撮影:竹井俊晴
たまたま若手採用を強化していた企業買収ファンド、アドバンテッジパートナーズ(AP)に入社すると、年功序列の銀行とは正反対の徹底した実力主義の世界が待っていた。
「『勉強になります』と言っている場合じゃない。成果を出さなければ、辞めてもらうぞ。これは“warning(警告)”だ」と社長から突き付けられたこともある。
MBAホルダーの同僚たちとの圧倒的な能力差に打ちのめされ、何とか居場所を見つけようと必死だったという南章行(45) 。
サバイバルのために編み出したのが“自分にラベルを付ける”という策だった。
「僕はファイナンスが得意です。ファイナンスのことは僕に聞いてください」と宣言し、社内で勉強会を開いた。実のところは、高度な知識はまだ身に付けられていなかったのだが、恥をかきながらも動くことが最速の成長につながるはずだと考えた。そして実際、社内の評価は高まり、南は息を吹き返した。
まず「これができる」と自分にラベルを付けよう
アドバンテッジパートナーズ(AP)時代。
提供:ココナラ
この時に南が得た気付きは、「ココナラ」の世界観につながるようだ。ココナラで出品する行為を、南は「自分に“ラベル付け”をするようなもの」と説明する。
「『私はこれができますよ』とラベルを付けて発信して初めて、周りにも認識されるようになる。そして、仕事としての受注のチャンスが生まれる。どれくらい通用するのかは、やってみないと分からない。実力の大部分は後からついてくる」
当時は企業買収ファンドを「ハゲタカ」と呼ぶ風潮もあったが、そのど真ん中にいた南は「価値ある企業に再び命を吹き込む尊い仕事」だという思いを強めていた。
担当したポッカ・コーポレーション(当時)のMBO(マネジメント・バイアウト)に成功した後は、買収先となったポッカの役員として経営にも参画。しかし、そこで南は「意思決定の訓練が足りない」と課題にすぐ気付く。1年休職して英オックスフォード大学大学院にMBA留学をすることにした。
オックスフォードで出合った社会起業
自身に課題を感じ、MBAを取得するべくオックスフォード大学へ。
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企業再生分野に強いという理由で選んだオックスフォードは、「社会起業」にも力を入れており、南は現地で知ったNPO「ブラストビート」のコンサルティングを卒業課題に選んだ。
高校生グループが音楽制作会社をゼロから立ち上げてコンサートを企画・開催し、収益の一部を寄付する。そんなビジネス体験を支援し、自立をサポートする一連の活動に伴走しながら、南は「若い世代が自分の力で自分と社会の未来を切り開く応援ができるなんて、最高だ!」と感動していた。
南はいわゆる氷河期世代で、社会に希望を持てないまま挫折した友人も少なくない。だから、“希望で胸が膨らむ感覚”をいつも求めているのだろう。
帰国すると、ブラストビートの日本版を立ち上げ、さらにNPO「二枚目の名刺」の立ち上げにも参画し、スキルや経験を活かしてNPO活動に参加する社会人ネットワークに打ち込んだ。本業のファンドでは通信・美容業界など複数の案件も担当するようになり、NPOとの二足のわらじは多忙を極めたが、「面白いから、始めたくなる」という内発的動機を大事にしていた。
「周りに流されず、自律的に生きるのは、決してラクではないし、簡単なことではないんですよね。だから、いつの間にか時間を忘れて努力できる、自然と頑張れることを選ぶ意識が大事なのだと思う。すぐにつかめなくても、『あっちよりこっちのほうがちょっと頑張れそうだ』というくらいの判断でもいい。するといつの間にかスキルが磨かれていくんですよね」
「自然と頑張れることを」と南はよく言う。逆もしかりで、「無理して頑張っても楽しくないし、効率的じゃない」と考えるのも南のルールだ。
ファンドを辞めた理由の一つは、違和感。「上を目指すなら、新しい芸風をもう一つや二つ、磨いてほしい。例えば、君があまり得意ではないロジックで攻める戦術とか」と助言されたことに、強い違和感を抱いたからだった。
興味を持てず苦手な芸風を磨いてまで、この会社で上を目指すべきなのか? その助言が“期待”を込めたものだったと分かっていたから、余計につらかった。ハードワークが続き、鬱になりかけていたのかもしれない。シャワーを浴びながら涙が止まらなくなる日もあった。
NPO活動を通じて肌身で感じていた「一人ひとりが自分ができることを社会に提供することで得られる充実や希望」を、ビジネスとして広げていけないか。そんな構想が徐々に固まっていった。東日本大震災を機に、人生の意味を見つめ直したことも大きかった。
2011年6月、APを退職し、翌年1月に会社を設立。そして、2012年7月、個人が「知識・スキル・経験」をインターネット上で売れるオンラインマーケットプレイス「ココナラ」が誕生した。
創業メンバーは3人。まずはオフィスにマットを敷いた。
提供:ココナラ
最初は一律単価500円で出品数200からのスタート。モノではなくサービスをネットで売買するという事業は、まだ珍しかった。投資家に説明しても、「役務提供なのに、対面で契約しないの?」「クレイジーだね」と一蹴されたこともある。
しかし、南は絶対にブレないと決めていた。
「世界で急速に広がったサービスを見ても、最初は『意味が分からない』と否定されてきたものばかり。それでもブレずにきちんと設計して、コツコツ続けることが大事なのだと分かる。
例えばTwitterも、ブログ全盛の時代に登場した当初は、『140文字までしか書けない? しかも流れて消えていく?』とハテナだらけのサービスだった。それでも創業者のジャック・ドーシー(Jack Dorsey)はそこに価値があると信じて、一点突破を貫いた。
世の中の声を全部集めて最大公約数をとっても、生き残れない。やり続けるしかないと決めていました」
(敬称略、明日に続く)
(文・宮本恵理子、写真・竹井俊晴 )
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。