撮影:竹井俊晴
わずかだが、足と右手の指は動く。それ以外、身体のほとんどは自分の意思では動かすことができない。
入浴の時を除いて1日中、人工呼吸器を装着している。
川崎市に住む杉田省吾(50)は2013年2月、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された。
2019年夏、ALS患者の舩後靖彦が参院議員選挙で議席を得たことで、多くの人たちに患者たちの日常が知られるようになった。
この病名が世の中に広く知られることになったのは6年前。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグや、ソフトバンクの孫正義ら世界中の著名人が、ALSの患者を支援するため、バケツから氷水をかぶった。
「どこにでもある生活」が送れなくなる
ALSとはどんな病気か。日本ALS協会のウェブサイトには、次のような記述がある。
「運動神経系が少しずつ老化し使いにくくなっていく」
患者は歩く、ものを握る、話す、呼吸するといった体の機能が少しずつ失われていく。少し前まで、発症後3年から5年ほどで死に至ると言われていた。
ノートパソコンのモニターを見つめる杉田省吾。杉田は闘病生活をつづるブログを書いている。
撮影:コサカシンタロウ
新型コロナウイルス感染症が拡大する中で、杉田と直接会うことはかなわなかった。代わりにメールで14問の質問を送ると、すべてに丁寧な回答が戻ってきた。
発症前、葬儀社に勤めていた杉田は、月に1度の登山を楽しみにしていた。以前の暮らしをこう振り返る。
「休みは不規則でしたが、土日が休めるときは妻と映画を観たり、食事や買い物をしたりしていました。どこにでもあるような生活です」
食事、トイレ、体の向きを変える——。現在の杉田は、生活のあらゆる場面で介護を必要とする。喉にたんが絡むと、命に関わるリスクもある。
医師からALSと診断されてから7年になる杉田は最近、自身の「表情が乏しくなってきた」と感じている。日々の生活で楽しみにしていることを杉田に尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「朝、空の写真を撮ることと、今はコロナの影響でできていませんが患者会に参加することです」
2014年10月、自宅のソファで妻と会話をする杉田。
撮影:コサカシンタロウ
母に「手伝って」と言われて
ALSの患者を含め重い障がいのある人たちを対象に、介護サービスを提供している企業がある。利用者たちの間では、土屋訪問介護の屋号で知られている。
母体である企業、ユースタイルラボラトリーは、2012年2月創業の若い企業だ。立ち上げから8年、急激な成長を続け、社員数は1200人を超えた。2、3年後の上場をうかがっている。
創業者でCEOを務める大畑健(40)は、高校時代から単身でイタリアに渡るほどサッカーに打ち込んでいたが、20代に入ってまもなくプロ入りはあきらめた。
その後入学した早稲田大の商学部を27歳で卒業した後、クレディ・スイス証券の株式ディーラーなどを経て、東京都中野区で高齢者向けのデイサービスを立ち上げた。施設の名は、「デイサービス土屋」という。
地元の産婦人科のクリニックが、医師が高齢になったため閉院することになった。大畑の母のきぬ代(70)が中野区でグループホームなどの介護事業所を運営していた縁で、跡地利用の声がかかったのがきっかけだ。
「投資銀行を辞めてぶらぶらしていた時期に母親に手伝ってと言われて『いいよ』と言ったんだと思います。でも、実際に仕事を手伝ってみると、物事がなかなか進まない。それなら僕がやると言ったんです」
同社が運営する事業所が「土屋」の屋号を冠しているのは、このクリニックの名が土屋だったからだ。
撮影:竹井俊晴
現場のヘルパーは障がい者や高齢者と向き合う仕事だが、大畑は創業以来、スピードと規模を追い求めてきた。大畑の経営スタイルと現場で働く人たちの姿は、対極にあるようにも見える。
大畑は8年前に会社を設立し、3カ月後には最初のデイサービスを立ち上げた。さらに、その半年後には2カ所目の事業所を開いている。
事業所も北海道から沖縄まで全国各地をカバーし、80事業所にまで拡大している。同社の事業は現在、訪問介護、訪問看護、デイサービス、研修、人材派遣にまで幅を広げている。
「新しい事業所をつくると、いま働いている人を偉くすることができるし、キャリアパスを示すことができる。キャリアパスがつくれるのは、会社としても強力な武器になる。それは、組織として価値のあることだと思っている」
ユースタイルラボラトリーが中核とする事業は、「重度訪問介護」と呼ばれる分野だ。
ALSなどの患者にはたんの吸引や、消化管にチューブを挿入して直接栄養を注入する「経管栄養」など、日常的に医療行為が必要になる。こうした行為は「医療的ケア」と呼ばれるが、従事者には研修と資格の取得が課せられている。
同社の研修コースでは2日間で医療的ケアの課程を終え、ヘルパーの仕事ができるようになる。
重度訪問介護の見守りに必要な資格に絞って取得してもらうことで、新しいヘルパーに短期間で仕事を始めてもらう仕組みだ。必要に応じて、業務を始めてから、追加的に資格を取得してもらう。
2020年には3600人体制に
ユースタイルラボラトリーの創業からの従業員数の推移。
制作:小島寛明
創業当初は高齢者向けのデイサービスを中心的な事業としていたが、2015年に重度訪問介護を始めた。高齢者向けのデイサービスは全国で事業所が増え、その時点で成長を見通しにくい分野になっていた。
同社の重度訪問介護事業に対しては、サービス立ち上げ直後から各地から問い合わせが相次いだ。
医療的ケアを必要とする障がい者の数に対して、介護の担い手は圧倒的に足りない。大きな需給ギャップを背景に、同社は急成長を始めた。
創業から8年目の2020年2月、ユースタイルラボラトリーの従業員は、1271人になった。そのうちおよそ1200人が介護従事者だ。常勤、非常勤の割合はほぼ半々だという。
従業員数のグラフを見ると、毎年、ほぼ100%の成長を続けてきたことが分かる。ただ、重度訪問介護は、産業として見るとニッチな分野だ。
1年で5人を15人にすることはできても、1200人を2400人にすることは、あらゆる産業を通じた人手不足もあって、よりハードルが高い。
にもかかわらず、大畑は2020年は、2400人を採用して3600人体制とする目標を掲げている。
社員には極めて高い目標を課す一方で、大畑は冷めた目で自社の現状を見つめているところがある。
「中心メンバーはみんな、この会社は毎年100%ずつ成長すると信じている。伸びているからこの会社にいるという人も多い。でも僕は毎年100%はキツイでしょうと思う。それをどこまで引っ張っていけるのかが、いまの課題になっている」
撮影:竹井俊晴
厚生労働省によれば、2018年の時点で全国には9805人のALS患者がいる。
「神奈川には、医療的ケアのニーズに応えられる事業所が少ない。ほぼ毎日、新規の問い合わせがあって、ほとんどお断りをする状況はいまも続いている」
神奈川県全域を統括するエリアマネージャーを務める綾部清香(38)は、こう話す。
病気が進行したALS患者の場合、24時間介護が必要になるが、1人の利用者の24時間を5社から10社がリレー方式で埋めるケースも少なくない。
綾部はときどき、2017年春に亡くなったALS患者の女性の姿を思い出す。東京の自宅で暮らしていた女性は介護事業所の支援も受けていたが、それ以外は家族の介護を受けていた。
地域によって制度に違いがあるが、東京では医療費の上限があり、24時間民間企業の支援を受けると、自己負担額が膨れ上がるため、同居する家族が負担せざるを得ない現状がある。
あるとき女性は「もう、家族が限界だから、施設に入ることにしたの。今までありがとうね」と言った。
自治体によっては、いまのところ24時間公費負担で介護サービスを受けられる地域もある。綾部は女性が入所した後に施設を訪ね、こう伝えた。
「24時間ヘルパーを手配できるように頑張るから、神奈川に引っ越してきて」
女性は、入所後1年経たずに亡くなった。綾部の胸には、女性に対する後悔の念がいまもつかえている。
「ALSは待ってくれない。もう少し早く私たちが体制を整えることができたら、いまも元気に生きていたかもしれない。彼女の一件を通じて、数とスピードで救える命があることに気付いた」
ユースタイルラボラトリーは、2日間で医療的ケアを担うヘルパーを養成し、現場に送る。
業界内には、「経験不足のヘルパーを、単価の高い夜間の仕事に送り込む企業」との批判もある。
こうした批判に対して大畑は、より大きな規模での社会課題の解決を目指してきたと説明する。
「現実としてサービスが届いていない人たちはいて、その中には本当に家庭が崩壊しかかっている人もいる。そういう人たちに対して、とにかく量を優先して、サービスを提供することは必要だ」
(敬称略、明日に続く)
(文・小島寛明、写真・竹井俊晴、デザイン・星野美緒)
小島寛明:上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒。2000年に朝日新聞社に入社、社会部記者を経て、2012年退社。同年より開発コンサルティング会社に勤務し、モザンビークやラテンアメリカ、東北の被災地などで国際協力分野の技術協力プロジェクトや調査に従事。2017年6月よりBusiness Insider Japanなどで執筆。取材テーマは「テクノロジーと社会」「アフリカと日本」「東北」など。著書に『仮想通貨の新ルール』(Business Insider Japanとの共著)。