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「ファーウェイの次はTikTokがアメリカの標的になる」
筆者が2019年から指摘してきたことだ。ファーウェイは製造業(スマホメーカーと通信機器)で中国最初のグローバル企業となり、TikTokはサービスとして中国最初のグローバル企業になった。ハード、ソフトの違いはあるが通信に関わる事業という共通点もある。それを考えると、アリババとテンセントは中国人にユーザーの主軸を置き続けることで、摩擦を回避してきたようにも見えた。
とはいえ、今の米トランプ政権のやり方を見ると、12億人以上のユーザーを持つテンセントのメッセージアプリWeChat(微信)も、TikTokと同様に「アメリカで収集したデータの中国政府への流出の恐れがある」という理由で禁止できる。
7月末に筆者はその可能性について別の記事で言及した。実際アメリカとの対立が起きているインドは、6月下旬にTikTokなど中国59アプリを禁止したのに続き、WeChatも禁止した。
案の定、トランプ大統領は8月6日、TikTokを運営するバイトダンスだけでなくテンセントとの取り引きを禁じる大統領令に署名した。対象は企業だけでなく米国在住者全てだ。
ロイターの報道によると、アメリカでWeChatを使っている人は約300万人で、ほとんどが中国人だという。日本での利用者はもっと少ないだろうが、禁止した場合の経済的影響はアメリカより大きい。改めてWeChatと日本の産業とのつながりを示し、今後の日本政府の動きも予測してみたい。
連絡は仕事もプライベートもWeChat
中国関連の日本人ビジネスパーソンは、LINEよりWeChatでやりとりする人も多い。
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8月6日、日本の大手メーカーに務める日本人男性、市村さん(仮名)から筆者の元にWeChatでメッセージが送られてきた。
「ご無沙汰しています。今月から再び大連に赴任することになりました。今はホテルで隔離中です」
市村さんは2010年代にも3年間中国で駐在員をしており、その時にWeChatを使い始めた。この3年は東京勤務だったが、LINEは使わずじまいだった。
中国に関わる日本人ビジネスパーソンの間では、市村さんのようにSNSはWeChatしか使っていないという人は珍しくない。日本の場合、社内の連絡は企業が導入したチャットツール、取引先との連絡はメールかFacebookのメッセンジャー、そして友人間や家族とのやり取りはLINEというように相手によって連絡手段を使い分けることが一般的だ。
中国は違う。2000年代、メールより前にテンセントが提供するPC向けメッセージアプリ「QQ」が一般化し、スマホが登場するとユーザーは当たり前のようにWeChatに移行した。仕事・プライベートを問わず、そして所属機関からの公的な連絡でもWeChatが使われる。日本人であっても、中国に少しでもかすっているとWeChatがないと支障だらけなのだ。
初対面で名刺交換代わりにWeChatのアカウントを教えあうことも普通で、筆者も中国関係の知人だと、日本人であってもWeChatしか連絡先を知らない人がかなりいる。市村さんもその一人だ。
「逆壁越え」考え始めた日本人
トランプ大統領はTikTokだけでなくテンセントとの取引を禁止する大統領令に署名した。
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だからトランプ大統領がTikTokの規制に言及し、筆者が「WeChatやWeiboも対象にされるリスクがある」と指摘した際には、日本人のWeChatユーザーからかなり大きな反響があった。アメリカでの規制は、日本では他人事ではないからだ。
米政権が「ファーウェイ排除」を呼びかけると日本政府は追随し、アメリカがTikTokの禁止を表明すると、自民党の議連でも同じく検討が始まり、埼玉県や神戸市も自治体としての発信を中止した。だからアメリカがWeChatを禁止すると、日本でも禁止の検討が始まるだろう。
実際、中国とのビジネスに関わっている日本のビジネスパーソンは対策を講じ始めている。
中国食品のバイヤーをしている日本人女性はWeChatでつながっている取引先に、別の連絡先を確認し始めた。彼女は中国の取引先とWeChatでやり取りし、WeChatのタイムラインや日本のSNSで商品を宣伝、支払いにはWeChatアプリ内の決済「WeChat Pay(微信支付)」も使っているため、本当に接続できなくなったら販売モデルそのものを見直さなければならない。
関西でインバウンド関連の仕事をしている日本人男性は、WeChatとWeiboで中国人観光客に対して日本の民泊を紹介している。彼ももしものときのために、「日本で利用できる(仮想ネットワークの)VPNを調べています」という。
VPNはどの場所から接続したかを偽装でき、中国在住者の間では「壁越え」とも呼ばれる。中国政府がFacebookやTwitterをブロックしていることはよく知られているが、実際には中国在住の日本人が、「深セン情報」「中国トレンド動向」などをTwitterで発信している。彼らはVPNで壁越えしているわけだ。
だからアメリカやその同盟国などでWeChatが禁止されるとその逆パターンが起きるだろう。中国アプリが禁止されたインドでは、既にVPN業者が次々にサービスを開始している。「規制したらVPN業者が儲かるだけ」と皮肉る声もある。
爆買いで日本企業が気づいた中国SNSの威力
2015年以降、中国人の消費力を期待し、日本では中国SNSでの情報発信やモバイル決済の導入が進んだ(写真は2016年2月、東京)。
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いくら「壁越え」を模索しても、実際WeChatが禁止されれば、巨大なハレーションを産むだろう。多くの日本人が意識していなくても、それは日本の生活のあらゆるシーンに入り込んでいるからだ。
関西の中華料理店で働く日本人女性は、「アルバイトの中国人とWeChatで連絡をし、シフトも共有している」と話した。バイトの中国人たちは日常会話程度の日本語は話せるが、この日本人女性が働き始めたときには、既にWeChatでの連絡体制が定着しており、彼女もインストールして使うようになった。「できることはLINEとだいたい同じだけど、既読がつかないので、返信のプレッシャーが少ない」とメリットも感じている。
また、2015年に中国人旅行者による「爆買い」が話題となったが、「神薬」と呼ばれる小林製薬の数々の商品、何人もの中国人に購入を頼まれていつの間にか筆者も愛用するようになった花王の「めぐりズム 蒸気でホットアイマスク」、タイガーの魔法瓶……「爆買い銘柄」と呼ばれるこれらの商品はいずれも、SNSで商品を紹介する中国人インフルエンサーが人気に火をつけた。
花王やコーセーも、爆買い初期はなぜ特定の商品が突然売れ出すか分からず、売り場を調べて「中国人消費者」の影響力に気づいたという話もある。今はWeChatやアリババ系決済アプリ「アリペイ(支付宝)」、そしてミニブログWeibo(ウェイボ、微博)での情報発信とインフルエンサーの活用は日本企業が中国人消費者に訴求するための一般的な手法となっている。
WeChat禁止すれば買い物、旅行に影響
中国のモバイル決済が使える店舗は日本でも急増している。
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WeChatの利便性と価値は、2014年に決済機能「WeChat Pay」を実装したことで、さらに一段階上がった。
日本も2019年以降、各社がQRコード決済「●●ペイ」の普及に力を入れるようになった。コロナ禍でフードデリバリーやテイクアウトの需要が高まり、スマホから料理を注文するために、出前アプリにクレジットカードや銀行口座を紐づけるユーザーが増えた。筆者も週に1~2回は出前や事前決済式のテイクアウトをスマホで注文している。
中国はモバイル決済が日本より4~5年早く広がりキャッシュレス社会が到来、それをベースとしてシェア自転車、信用スコアといった「中国発イノベーション」が次々に生まれた。
日本経済は低成長時代に入って久しい。百貨店やドラッグストアはこの数年中国人消費者の爆買いの恩恵を相当受けており、WeChat Payとアリババの決済アプリ「アリペイ(支付宝)」を導入する店舗が急増した。利用していない日本人は知らないだろうが、これらのアプリは位置情報から、近くの店舗で使える割引券やサンプル引換券も配布し、来店を促している。
元々日本の店舗は、中国人旅行者の「日本は現金しか使えない店が多く不便」(中国人の国際クレジットカード所有率は高くない)との声を受けて整備されてきた。WeChatが接続できなくなれば当然WeChat Payも使えなくなる。アリペイもいつ規制の対象となってもおかしくない。とすれば、この数年の取り組みは全て水の泡になる。
中国の旅行業界関係者は「日本でWeChatが使えなくなると、旅行中の写真をタイムラインに投稿できないから行くのをやめようという人たちも出てくる」と話した。
これは2019年夏に日韓関係が悪化したとき、実際に起きたことでもある。韓国を専門とする九州のインバウンド旅行企業経営者は、「リピーター韓国人旅行者の対日感情は政治問題にはそれほど左右されないが、旅行しても写真や動画をSNSに投稿できないし、知人や同僚に隠さないといけない雰囲気なので、旅行をしづらくなっている」と当時語った。
結局は中国頼りの日本経済
コロナ禍で東京五輪が1年延期された。飲食、観光セクターは大きな打撃を受けている。
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さて、TikTokやWeChatは今後どうなるのか。アメリカはトランプ大統領のさじ加減一つという感じだが、日本では前述したように特にWeChatについては日本の産業のかなり深い部分まで入り込み、消費に貢献しているため、簡単には禁止できないだろう。
コロナ禍によって、マスクや医療物資が世界から消えたとき、私たちは中国依存の構図とリスクをいやというほど思い知った。しかしコロナが収束せず、経済活動が縛られた国は、いち早く回復に向かう中国市場で稼ぐことが、業績悪化を食い止める最短の方法となっている。2021年4月~6月決算で最終利益が黒字だったトヨタ自動車も、同期に主要スマホメーカーの中で唯一シェアを伸ばしたアップルも、中国での販売増に助けられた。
2020年前半は経済回復が進んでいる国の消費をいかに取り込むかが、各企業の明暗を分けており、後半も同様だろう。
だから筆者は、日本政府は中国アプリの禁止を「検討」しつつも、少なくとも1年は様子見を続けると予想している。
この数年、東京五輪の開催を見込んで、東京だけでなく地方都市でも高級ホテルからゲストハウスまで宿泊施設の建設ラッシュが続いていた。観光産業を救わねばならないから、コロナの感染拡大局面でも政府は「Go To トラベルキャンペーン」を強行しているわけで、東京五輪開催時には中国人消費者の購買力に期待せざるを得ないだろう。
東京五輪が来年開催されず、延期か中止に追い込まれるとしたら、日本の観光、小売り、不動産はさらに深刻な影響を受けるため、それはそれで隣国・中国の中高所得者の消費力は一層重要になる。
ファーウェイのスマホには日本メーカーの部品が多く使われており、ファーウェイは毎年日本からの調達額を発表し、自分たちの存在価値をアピールしている。2019年にはその額が1兆円を超えた。中国のメッセージアプリや決済アプリが日本に及ぼしている経済効果も、近くどこかのシンクタンクが出してくるに違いない。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。