ニューヨーク・タイムズの本社前。新型コロナウイルスの影響で、ビルの周辺も人気が少ない。
撮影:津山恵子
「恋におちたシェイクスピア」などのヒット作を生み出した米ハリウッドの有名映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインは長年にわたり、多くの女優や女性社員を、セクハラや性的暴行の犠牲者にしてきた。女性らが告発しようとすると、ワインスタインは映画界で成功したいという気持ちにつけこみ、巨額の示談金と引き換えに女性らを沈黙させた。
米有力紙ニューヨーク・タイムズの記者ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーの2人は、ワインスタインの卑劣なセクハラ・性的暴行を暴くため、1年近くに渡り犠牲者らを取材。「オンレコ」、つまり実名で語ってもらうため、著名女優を含めた10数人の女性に粘り強く報道する意義を説明し、証言の裏取りに奔走した。
そのスクープ記事は2017年10月5日、インターネットで公開された。
記事は、2人が予想もしなかった反響を呼び、女性に対するセクハラや性的暴行をなくそうという#MeToo運動が世界中に広がる引き金となった。
多くの女性を長年苦しめてきたワインスタインは、この記事がきっかけとなり、ニューヨーク市警に逮捕され、ニューヨーク最高裁判所によって禁錮23年の判決を受け、現在服役中だ。
2人の著者のうち、2016年米大統領選挙の際、トランプ共和党大統領候補(当時)のセクハラ問題の調査報道にもかかわっていたミーガン・トゥーイー記者にオンラインで本書についてインタビューした。(インタビュー中敬称略)
2019年に開かれたカンファレンスで#MeTooについて話すミーガン・トゥーイー氏。
Ilya S. Savenok/GettyImages
—— トゥーイーさんは長女の産休を終えてすぐ、同僚のジョディ・カンターさんに口説かれて、ワインスタインというハリウッドの大物のスキャンダル報道チームに加わりました。
トゥーイーさん(以下トゥーイー):私は過去にシカゴ・トリビューン紙で性的暴行についての調査報道記者になり、声なき人々の声を伝えたいと取り組んできました。私の記事がきっかけとなり、例えば女性患者に性的暴行をしていた医師が裁かれ、有罪となったりと、世の中に変化を引き起こしていました。
ニューヨーク・タイムズ(以下タイムズ)に移った2016年、トランプ候補(当時)のセクハラ報道にかかわりましたが、選挙結果を見ると、明らかに彼のひどい行為を気にもしていない有権者が多くいるんだとわかりました。
なので、誘われた当初、ワインスタインの報道チームに加わろうかどうか迷いました。当時カンターが被害を告発するよう説得していた女優のグウィネス・パルトローとアシュレイ・ジャッドは著名人で、彼女たちほど力も社会的地位もある人たちでも、タイムズの力が必要なのかと想像できませんでした。
でもカンターに、「もし有名女優の彼女らでさえ性的暴行を受けているなら、多くの無名の女性らも例外ではないだろう。私たちが書くことで、真の変化が引き起こせる」と説得され、チーム入りしました。
政治的“聖戦”の中で忘れられる被害
—— トランプとワインスタインと類似している点があると思いましたか。
トゥーイー:実際にワインスタインの同僚らに取材を始めた途端、多くの人が「ワインスタインはトランプに似ている」「病的なナルシシストで、脅したり褒めたりしながら物事を自分の思い通りにする」と証言したんです。
トランプは何十年にもわたり女性にひどい行為を繰り返していました。例えば、彼のテレビ番組に関係していた女性が、トランプにホテルに呼び出され、昇格について話すのかと思ったら、予想もしなかった暴行を受けたというケースがあり、まさにワインスタインのパターンと同じで、権力と影響力を濫用していました。
ハリウッドの実力者として、ワインスタインは女優をはじめ自社の女性社員にも性的暴行やハラスメントを繰り返していた。
Spencer Platt/GettyImages
—— ワインスタインは、訴追され刑務所に入りましたが、トランプは大統領になりました。この違いはなんだったのでしょう。
トゥーイー:2人の報道に関わって分かったのは、政治家に対して、セクハラや性的暴行という告発があった場合、特に現在のアメリカは政治的に分断が進んでいるために、政治家以外のケースと異なった反応が起きるということです。
つまり、被害者を支持する側と加害者を支持する側がまるで“聖戦”であるかのように、政治的イデオロギーの違いで激しくぶつかりあい、その中で女性らの被害が忘れられてしまうのです。
示談金による会社ぐるみの口封じ
——カンターさんとあなたは、有名女優も含めてワインスタインの犠牲者らと電話、メール、携帯ショートメッセージなどで驚くほどきめ細かなやり取りをして、彼女らが実名で語ってくれることにこぎつけました。その様子が、まるで探偵小説のようで一気に本書を読みましたが、最大の困難は何でしたか。
トゥーイー:取材を通して、女性たちがオンレコ(実名)で話したがらない2つの理由が分かってきました。第1に恐怖です。権力と影響力があまりにワインスタインに集中しているため、告発したら、キャリアにダメージを受けるのは女性の側であるという恐怖です。
第2に、秘密裏に交わされた示談書によって、法的に口外してはいけないケースがありました。女性らは、セクハラ、ひどい時は性的暴行を受けた際、自分に起きたことは真実なのだと証明するために、まずは弁護士に相談します。ところが弁護士らは、最善のケースは口をつぐむ代わりに示談金を受け取ることだと指図するのです。
彼女たちがワインスタインを訴えて損害賠償金を勝ち取り、自分たちが受けた不当な行為を世間に知らせようとして弁護士に相談すると、(どの弁護士も示談金を受け取ることを勧めるので)訴訟という選択肢を取ることは実質不可能でした。
大統領就任前も就任後もセクハラや女性に対する侮蔑的な言動が問題になっているトランプ。それでも彼のコアな支持層は揺らがない。
REUTERS/Carlos Barria
——会社に対して被害を訴えた女性たち12人には1990年〜2015年の間にワインスタインが経営する会社、ワインスタイン・カンパニーから示談金が支払われています。会社幹部も示談金が支払われていることを知っている、つまりワインスタインの行為を見て見ぬ振りをしていました。
トゥーイー:示談書の条項を読むと、唖然とする内容です。口外を禁じる内容が必ず入っていたので、女性らは家族やセラピストにすら話せず、どうあがいても被害にあった事実を表に出せないという状態でした。加害者であるワインスタインにとって秘密の示談金は、被害者を黙らせることで、次に他の女性を手にかけるツールにもなっていたのです。
「娘が同じような目に遭わないために」と決意
——最終的に、女性らをオンレコの証言を決意させた決め手は何でしたか。
トゥーイー:女性らに無理強いはできません。決意してくれた理由は、人によって異なります。
私たちは「報道は、あなたに起きた不幸をなかったことにはできない。でも真実を知らせるのに協力してくれたら、他の人々を守れるかもしれない」、あるいは「あなたのオンレコ証言だけを書く記事ではない」と説得してきました。
私たちは示談金支払いの証拠や、ワインスタイン・カンパニー内部にあったセクハラの申し立て記録も握っていましたから、証言以外に膨大な事実が明るみに出るのです。
女優のアシュレイ・ジャッド氏。彼女が実名での告発を決意したことが、決め手となった。
Mike Coppola/Getty Images)
——記事に有名女優の証言がどうしても必要だとお2人が感じていた最終段階で、女優アシュレイ・ジャッドが実名で取材に協力すると電話をかけてきた場面は感動的でした。
トゥーイー:ジャッドは、リスクを恐れてはいませんでした。彼女は長年、男女平等の問題に取り組み、研究してきたので、思い切って協力したという訳でなく、記事に協力して社会に大きな変化を起こさなければという意思を強く持っていたのです。
——オンレコに同意したのは、有名人ばかりではありません。
トゥーイー:ローラ・マッデンの例がそうです。大学を出てワインスタインの下で働き、ホテルで性的暴行を受けます。しかし、過去に誰にも話したことはありませんでした。
ところが私たちが取材しているうちに、彼女は10代の娘2人に真実を話し、タイムズにオンレコで話そうと思っていると打ち明けたのです。娘たちはとても理解があり、彼女らの友達にも起きた不幸な出来事を話し始めました。その直後、マッデンは「娘たちが自分と同じようなひどい目にあって欲しくない」とオンレコへの協力を決心します。
実名は告発者や被害者も守る
——実名で告発した場合、被害者なのにバックラッシュを受け、非難される可能性も覚悟しなければなりません。日本ではセクハラ・性的暴行事件の場合、被害者を匿名で報道するケースが圧倒的に多いのですが、タイムズが、ワインスタインの被害者に実名で告発してもらうことにこれだけの時間をかけたのは、なぜですか。
トゥーイー:タイムズにとって、実名は非常に大切な報道のガイドラインです。ディーン・バケット編集長も常に実名の重要性を強調しています。
特に性的暴行という非常に深刻な告発について書く場合、匿名というのはあり得ません。告発された側にフェアではないからです。ハーヴェイ・ワインスタインという名を記事に出し、彼が現実に女性らに何をしたのか克明に伝える限り、彼に反論するチャンスを与えなくてはなりません。
ですから、彼がタイムズを裁判に訴えると脅しをかけ、花形弁護士らを連れてアポなしでタイムズの社屋に乗り込んできた時も、私たちはそのプロセスを受け入れました。私たちが公正という名の下、正確性という名の下に報道していると示すためです。
公正さと正確性が告発された側や被害者を守り、タイムズを守ることにもつながります。どんな行為であれ不正に光を当てる最善の方法は、入念に調査し、被害者の実名を含めた告発内容を詳細に報道することです。
#MeToo運動が拡大しても解決されない問題
2017年12月にニューヨークのトランプホテルの前で行われた#MeTooのデモの様子。
REUTERS/Brendan McDermid
——トゥーイーさんは、カリフォルニアの大学の心理学教授クリスティン・ブレイジー・フォード博士にもインタビューしています。当時、連邦最高裁判事に指名されていたブレット・カバノーが高校時代に酔っ払って、彼女に性的暴行をしたと訴え、上院司法委員会の公聴会で証言するまで至った人です。
彼女の加害者はワインスタインではなく、現在は最高裁判事になったカバノーでした。なぜフォード博士の話を本書に加えたのですか。
トゥーイー:フォード博士の話は、最も複雑だけれども本質的なところがあると私たちは考えていました。彼女の話を採用した理由は、ワインスタインの告発記事を出した後に世界で#MeToo運動が広がったことにあります。
#MeToo運動によって、世の中で変化が起きる一方で、多くの人がフラストレーションを抱えているようにも見えました。つまり告発された側がそれなりの裁きを受けたとしても、被害者にとっての真の正義はどうしたら得られるのか。私たちは記者として、まだ答えが出ていない問いや混乱、フラストレーションについても報道するべきだと考えました。
フォード博士の取材を進めると、彼女の話には想像を超えた重要性があると思いました。なぜなら、博士の話には、#MeToo運動がどんなに広がっても、依然として解決されない問題の全てが詰まっていたからです。
カバノーの最高裁判事就任に対しては異論を唱える声が噴出した。
Alex Wong/Getty Images
——具体的にはどんな問題でしょうか。
トゥーイー:3つあります。第1に、非難されるべき行為の具体的な範囲はどこからどこまでなのかということです。明らかに、セクハラあるいは性的暴行としか思えないケースだけなのでしょうか。それとも、職場やデートの場で、男女の間で起きる微妙な出来事も含まれるのでしょうか。また、告発はいつまでさかのぼれるのか。
フォード博士の事件は、彼女がまだ10代だった30年も前に起きました。しかも当時だったら、報道はおろか、誰も耳を傾けない事件です。
第2に、告発が事実であると決定するプロセスは何なのでしょうか。タイムズの調査報道記者として、私たちは事実を集め、念入りに調査して、それを説明するのに1冊の本まで書きました。ところが、(セクハラの告発などを扱う)企業の人事部が、そこまでやる確信は持てません。
最後に、法的な義務としての説明責任の問題です。性的に不当な行為を受けたと、被害者が説明や証言をできると言うのは容易なのですが、実際に証言をしてみると、セクハラや性的暴行において被害者がどこまで説明の責任を負うのか、どこまで説明できたら暴行を受けたと認められるのかが法的に定まっていないのです。
#MeToo運動はまだ拡大し、認知されるでしょうが、この3つの問題に関しては、フォード博士の例だけでなく、今後もさまざまな議論があるでしょう。
ワーキングマザーでも調査報道できた3条件
—— トゥーイーさんは、産休を終えてすぐに調査報道チームに加わり、カンターさんも2女の母親です。日本のメディア業界では、ワーキングマザーというだけで、大きなプロジェクトに入れないことさえあります。
「その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い」 。タイムズの女性記者、ジョディ・カンター、ミーガン・トゥーイー両記者が調査報道で明らかにしたワインスタインの数々の性的暴行。調査報道の“教科書”のような本だ。
トゥーイー:3つの点で、私たちは幸運でした。タイムズは、女性であれ男性であれ、子どもを持つ親に対して非常に理解があります。第2に私たちには、ベビーシッターなどを雇える余裕がありました。第3に、いい夫がいて、家事分担を全面的に支援してくれました。この3つがそろわなければ、私たちはこの報道を成し遂げられませんでした。
もちろんワインスタインの調査報道チームに加わった時、娘は生後4カ月で、精神的にも、仕事のやりくりも大変でした。
ただ母親になり、しかも第1子が娘だったことで、強い目的意識を持てました。娘たちの世代の職場環境をもっと安全なものにできればというモチベーションがあって、仕事に取り組めたのです。
——女性である、ワーキングマザーであるということで、職場で不利だと感じたことはありますか。
トゥーイー:ありません。妊娠するまで、女性記者だと意識することはありませんでした。
ただ、大統領候補時代のトランプのセクハラ・性的暴行の記事を出す直前、臨月に近くなっていた時に、トランプに取材で電話し、「お前は、ムカつくやつだ!」とトランプに怒鳴られました。
その時、記者ということで何かを犠牲にしていないかと心配になりました。しかし、出産後は、妊娠前と同じ感覚に戻りました。
トゥーイー、カンター両記者とその調査報道チームは2018年4月、ワインスタインをめぐる報道で、アメリカ・ジャーナリズムの最大の名誉であるピュリッツアー賞公益部門を受賞した。
この調査報道は女性記者2人が中心となったが、本書にはニューヨーク・タイムズ内の上司や弁護士などによる支援体制も克明に書かれている。#MeToo運動の広がりや認知に火をつけた同記事は、タイムズ内部、そして実名で証言した女性たちの壮大なチームワークだったことが分かる。一つの大きな山が動いた過程を具体的に知ることができる1冊だ。
(聞き手・構成、津山恵子)