(出所)日本銀行「マネタリーベース統計」より筆者作成。
コロナ禍で大きなダメージを受けた日本経済。その経済対策として、日本銀行による国債の買い入れ上限が「80兆円」から「無制限」へと変更されました。このニュースを聞いて、「そんなに国債を買って大丈夫なの?」と気になった方も多いのではないでしょうか。
というのも、2013年にスタートした「異次元緩和」により、日本の国債発行額はすでに空前の規模。そこへ、コロナ禍という非常時とはいえさらに国債を発行することで、先々どのような副作用が生じうるのか——。
そこで今回は前後編の2回に分け、日本の金融政策と経済について考えていきます。前編となる本稿では、異次元緩和からコロナ禍直前までの日本銀行の政策を振り返りを、続く後編では、コロナ経済対策の効果と起こりうる副次作用について、元日銀マンのエコノミスト・鈴木卓実さんに考察していただきます。
コロナ経済対策のため、政府は2020年度に事業者を対象とした「持続化給付金」や国民全員を対象とした「定額給付金」など、さまざまな施策を採っています。
ショックを和らげるために必要な措置とはいえ、第2次補正予算の一般会計における歳出は160.3兆円と空前の規模。新規国債発行額も90.2兆円にのぼる見込みで、リーマンショックの景気対策で2009年度に発行した52兆円を大きく上回ります。2020年度末の国債発行残高(償還されていない国債の総額)は、初めて1000兆円を突破する見込みです。
現在、大規模な国債発行を下支えしているのが日本銀行です。4月27日に開催された金融政策決定会合では、国債の買い入れ上限が「80兆円」から「無制限」へと変更されました。これにより日本銀行はいくらでも国債を買い入れられるようになったわけですが、「日銀がそんなに国債を買い支えて大丈夫なの?」と気になっている方も多いことでしょう。
そこで本稿ではまず、コロナ禍以前までの日本銀行の政策を振り返るとともに、これらの政策が先々どんなリスクにつながりうるかを考えていくことにしましょう。
「20年で500兆円」
まずはお金のデータから見ていきましょう。
一口に「お金」と言ってもさまざまな種類があるものですが、ここではまず「マネタリーベース」を見てみます。マネタリーベースとは、日本銀行が世の中に直接的に供給するお金のことで、以下の3つを足し合わせたものです。
- 日本銀行が発行したお札(日本銀行券発行高)
- 政府が発行した硬貨(貨幣流通高)
- 金融機関が日本銀行に預けている日銀当座預金
図表1は、2000年以降のマネタリーベースの推移を示したグラフです。
(出所)日本銀行「マネタリーベース統計」より筆者作成。
このグラフを見て一目瞭然なのは、2013年を境にマネタリーベースが急増しているということです。
内訳を見ると、貨幣流通高はこの20年間で微増(グラフ上ではほとんど視認できませんが、4.1兆円が4.9兆円に増えています)、日本銀行券発行残高は55兆円から110兆円に倍増しています(増加額にはタンス預金も含みます)。
しかし一番の増加要因は、なんと言っても日銀当座預金です。2000年にはわずか平均5.5兆円だった日銀当座預金は、2020年6月には427兆円に達しました(月中平均残高)。その結果、2000年に65兆円だったマネタリーベースは2020年6月には544兆円。20年間でなんと約500兆円も増えているのです。
マネタリーベースが急増した2013年4月と言えば、異次元緩和が始まったタイミングです。
金融機関が保有する国債を日本銀行が購入すると、金融機関が保有する国債が減少し、その分、日銀当座預金が増えます。これを日本銀行の視点から見ると、「日銀当座預金という“負債”を増やして、国債という資産を購入する」というオペレーションになります。図表1のグラフで、2013年以降の日銀当座預金が急増している理由はこのようなわけです。
日銀当座預金が増えても物価上昇には直結しない
そもそも2013年に始まった異次元緩和は、デフレ脱却と持続的な経済成長を実現するため、物価目標(インフレターゲット)である消費者物価指数前年比を2%まで上昇させる狙いで行われてきました。
しかし、7年経っても「前年比2%上昇」という物価目標は未達のまま。2020年7月16日に公表された「経済・物価情勢の展望(展望レポート)」では、正副総裁・審議委員からなる政策委員の2022年度の物価見通しは+0.5~+0.8%です。
この見通しが正しければ、黒田東彦日銀総裁は10年間緩和を続けても物価目標を達成できないまま、2期目の任期を終えることになります。
2013年に現職に就任した黒田総裁。2023年4月に2期目の任期を終えるが、物価目標の達成は極めて難しい。
Kim Kyung Hoon/REUTERS
日銀当座預金は、金融機関同士や金融機関ー日本銀行、金融機関ー政府の決済に用いられるものです。日銀当座預金が増えても、物価に直結するような財・サービスの購入につながるわけではありません。日銀当座預金は1営業日平均で約170兆円の決済がありますが、「お金の世界でお金を動かしても物価には効かなかった」ことになります。
「日銀当座預金がダメなら、日本銀行券の発行を増やせばよかったのでは?」という疑問もあるかもしれません。この点は誤解が多いのですが、日本銀行券というのは、金融機関が日銀当座預金から引き出すことで初めて発行されるものです。つまり、金融機関が(家計や企業の必要に応じて)引き出してくれない限り、日本銀行は日本銀行券を発行することができないのです。
異次元緩和で金回りは良くなったのか?
異次元緩和によって日銀当座預金は急増しましたが、市中に出回るマネーも同じように増えたのでしょうか? そこで今度は、お金に関するもうひとつの代表的な統計である「マネーストック統計」を見てみましょう。
マネーストックとは「金融部門から経済全体に供給されている通貨の総量」のこと。金融機関・中央政府以外の経済主体(一般法人、個人、地方公共団体など)が保有する通貨量の残高を集計したものが「マネーストック統計(旧・マネーサプライ統計)」です。
マネーストック統計の対象になる預金の範囲や金融機関の範囲によってM1、M2、M3、広義流動性という4つの指標(※1)がありますが、ここでは「M3」を取り上げることにしましょう。M3とは言ってみれば、すべての預金取扱機関にある決済に使えるお金や比較的容易に決済に使えるようになるお金の総量で、次のような式で表されます。
M3=現金通貨+預金通貨+準通貨+CD(預金通貨、準通貨、CDの発行者は、全預金取扱機関)
図表2は、同じデータコードで遡れる2003年4月以降のM3の推移を表したものです。
(出所)日本銀行「マネーストック統計」より筆者作成。
このグラフを見ると、一貫して増加傾向ではあるものの、マネタリーベースほどの伸びではないことが分かります。日銀がマネタリーベースを増やしても、同じようなペースでマネーストックが増えるわけではないのです。
M3は、銀行が企業に融資して、企業の預金が増えれば増加しますし、個人の預金が増加しても増えます(有価証券を売却した代金を預金口座に移しても増えます)。もちろん、定額給付金や持続化給付金を受け取ったり、コロナ禍の資金繰り確保のために融資を受けてもM3は増えます。図表2の赤枠部分が急伸しているのはそのためです。
マネーストックはあくまでも「ストック」。どのくらい市中にマネーがあるかは分かっても、そのお金がどのように使われているか、取引によってマネーがどれだけ口座間を動いているかまでは分かりません。
つまり、マネーストックが増えても、取引が活発でなければ(=「金回り」が良くなければ)経済に与えるインパクトは小さいということです。逆に少ないマネーストックでも、金回りが良くなれば景気や物価は浮上します。
異次元緩和は金利にも影響
ここまではお金の量について見てきました。異次元緩和というとどうしてもお金の量にばかり目が向きがちですが、実はその影響は“お金の価格”である金利にも及びます。そこでまず、発行が増加している国債の金利がどう推移してきたかを見てみましょう。
国債は年限(償還されるまで期間)によって金利が異なり、一般的には年限が長い国債ほど金利(最終利回り)が高くなります。これは年限が長いほどリスクが高くなるためです。
(出所)財務省「国債金利情報」より筆者作成。
2000年以降の国債金利(最終利回り)の推移を見ると、かつては年限によって較差があった金利が、2016年以降その差を縮めていることが分かります。
2016年と言えば1月にマイナス金利が導入された年。それに伴い、同年9月に10年物国債金利が概ねゼロ%程度で推移するよう長期国債の買い入れを行うという、YCC(イールドカーブ・コントロール)が導入されました。
イールドカーブとは縦軸に金利を、横軸に償還される期間をとったもの。それをコントロールするということですから、YCCとは短期金利から10年物までの国債金利を誘導するという意味です。
マイナス金利とYCCのおかげで10年物国債まで金利がなくなってしまったので、仕方なくより長期の国債が買われた結果、20年物も30年物も金利が下落。こうして、年限が長い分のリスクを取っているにもかかわらず、低い利回りになってしまったというわけです。
さて、国債の金利は他の金利のベンチマークになります。金融機関の貸出金利は、安全資産である国債金利に貸し倒れリスクなどを加味して決められます。つまり、国債金利が下がれば貸出金利も下がるということです。
仮に、国債金利が下がったのに貸出金利を据え置いたままだと、貸出金利を下げた他の金融機関に融資案件を奪われてしまいます。逆に、貸出金利を下げすぎると貸し倒れリスクをカバーできなくなってしまいます。
均して考えれば、国債金利に上乗せした分の利益は、景気後退やコロナショックのような状況で消えてしまうので、銀行や信用金庫など貸出ビジネスをする先にとっては、国債金利は安全弁として作用するのです。
図表4をご覧ください。「貸出約定平均金利」は、銀行や信用金庫が企業や個人にお金を貸す際の金利を集計した統計です。
「新規」は当月に新しく約定(契約)した貸出、「ストック」は約定のあるすべての貸出、「総合」は貸出期間によらないすべての貸出を意味する。
(出所)日本銀行「貸出約定平均金利の推移」より筆者作成。
2000年からの推移を見ると、かつて3%あった信用金庫の貸出金利(ストック)は今や1.5%。2020年5月の新規については、信用保証のついた制度融資の影響が部分的にあるにせよ、1.23%まで下落しています。
国内銀行の貸出金利も低下を続け、2020年5月の新規は0.448%。あくまで単純計算ですが、0.5%という金利は、200ある融資案件のうち1件回収できなければ損が生じるという水準なので、いかに低い金利であるかが分かります。
低すぎる金利、多すぎるお金
金利が低いと企業の資金調達が活発になり、設備投資が増えて、景気が良くなる——初歩的なマクロ経済学では、このように解釈されます。しかし現実はそう単純ではありません。
金融機関は、金利が低すぎると利益を確保できません。また、融資が焦げ付いて不良債権が増えたり自己資本比率が低下したりすれば、今度は貸出に慎重になり、貸し渋りや貸し剥がしが生じる事態になります。
このように、金融緩和が行きすぎて貸出に支障を来すほどの低すぎる金利を「リバーサル・レート」と呼びます。リバーサル・レートは日銀の異次元緩和の副作用として懸念されてきましたが、理論だけでなく、懸念が現実のものになるかもしれません。
「それならば、金利を引き上げればいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、これもまた簡単ではありません。
金融機関は、日銀当座預金を原資に金融商品を購入します。その日銀当座預金には異次元緩和によって大量のお金がダブついているため、少しでも利回り・配当が良ければ、国債などの証券が買われやすいという状況にあります。これでは国債の金利が上がりにくくなり、低すぎる金利から抜け出しにくくなってしまいます。
金利を上方に誘導しにくいというのは厄介なものです。例えば、金利と逆相関の関係にある資産価格(株価や地価など)は、バブルほどではないにしても、実態よりも高くなりやすくなります。
また、海外と比べて金利が低いと、条件が同じなら金利収入を得られる国で運用した方が有利なため、為替レートが弱くなる(日本の通貨が売られて海外通貨が買われやすくなる)リスクが高まります。
低金利の影響は資産価格や為替レートにも及ぶ。
Blue Planet Studio/Shutterstock
では、金利はこのままずっと上がらないのでしょうか? 実はそうとも限らない兆候が見えています。
現状は、政府が発行した国債を「プライマリー・ディーラー」と呼ばれる国債市場特別参加者が購入し、それを日銀が購入するという流れになっています。実は、そのプライマリー・ディーラーの約半数は外資系金融機関なのです。
外資は格付を重視します。2020年6月、S&Pが日本国債の格付見通しを引き下げたことがニュースになりましたが、こうして格付が下がっていくと、日本国債といえどもジャンク債として高い金利を要求されることになりかねません(※2)。
もし、国債の金利が急騰したら、1000兆円の負債を抱える政府の財政は多額の利払いで苦しむことになり、今以上のペースで負債が増加することになるでしょう。
また、国債の金利が上昇すれば貸出金利などに幅広く影響します。仮に日銀が直接、国債を引き受けるなどして金利を抑え込んでも、国債の格付けは金融機関の格付けなどにも影響を及ぼします。そうなれば、海外との取引で高い金利を要求されることになるなど、さまざまなデメリットが生じてしまうのです。
以上、主に異次元緩和以降の日銀の政策を振り返ってきました。使われずに積み上がっている「お金」と、膨大な政府債務残高、低すぎる金利。2%の物価目標を達成しようと「頑張りすぎた」結果が、これまでに見てきた数字です。
異次元緩和の当初から、日銀の元理事を含む専門家からは懐疑的な意見が多かったのですが、政治に押し切られて始めた“社会実験”の結果、将来のリスクが高まってしまいました。
2%の物価目標に向けて、政府と日本銀行が共同声明(事実上の契約)を発していることもあり、日本銀行が単独で金融緩和スタンスを放棄することは政治的にも法律的にも難しいでしょう。
これほど多くの課題を抱えたまま、コロナショックという想定外の難局に突入した日本。果たして、無事に切り抜けられるのでしょうか。次回は、コロナショックに対応するために取られてきた政策や今後の展望を考えていきます。
※1 M1は、定期預金を含まないので最も流動性があり、決済に使われるお金の指標。M2は、貸出をする銀行等にある定期預金まで含んだ指標で、定期預金と普通預金のシフトもあり総合口座の貸越で決済にも使えるため、M1よりも重視されています。
主要な指標はM2とM3で、M2の方が貸出の影響を受けやすいため、景気の分析に使われることが多いです。一方で、M2にはゆうちょが含まれないため、「お金」の総量としてはM3のほうが適切と言えます。
なお、広義流動性は、M3と比較的流動性のある金融商品とのシフトまでカバーするために作られていますが、ほとんど使われていません。
※2 プライマリー・ディーラー(PD)が国債を買わないと国債の発行ができないため、財務省とPDは国債市場特別参加者会合で発行条件等をすり合わせています。PDには購入割合のノルマがありますが、三菱UFJ銀行が2016年に「コストやリスクに見合わない」とPD資格を返上したこともあり、利払いを抑えたい財務省とあくまでも営利企業であるPDとの間で緊張が続いています。
※次回は近日公開予定です。
(連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
※お金・経済・金融の仕組みなどに関して、日頃感じている疑問や悩みはありませんか? ぜひアンケートであなたの声をお聞かせください。ご記入いただいた回答は、今後の記事に活用させていただく場合がございます。
アンケートが表示されない場合はこちら
鈴木卓実:たくみ総合研究所・代表。エコノミスト、睡眠健康指導士。元日銀マン。新潟生まれ、仙台育ち。2003年、慶應義塾大学総合政策学部卒業。日本銀行にて、産業調査、金融機関モニタリング、統計作成等に従事。2018年、独立・開業。経済・金融や健康のリテラシー向上のため、セミナーや執筆等を通じて情報を発信。既存組織に属さないフットワークを活かし、ポジショントークのない活動を行う。