日本にも気付かない差別がまだ多く存在し、戦争という負の歴史は差別という形で今でも続いている。沖縄への差別に関し、厳しい目を向ける佐藤優さん。歴史が犯した間違いはどのように正し、未来につなげていけばよいのか。佐藤さんは「差別」をなくすために、シマオができることについて話し始めた。
国によって異なる差別の構造
シマオ:僕たち日本人も差別してしまう構造の中にいる。今回のBLMはアメリカが発端でしたけど、どこの国でも差別は起こるということでしょうか。
佐藤さん:はい。多かれ少なかれ、差別はこれからも起きてしまうでしょう。だからこそ、なくすための努力が欠かせません。
シマオ:佐藤さんは、外国で差別を受けたことはありますか。
佐藤さん:外務省時代で言えば、ロシアではほとんど差別と呼べるようなものは受けませんでした。一方、陸軍語学学校へ留学したイギリスでは日常的にありましたね。
シマオ:そうなんですね。
佐藤さん:ロシアは歴史的にユーラシア大陸を支配してきた大国ですから、もともとアジア系の人たちが多いんです。しかも、そういう人たちが管理職になっていたりするわけで、あまりアジア系に対する偏見はありませんでした。
シマオ:ロシア人は平等意識が高いんでしょうか?
佐藤さん:最近はアフリカ系アメリカ人に対する差別のニュースも出ていますから、そうとばかりも言えませんが、大国ならではの支配の知恵はあるのかもしれませんね。その国のあり方を見る方法の一つは、いわゆる肉体労働をどのような層の人が担っているかです。
シマオ:例えば……?
佐藤さん:イギリスだとそういう仕事を担っているのはアフリカ系アメリカ人やインド系の人が圧倒的で、白人は少ないです。一方、ロシアでは白人もたくさんいます。
シマオ:なるほど。やっぱりその国の歴史的な経緯が、差別意識にも影響を与えるということでしょうか。
佐藤さん:そうですね。アメリカはピューリタンによる移民の国です。自由や平等といった建国の理念は、あくまでピューリタン内部だけのものだったわけです。当初はカトリックも、その平等の中に含まれていませんでした。
シマオ:内輪だけの平等だった。ただ、アメリカという国は差別もありますけど、それに反対して声を上げる人も多いですよね。企業のトップとかが積極的に発言しています。
佐藤さん:アメリカはオーナー企業が多いということが、理由の一つでしょうね。むしろ企業の姿勢を明確に示さないと生き残れないという文化があります。日本の企業は雇われ社長が多いから、あまり余計なことをして事を荒立てたくない意識が強い気がします。
歴史をなかったことにしてはいけない
シマオ:ニュースを見ていると、BLMの運動が飛び火して、各地で人種差別にまつわる銅像を倒すなどの動きが広がっているみたいですね。
佐藤さん:南北戦争時の南部軍のリー将軍やコロンブスの像、イギリスでは奴隷貿易で財をなしたエドワード・コルストンの像が壊されたり、海に投げ込まれたりしています。
シマオ:確かに、奴隷貿易で大儲けした人が偉人だなんておかしいですね。
佐藤さん:そうですね。今から考えれば評価することのできない人物はいると思います。一方で、ただ銅像を壊したり、撤去すればいいという考え方には賛同できません。
シマオ:どうしてでしょう?
佐藤さん:もちろん、アフリカ系アメリカ人の人たちの怒りは理解できますし、評価を修正することは必要でしょう。しかし、例えば『風と共に去りぬ』は、奴隷制を擁護した表現があるから、人の目に触れさせるべきではないのかと言えば、私は違うと考えています。
シマオ:過去のものに文句を言っても仕方ない、と……?
佐藤さん:いえ、過去のものへの批判は当然あってしかるべきです。ただし、それが今から考えれば差別的なものであったとしても、封印してしまうべきではないということです。
シマオ:でも、やっぱり今の感覚で良くないものは、見るべきではないという考え方もありそうです。
佐藤さん:島崎藤村の『破戒』をはじめとして被差別部落を描いた小説があります。文学作品というのは、必ずしも差別をなくすべきといった主義主張を描いたものではありません。では、そうした表現が今日から見れば差別的だからといって、公開されないほうがよいでしょうか?
シマオ:うーん、それを言い出すとあれもダメ、これもダメとなりかねませんね。
佐藤さん:もちろん、過去の作品を使って、現在進行形で差別を助長するようなことがあってはならないことは言うまでもありません。しかし、歴史というのは良いことも悪いことも含めて残していかなければならないものです。銅像や作品を見えないところに置くことは、歴史を直視することとは、まったく異なります。
「歴史をなかったこと、見なかったことにすることは、過ちを繰り返す差別の温床でしかない」と言う佐藤さん。
シマオ:過去のものは過去のものとして、現代からの批判もともに残しておくということですね。
佐藤さん:それに、差別の歴史を封印してしまうのは、人を無菌室に入れてしまうようなものです。無菌室で育った人間はどうなると思いますか?
シマオ:抗体ができず、感染しやすくなる……?
佐藤さん:そうです。人は過去、たくさんの間違った考えに基づく表現をしてきました。だからといって、それは正しくないと単純に排してしまうと、自分自身で考える力を奪うことにもなってしまいます。そしてその先には、再び誤りを犯す未来が待ち受けているように思います。
シマオ:自らの過ちに目を向け続けることが大切なんですね。
差別をなくすためにできること
シマオ:では、これからの社会で差別をなくする方向に向かっていくためには、何が必要だと思いますか?
佐藤さん:差別は構造化されているというお話をしてきましたが、もっと簡単に言ってしまえば、「当たり前」だと思っていることに目を向けることです。自分のいる社会の中で当たり前になっていることでも、よく考えればおかしいことはたくさんあります。
シマオ:肌の色で差別をすることは、やっぱりおかしいですものね。
佐藤さん:でも、私たちは往々にして気付くことができません。お金で物が買えるのは当たり前だと思っていますが、国が壊れるとお金は紙切れです。
シマオ:ソ連崩壊の時に、本当にお金の価値がなくなったというお話を以前されていましたね。
佐藤さん:いい大学に入れば、いい暮らしができて幸せだ。女性はパンプスを履くのが当然だ。……そういうことを当たり前だと考えているのと、人種によって住むところや職業が異なるのが当たり前だと思うのと差別は、実は地続きなんです。
シマオ:「当たり前」の中に差別は入り込む。そういうことに気付くことができるようになるためには、どうしたらいいでしょうか?
佐藤さん:自分の中の違和感に正直になることだと思います。人は常識にとらわれるものですが、「何かおかしいな」という違和感を覚えたら、まず立ち止まって考えてみることです。
シマオ:なるほど。でも、「当たり前」を変えるって難しいですよね。
佐藤さん:世の中の流れとぶつかることになりますからね。最終的には人間の胆力を試されることになります。
シマオ:そんなに強くなれるかなぁ……。
佐藤さん:とはいえ、誰もがぶつかる必要もないと思います。重要なのは、普段の人間関係の中での姿勢です。「人種差別をなくす」「女性差別をなくす」なんて大きく構えずとも、シマオ君が男性なら、女性に対してどういう態度を取っているか。例えば、フェミニストの人が言うことに、きちんと耳を傾けようとしていますか?
シマオ:そう言われると、自信が……。
佐藤さん:男がデカい面をしていられるのは、結局のところ女性に比べ筋力が少し強いからにすぎません。男は、それがバレるのが怖いから、男性優位の視点を社会制度の中に巧妙に埋め込んできたわけです。
シマオ:だから男の側は、指摘されると拒否反応が出てしまうんでしょうか。
佐藤さん:シンプルに、自分が相手だったらどう思うか。自分の既得権益やプライドに惑わされず、そういう想像力を身の回りから広げていくことが大切だと思います。しかし想像力とは一朝一夕で備わるものではありません。自分が知っているものではなく、「何を知らないか」をきちんと知っておくのです。全ての差別は「知らない」という想像力の欠如から生まれるものだと思っています。だからこそ、人は死ぬまで学ばないといけないんです。
※本連載の第25回は、7月29日(水)を予定しています 。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。昨年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)