国際通貨基金(IMF)は「国際金融安定報告書(GFSR)」の改訂版を公表した。
Screenshot of GLOBAL FINANCIAL STABILITY UPDATE June 2020
国際通貨基金(IMF)は6月25日、「国際金融安定報告書(GFSR)」の改訂版を公表した。4月に公表済みの同報告書を修正したという位置づけだ。
以前の寄稿『IMF「国際金融安定報告書」を公表。リーマンショックの1.5倍速で資金流出、新興国発「コロナ債務危機」の懸念も』で、その内容を紹介しているので、ご参照いただきたい。
今回の修正に際して、「Financial Conditions Have Eased, but Insolvencies Loom Large」との副題がつけられた。
財政・金融政策を通じた各国政府のなりふりかまわぬ対応によって金融市場は落ち着きを取り戻したものの、実体経済の毀損は著しく、債務支払いの可能性(insolvencyは「倒産」「債務超過」の意)が課題として浮上している……そんな現状を的確に描写した表現だ。
報告書の本文を通読してみると、最大の問題意識は「金融経済と実体経済の乖離」にあることがみえてくる。
例えば、「主要国の株価については、程度の差こそあれ、3月の底から既往ピークの85%程度まで値を戻している」と株式市場の回復を指摘するほか、「(ショックによって)ワイド化したクレジットスプレッドの約70%が巻き戻されて(再び縮小して)いる」とクレジット市場における心理の改善などにも言及している。
実体経済の惨状はまだ目を覆いたくなるばかりだが、あらゆる資産価格がコロナショック以前に肉薄する動きを見せ始めている。
「株価」と「消費者心理」の乖離
だが、金融市場におけるムード改善はあくまで「迅速な景気回復見通し」に支えられており、現行の政策対応が永続することを前提にしていると、報告書は危惧している。
こうした批判的な目線は、報告書中の小見出し「金融市場の楽観と国際経済動向の断絶が浮上」にも明示されている。
また、S&P500社の企業収益予想を例に、金融市場が「迅速なV字回復」を期待していると指摘する一方、最近の実体経済指標は「予想以上に深い落ち込み」を示唆しているとして、厳しい現実に目を向けることも忘れていない。
実体経済の不調は、報告書の改訂版と同時期に公表された「世界経済見通し」の改訂版でも詳しく議論されており、IMFは2020年の世界経済見通しを-4.9%と4月時点の見通しから1.9%ポイントも下方修正している(ちなみに2021年は+5.4%)。
なお、報告書は「金融経済と実体経済の乖離」を示す好例として、S&P500指数と消費者信頼感指数の対照的な動きを用いているが、グラフに描き出してみると、かなり印象的な構図になることがわかる【図表1】。
消費者信頼感指数……消費者の観点からアメリカ経済の健全性を図る指標。調査会社コンファレンスボードが景気・雇用情勢や半年後の景気・雇用情勢・家計所得の見通しについて毎月アンケート調査を行い、1985年を100として指数化しているもので、消費者心理が反映される。
【図表1】アメリカにおける株価と消費者信頼感の乖離を示すグラフ。
出典:macrobond資料より筆者作成
歴史的にみて、両者がはっきりと乖離するのはかなりまれなケースで、消費者心理がアメリカ経済の60%を占める個人消費の帰趨を決することを踏まえれば、やはり将来の不安は小さくないといわざるを得ない。
報告書は資産価格の持続可能性に疑義を呈しており、調整局面(=経済回復の踊り場)を招きかねない数多くのトリガーがあるとしている。
具体的には、感染第二波の到来とともに、いまでさえ未曽有と形容されている現在の景気後退がさらに長引くケースや、貿易摩擦が再燃するケース、そして社会不安の高まりとともに格差問題が再び投資家心理の巻き戻しを招くケースなどに言及している。
いずれも実体経済の裏づけを欠く資産価格が動揺するには十分な材料といえる。
必要悪としての「実力以上の株価」
もっとも「金融経済と実体経済の乖離」は、今に始まったテーマではない。
GDP成長率の落ち込み、より具体的には企業収益の落ち込みにもかかわらず、アメリカをはじめとする先進国の株価は近年、続伸してきた。アメリカでは株式の時価総額が名目GDPの規模を凌駕し、両者の差が広がる構図が当たり前になっている【図表2】。
【図表2】アメリカのバフェット指標(2020年5月末時点)。バフェット指標は、株式時価総額を名目GDPで割って求める。
出典:macrobond資料より筆者作成
こうした構図が定着する理由はいくつか考えられる。例えば、近年の金融政策は株価を見て運営される傾向があり、結果的に過剰な金融緩和環境を前提とした株価になりやすくなっている。
また、そうした政策運営によって低金利が常態化し、定期的に収入を生みだす資産クラスが株式配当や不動産賃料くらいしかなくなり、運用資金が株式市場に集まりやすくなっていることも関係している。
とはいえ、「株価が高過ぎる」とIMFが断言することにも危うさを感じる。
例えば、前出の改訂された世界経済見通しによれば、2020年は-4.9%、2021年は+5.4%と伸び率こそ下方修正されているものの、予想されている軌道は結局のところ「V字回復」だ。いまの高い株価はこれを先取りしていると考えられないだろうか。
そもそも、感染拡大の先行きは誰にもわからない以上、いまの株価が「高過ぎる」かどうかは評価できないはずだ。
なお、バブル的な動きを肯定するつもりはないが、株価が高くて困る経済主体は基本的にはいない。例えば、家計金融資産の30%以上が株式であるアメリカの家計部門は、株高が消費増をもたらす資産効果がはっきりと期待できる。また、株価が高止まりすることで、企業部門の経営が安定する側面もある。
非常時だからこそ、仮にそれが「実力以上の株価」であっても、実体経済が立ち直るためには必要とされるという考え方はあり得る。
もちろん、GFSRは国際金融システムの堅牢性を確保するためにこそ、今回のような政策提言を行っているのであり、それゆえ株価の騰勢や債務の蓄積に警鐘を鳴らすのは一種の義務であって、株価の騰勢(とうせい)を手放しで評価するわけにはいかない立場にある。
その事情は理解できるのだが、戦時下とも称される異常な事態のもとで、一種の「必要悪」として「実力以上の資産価格」(代表的には株価)を用意しなければならない状況であることも、現実問題として認識したいところだ。
このあたりのニュアンスは報告書の末尾にも記述されている。現行の対応がショックの緩和につながっていることを認めつつも、事態が正常化した際には金融市場の脆弱性につながるような芽は摘むべきであると、両論併記のように記述されている。
ビジネスパーソンの方々には、示唆の多いこの報告書をぜひご一読されたい。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。