インタビューに応じる瀬戸内寂聴さん
撮影:篠山紀信(光文社提供)
「100年近く生きてきた最晩年に、このような悲惨なことが身の回りに起こるとは、夢にも思わなかった」
コロナ禍をこう語るのは、小説家で尼僧として知られる瀬戸内寂聴さん(98)だ。太平洋戦争がはじまった今からおよそ80年前、寂聴さんは小説家を志す大学生だった。
その後、北京の師範学校に務める男性と結婚、出産。ところが戦況の悪化をうけて夫は軍隊へ。寂聴さん自身は終戦は当地で迎え、子どもと一緒に日本に引き揚げてきたという経験を持つ。
翻って戦後75年の今年、奇しくも蔓延する新型コロナウイルス感染症。「目に見えない敵」への不安は恐怖を増殖し、感染者や医療従事者、感染拡大地域の人への心無い差別が投げつけられた。ウイルス禍は、人間の闇の部分を顕在化させた面もある。
激動の時代を生きた寂聴さんは、今を生きる世代に「思いやりを持っているということが、人間として一番大切なこと」と説く。
寂聴さんの秘書・瀬尾まなほさんとともに、激動の時代を生き抜いた体験と不安な時代を生きる心構えを寂聴さんに聞いた。(※対談は瀬戸内寂聴・瀬尾まなほ『寂聴先生、コロナ時代の「私たちの生き方」教えてください』刊行のため2020年6月に実施。Business Insider JapanはZoomで同席した)
21歳で結婚、北京で出産「助けてくれる人は、必ずいる」
対談する瀬尾まなほさん(左)と瀬戸内寂聴さん
Business Insider Japan(Zoom画面より)
瀬尾:私は2019年12月に出産したばかりなので、まずは妊婦の立場としてお尋ねしたいのですが、いま妊婦さんは立ち会い出産が許されていないんですね。無事に生まれた後も、家族や祖父母のお見舞いが許されていない。
帰宅すれば赤ちゃんと家族で過ごせるけど、それまで妊婦さんは「ひとりで産まなくてはいけない」という不安を抱えていると思うんです。先生はそんな妊婦さんにどんな言葉をかけてあげますか。
寂聴:私は結婚してすぐに北京に行ったでしょう。そしてすぐ妊娠して子どもを生んだ。1944(昭和19)年8月1日。いま思うとよくひとりで産んだなと。言葉もよくわからないし、夫にとっても初めての子供だから、互いにどうしていいかわからなかったし。
瀬尾:不安だったでしょうね。
寂聴:21歳の結婚で若かったから、それほど深刻にならずに済んだけれどね。日本で買った『婦人之友』を読んで、そこに書いてある通りの寸法で赤ちゃんの下着から産着まで、自分で作りました。
でも、新生児を見たことがないから、そのとおりにつくるとあまりに小さくて、まさか、人間だもの、こんなに小さいわけはないだろうと、ちょっとずつ大きくしていったのね。
そうしたら、中国では「アマ」というお手伝いさんを雇うのが一般的だったんだけど、そのアマが「いったいどんな大きな子を産むつもりなんですか!」って(笑)。
まあ、私のように何も知らなくてもちゃんと子どもは産めるし、助けてくれる人はいるんですよ。人間はどんな環境下でも、なんとかやっていけます。
瀬尾:北京の病院で出産されたんですか。
寂聴:シイタン(西単)の中程の路地裏に町田医院という、和歌山出身の日本人院長先生がいる産院があったの。産気づいてから、夫と二人でヤンチョ(人力車)に乗って行きました。
空を仰いだら星がいっぱい出ていて、すごく綺麗だなと思った記憶がある。その明け方、ケロッと生まれましたよ。うちは安産のたちで、母も姉も安産だったらしい。だからあまり苦しかったという記憶はない。
1940年代の北京市内。
Hulton Archive/Getty Images
終戦直前に夫は軍隊へ。着物を売ってお金をつくった。
Business Insider Japan(Zoom画面より)
瀬尾:先生が人生で一番怖かったことはなんですか。
寂聴:主人が北京で応召されて、生まれたばかりの赤ん坊と残されたでしょう。
それで私と同じように北京で召集された妻と男の子と私と赤ん坊の4人で、その方の家に世話になって住んでいたんです。
あとは16歳のアマが通いで来てくれた。それまで人の家ばかり居候していたから、戸締まりは家主の仕事で、自分でしたことはなかったの。
だけど何が来るかわからないから、門の戸をしっかり閉めたりね。そのときはちょっとこれはどうしようかと思ったわね。
お金は持っていたんですよ。北京に渡る前、母が「これはお金になるから」と、日本の着物を行李(こうり。編みカゴの一種)に3つくらい詰めてくれたんです。それを中国人に売ったのね。だからお金はあった。その現金を畳の下に敷いて隠してね。
当分の間はやっていけると思っていたから、気持ちは楽だったんだけど、とにかく知らない街で誰が襲ってくるかわからないという恐怖は、いまもありありと覚えていますね。
朝日新聞1945年8月15日東京本社版・朝刊
Business Insider Japan
瀬尾:心の拠り所は?
寂聴:そのときは信仰も何もなかったからね。子供を守らなきゃいけないというだけだった。今更そんなことを子供に言ったところで……。
瀬尾:覚えていないでしょうね。小さかったから。
時代でルールは変わる。変わるから生きていける。
Business Insider Japan(Zoom画面より)
瀬尾:新型コロナのせいで、今夏に留学に行くはずがいけなくなったとか、甲子園に出場できなくいなったとか、子どもたちの夢が無残にも壊されています。
寂聴:可哀想ね。
瀬尾:特にチャンスが今年だけだった場合、「来年があるさ」ともいえないわけで、親としてなんと慰めたらいいのですか。
寂聴:それは親の力では慰められないわね。世の中がそういうふうになったんだから、運が悪かったとしか言いようがない。「思い通りにならないのが人生だ」と教えてあげることよ。
みんな思い通りにならない中を懸命に七転八倒しながら生きてきて、ちゃんと自分の思いを果たしているんだから、こんなことで悲観することはないんだと。
瀬尾:日本どころか世界中で、「今年のチャンス」を失った人がいる。
寂聴:コロナ禍に巡り合って、一見不幸に見えるけど、こんな時代に生きたということは後々大きな財産になるんです。「不幸」はときに将来のための経験になるというか。
私も100年近く生きてきて、「あんな思い、しなきゃよかった」と思うのではなく、「あんな思いをしたから、いまがある」という気がするわね。いいんですよ、そういう目に遭うのは。悔しかったり悲しかったり失望したり幻滅したりして、たくさん涙を流したほうが幸せになると思う。
「この夢」はなくなってしまうかもしれないけれど、絶対にもうひとつ「違う夢」が、生まれてくるから。我々には思いもかけない夢がね。人間はそうやって生きているんです。
いま我々はこれが素晴らしいと思っているけど、次の時代も同じように素晴らしいとは思われていないじゃない?結婚制度しかり、恋愛のルールしかり。なんでも変わるんです。変わるから生きていかれるのね。
ただし、その変わり方だわね。よく変わるかもしれないけど、もしかしたら悪く変わるかもしれない。そこが怖いですね。
瀬尾:今回のコロナがすごく大きな変わり目だということですか。
瀬尾まなほ撮影(光文社提供)
寂聴:それはそうよ。私が100年生きてきて、戦う相手と戦えないというのは初めてですよ。早くノーベル賞級の学者がちゃんと説明してくれたら良いんでだけどね。新型コロナをやっつけられる科学的な力、薬とか医学の方法を早く見つけてほしい。
瀬尾:先生には「これはやっておけばよかった」という経験がありますか?
寂聴:私は今夜死ぬかもしれない。この歳になったら、死ぬのは怖くもなんともないんです。いつ死んでもいいと思っている。
時々、自分自身を振り返るんだけど、これだけしたいことをしたらもう良いやと思いますね。あれをやっておけばよかった、なんてことはない。食べたいものは食べたし、飲みたいものは飲んだし、着たいものは着た。
瀬尾:自分のしたいことをするって、生きていくエネルギーになりますか。
寂聴:私は小説が好きだし、小説を書かなかったらこんな生活はしなかった。好きなことをして死ぬんだから、まあ良かったと思います。
だけど、自分が好きなことをするために、いろんな人を犠牲にしているからね。犠牲にしようと思ってしたわけではないけれど……。娘なんかそうだわね。小さい時に捨てられて。
瀬尾:好きなことをして生きるって、自分の欲や業に正直になるということなのかなと思うんですけど。
寂聴:正直といえばそうだけど、つまりは勝手でわがままですよね。やっぱり生きていく中では辛抱しなきゃいけないこともあるでしょう。右に行きたいけれど、右に行くのは誰かを傷つけると思って左に行くとかね。そういうのが人生で何度もあるんじゃないかしら。
瀬尾:そうか。普通の人は自分のことだけ考えて生きることをなかなか選択できないとは思うんですが、それでも自分の心に正直になることはいいことですか。時にこういう危機的な状況では。
寂聴:「あの人は自分の心に正直ね」なんて言われている人にろくな人いないですよ(笑)。こうしたいけど、これをしたら心が痛む人がいるとか、不幸になる人がいる。それでも私はするんだと言ってすることがありますよね。それはするほうが悪い。自分がすることで誰かが不幸になったり心を痛めたりするのは、やっぱり悪いわね。
「人間の英知のすべてをかけて」
撮影:篠山紀信(光文社提供)
100年近く生きてきた最晩年に
このような悲惨なことが身の回りに起こるとは、夢にも思わなかった。
あの酷い戦争と匹敵するくらいの大事件である。
私の生まれた二年前にスペイン風邪という感染症が世界を駆け巡った。
婚約者をスペイン風邪に奪われた女性が母の友人にいて、訪れる度に泣いていたのを幼いながら覚えている。
人をそれほど不幸にする病気があるということが、心に刻みつけられたが、自分の生きている間にそんなに恐ろしい病気がふたたび身の回りにせまっているなどとは想像も出来なかった。
あれから世の中はあらゆる点で予想もつかないほど進歩している。それなのに、こんないまわしい病気を防ぎ切ることも出来ないとは ——。
人間の英知のすべてをかけて一日も早くこの怪物を退治してしまわなければ ——。しかし、人間の英知は必ずこういうウイルスを退治する力を持つだろう。
2020年7月 瀬戸内寂聴
※瀬戸内寂聴・瀬尾まなほ『寂聴先生、コロナ時代の「私たちの生き方」教えてください』(光文社刊)より一部抜粋、編集しました。
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