にしたデータ活用で、個々の人の健康やウェルビーングが向上するという世界は、すでに実現のステップに入りました。
3年前に国が情報プラットフォーム『PeOPLe』の構想を打ち出した際に、私は委員の1人として、信用の担保作りはもちろん、分散管理で適宜つないでいく仕組みだったり、アクセスログを残しながら目的にかなったデータ利用ができる仕組みだったりを提案しました。
期せずしてコロナショックが到来した今、『資本主義の先』を見据えたポスト資本主義を求める方向にグローバルスタンダードの流れが来ていると感じます」
撮影: 竹井俊晴
6月頭、スイスの経済学者であり世界経済フォーラムの会長を務めるクラウス・シュワブは、今必要なのは資本主義の「グレード・リセット」だと表明。イノベーションを活用した上で、公共の利益や健康、社会的課題に取り組む必要性を説いた。こうした動きを受け、宮田は自身のビジョンをこう語る。
「GDPという所有のみ豊かさを考えることは限界があり、経済合理性のみで社会を駆動する時代は終わりを迎えようとしています。私自身は、今後は金融だけでなく、多元的な価値で駆動する社会だと考えてます。
SDGsやESG投資はその先駆けでしたが、コロナが到来したことにより、健康と公衆衛生と世界は経済のバランスを取らざるを得なくなりました。今後はそうした環境、教育、自由、健康などの多元的なsocial goodで社会を駆動させる仕組みが必要でしょう。こうした多元的な価値が今、データによって可視化されている」
宮田がイメージするのは、経済合理性で社会を回す歯車として人々が人生を捧げる世界ではない。一人ひとりの「生きる」を響き合わせて多様な社会を創り、その世界を共に体験する中で一人ひとりが輝くという、“共鳴する社会”だ。
「私個人の一つのプロジェクトで社会全体を変えるのは難しい。けれど、皆さんと協力しながらさまざまなプロジェクトをくさびのように打ち込んでいくことができる。なので、くさび自体もうまくデザインして社会の中に入れていけば、皆さんと新しい流れを作っていけるかもしれない。
日々、そんなイメージで共創しています」
宮田は多様なプロジェクトを回しながら、日々粛々と「目的地」へ歩を進めている。
(敬称略、完)
(文・古川雅子、 撮影・竹井俊晴)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。