撮影:伊藤圭
開け放たれた2階の窓から笑い声が聞こえた。昼どき、みんなで食事をしているのか、和やかな風景が頭に浮かんだ。
秋元里奈(29)が率いるビビッドガーデンは現在、従業員は20人強。コロナ禍、急激に会員数が増えたため、エンジニアや顧客サポートなど10人以上を新メンバーとして迎えた。
毎日全国の農家や漁師から届く野菜や肉、魚などを使って、スタッフが交代でつくった昼ご飯をみんなで食べる。男性社員がキッチンに立つ「メンズデー」もある。試食もさることながら、みんなでテーブルを囲んで食事をすることでコミュニケーションを深めたいと考えて始めた。
DeNAマインドを生まれたての組織に注入しようとしてチームに軋みが生じ、コロナの直前まで組織づくりに苦しんでいたと、秋元は淡々と打ち明けた。
「DeNAのようなトレンドに乗った業界に爆発的成長のタイミングで集まってくる人たちと、農業というレガシーな産業を変えていきたいという人は、根本的に違うんです。組織のビジョンも、世界にインパクトを与えるというDeNAと私たちのような社会課題の解決を目指す組織では異なります。そもそもやっていることが違えば集まってくる人も違う。そうなると、つくる組織も違ってくるのは当たり前ですが、そのことに気付くのに時間がかかりました」
DeNAを踏襲してはダメだと本当に気づいたのは、創業4年目の2020年に入ってからだったという。
成長痛を乗り越える
生産者と利用者を結ぶ「直売所」をイメージした。
「一緒にやってきたメンバーとの間にすれ違いを感じていました。採用のミスマッチも生じました。そのとき改めて、どういう組織を目指したかったのかを整理してみて、自分が組織づくりを甘く見ていたことに気付きました」
目覚めさせたのは、DeNAから福祉業界に移った先輩の言葉だった。
「先輩はDeNAの頃には少数精鋭のチームでガンガン結果を出していた人です。福祉系の組織をつくった際に気付いたことを話してくれました。DeNAに集まってくるギラギラ感(南場さんの言葉で言うと「ガルル感」)溢れる集団の方が特殊で、福祉系や農業の分野で働く人たちは基本的にやさしい人たちで働くモチベーションも違う。
どちらが良い悪いはないけど、DeNAと同じ組織にしようとすると誤るよと」
リーダーは組織設計にも責任を負わなくてはならない。非を認め、仲間の意見をゼロから聞き直す作業では、葛藤と痛みがあった。チームづくりに悩んだ時期、仕事もプライベートも同じ建物という逃げ場のない環境で、眠れない夜もあっただろう。
「私としては、初期に入ってくれた人たちとは、会社が大きくなっても一緒に事業をしていたいと思っていました。でも、それはエゴだったと気付きました。その人にとってそれが本当にいいのかを考えられてなかったと思います」
「私自身は、会社に留まることが正義という思いが強く、合っていない人たちがどうすれば合うのかに意識が向いていたんですが、逆に頑張ってくれている人たちをおざなりにしていました」
精神的な負担は大きかったが、事業は前に進めなくてはならない。
「自分もすごく反省したし、成長したところです。今ではどんな結果になったとしても、事業に携わってくれた全員に感謝しています。」
組織を前に進めるための成長痛だ。過ぎたことはクヨクヨしない秋元らしく、締めくくりは前向きな言葉だった。
農業を事業承継できるビジネスにする
取引が始まって間もない熊本阿蘇の牛乳やカフェオレは人気商品。
コロナ禍で人の移動が制限され、物流にも制限が生じるという非常事態を体験し、私たちは「食べること」の先にある生産者や流通について考えることとなった。食材を確実に手に入れられることのありがたさを社会全体が共有した。
食べチョクの今後のビジョンはウィズコロナの社会と切り離せない。
「どこにいても仕事ができる時代となり、また、密を避ける場所が望ましいとなると、地方に人が流れていくと考えられます。そのとき、地方で身近に農家さんがいると、人の農業への関心も変わってくると思います」
秋元はリモートワークと移住による変化の可能性に着目していた。都市生活者が生産者に近い場所に移り住み、生産者への関心が高まれば、食べチョクのような「こだわってつくる農家」の存在に人の意識は向かい、手間暇をかけてつくった野菜を正当に価格で評価する動きは進む。
一方で、課題もある。
短期的には生産者が変わらなくては、と秋元は指摘した。これまでの販路だけでは売れない時代になり、農家は経営者の意識を持って販路開拓に取り組む必要性がさらに高まる。目指す未来に向けて、農家という事業主が「職人」であると同時に、「経営者」の視点も求められるのだ。
農業が「稼げる」職業とならない限り、農業の事業承継は不可能だ。高齢化の進む日本の農業にこのままでは未来はない。
土を耕し、作物を育て、感謝して収穫する農業者としての母を見て育った秋元には、勤勉であることが身についている。
農業を稼げる仕事にできると信じているというよりは、そういう社会を自分の手でつくらなくてはならない——。秋元は使命感にも似た強い思いで立ち向かっているように見える。
DeNAでの3年半がなかったら農業で起業していなかったかもしれないが、かといってDeNAにいることにずっと満足し続けていただろうか。取材の終わりに問いかけた。
果たして秋元は一瞬首をかしげた。
「あー。それはあったかもしれませんね」
満足できなかっただろうという意味だ。そして次のように言葉を続けた。
「ソーシャルゲームはエンタメコンテンツですが、大切に思ってくれているお客さんが間違いなくいて、収益があるということはそれだけ価値を感じている人がいると考えています。
ただ、農業で頑張りたいと思ったのは、農家さんは食べ物というインフラをつくっていて、その仕事は社会的意義が大きいのに、そういう人が経済的に正しく評価されないのはおかしいと考えたからです。ビジネスとして儲かるかどうかより、社会的インフラを作っている人に少しでも貢献したいという気持ちが強くありました」
コロナで見直されたものの一つは仕事の「価値」だろう。エッセンシャルワーカーという存在がクローズアップされた。食に関わる人、それを運び、売る人の存在がどれだけ自分たちの生活を支えているのか。一方で、その人たちが負っている経済的、健康のリスクも浮上した。
自らのルーツにも関わる農業の再生という使命を得て、秋元はこれ以上なく充足している。
生産者に利益が還元されるためには、消費者とも向き合わなくてはならない。利用者にとっての利便性を高めるために、「食べチョクコンシェルジュ」というサービスを開発した。契約農家の栽培情報をデータベース化し、買い手のニーズに最適な農家をマッチングするサービスだ。消費者が好みの野菜を登録しておくと、自動で最適な農家を紹介する仕組みになっている。レストランへもサービスを提供している。
栽培する野菜の種類が少ない農家が近隣でまとまって、消費者の好みに合わせたセットをつくるサービスなど、農家が利用しやすい仕組みの開発も始まった。
一方の消費者側でも、マンションや同じ町内などでの共同購入の仕組みの検討が進む。コロナ禍、活発化する自治会の活性化など、地域の再生とも一致する取り組みだ。
女性であることはプラマイゼロ
「成功確率50%」という現場を新入社員時代から経験させることで人材を育成する南場イズム。DeNAでの経験は起業を後押ししたが、一方でDeNA流から抜けられずに苦しんだこともある。
REUTERS
世界のスタートアップ経営者のうち女性は14.7%。2割にも満たないマイノリティであることについてはプラス面とマイナス面の両方を感じているという。
プラス面は「ピッチで目立つ」「投資家や取引先に覚えてもらいやすい」。マイナス面は「男性同士の濃い仲間関係には入れない」「1対1で深い関係をつくるのは難しい」。
女性が少ない業界で、一定の線を引いて用心深く振る舞わなくてはならない気苦労が察せられた。だが、数が少ないことで得をしている面もあると秋元は楽観的だった。
「例えば、こんなふうに取材してもらえるのも女性起業家が少ないことが影響しているとすれば、ありがたいこと」
だからプラマイゼロですね、とニッコリ笑った。
25歳で200万円の貯金を資本金に起業し、2017年2月に政策金融公庫と東京都から1600万円の融資を受けたのを皮切りに、2018年2月に個人投資家を中心に4000万円、2019年2月には複数のベンチャーキャピタルから合計2億円の資金調達を実施。
投資家からはコロナ禍で事業計画が前倒しに進んだことはあまり高く評価されないだろうと言う。
「今回の数字の伸びは一過性のこととしか見てもらえないと考えています。私たちも、強みであるバックヤードのシステムや購入者の定着率や継続率が高い点など、数値で示すことのできる成長を評価してほしいと思っています」
ビビッドガーデンは2023年の株式上場を目指している。3年後、日本の農業は事業承継が可能なビジネスに生まれ変わっているだろうか。
(敬称略、完)
(文・三宅玲子、写真・伊藤圭)
三宅玲子:熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜14年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルブログ「BillionBeats」運営。