撮影:伊藤圭
秋元里奈(29)が率いるビビッドガーデンの「食べチョク」は、例えるなら「オンラインの直売所」だ。消費者が「オンラインの直売所=食べ直」に立ち寄って好みの野菜や農産品を注文すると、生産者が宅配便などで送り届ける。生産者と消費者はチャットでコミュニケーションをとることもできる。
メルカリやBASEなど、CtoCのプラットフォームが定着し、面識のない個人同士のモノの売買は私たちの暮らしにすっかりなじんだ。
だが、農業従事者の平均年齢は67歳だ。人によってはインターネットで物を売るハードルは高い。ネット消費に慣れている消費者に対し、特に従事者の年齢が高い第1次産業の生産者はネット販売に不慣れだ。
食べチョクは生産者と消費者のリテラシーギャップを埋める工夫をしているという秋元に、例を挙げてもらった。
「すごくおいしい果物をつくっているのに写真が薄暗くピントがボケているせいで、おいしそうに見えないという農家さんがいました。そこで、事務所に送られてきた試食用の果物を、食べチョクのスタッフがカメラで撮影してプレゼントしたんです。農家さんがその写真をアップしたところ、効果はてきめんでした」
「見せ方」を試行錯誤するようになったところ、この柑橘農家は販売額が2倍に伸びた。
野菜や果物が傷まないように梱包して発送する配慮は欠かせないが、これまで地域の直売所やJAにしか出荷したことのない農家は工夫のツボが分からない。他の農家の事例や梱包材を紹介するなど、「売れる」ためのサポートをする。
おせっかいなプラットフォーム
「食べチョク」はオーガニックの基準を設けて始まった。
運営側のちょっとしたサポートがきっかけで売り上げが伸びた農家は珍しくない。一般に、CtoCのプラットフォーマーは出品者と購入者が直接やりとりができる「場の提供」に徹し、「お手伝い」はあまりしないものだ。
ところが食べチョクは上記のような「お手伝い」にとどまらず、テクノロジーの仕掛けにも「おせっかい」機能をたくさん搭載している。
例えば、購入者―生産者の交流機能では、「ありがとう!」「おいしかったです!」といったやりとりができるが、お問い合わせ対応は基本的に運営事務局が仲介する。生産者が消費者の対応に追われることなく、なるべく栽培に集中できるように。出品者は注文数が増えるなど人気が上がると画面の上位に掲載されるようアルゴリズムが組まれている。
「ものが良ければちゃんと売れる、というプラットフォームの裏側の仕組みをしっかりつくっているのが、うちの特徴だと思います。見た目は同業他社と大差ないかもしれませんが、生産者が売りやすい、登録しやすい、頑張ったら認められる仕組みをいかにつくるかに注力しています」
腕のいい職人が必ずしも売ることに長けているわけではないというのは、農家に限らない話だ。
「おいしい作物をつくるけれど売る術を持たない農家さんが売れるマーケットプレイスであるべき。そこをいちばん大事にしています」
徹底した「生産者ファースト」が農家の信頼を集めるようになるまでには、農家と直接話し、農家をめぐる状況を理解し課題を聞き取る地道な交わりがあった。
移動は高速バス、泊まりは漫画喫茶
生産者の高齢化が課題の農業。秋元が訪ねた農家でも子どもには継がせたくない、と語る人も少なくなかった(写真はイメージです)。
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秋元は高速バスであちこちの農家を訪ねていた。DeNAを退職して一人で創業したばかりの時期だ。資本金はDeNA時代に貯めた200万円の貯金。経費を削るため、移動はバス、寝る場所は漫画喫茶。
ある日、梨農家を訪ねた。
60代の農園主は秋元を広い梨園に案内した。梨は日本でも古くから栽培されてきた果物だが、アブラムシやカイガラムシなど害虫の被害に遭いやすい。栽培難易度の高い種目だ。それを農園主は栽培期間中化学肥料を使わずに育てていた。農園主の説明には、安全で高品質の梨を栽培していることの誇りが感じられた。
ところが、農園主は、息子に継がせず自分の代で農園を終わりにしようと思っているのだという。こだわった栽培をしているのはあくまで自分がそれをやりたいからに過ぎないと淡々と話す農園主の言葉に、耳を傾けながら、秋元は泣いてしまった。
このとき秋元の心に深く刻まれた違和感と問題意識は、その後、「生産者ファースト」を掲げる食べチョクの原点となる。
祖父も「継がせたくない」人だった
梨農園で得た問題意識とビビッドガーデンの行動指針「生産者ファースト」の間をつないだのは祖父だった。
祖父は秋元が生まれる前に亡くなっている。田畑や山を所有する一帯の地主だったが、蚕農家として栄えたのは祖父の代まで。
撮影:伊藤圭
父は農業を継がず東京信用保証協会に勤め、秋元が3歳のときに亡くなった。農作業は祖母と母が親戚の手を借りて行った。母も幼い秋元に「農業は継ぐな」と言い含め、安定した公務員か銀行員になることを勧めた。
秋元の農家を訪ねる貧乏出張はその後も続いたが、梨農園の農園主との対話で感じた悲しみは心に残り続けた。
全国各地の農家のさまざまな思いに触れるにつれ、子ども時代にはあまり想像することのなかった祖父の農業への姿勢に思いをはせることとなる。祖父は栽培方法を詳しくメモしたノートを残していた。そこには真面目で誠実で研究熱心な生産者の姿があった。
祖父を誇らしく思うと同時に、祖父もまた「継がせたくない」と思ったことに胸が締めつけられた。
「うちのおじいちゃんも梨農園の方と同じ思いだったんです」
農家の思いに向き合うことは自分のルーツが抱いていた思いを知ることそのものだった。
(敬称略、明日に続く)
(文・三宅玲子、写真・伊藤圭)
三宅玲子:熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜14年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルブログ「BillionBeats」運営。