深夜0時ごろ、日付が変わったか変わらないかの時間に、携帯電話が鳴る。
利用者の家族からの電話だ。「時間になっても、スタッフの方が来ていません」
タクシーに飛び乗り、利用者宅に向かう車中でスタッフに電話をかけても応答はない。
神奈川県全域を統括するエリアマネージャーを務める綾部清香(38)は5年前、ユースタイルラボラトリーの社員になった。
神奈川県のエリアマネージャーを務める綾部清香。以前はアパレル業界で働いていた。
撮影:小島寛明
重い障がいのある人たちに介護サービスを提供する仕事をしていると、担当のヘルパーが仕事に現れないことがある。夜遅くに利用者宅に入る仕事の前に、眠り込んでしまったり、シフトを忘れてしまったりといった理由からだ。
入社してからしばらくは、綾部の元には何度もこうした緊急の電話がかかってきた。綾部は、当時をこう振り返る。
「当時は、出勤を事前に確認するシステムもなかったから、通常の勤務に加えて1週間に2回、朝までヘルパーに代わって夜勤をしたこともありました」
事業者にとっては、利用者や家族に謝罪すれば解決する問題ではない。
徐々に体が動かせなくなるALS(筋萎縮性側索硬化症)の場合、患者の喉にたんが詰まる。たんの吸引はヘルパーの大切な仕事の一つだ。処置しなければ呼吸ができなくなり、命に関わる。
「鬼みたいな仕事の振り方してくる」
綾部らが会社に課題の解決を訴えたことで、システムの整備が始まった。担当したのは、エンジニアの宮尾勝巳(41)だ。
エンジニアの宮尾勝巳。基本はリモートワークだが、本社に出勤することもある。
撮影:小島寛明
宮尾は、脳性麻痺の当事者だ。職業訓練校や通信教育でプログラミングを身に付けた。
夜間はヘルパーが宮尾の部屋に泊まり、食事の準備や風呂、トイレ、寝返りなどを支援している。
仕事を始めた当初は、ホームページの更新やメンテナンスなど比較的、宮尾の負荷は低かったが、甘かった。
次第に、創業者でCEOの大畑健(40)から、さまざまな仕事が来るようになった。宮尾は、当時を振り返りながら少し笑った。
「やりがいはあるんだけど、けっこう忙しいんです。鬼みたいな仕事の振り方をしてくるから、最初は、えらいところに来てしまったなと」
一方の大畑にも、考えはあった。
「宮尾さんはプロフェッショナルのエンジニアとして働いているわけだから、他のエンジニアと同じように接している。成果物が出てこなかったら、何やってんだと言うことだってある」
社内エンジニア15人。介護で脱アナログ
宮尾が組み上げたのは、出勤の事前確認だ。利用者宅で仕事をする1時間ほど前に、ヘルパーにはメールが届く。メールに貼り付けられているリンクをクリックすると、出勤の確認が完了する。
宮尾は「ヘルパーが来ないと、本当に困ったことになる。このシステムがあれば、介護の抜けを減らすことができる」と話す。
宮尾は、ユースタイルラボラトリーにとって最初のエンジニアだ。各地の拠点から寄せられる、システムに関するさまざまな要望に対応してきた。
午前9時ごろに仕事を始めて、忙しい時は、午後9時や10時ごろまでコードを書いていることもある。急ぎの案件を抱えているときは土日も働いている。
このシステムは改修が進み、現在の対応はさらに手厚くなっている。利用者宅を訪問する2時間前にヘルパーにメールが届く。返事がなければ、90分前にSMSでメッセージが届き、70分前には自動で電話がかかる。
それでも連絡が取れない場合は、責任者であるコーディネーターに連絡が入る。
さまざまな産業で、人間が担ってきた仕事をAI(人工知能)やロボットに代替する動きが加速している。介護はいまのところ仕事の大部分を人間が担っているが、大畑は現在、社内のデジタル化を進めている。
障がい者を対象とする介護の世界には、かなりアナログな作業が残っている。ヘルパーのシフトをホワイトボードに記入し、手作業で管理している事業所も少なくない。
2018年ごろまで社内のエンジニアは宮尾だけだったが、チームの拡大は進み、現在は15人ほどになった。
フリーのヘルパーとのマッチングサービス
ユースタイルラボラトリーの最初の事業所はもともと、産婦人科を改装したデイサービスだった。
提供:ユースタイルラボラトリー
進行中のプロジェクトの一つに、介護事業に特化したシステムの構築がある。介護に従事する人たちのシフトや給与、公的機関への介護報酬の請求など、デジタル化で省人化が図れる業務は多数ある。
まず自社で新システムに入れ替えたうえで、他社に対してもシステムを販売していく考えだ。
新規事業の立ち上げを担う人材の1人に、中仮屋(なかかりや)俊輔(39)がいる。中仮屋は、20代で携帯電話向けのゲーム会社を立ち上げ、10年以上経営を続けてきた。
2013年11月には、中仮屋は大畑らとともにウェブサービスの会社も設立している。
当時目指していたのは、フィットネスやヨガなどの教室と提携し、月額利用料を払えば、好きなジムに行き放題という送客サービスだ。結果として、このサービスは形にならなかった。
数年前に「会社の経営を休憩することにした」と言う中仮屋は一時、ユースタイルラボラトリーの介護の現場でアルバイトとして働いた。
そうするうちに、大畑が「正社員になるのはどうかな」と声をかけた。
現在、中仮屋が進めているのは、介護を必要とするお年寄りと介護人材のマッチングサービスの立ち上げだ。社内のエンジニアではなく、独自のルートで外部の人材と開発を進めている中仮屋は、会社に所属しながらその中で新規事業を立ち上げた形に近い。新しい事業の構想をこう、説明する。
「世の中にはフリーのヘルパーがたくさんいるが、仕事の探し方はとてもアナログで、『仕事ありますか』って近所の事業所に出向いている。これをオンラインでできたら、いろいろスムーズになる」
撮影:竹井俊晴
現在、kinjo.worksというサービスの立ち上げ準備を進めている。介護者として保有している資格や希望地などを入力すると、サービスを必要とするお年寄りがいる地域が地図上に表示される。中仮屋は、介護の世界に多くのビジネスチャンスがあると考えている。
「世の中にはネットのサービスがどんどん普及しているが、介護事業所はいまもファックスで連絡を取り合っている。そうしたことがたくさんある業界なので、多くのことを変えていけると思う」
大畑はデジタル化に加え、海外展開も視野に入れた動きを始めている。
2019年末からオーストラリア、東南アジア、インド、アフリカなど主に途上国や新興国を回った。大畑は、社内の人たちにこう話している。
アフリカのルワンダの村落で、少年を抱き上げる大畑健。2020年2〜3月、同国で起業を体験するプログラムに参加した。
撮影:
「今の仕事が5年後も10年後もあるとは思えない。だから、5年後の仕事をつくりにいかないと」
まだ、具体的に何を事業化するかは決めていない。ただ、大畑は取材に対しても周囲に対しても、同様の言葉を繰り返している。
「いつまでも僕が社長をやる必要はない。会社がいまよりもっと大きくなるとしたら、僕よりふさわしい人はいる」
話を聞く機会があるたびに、「今後についてどう考えているのか」と繰り返し尋ねてきた。
「1、2年は総合商社とか企業で働いてみたい」
「大学院に留学するのもいいね」
「政治の世界も面白そう」
同じ質問をぶつけるたび、違う答えが返ってくる。この先、彼はどこに向かうのだろうか。
(敬称略、完)
(文・小島寛明、写真・竹井俊晴)
小島寛明:上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒。2000年に朝日新聞社に入社、社会部記者を経て、2012年退社。同年より開発コンサルティング会社に勤務し、モザンビークやラテンアメリカ、東北の被災地などで国際協力分野の技術協力プロジェクトや調査に従事。2017年6月よりBusiness Insider Japanなどで執筆。取材テーマは「テクノロジーと社会」「アフリカと日本」「東北」など。著書に『仮想通貨の新ルール』(Business Insider Japanとの共著)。