この連載では、日々の企業ニュースを切り口に、会計とファイナンスを学びながらニュースの真相に迫ります。
ここまで2回にわたってお届けしてきた「百貨店業界のビジネスモデル転換戦略」は今回で完結。資金効率の指標であるCCCが異常なまでに長い丸井グループの真の狙いとは? そして、伝統的な百貨店ビジネスからの脱却を図る他の百貨店グループの戦略とは? ファイナンスのプロ、村上茂久さんが分析します。
前回は、決算書からCCC(キャッシュ・コンバージョン・サイクル)を算出する方法を説明し、三越伊勢丹ホールディングス(以下、三越伊勢丹)と丸井グループ(以下、丸井)のCCCを計算してきました。三越伊勢丹のCCCは21日だったのに対し、丸井は604日と、桁違いの長さであることがわかりました。
試しに、前々回取り上げた大手百貨店グループ4社と丸井のCCCを比較してみると、図表2のような結果になります。
髙島屋もH2Oリテイリングも、CCCは三越伊勢丹とさほど遜色ない10〜25日。J.フロント リテイリングのCCCは意外にもマイナスです(これについては後述します)。これらの企業と比べると、丸井の「604日」というCCCは、計算間違えかと目を疑うほどの長さです。
丸井のCCCはなぜこんなに長いのか?
では、なぜ丸井のCCCはこんなにも長いのでしょうか? CCCはもちろん業界によって異なりますが、それだけでなく、企業のビジネスモデルにも大きく左右されます。
丸井が扱っている衣服の多くは三越伊勢丹をはじめ大手百貨店グループでも販売されていますが、丸井が他の百貨店と大きく異なる点がひとつあります。それは「資金の決済の仕方」です。
丸井で洋服を買う際は、分割での支払いが可能です。もちろん、丸井以外の百貨店でもクレジットカードでの分割払いやリボリング払いはできますが、丸井はちょっと事情が異なるのです。
丸井はかつて、「マルイカード」や「赤いカード」という、丸井のみで使える独自のカードを発行していたことがあり、ここでの経験が今の丸井のビジネスを形作っています。
「マルイカード」や「赤いカード」は丸井でしか使えなかったという点で、クレジットカードほど資金使途の自由度が高くありませんでした。それゆえ、クレジットカード破産のような心配も限定的で、若者も気軽にマルイカードや赤いカードを使って分割払いで服を買うことができたのです。
丸井は元来このようなビジネスモデルだったため、丸井での売上は他社と比べて分割払いでの販売が多くを占めています(図表3)。
リボ払いや分割払いでの決済は、業界全体が39%であるのに対し、丸井は63%も占めています。その結果、丸井のCCCは通常の小売りでは考えられないぐらい長くなっているというわけです。
丸井のビジネスモデルは「金融会社」
ここで、前々回をお読みいただいた方の中には「CCCは短い方が望ましいのでは?」と疑問を持たれた方がいるかもしれません。
確かに私は先に、「CCCは短い方が望ましい」と書きました。その理由は主に2つあり、第一に短い方が資金繰りが安定すること。そして第二に、CCCが短いほど売掛金等の売上債権が未回収になるリスクを抑えられることが挙げられます。
実際、この連載の第15回で取り上げたレナウンは、兄弟会社から売掛金53億円を回収できなかったことで資金繰りが苦しくなり、コロナショックが追討ちをかける格好となって民事再生の申請へと追い込まれてしまいました。売掛金を回収できるかどうかは、企業の生死に直結する重大な問題なのです。
では、なぜ丸井は「CCCは短い方が望ましい」というセオリーに反しているのに、高い営業利益率を実現できているのでしょうか?
その秘訣は「手数料」にあります。
確かに丸井のCCCは長い。ただしそれは、見方を変えれば、その分ショッピングにおける分割払いの手数料を獲得できるということです。つまり、丸井は実質的には金融会社のようなビジネスモデルだということです。
「丸井に行って洋服を分割払いで買う」という行為は、見方を変えれば「消費者金融で借りたお金で洋服を買う」という行為と本質的にはイコールとも言えます。
顧客からしたら、お金が足りなくなるたびに消費者金融に借りるより、丸井で分割払いで購入した方が気持ちの面でも負担は少ないでしょうし、わざわざ消費者金融に行く手間が省けて気軽に買い物を楽しめるでしょう。
丸井は長年培ってきた伝統的な割賦販売ビジネスを進化させ、現在ではフィンテック事業に力を入れています。丸井の営業利益419億円(2020年3月期)のうちのなんと384億円、つまり約91%はフィンテック事業からもたらされています(図表4)。
(出所)丸井グループ「2020年3月期決算説明と今後の展望」より抜粋(ハイライトは筆者)。
丸井におけるフィンテック事業はさまざまな場面で活用されていますが、その中でもショッピングが最も多く、フィンテック取扱高の8割以上を占めています(図表5参照)。
丸井はさらなる成長戦略として、エポスカードの利用客数の拡大および利用率・利用額の向上に向けて、居住者賃貸物件の家賃保証、サブスクリプション企業との提携・協業に取り組み、家計消費におけるシェアの最大化を目指しています(※1)。
(出所)丸井グループ、2020年3月期決算短信、p.4より抜粋(ハイライトは筆者)。
このように丸井は、外から見れば他の大手百貨店と同じように大型店舗で洋服を販売しているものの、CCCという切り口から見れば資金回収の仕方がまるで違い、またビジネスモデルも大きく異なっていることがわかります。
売り手の交渉力、買い手の交渉力
さて、前々回から今回までの3回にわたり、複数の小売業のCCCを見てきました。第17回でご紹介したアマゾンやキャンドゥ、そして前回・今回と詳しく見てきた三越伊勢丹などの大手百貨店グループや丸井……。それぞれのCCCが異なる背景には先述のとおりビジネスモデルの存在が挙げられますが、それに加えて、利害関係者との力関係も大きく影響します。
ハーバード・ビジネススクールのマイケル・ポーター教授が書いた『競争の戦略』といえば競争戦略論の古典的名著ですが、同書では事業環境の分析を行うための「ファイブフォース」というフレームワークが説明されています。
このファイブフォース分析では、業界の競争要因として次の5つの競争要因(ファイブフォース)を挙げています。
- 新規参入者の脅威
- 売り手(サプライヤー)の交渉力
- 買い手(顧客)の交渉力
- 代替品や代替サービスの脅威
- 業者間の敵対関係
この5つの競争要因が業界の競争状態を決めるとともに、企業の戦略に大きな影響を与えることをポーターは指摘しました。
図表6に挙げられている5つの競争要因のうち、CCCに影響してくるのは「売り手の交渉力」と「買い手の交渉力」です。
支払債務回転日数が長いアマゾンやキャンドゥは、売り手(サプライヤー)に対して強い交渉力を持っているからこそ、サプライヤーへの支払いを遅らせることができます。
同様に、買い手に対して強い交渉力を持っていれば、短いスパンで売上債権を回収することができます。逆に丸井のように、買い手に対する交渉力を逆手にとり、顧客に対して支払いの猶予期間を与えることで手数料収入を稼ぐという戦略に打って出ることもできるのです。
J.フロント リテイリングは「商業デベロッパー」
大手百貨店グループに目を向ければ、前回も見てきたとおり、百貨店業界の売上高は年々減少傾向にあります。そのようななか、各社は百貨店事業以外のビジネスを伸ばす努力をしています。丸井は一足先に、カード事業をはじめとしたフィンテック事業に軸足を移し、これが功を奏して着実に利益を伸ばしています。
では、他の百貨店グループはどうでしょうか。いま既存の殻から大きく脱皮しようとしているのが、大丸松坂屋百貨店やパルコをグループに持つJ.フロント リテイリングです。2019年度は減益ながらも売上高は4%強伸びています(図表7)。加えて、本稿冒頭の図表2でも見てきたとおりCCCはマイナスと、三越伊勢丹や髙島屋といった同業他社とは一線を画す戦略が垣間見えます。
(出所)J.フロント リテイリング、三越伊勢丹HD、髙島屋およびH2Oリテイリング各社の有価証券報告書より筆者作成。
健闘の要因は、前々回もお話ししたようにパルコ事業の伸びです。商業施設をプロデュースしてテナントを誘致するというパルコのビジネスモデルは、実質的には商業デベロッパーと言えます。
加えて、大丸松坂屋百貨店各店舗の周辺エリアを中心とした自社物件の開発や外部物件の賃借や取得を行う不動産事業にも力を入れ始めています。
実際、同社の中期経営計画では、百貨店の営業利益を半分以下の44%にし、不動産事業とパルコ事業で38%の利益を確保することを目指していることが明示されています(図表8)。
2016年度にはわずか0.8%のシェアしかなかった不動産事業は、現時点ですでに11%を超えています。このまま着実に伸びていけば、百貨店事業、パルコ事業に続く第3の柱ともなるでしょう。
J.フロント リテイリングのCCCがマイナスになっているのは、こうした事業内ポートフォリオの変革もあってのことでしょう。実際、粗利率(売上総利益÷売上高)の観点から見ても、J.フロント リテイリングは従来型の百貨店グループとは違うことがわかります(図表9)。
(出所)J.フロント リテイリング、三越伊勢丹HD、髙島屋およびH2Oリテイリング各社の有価証券報告書より筆者作成。
先述のように、丸井はフィンテック事業の規模拡大により利益率が図抜けているためここでは脇に置くとして、百貨店をはじめとした小売業界の粗利率はおおむね25〜30%程度。 三越伊勢丹、髙島屋、H2Oはまさにこのレンジに収まっていますが、J.フロント リテイリングは43%と、通常の小売りではなかなか達成できない粗利率を実現しています。
その理由は、小売だけでなく、パルコ事業におけるデベロッパービジネスや不動産ビジネルが伸びているからと言えます。実はこの粗利率にこそ、J.フロント リテイリングのCCCがマイナスになっている秘密が隠されています。
「粗利率が高い」ということは、「原価率(=1−粗利率)が低い」ということとイコールです。
ここで、支払債務回転日数の定義をもう一度思い出してみましょう。分母に来るのは売上原価でした。
原価率が低いということは、分母の売上原価が小さいということ。その結果、仕入債務回転日数は長くなります(※2)。このように、利益構造が変わることでCCCも変わってくるのです。
(出所)J.フロント リテイリング有価証券報告書をもとに筆者作成。
ここまで3回にわたって、CCCという指標をご紹介しつつ小売業におけるビジネスモデルの違いを解説してきました。
コロナ禍が私たち消費者の生活感を大きく変えた今、百貨店グループや大手小売はこれまで以上の速さで事業をアップデートする必要に迫られています。
次の時代にも勝ち残るビジネスモデルへと自社をどう変化させていくのか——売上高や利益だけでは見抜けない各社の戦略的な狙いが、CCCを分析することで垣間見えてきます。 伝統的な百貨店のモデルからいち早く抜け出した丸井やJ.フロント リテイリングのみならず、他の大手百貨店グループの今後の動向にも注目したいところです。
※1 丸井グループ、2020年3月期決算短信、p.4。
※2 棚卸資産回転日数と支払債務回転日数の計算において、分母に売上原価を使うのではなく、売上高を使う計算方法もあります。売上高を使うことで、売上債権回転日数と分母が共通することになり、比較の観点からこのような計算方法を行うこともあります。J.フロント リテイリングについても、分母に売上高を使うとCCCはプラス11日となります。
※次回は8月14日(金)の更新を予定しています。
(執筆協力・伊藤達也、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
村上 茂久:1980年生まれ。経済学研究科の大学院を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして大手企業や地方の新規事業の開発及び起業の支援等をしている。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も実施している。