画像 撮影:今村拓馬、イラスト: Hiroshi Watanabe / Getty Images
企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にして整理するこの連載。不確実性高まる今の時代、「正解がない」中でも意思決定するための拠りどころとなる「思考の軸」を、あなたも一緒に磨いてみませんか?
参考図書は昨年末に発売されて瞬く間にベストセラーになった入山先生の『世界標準の経営理論』。ただし本を手にしなくても、この連載は気軽に読めるようになっています。
今回は「コロナを機に『自分への投資』をしたい」という読者の方の声を起点に、入山先生がアフターコロナ時代の「知の探索」のあり方について考えます。
この議論はラジオ形式収録した音声でも聴けますので、そちらも併せてお楽しみください。
【音声版の試聴はこちら】(再生時間:8分25秒)※クリックすると音声が流れます
時間に余裕ができた今こそ自己投資を
こんにちは、入山章栄です。
また読者の方からのお声を頂戴したのでご紹介しましょう。僕が以前、「コロナ以前のビジネスや生活の慣習を振り返り、『これを機に捨て去りたいこと』『新しく始めたいこと』は何ですか?」と呼びかけたところ、ハンドルネーム田宮さんからこんなご意見が届きました。
ははは、捨て去りたいのが「ハンコ」だというのはよくわかります。すでにデジタルサインやデジタル認証などのサービスが実用化されているのに、わざわざハンコを押すためだけに出社せざるを得ないという嘆きは、コロナ禍以降よく耳にしますよね。
僕は今回を機に多くの企業でデジタルトランスフォーメーション(DX)が進むことを期待しますが、皮肉なのは、現在の安倍内閣のIT担当大臣が、「日本の印章制度・文化を守る議員連盟」(通称:はんこ議連)の会長を最近まで務めていたこと。
なぜDXと真逆のように見える業界団体と関係が深い人物をIT担当大臣に任命したのでしょうか……。僕は安倍政権に反対でも賛成でもありませんが、正直、これはなかなかの人選だなと思いました。
さて、田宮さんは新しく始めたいこととして、「自分への投資」とおっしゃっています。僕はこの「自己投資を始めよう」という機運が、いま非常に高まっていると感じています。Business Insider Japan編集部の横山耕太郎さんはどうでしょうか。
なるほど……やはり横山さんも田宮さん同様、自己投資に興味アリ、ですね。僕の周りでも、「在宅勤務になって時間ができたので、何か新しいことを始めたい」という方が明らかに増えています。これはものすごくいいことだと僕は思います。なぜかというと、この連載で何度も申し上げている、「知の探索(Exploration)」ができるようになるからです。
念のため「知の探索」について再度説明しておきましょう。
人間の認知には限界がありますから、どうしても近くのものしか見えません。しかしイノベーションというのは、「知」と「知」の新しい組み合わせで起きるものです。それなのに目の前の「知」しか見えなければ、新しい組み合わせを発想することができない。したがってイノベーションは起きにくくなってしまいます。
ですから人間は自分の認知の枠をなるべく超えて、遠くから幅広く「知」を取ってくることが重要になってくる。これを経営学では「知の探索」と言います。
ちなみに僕自身が「知の探索」のために心がけているのは、できるだけ自分の専門分野と関係のない分野の人と会うこと。メディアで対談のお話をいただいた時などは、例えば遺伝子工学や触媒研究など、自分とはまったく関係のない学術分野のトップクラスの研究者とお会いするようにしています。自分と異なる分野の人と会うのは、「知の探索」の最たるものです。
とにかくこれからの時代は、イノベーションを起こして変化することが必須です。これはコロナ前からそうでしたが、コロナ後は特に不確実性が高いので、将来の正確なことなどわかりません。だからこそ、どんどん新しいことにトライしたり、新しいものを受け入れたりして、チャレンジしないといけないわけです。
「知の探索」を妨げていたのが「日々の忙しさ」
朝から晩まで働きづめでヘトヘト……では「知の探索」のしようがない。
撮影:今村拓馬
とはいうものの、僕はコロナ前から「知の探索」の重要性を訴えていたのですが、なかなか進みませんでした。この理由のひとつも、前回と前々回で申し上げた「経路依存性」によるものです。つまり「知の探索」だけをやろうとしても、なかなかできない。なぜかというと社会はさまざまなものが噛み合って動いているから、他の仕組みを変えずに「知の探索」だけを進めようとしてもなかなか難しいのです。
その「知の探索」を妨げていた経路依存性の要素のひとつは、実はすごくシンプルなことでした。それは「日本のビジネスパーソンは忙しすぎる」ということです。
毎日一生懸命働いて、満員電車で通勤し、残業をしたりして、家に帰ると子どもの面倒を見て、へとへとになって午前1時くらいに寝る。そしてまた翌朝の6時に起きる。こんな生活をしていれば、当然「知の探索」をしている時間などありません。
ですから僕はコロナ前から、働き方改革を強く推奨していました。ブラック企業を根絶するとか、36協定にまつわるあれこれなどももちろん大事ですが、それより「知の探索」には、仕事以外の活動をする時間が絶対的に必要だからです。
ヤフージャパンでは宮坂学さんが社長の時からすでに、週休3日制を取り入れています。これは素晴らしい制度です。なぜなら週に3日休みがあれば、そのうち2日は疲れて寝ていたとしても、残り1日あれば、きっと外に出て何かしたくなる。
それは趣味でも副業でもボランティアでも何でもいいのですが、本業とは関係ない活動をすることで、会社の中では手に入らない遠くの知見が手に入るはずです。それをヤフーに持って帰ることで、既存の「知」と新しい「知」が組み合わさり、イノベーションの種となる。
副業も同じです。副業は本業と同じことをしたら利益相反になるので、当然、本業とは別のことをすることになります。だから新しい「知」が手に入る。
撮影:今村拓馬
僕はいまロート製薬の社外取締役を務めていますが、同社は大手企業としてはかなり早い時期から副業を解禁しています。これも副業によって、新しい「知」と「知」の組み合わせが起こることを期待しているからです。
例えば僕の知っているロート製薬の女性社員は、副業で日本酒居酒屋のおかみをやっている。そこで新しい知見や人脈を得て、会社と家の往復だけでは得られない経験を積むことで、それをロートにまた持って帰ってきてくれる。これが「知の探索」になるというわけです。
ところがこのような働き方ができるのは、コロナ前は一部の会社だけでした。ほとんどの会社は本業だけで手いっぱいだった。
それがコロナのおかげで、このような「知の探索」が一気にできそうな気配になってきました。何といってもリモートワークが広まって、通勤という行為をしなくても済むようになったからです。
会社まで片道1時間くらいかかるとすれば、往復で2時間。24時間のうちの2時間ですから、人生の10%以上、下手をすると2割近い時間が通勤に費やされていた。この時間がいらなくなるわけですから、生活に余裕が生まれてきます。
コロナ以降、授業の履修者が増えた
早稲田大学ビジネススクールではコロナ以降、一授業あたりの履修者数が増えたという(写真はイメージです)。
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それから前回の内容とも重なってきますが、リモートになったおかげで、会社に長くいることが評価される時代が終わりつつあります。それよりも、ちゃんと成果を出してそれをきちんと評価する時代になる。
そうするとみなさん、当然効率的に仕事をするようになり、仕事が短時間で終わるようになる。時間に余裕ができてきて、「じゃあこの余った時間を自己投資に使おう」「自分のやりたいこと、勉強したかったことに投資しよう」という機運が高まってくる。まさに「知の探索」が進むはずです。
ちなみに僕が教えている早稲田大学ビジネススクールの授業は、コロナを機にすべてオンライン授業に切り替えました。その結果、一授業あたりの履修者の数が、今までより圧倒的に多くなったのです。
今まではわざわざ早稲田のキャンパスに行って、あちこちの教室を移動しなればいけなかった。そういう煩わしさがオンライン授業にはありません。だから学生は授業をたくさん履修できる。
僕の授業も、もともとけっこう定員が埋まってしまうことが多かったけれど、「聴講させてください」という希望がオンラインになってさらに増えています。教室のキャパシティも関係ないですしね。
やはり早稲田大学ビジネススクールの学生も、空いた時間で気軽にいろいろな授業をとれるようになり、「もっと貪欲に勉強してやろう」という人が増えたからでしょう。
コロナは人命を奪うだけでなく、世界経済にも大きなマイナス影響を与えました。しかしコロナによって、今回述べたようなプラスの面の変化も間違いなく起きつつあります。
日本が本当に変わるための、またとない契機としてコロナを活用できるかどうかは、いまの僕たち1人ひとりの行動にかかっていると思います。
【音声版フルバージョン】(再生時間:15分44秒)※クリックすると音声が流れます
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。