アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、白人警官がアフリカ系アメリカ人の男性を殺害してしまった事件をきっかけに激しくなった人種差別撤廃運動。「Black Live Matter」はアメリカだけではなく、世界を巻き込んだ社会現象となっている。
生まれ持った肌の色から生まれる不平等性が、現代にも残っていることに憤りを感じつつ、なぜその考えが現代にも残っているのか理解できないシマオ。シマオはその背景が知りたく、オンラインで佐藤優さんに連絡をとった。
Black Lives Matterの背景にある「眠っていた差別」
シマオ:佐藤さん、お久しぶりです。しばらくニュースの話題は新型コロナ一色でしたけど、最近は少し落ち着いてきたのか、そうでもなくなりましたね。
佐藤さん:日本は自粛緩和の流れですが、アメリカやブラジルなどではまだまだ影響が大きいようです。
シマオ:アメリカといえば、「Black Lives Matter(BLM)」の問題が大きく取り上げられていますよね。全米でデモや暴動が起こったり、いろいろな企業が声明を発表したり……。今日はそのことをお聞きしたくご連絡しました。
佐藤さん:アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、白人警官がジョージ・フロイド氏の首を膝で絞めて殺害してしまった事件をきっかけに、アフリカ系アメリカ人差別の問題が社会現象となっている件ですよね。
シマオ:僕もあの事件の映像を見て、本当に怒りがこみ上げてきました。なんで同じ人間なのにあんなひどいことができるんでしょう? そもそも、なぜ現代にも人種差別が起きるのか……。それがよく分かりません。歴史的な背景も含めてちゃんと知っておきたいから、佐藤さんに聞こうと思っていたんです。
佐藤さん:今回のBLMの現象には、マクロとミクロ、2つの側面から見えてくることがあります。一つはマクロの視点からで、いわば「眠っていた差別」の顕在化です。
シマオ:眠っていた差別……?
佐藤さん:アメリカのアフリカ系アメリカ人差別は、奴隷貿易の歴史から続く根深いもので、現代まで続いています。けれども、大きな流れで言えば、南北戦争(1861〜65年)を経て奴隷制が廃止され、1960年代の公民権運動でアフリカ系アメリカ人の人権に関する法的権利も完全に認められました。その後もさまざまな差別是正の動きが見られます。例えば、今のアメリカのテレビドラマを見たことがありますか?
シマオ:はい。NetflixとかAmazonプライムとかでよく見ます。
佐藤さん:近年のドラマを見ていると、登場人物の人種構成に非常に気を遣っていることが分かります。アフリカ系アメリカ人やヒスパニック、アジア系を入れたり、男女比率を半々にしたりといったことです。
シマオ:確かに、そうですね。いわゆるポリティカル・コレクトネスが浸透して、世の中が変わってきたということですね。
佐藤さん:それが、そんなに単純ではないんです。確かに、公民権運動の中、バスの座席がアフリカ系アメリカ人か白人かで分けられているといった人種差別、ジム・クロウ法がなくなるなど、アフリカ系アメリカ人が白人と同じ権利を持てるようになったことは間違いありません。でも、現実の世界がテレビドラマのように公平になったと思いますか?
シマオ:おそらく、そうではないですよね。今回のフロイド氏の事件の前にも、似たようなことは繰り返し起こっています。
佐藤さん:つまり、テレビの中の公平性は建前だということを、アメリカ人ならみんな分かっているんです。少なくともアフリカ系アメリカ人の人たちは、肌の色による差別をいまだに受けて続けている。しかし、総体として差別は「過去形」で語られるようになってきました。
シマオ:本当はあるのに、ないことにされている……ということですかね。
佐藤さん:そうです。差別はなくなったのではなく、潜っていただけだったというのが、「眠っていた差別」の意味です。実はこの「眠っていた」という表現は、コロナとも関係してくるんですよ。
「差別は決してなくならない。潜っているだけ。だからこそ過去のものにしてはいけない」という佐藤さん。
「建前」の中に潜む「本音」
シマオ:コロナとも関連……? どういうことでしょう?
佐藤さん:今回のコロナ禍で、フランスの小説家カミュの『ペスト』を再読する動きが広まりました。
シマオ:伝染病の脅威でパニックになった社会を描いていて、まるで予言の書だと話題になってましたね。
佐藤さん:その『ペスト』の結びに、カミュは次のように書いています。「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存する」と。
シマオ:この先コロナが収まっても、同じことが言えそうですね。
佐藤さん:私たちが感じる日常というのは、病原菌が死滅したということではなく、単にその影響が目に見えていないだけですよね。それと同じで、人種差別の問題も今になって激しくなったわけではなく、もともとあった問題が顕在化したということです。
シマオ:なるほど。では、なんで今、顕在化したんでしょうか?
佐藤さん:いろいろ原因はあるでしょうけど、大きいのはドナルド・トランプが大統領になったことだと思います。
シマオ:トランプは、ヒスパニック系に対しても人種差別的な発言をたびたびしていますよね。
佐藤さん:一言でいえば、トランプならではの「本音の政治」が始まってしまったことです。少なくとも近年の大統領は、アメリカのリーダーとして人種差別に反対の立場を表明してきました。けれど、トランプは違います。
シマオ:Twitterを使って、堂々と差別的な発言をしています。
佐藤さん:さすがにトランプといえども「アフリカ系アメリカ人は劣っている」とは言いません。でも、「白人は優れている」と言う。それは裏返せば白人以外を下に見ているということで、彼にはこの論理を使った発言が非常に多いです。
シマオ:経済的に不満を持った白人たちがそれを見て、そういうことを言ってもいいんだ、ってなったわけですね。
佐藤さん:トランプに限らず、アメリカには根強い白人至上主義があります。それはアフリカ系アメリカ人だけでなく、アジア人にも影響を及ぼす可能性があります。
シマオ:日本にいると圧倒的なマジョリティだから気付きませんけど、欧米に行くとアジア人差別があると言いますね。
佐藤さん:古くは「黄禍論」と呼ばれて、日露戦争の頃にドイツやロシアからアジア人種に対する脅威が叫ばれました。アメリカでも、その影響で移民の制限や差別が起きています。実は、1919年のパリ講和会議で、人種差別撤廃提案を初めて世に訴えたのは日本だったんですよ。
シマオ:へえ……知りませんでした! 日本人は人種平等に対する意識を強く持っていたということでしょうか?
佐藤さん:厳密に言えば、それは平等の意識というよりは、国際社会に対して自分たちを対等のメンバーとして受け入れさせるための方策でした。それでも日本の動きはアメリカのアフリカ系アメリカ人層からも期待されましたが、結果的に白人層の反対に遭い、その提案は国際連盟から否決されてしまいました。
シマオ:でも、少なくともアジア人の地位を向上させなければいけないという意識はあったわけですよね。
佐藤さん:その通りです。ただ、自分たちがアジア人全体の地位を向上させるというパターナリズムの意識が、太平洋戦争での支配につながっていった側面も見逃せません。
シマオ:パターナリズムといいますと……?
佐藤さん:帝国主義の時代でしたから、まずは日本がアジアの国々を欧米から取り返して国力を付けさせ、そしてアジア全体を解放してやるんだ、と。
シマオ:余計なお世話ですね。支配される側はたまったものじゃない……。
佐藤さん:植民地支配をしている欧米列強は、それでも自分たちが収奪をしている意識があります。それに対して日本は、自分たちは支配される国のためにいいことをしていると思っているからタチが悪い。だから、搾取に歯止めがかからなくなってしまったんですよ。
なぜ歯止めの利かない暴動へつながったのか
佐藤さん:さて、もう一方のミクロの視点から見えてくることは、新型コロナの影響です。
シマオ:ここでもコロナですか……?
佐藤さん:第17回 の時、コロナの影響で内に向かうエネルギーがたまりすぎると爆発してしまうということを言いました。今回の出来事の背景には、それと同じことがあると考えられます。
シマオ:コロナで内にたまっていたエネルギーが、暴動につながったということでしょうか。
佐藤さん:もちろん、アフリカ系アメリカ人差別への怒りが抗議となって表れたということが大前提です。けれど、その先にある一部の過激な暴動などを見ていると、もしコロナがなければここまでの爆発は起きなかったかもしれない、という印象を受けます。
シマオ:つまり、タイミング的に抗議活動があちこちに引火して、大きくなってしまったということですね。
佐藤さん:社会的な動きというのは、タイミングに左右されることが多々あります。日本で言えば、検察庁法改正への反対が大きく盛り上がりましたが、それがなければ別の何か、例えば持続化給付金の委託問題で爆発していたかもしれません。
シマオ:なるほど。そう考えると、BLMがアメリカだけではなく、各国に飛び火している事情が分かるような気がします。でもどこかでこの連鎖を断ち切らないといけませんね。そもそも、なぜ人は人を差別してしまうんでしょうか? 次はそれを教えてください。
※本連載の第22回は、7月8日(水)を予定しています 。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。昨年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)