7月25日、インド洋の島国・モーリシャス沖で日本船籍タンカーの座礁事故が発生。透き通るブルーの海に、流れ出した重油の黒い膜が広がった。
French Army command / Handout via REUTERS
「You can take the people from the island, but you cannot take the island from the people」
(島を人が出たとしても、その人と島のつながりは続く)
インド洋の島国、モーリシャスでよく使われる言葉だという。約125万人が暮らす、モーリシャス。東京都と同程度の面積を有する小さな国だ。世界有数の生物多様性を誇る海には、希少なマングローブやサンゴ礁があり、カメや魚など1700種が生息している。人びとの生活も、海と深くつながっている。
モーリシャスで生まれ育った、ノースカロライナ州立大学の海洋科学の専門家のシンディ・レブランス氏はこう話す。
「モーリシャスの人にとっては、海がすべて。海の近くで生まれ育ち、海と共に生きてきている。海は、自然との深いつながりを感じられる存在でもあり、生業を支えてくれる存在でもある。国の経済に不可欠な観光業と漁業も、海に支えられている。未曾有の環境災害に、人々は心を痛めている」
生態系だけでなく住民の生活・健康へも影響
座礁したのは、商船三井がチャーターして航行させていた貨物船だった。8月15日、亀裂が入っていた座礁船は2つに分断した。
Reuben Pillay / REUTERS
事故は7月25日に起きた。商船三井が運航する貨物船「WAKASHIO」がモーリシャス沖で座礁、1000トン以上の重油が流出した。透き通った美しい海に広がる、大きな黒い濁りは、世界に衝撃を与えた。国際的に重要な湿地の保全を定めるラムサール条約に登録された、ブルーベイ国立公園への重油の到達も確認された。
モーリシャスの首相は環境緊急事態宣言を発令、フランス、日本、国連などからの国際的な支援が送られている。
Reuben Pillay / REUTERS
モーリシャスのプラビン・ジャグナット首相は、8月7日に環境緊急事態宣言を出し、国際支援を要請した。フランス、日本、国連の専門家チームが現地入りしている。
9日には、座礁した船を所有する長鋪汽船と、運航する商船三井が会見し、約1000トンの重油が流出した可能性が明らかになった。船からのさらなる油の流出が懸念される中、ジャグナット首相は12日、船内に残っていた、燃料の大半を回収したと発表。しかし、既に流出した重油の回収の目途は、立っていない。
「重油から出た化合物は、生態系の基盤となっているサンゴ礁、マングローブや海草を死滅させる可能性がある。希少なサンゴ礁や植物が織りなす環境が、モーリシャス特有の生物多様性につながっている。
また、気候変動で気温や海面の上昇がみられる中、海草は、波による海岸の浸食も防いでいる。生態系はすべてつながっており、人びとの経済、食糧、健康ともつながっているので、重油流出の影響がこれからどう連鎖するか、非常に危惧している」
と、レブランス氏は強調する。
観光業や漁業に支えられているモーリシャスの経済。観光業はGDPの2割近くも占めている。新型コロナウイルスの影響で、3月から国際線の運航を停止し、現在も入国を規制。コロナ危機で観光業を中心とする経済への打撃が深刻な中、訪れた環境危機。観光資源でもある海は、元の姿に戻るのか。漁業はこれまで通り、営めるのか。将来への不安が募っている。
遅れた対応。問われる政府と企業の責任
海への被害を軽減しようと、多くの住民がサトウキビやプラスチックのボトルを使って、重油回収のボランティア活動に当たったが…。
Reuben Pillay / REUTERS
実は、船が座礁した7月25日から、重油の流出が始まるまで約2週間もの期間があった。その間、離礁作業はすぐ行われていたということだが、燃料の回収は行われなかった。重油流出のリスクの判断や回収に至らなかった経緯は、不明のままだ。
またなぜそれほど、船は浅瀬に進んでしまったのか。地元紙では、一部の船員たちが捜査当局の調べに対して、Wi-Fi環境を求めて陸地に近づいた話していると報じられている。事実であれば、貨物船側の責任が厳しく問われることになり、今後モーリシャス政府や船の所有会社・運航会社による原因究明が求められている。
モーリシャスのジャグナット首相は8月12日、船を所有する長鋪汽船に対し、環境被害などへ賠償請求をする方針を明らかにした。長鋪汽船は13日に、コメントを発表している。
「当事者としましての責任を痛感しており、賠償については適用される法に基づき誠意を持って対応させていただくつもりです。モーリシャスの皆様や関係者の皆様に大変ご迷惑をおかけしており申し訳ございません。引き続き流出油の回収、環境汚染への影響を最小限に抑えるべく、全力で取り組んでまいります」
前出のレブランス氏は、こう話す。
「まずは既に流出している重油の回収が急務。住民も自ら、サトウキビなどの身近なものを使って、なんとか油回収をしようとしている。回収に加えて、事故による環境への影響の調査も、非常に重要。モーリシャス1国だけでは、調査に必要な資金、機材、人的資源をまかなえないので、国際支援が必ず必要だ」
モーリシャスの生態系は人びとの生業、そして生きがいに直接つながっている。事故が環境問題にとどまらず、社会・経済問題へと広がっていく中、モーリシャス政府と船舶を所有・運航する日本企業には原因究明、環境への影響の調査、そして被害回復への支援が求められている。
※記事は個人の見解で、所属組織のものではありません。
(文・大倉瑶子)
大倉瑶子:米系国際NGOのMercy Corpsで、官民学の洪水防災プロジェクト(Zurich Flood Resilience Alliance)のアジア統括。職員6000人のうち唯一の日本人として、防災や気候変動の問題に取り組む。慶應義塾大学法学部卒業、テレビ朝日報道局に勤務。東日本大震災の取材を通して、防災分野に興味を持ち、ハーバード大学大学院で公共政策修士号取得。UNICEFネパール事務所、マサチューセッツ工科大学(MIT)のUrban Risk Lab、ミャンマーの防災専門NGOを経て、現職。インドネシア・ジャカルタ在住。