撮影:伊藤圭
大きなダイニングテーブルの脇に、青い布張りの2人がけソファ。ダイニングテーブルで限界までパソコンにかじりつき、気絶寸前にソファに倒れこむ。そんな、ひたすらテーブルとソファを往復する生活が2月末から約3カ月続いたという。
緊急事態宣言が解除された5月末、ウェブサイトに載っている住所を調べてたどり着いたのは、都心の住宅街の民家だった。会社なのに一軒家であることに戸惑いながら、2階に通された。オープンキッチンのあるリビングだ。
この家が株式会社ビビッドガーデンのオフィスだ。生産者と消費者をオンラインでマッチングするプラットフォーム「食べチョク」を運営している。
「やらなきゃ死んじゃう」
食べチョクのホームページより
取り扱う商品は食材が主なので、試食や撮影のためにキッチンは欠かせない。キッチンを最重要ポイントに物件を探して「一軒家」に行き着いたのだと、社長の秋元里奈(29)は説明した。新型コロナウイルスの感染拡大につれ、まともに寝る暇がなく青いソファをベッド替わりにしていたのはこの人だ。
のどかな住宅街の一軒家のオフィスに足を踏み入れると、この地域同様におっとりとした会社かと錯覚しそうになる。だが、おっとりで済むはずがない。秋元は“DeNAマフィア”だ。
DeNA創業者・南場智子の「成功率50パーセント」のシゴキで力をつけ、独立・起業した一群がいる。南場イズムを受け継ぎ、プレッシャーにむしろ燃えるという特異体質の彼らは、DeNA出身起業家のネットワークを持っている。1つの企業から輩出された優秀な人材とそのネットワークを「◯◯マフィア」と呼ぶITスラングに倣うと、秋元はDeNAマフィアの構成員だ。他には例えば、食品ベンチャーのベースフードの橋本舜。秋元の一期上だ。
スタートアップ業界で手間暇がかかる割に利益率の低い「農業」は投資家のウケがよくはないらしい。
農業での起業はハードルが高いと知っていながら秋元は手を出した。そこに最初から勝算があったかは分からない。
ただ、秋元は言った。
「やらなきゃ、死んじゃう」と思ったと。
「死んじゃう」に込められた意味は3つに解釈できる。農業が廃れてしまうこと、起こしたスタートアップがこと切れること、そして、想いが叶わなければ死んでしまいたいくらいに秋元はこの事業に賭けている。
コロナで生産者も購入者も急増
コロナによる外出自粛期間、街からは人の姿が消えた。
撮影:竹井俊晴
創業して4年目。
1年目は一人でビジネスモデルを試行錯誤。2年目に現在のモデルを発表。3年目、登録生産者も食べチョクで購入する消費者の数も徐々に増えてきた。そこへ、4年目に入ってすぐに新型コロナウイルスが世界を襲った。
コロナ禍、事業のピンポイントでの進捗はこうだ。
- 2月末 生産者から「助けて」の連絡が立て続けに数件。
- 3月 レストラン事業者から「店が成り立たない」と悲鳴が。未取引の生産者から申し込みが相次ぐ。
- 4月 契約生産者数が1050件に。
- 5月 購入者数は3カ月で9.4倍に。
- 6月 契約生産者数が1900件に。
コロナ突風に押され、流通額は2月から5月の3カ月で35倍に伸び、購入者の目標契約件数は1年前倒しで達成してしまった。
農業の構造問題に体当たりする
コロナ禍の緊急対策として送料の一部をビビッドガーデンが負担したため(5月で終了)、契約件数が急伸したわりに利益は出ていないというが、そこには狙いがあった。
「消費者にとって送料は心理的なハードルになります。お試しも含めてまずは購入して食べてもらいたいと思いました。そうでないと、ギリギリのところでやっている農家さんや生産者さんが、農業や漁業を辞めてしまうかもしれない。こだわっておいしい食材をつくっている生産者さんがコロナで辞めてしまうことの方が、長期的に見れば食べチョクの事業にとって損失。それを食い止めるのが先決だと思いました」
会社の「行動指針」の筆頭は「生産者ファースト」。安全性や品質を追求している生産者のつくった農産物を正当な価格で評価し、利益を生産者に還元することを目的に、秋元は25歳で起業した。
背景には農業を取り巻く構造的な課題がある。
日本の農業就労人口は168.1万人、平均年齢は67歳。
超高齢業界、おまけに3K(きつい、きたない、給料安い)だ。
農産物の57%が農協を経由して流通している。特に個人農家は独自の販路開拓まで手が回らず、農協を通す割合が高い。そして、農協を経由した場合、農家の手元に残る利益は市場価格の約3割にとどまる。
食べチョクでは、消費者からサイトで注文を受けた農家が直接消費者に発送する。食べチョクは手数料として2割を受け取るが、売り上げの8割は農家に還元される。通常の流通経路の2倍以上が農家の手元に残る仕組みだ(下図参照)。
提供:ビビッドガーデン
失敗5割の打席に立ち続けたDeNA時代
慶應義塾大学理工学部金融工学科から新卒でDeNAに入社したのは2009年。Mobageの部署を振り出しに、建築施工業者とユーザーを結ぶマッチングアプリ「iemo」の営業やチラシのアプリ事業「チラシル」の事業開発に携わった後、ソーシャルゲームマーケティングの部署へ。3年半で4度の異動はDeNAでも多い方だ。
DeNAでは新入社員がいきなり「成功率50パーセント」という難易度の高い仕事を振られる。失敗率5割の仕事で打席に立ち続けるうちに、未経験の新卒が3年もするとひとかどのプロジェクトマネジャーに育ち上がるという、創業者・南場智子独自の社員育成方法だ。
撮影:伊藤圭
ソーシャルゲームを1本ローンチすると、たちまち億単位の売り上げが立ち、高い利益率を産み落とす。儲からないことは罪というカルチャーが秋元には染みついている。
一方、農業を選んだ直接の理由は、秋元の実家が神奈川県相模原市で代々農業を営む地主だったことだが、それも秋元が中学に上がる頃に農業からは手を引いている。農業への思いがあるにしても、DeNAで仕込まれたビジネスの掟に照らせば、農業は最果てのレガシーだ。
なのに、秋元は野菜の値段が10円上がっただけでニュースになるような利益率が低く労働集約型の農業を選んで起業した。農業とITを組み合わせたプラットフォームビジネスだ。
荒れた農地を見たときの衝撃
なぜ秋元は農業での起業を選んだのか。それには2つの要素が引き合うように絡んでいる。
1つは、家業だった農業への思いだ。
入社3年目のある日、久しぶりに実家に帰ったとき、広かった農地が荒れ果てている景色に衝撃を受けた。子どもの頃から「農業は継ぐな」と言われて育ったが、子ども時代には祖母と母が農地を耕す風景は身近だった。草むしりの手伝いをしたら50円のお小遣いをもらえたことを思い返すと、今でもぽかぽかする。
小学校時代には、秋元の実家でボーイスカウトなどの農業体験を受け入れていた。家業は自慢だった。子ども時代から大切に思っていた農業が無残な終わり方をしていることにショックを受けた。
一方のDeNA。
入社時、新規事業をやりたい、将来的にはプロジェクトのマネジメントに関わりたいと人事に秋元は伝えている。
Mobage、iemo、チラシル、ソーシャルゲーム。どの部署も最初から目指していたわけではなかったものの、入社したてながら10人近い派遣社員やアルバイトスタッフ(しかも全員年上)を取りまとめるチームリーダーとなり、iemoでは建築系の工務店や施工会社と消費者をつなぐマッチングアプリの開発に打ち込んだ。工務店などにテレアポの電話をかけまくり、事業者団体に加盟して飲み会では朝まで飲んで業界のニーズを吸い上げるなど、泥臭さを厭わない動き方をした。
撮影:伊藤圭
スーパーマーケットやドラッグストアのチラシのアプリサービス「チラシル」のサービス開発の部署では、これから利益が出るというタイミングで、会社の方針転換により事業ごと潰れるという経験をした。
どの部署でも「食らいついた」と秋元は言うが、思うような成果を出す前に、本人の意思とは関係なく異動が続いた。
仕事において「3年」は、振り返りの節目だ。マネジメント希望の秋元にとって、短い時間で複数の部署を経験したことはプラスな側面はあったにせよ、すでに売り上げ1000億円以上もの大組織ともなると、個人の力を発揮するには限界を感じたかもしれない。
そんなタイミングで見てしまったのが、思い出の詰まった農地の荒れた風景だった。
転職も考えたが起業を選んだのは、それがビジョンを実現する最短のルートと考えたからで、もともと起業志向だったわけではないという。
「DeNAの先輩が次々に起業したので抵抗なく選べたというのはあると思います。最初起業という選択肢を考えたときは怖さもありましたが、DeNAでは自分で起業するのと同じくらい負荷の高い仕事を与えられていたので、先輩起業家と話しているうちに自分にもできそうだと思えました」
2つほどの事業モデルを試行錯誤したのち、現在の事業にたどり着いた。まだ事業の成長曲線は緩やかだった4年目、はからずもコロナが秋元のビジョンの核心を世に知らせた。農業を大切にしないと私たちの暮らしは大変なことになるよと —— 。
どこに行くにもトレードマークの社名を染め上げたTシャツ。恋愛とおしゃれは関心の外。一軒家の一室に家賃を払って住み込み、24時間365日、寝ている間も頭の中は「生産者ファースト」。仕事150%の生活に、秋元はこれ以上なく満足している。
(敬称略、明日に続く)
(文・三宅玲子、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
三宅玲子:熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜14年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルブログ「BillionBeats」運営。