アメリカでの黒人差別、その暴力性に憤慨するシマオであったが、人種差別を身近に経験したことがないため、その心理が理解できない。 人はなぜ差別をしてしまうのか。本能なのか理性なのか。 佐藤優さんは、差別、平等に関しての概念をシマオに話し始めた。
「平等」は特殊な考えだった
シマオ:BLM(Black Lives Matter)の持つ二つの側面というお話は、よく分かりました。でも、やっぱり分からないのが、なんで肌の色が違うってだけで、人は人を差別してしまうのでしょう?
佐藤さん:シマオ君には、差別心はまったくないですか?
シマオ:もちろん僕にも差別する心がまったくないとは思いません。でも、奴隷として使ったり、殺したり……それも国家ぐるみで、というのが理解できないんです。
佐藤さん:まず、多くの人が勘違いをしているのは「人は本来、平等である」と考えているところです。
シマオ:えっ、違うんですか?
佐藤さん:人は「平等であるべき」というのは普遍的な人権概念ですが、これは最初からあったものではない、ということです。平等というのは、本来は特殊な考え方であり脆いもの。だからこそ絶対的に守らなければいけないものなんです。
シマオ:詳しく教えてください。
佐藤さん:それを知るのに適している2冊の本があります。1つ目がエマニュエル・トッドというフランスの人口学者の『移民の運命』です。トッドは、平等という考え方は、家族類型、中でも相続の仕方と大きく関係していると言います。
シマオ:相続って、なんか家族の小さな話のように思えますが……。
佐藤さん:シマオ君は兄弟はいますか?
シマオ:妹が1人います。
佐藤さん:ご両親が亡くなって、その遺産を妹さんが全部持っていってしまったら、どう思いますか?
シマオ:まあ、うちは遺産といっても大した額ではないと思いますけど、それでも全部持っていかれたら不公平感がありますね……。しかも妹に。
佐藤さん:「しかも妹に」……。その言葉の中にも差別があると思いませんか?
シマオ:あ、確かに……。
佐藤さん:長男に財産を相続させることを「長子相続」と言います。日本では家督相続とも呼ばれ、伝統的にこの方式でしたが、1974年の民法改正でなくなりました。
シマオ:確かに、長男が家を継ぐっていうイメージは今でも強いですね。
佐藤さん:例えば、ドイツでも伝統的にはこの長子相続でした。イギリスは、20世紀に入ってから長子相続制度が廃止され、その後は遺言によって自由に決められました。そして、パリは男女関わらず平等に相続するというやり方です。
シマオ:国や地域によって風習が異なるわけですね。
佐藤さん:人類学的な類型を分析したトッドによれば、完全に平等に遺産分配をするのは、フランスのパリ盆地と地中海沿岸以外ではあまり見られない形態だと言うのです。
シマオ:なるほど。
佐藤さん:そして、近代の礎(いしずえ)を築いた1789年のフランス革命は、たまたまパリ盆地で起きた。その結果、パリのローカルなルールであった「平等」という概念が、近代の考え方として世界中に広まった、というわけです。
シマオ:歴史的に見ても平等とは、現代になって作られた後天的概念ということですか。そう思うと、何かの拍子にすぐに不平等に引っ張られてしまう危険性が大いにあるということですね。
佐藤さん:平等という考え方は歴史と社会に依存してできたものです。ですので、その土台となる背景が変わってしまうと、一気に崩れる可能性があるんです。
人間とは不寛容な生き物である
佐藤さん:平等を知る手がかりとなるもう1冊が、イタリアの記号学者であり小説家でもあるウンベルト・エーコの『永遠のファシズム』です。
シマオ:確か『薔薇の名前』の作者でしたよね。……といっても、本ではなく映画でしか見たことありませんが。
佐藤さん:エーコは、自分と違う人への不寛容は人間にとっては自然なことである、と言っています。子どもを見ていると、「不寛容」の場面はたくさん見られます。彼は、大人になってもそれは変わらない、だから寛容的になるためには、不断の「教育」が必要になると主張しています。
「生まれ持った属性で差別することは、何があってもしてはいけない」と語気を強め話す佐藤さん。
シマオ:確かに、子どもは「いじめ」に近いことを無邪気に言いますよね。
佐藤さん:私が繰り返し言っているように、人間というのは縄張りや群れを作る動物です。群れというのは、他者を排除することでもあるので、差別につながりやすい。
シマオ:だから、「差別はいけない」と繰り返し言わなければいけない、と。
佐藤さん:エーコは「どんな理論も、(中略)匍匐(ほふく)前進の不寛容の前では無効でしかない」と書いています。それくらい、この人間の不寛容は強いものだというのは、歴史を見れば痛感します。
シマオ:小さないじめと同じような不寛容が、国レベルでの差別につながってしまう……。だからこそ、小さな不寛容の芽を一つひとつつぶしていかないといけないんだ。
佐藤さん:それに、差別をなくすことは単なる倫理ではなく、経済的利益にもつながるんですよ。
シマオ:と言いますと?
佐藤さん:今回のBLMの問題を見ても分かるように、差別は回り巡って社会の軋轢を生みます。そうした社会というのは、結局弱くなってしまう。それは資本主義の社会で致命的なことです。
シマオ:経済的にも生き残れない、と。
佐藤さん:例えば、男女雇用機会均等法は、もちろん女性の権利向上という意味は大きいのですが、一方で、女性の労働力が国にとって不可欠であることと表裏一体です。
シマオ:でも、それって「経済的に使えるものは使え」っていう論理になりませんか?
佐藤さん:それは近視眼的な見方です。かつて見られた児童労働は、先進国では規制されています。なぜなら、子どもたちがちゃんとした教育を受けられなければ、国の将来を担う人間になれないということが分かったからです。
シマオ:なるほど。つまり、資本主義のルールからいっても、人種差別はなくさなければいけない、という方向に進んでいるということですね。
キリスト教の教えは差別を許すのか
シマオ:ところで、アメリカって基本的にはキリスト教の国ですけど、キリスト教では差別に対してどう考えているんでしょうか?
佐藤さん:キリスト教は、基本的に寛容な教えです。例えば、ユダヤ教の中でもファリサイ派と呼ばれる有力な人たちは、ガラリヤ地方の貧しい民衆を「地の民」と呼び罪人扱いして差別していました。イエスはそうした人たちとも交流します。
シマオ:イエスは差別をしない……と。
佐藤さん:そうです。あるいは「善きサマリア人」の話を知っていますか?
シマオ:いえ。どんなものでしょう?
佐藤さん:ある時、山賊に襲われて大けがをした人がいました。それを見たユダヤ教の祭祀たちは見て見ぬふりをしますが、サマリア人は立ち止まり介護したという話です。サマリア人というのも、ユダヤ教からは低く見られた人たちです。
シマオ:立場にとらわれずに善いことをできた人だった。
佐藤さん:はい。イエスは「隣人とは誰のことですか?」と問われて、この話をしています(「ルカによる福音書」10章)。その他にも、12年間出血の止まらない女(「マルコによる福音書」5章)、「規定の病」を患った人(「マタイによる福音書」8章など)らに、イエスは分け隔てなく手を差し伸べたと書かれています。
シマオ:今の言葉で言えば、マイノリティの人に対しても、差別なく接したということですね。にもかかわらず、アメリカを始めとするキリスト教国で差別が起きてしまうのは、どうしてなのでしょうか?
佐藤さん:一つは、今の先進国は世俗化していることです。キリスト教の影響は文化的には残っているけど、世界の潮流は無神論に向かっている。つまり、本気で神様を信じている人は少ないってことです。シマオ君は、仏様が本当にいると思っている?
シマオ:いえ、さすがに……。
佐藤さん:日本人だって、お経を聞いても内容は分からないし、神社の祝詞だって自分の名前くらいしか聞き取れない。現代の世俗化された宗教というのは、そんなものです。もう一つの面は、そもそもキリスト教には差別的な要素が含まれていることです。
シマオ:イエスは差別のない教えを説いたんじゃなかったんですか?
佐藤さん:例えばキリスト教はイエスの教えだけでなく、ユダヤ教の旧約聖書も取り込んでいます。そこには今の価値観からすれば差別的な要素が含まれるわけです。新約聖書の記述でもパウロの女性観は、今日の基準に照らすと差別的です。
シマオ:そうした差別を排除していかないんでしょうか?
佐藤さん:もちろん、現実の世界では差別をなくしていく動きはあります。けれど、だからと言って聖典から削除するといったことはしません。そもそも矛盾したテキストがあることは、宗教が生き残るために必要なことでもあるんです。そこが法律などとは異なるところです。
「構造化」されているから、差別に気付かない
シマオ:なるほど……。世俗化した世界では、何が差別を止めるものになるんだろう。差別をなくすために、僕ができること、何かありますか?
佐藤さん:大切なのは、差別の構造を知ることです。差別は構造化されると、自分が差別していることに気付かないからです。
シマオ:差別の構造って、どういうことでしょうか?
佐藤さん:例えば、週刊誌などでは芸能人の不倫報道がよくありますね。あれは犯罪ですか?
シマオ:いい悪いは別にして、少なくとも犯罪ではないです。
佐藤さん:1947年に刑法が改正されるまでは、女性が夫以外と性的関係を持ったら姦通罪という犯罪でした。夏目漱石の『それから』なんかは、当時この姦通罪を誘発する小説だという批判もありました。では、逆に男性が愛人を持つことはどうですか?
シマオ:昔の政治家はよく愛人がいたと言いますね。今でも、男性が不倫するより、女性がした時のほうが、風当たりが強いような気もします。
佐藤さん:姦通罪の廃止も、男女雇用機会均等法も、法的には男女差別がなくなったと言えます。でも、本当に差別はなくなったでしょうか?
シマオ:それも「潜っているだけ」ということ……?
佐藤さん:そうです。その後も今に至るまで、家事や子育ては女性がやるものであったり、夫の両親の介護を妻がやるのが当たり前になっていたりした。その「当たり前」という感じが、構造化された差別なんです。
シマオ:男の側には必ずしも差別している意識がない、ということですね。
佐藤さん:差別している側は、差別の構造に目を向けることで、ようやくそこに差別があることに気付くことができるんですよ。ですから「構造化」されているから、差別に気付かない、シマオ君がまずすべきことは、自分の中の潜在的な偏見に気付くことです。人種差別は大きな問題ではありますが、君の中に潜む差別意識を一つひとつなくしていくことでしょう。
※本連載の第23回は、7月15日(水)を予定しています 。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。昨年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)