インドでは国境付近での衝突をきっかけに反中国活動が盛り上がっている(2020年6月17日)。
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香港への国家安全法導入から中印国境紛争、尖閣諸島(中国名、釣魚島)での中国公船の活動まで、居丈高な中国外交を意味する「戦狼外交」から、中国の意図を説明する言説が流行している。
しかし中国は、米中対立の文脈から日本とインドとの関係を重視しており、「戦狼外交」とみるのは完全なミスリードだ。
「戦狼外交」は、もちろん中国当局が自称しているわけではない。中国軍の特殊部隊の活動を描いた中国アクション映画「戦狼」(Wolf Warrior)がその由来。習近平政権登場(2012年)以来の中国の「高圧的な外交」の形容詞としてすっかり定着した感がある。
例えば、英経済紙「フィナンシャルタイムズ」のコメンテーター、ギデオン・ラックマン氏は、「中国政府は、香港から台湾、南シナ海、インドとの国境に至るまで、次々と攻撃的な政策を取っている」(6月19日付「日本経済新聞」)と書く。
しかし中国から見れば、香港、台湾は内政問題であり、欧米の批判や報復は「内政干渉」に当たる。中国は米中対立の長期化で、「南」はインド、「東」は日本と韓国、「北」はロシアという「周辺諸国」との関係を戦略的に重視しており、これら周辺国とは良好な関係を維持したいのが本音だ。
インドとの衝突は意図的ではない
中印国境に位置するガルワン渓谷で6月15日、中国とインドの両軍が衝突。1965年以来45年ぶりに双方に死者が出た(2020年6月17日、インド北部の検問所)。
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まず中印関係。インド北部と中国西部との国境に位置するガルワン渓谷で6月15日、両軍が衝突。石とこん棒による「肉弾戦」によってインド軍の約20人が死亡、中国側も40人近くが死亡したとされる。
国境線が画定していないこの地域での小競り合いは、これまでも報じられてきた。しかし、双方に死者が出たのは1965年以来45年ぶり。これまた中国側が仕掛けた「戦狼外交」という見方が広がった。
衝突の原因について中国は、「インドが挑発、攻撃」と主張し、インド側も「中国側による一方的な現状変更の試み」と真っ向から対立した。各種報道を総合すると、双方が主張する実効線の内側で、中国側が築いた「拠点」ないし「テント」をめぐり、「インド軍が解体を試みたことから発生」(英誌「Economist」)というのが実相のようだ。
中国側は衝突発生以来、死傷者数を含め報道を全面的に抑制し、外交問題に発展させたくない意思を示唆している。軍や外交当局など、政府中枢が意図的に仕掛けた衝突ではなく、国境警備部隊による偶発的衝突の可能性が高い。衝突2日後には、王毅中国外相がインドのジャイシャンカル外相と電話会談し、事態鎮静化を図ったことからもそれがうかがわれる。
感染拡大でナショナリズム煽る
インドの新型コロナ感染者数はアメリカ、ブラジルに次いで3番目。感染の拡大に歯止めがかかっていない。
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インド政府は事態を「最悪の外交危機」(ロイター)と受け止めているが、それ以上に深刻なのが、インドで広がる「反中ナショナリズム」の爆発だ。
中国製品の不買運動が起き、ニューデリーのホテル協会は中国人の宿泊禁止を通達した。動画投稿アプリTikTokなど、中国企業提供のアプリ使用を禁止した。インドの港湾で、中国から輸入されたスマートフォンや医薬品などの通関手続きも滞り、両国間の経済問題に発展している。
状況を悪化させているのが、新型コロナ感染者の拡大である。7月6日には感染者数が70万人を超えアメリカ、ブラジルに次ぎ世界3位になった。手洗い施設の不備もあって感染拡大に歯止めがかからない。
アメリカに押しやりたくない中国
インドは人口の約8割がヒンズー教徒で、与党インド人民党はヒンズー至上主義団体が支持母体である。モディ政権が中国に弱腰をみせれば、支持を失いかねない。中国とのにらみ合いに加え経済落ち込み(IMF推計で2020年成長率はマイナス4.5%)は、ナショナリズムに訴え政権批判をかわす好機でもある。
一方中国にとって、インドとの関係悪化は、米中対立構造の中でマイナスでしかない。
インドは中国が進める「一帯一路」に反対するものの、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に参加し、最大の投資受益国である。「非同盟」を伝統的に受け継ぐモディ首相は「戦略的自律性」を外交政策の柱に据える。是々非々なのだ。
「一帯一路」に対抗し、アメリカと日本が共同戦略にする「インド太平洋戦略(構想)」の中心的対象国という絶好のポジションにいる。反中ナショナリズムが燃えさかれば、モディ政権をアメリカに押しやってしまう恐れがある。
「皮一枚」でつながる習訪日
日中関係の悪化の抑止を期待される「習氏訪日」だが、実現の目処は立っていない。
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トランプ政権による対中包囲網をかわすもう一つのカギは、「関係改善が軌道に乗った」対日関係。最大の「外交ショー」になるはずだった習氏の国賓訪日はコロナ禍で延期され宙に浮いたまま。
両国間のノド元に突き刺さった尖閣問題で、石垣市議会の尖閣諸島の地名変更を決定したことに中国側が穏健姿勢で対応したことは既に書いた。中国も日本も、「習訪日」が生きている限り、日中関係を決定的に悪化させる事態を抑止させる効果を生んでいることを分析する内容だ。
香港問題では、自民党外交部会と外交調査会の合同部会が7月7日、中国非難決議を了承した。しかし当初の「(習訪日の)中止を要請する」という表現は、「党外交部会・外交調査会として中止を要請せざるを得ない」と、中止要請が自民党を代表する意思と受け取られないよう主語を補うなどの修正をした。
中国との関係が深い二階俊博自民党幹事長らによる「巻き返し」とされる。しかし、「皮一枚」でつながっている「習訪日」のメリットは、安倍政権も十分感じているはずだ。
右翼漁船の挑発放置と中国
日中間の「火種」である尖閣諸島。5、6月になって中国による日本の漁船追尾が相次いでいる。
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日本政府は5月8日、尖閣の領海で中国海警局の公船が、日本漁船を追尾したとして、外務省局長が在日中国大使館公使に電話で抗議した。漁船追尾はその後も、地名変更の6月末を含め、複数回発生した。2013年の中国海警局発足以降、2020年5月8日までの間、領海での漁船追尾のケースはわずか4件。2020年は急激に増えていることになる。
これに対し、「戦狼外交官」と呼ばれる中国外務省の趙立堅報道官は、日本漁船が「中国の領海内で違法な操業をした」と、日本側の主権侵害を問題にした。
一方、在京の中国外交関係筋は筆者に対し、
- 日本の漁船は右翼の持ち船か、雇った活動船。
- これまでは漁船を含め12カイリ内に入らないよう双方の公船が取り締まってきた。(活動家が)島に上陸するなど不測の事態を招く恐れがあるためだ。
- 日本側は中国公船が80日以上、接続水域に立ち入ったと批判(7月2日)するが、従来は魚釣島の西側(中国寄り)での航行はカウントしていなかった。
などと、反論の根拠を挙げた。
「ボタンの掛け違え」の恐れ
中国側から見れば、尖閣周辺での日本漁船の活動は、領海入りを阻止しない日本側の「挑発行動」と映る。「中国側も習訪日を損なうような強い反応は控えるはず」との読みから、中国の「忍耐度」を試しているのではとすら見る。
こうしてみると、中国にとり日本とインドは、関係悪化をなんとしても避けたい相手であることが分かるだろう。中国外交を居丈高とみる「戦狼外交」から、中国のあらゆる外交を演繹的にみるのは、恐ろしいミスリードを生む。
コロナ禍や香港問題で「反中世論」が盛り上がっているが、対日、対インド外交まで「戦狼」の証とみなす事実誤認や、乱暴な主張がまかり通っている。誤解に気付かず皆同じ方向に走ると、論理や言葉より空気が支配しがちな日本の政策決定に、「ボタンの掛け違え」をもたらしかねない。
(文・岡田充)
岡田充:共同通信客員論説委員、桜美林大非常勤講師。共同通信時代、香港、モスクワ、台北各支局長などを歴任。「21世紀中国総研」で「海峡両岸論」を連載中。