【シナモンAI・平野未来1】日本のDX阻む「8割の壁」を崩す。人間しかできない仕事に集中するために

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撮影:伊藤圭

その日も平野未来(36)は、壇上で切れ味のよいトークを展開していた。

2020年2月、新型コロナ感染症の影響でイベントが軒並みオンラインに切り替わっていく直前に東京・港区で開かれた、人工知能(AI)スタートアップ「シナモン」(以下、シナモンAI)主催のビジネスセミナー「Future of AI〜最先端AIが拓くビジネスの未来〜」。

平野が代表取締役社長CEOを務めるシナモンAIは、ベトナムなどに拠点を持つAIプロダクト・コンサルティング開発のスタートアップだ。

Future of AI

2020年2月に行われたビジネスセミナーで、平野はAI研究の最先端を担う人たちと議論を交わした。

提供:シナモン

このイベントにゲスト講師として登壇していたのは、ソニーコンピュータサイエンス研究所社長の北野宏明、楽天執行役員で前楽天技術研究所代表の森正弥ら、AI研究をリードする人物ばかり。ディスカッションでは平野自らもパネリストを務めながら、時折会場に向かって質問を投げかけ、座を温める役割にも徹していた。そんなひとコマから、経営者としてだけでなく、AIビジネスをリードする立場としての風格が彼女に備わっていると感じられた。

私はセミナーでの光景を眺めながら、3年前を思い出していた。

2017年4月、デロイトトーマツベンチャーサポートと野村証券が主催しているスタートアップのプレゼンイベント「モーニングピッチ」で、平野はAIビジネス業界への鮮烈なデビューを果たした。トップバッターとして登壇した彼女は、10分間の持ち時間をフルに生かし、「ベトナムに開発拠点を置くAI頭脳集団ここにあり」と聴衆に印象付けた。

終了後、彼女の前には名刺交換の長蛇の列ができていた。まさにあの時のピッチが文字通りの「AIビジネス業界へのデビュー」だったことは、今回のインタビューで明らかになった。事業の軸足をAIコンサル・プロダクト開発に移す過程での苦労話は、連載3回目で詳しく述べる。

着まわし10着に加わったスーツ

チャキチャキした語り口は当時から変わりないが、3年前と大きく違うのは、彼女がビジネススーツを身にまとうようになったことだ。冒頭のビジネスセミナーで着ていたのは、濃いグレーの襟付きのスーツ。ある意味で地味だが、逆に、新鮮に映った。

なぜなら、以前彼女にインタビューした際は、柄物のカジュアルシックなワンピース姿で現れ、こう明かしていたからだ。

「私の仕事は『これがイイ!』と思ったらすぐ動くスピードが命。だから私的な決断の数は極力少なくしたい。服はワンピースなどを10着だけ。自分に合う色をカラー診断して厳選したものだけを着まわしています」

今年のセミナーでのスーツ姿の理由を聞くと、平野は照れ臭そうにこう話した。

「いまは着回す10着に堅い服が加わって。金融機関ほか、堅めのクライアントが増えたことでスーツを着るようになりました。前よりも洋服を選ぶのが大変になった、っていうのはありますね(笑)」

シナモンAIは、2019年から2020年にかけて、売り上げ規模は3倍に急拡大している。顧客は第一生命、日本生命、トヨタをはじめ、大企業が大きなウエイトを占めるようになった。

2019年秋、経営の経験が豊富な加治慶光・元アクセンチュアCMI(チーフ・マーケティング・イノベーター)が同社の会長に就任。社外取締役にはイベントに登壇していた北野や、高野真リンクタイズ会長兼Forbes JAPAN発行人らも名を連ねる。

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撮影:伊藤圭

2020年4月、同社は株式と銀行融資合計で、13億円の資金調達が完了したと発表。実際は3月末の時点で目処がついていたのだが、コロナの感染拡大で世の中の緊迫感が増す時期だったため発表は控え、リリースのタイミングを後ろにずらしたという。財政基盤を拡充した今、上場も視野に入れながらビジネスを加速させる。

「起業家以外の働き方はほとんどしたことがないし、私、起業家しかできないなと思うので、学生時代からからこの道を選べたというのは、ラッキーでした」

彼女の特徴は、学生起業家からスタートしている点。そしてもう1点は、常に時代の波を捉えながら、次々とビジネスを仕掛けてきたシリアルアントレプレナー(連続起業家)であるということだ。平野は1社目を創業してからすでに14年経過しており、経営者としてはベテランの域に達している。

彼女は2020年1月から内閣府税制調査会特別委員に、この4月からは内閣官房IT総合戦略室という、いわば日本の国全体のCIO(最高情報責任者)的な組織の本部員に任命されている。

企業内データの8割は「非構造データ」

シナモンAIがミッションに掲げるのは、「世の中のあらゆる面倒な仕事をなくして、ホワイトカラーの生産性を真の意味で向上させること」。曇りのない眼差しで、平野はこう語る。

「AIができることはAIに任せ、人間は人間らしい仕事だけをする。人とAIとが共存共栄して、誰もが自分のやりたいことに集中できる世界をつくりたい」

彼女たちが目指す世界は、機械やシステムに人が合わせるのではなく、人の動きにシステムが合わせる「デジタルトランスフォーメーション(DX)」。つくり出すのは、端的に言えば「非構造化データを理解するAI」だ。

企業においてDXがうまく進まない理由は、「企業内に存在するデータの8割は、非構造データだから」と平野は言う。昨今、業務を自動化するRPA(Robotic Process Automation)が注目されているが、「残りの非構造データは、やっぱり人間がなんとかしないといけない」と指摘。8割を占める非構造データを構造化することこそが真のDXと位置付ける。彼女らの歩みは、この「8割の壁」を突き崩す挑戦なのだ。

ちなみに企業内の「非構造データ」とは、具体的には手書きの文書、パワポ資料、メールやチャット、電話、テレビ会議などでのやりとり……といった、データとして後から容易に参照できる形でまとまっていない情報のこと。

「これらをAIが読み取り、デジタルデータ化して、分析と提案までできるようにするんです。そうすれば、従来のように決められたフォーマットに従って人が売上高を入力したり報告書を作成したりする作業は不要になります」

平野は具体的な取り組みとして、ある証券会社の事例を引く。

2000人の営業マンを擁する大企業。一人ひとりがかける営業コールは、1日何十件にも上る。けれども、営業部門を統括するマネジャーはすべての営業マンの横についてアドバイスはできない。

そこでまず、営業通話をテキスト化する「デジタイズ」を行い、次に、各通話の中身を分類する情報の「構造化」をする。

そうすると1回の通話が10分間とした時、最初の2分は雑談をして、次の2分は最近のマーケット情勢を説明。残りの時間は提案と注文の手続きに充てている、という具合に営業電話の時間配分が一目瞭然となる。すると、成績のいい営業マンは何に時間を割いているか具体的な傾向が見えてきて、成績の悪い営業マンとの差が見えてくる。マネジャーは、具体的なエビデンスに基づいたアクションを各営業マンに提示できるという。

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撮影:伊藤圭

シナモンAIの取引実績は、2017年以降50社以上にのぼる。顧客のほとんどが日本企業。特に金融や製造など比較的トラディショナルな業界からの需要が増している。

平野の中には「8割の壁」が最も突きつけられているのは日本だという実感がある。無駄な仕事が多い割に、AIの導入が進んでいないからだ。2019年、日本オラクルが発表した世界10カ国・地域の企業のAI利用状況調査では、日本の職場におけるAIの利用率は29%と、最下位だった。逆に日本は、AIによる自動化のポテンシャルが突出して高い国、という見方もできる。

「私たちは、音声認識して業務を効率化するといった、デジタイズの要素技術を提供するだけで止まってはいません。AIが具体的な行動や業務効率改善に結びつける読み解きをし、理解を深めて、その知見を人に提供するレベルに持っていく。日々の開発の中で創り上げているのは、とてつもなく利口なAIですね。そうすると、不正取引なんかも日々の情報の中から検知できるようになりますよ」

平野は付け加える。こうした人とAIとの共生による最大のメリットは、人がよりクリエイティブな仕事に従事できるようになることだと。

次回は開発の原動力を探る。拠点を置くベトナムに驚くほどの天才エンジニアたちが集積しているからだ。

(敬称略、明日に続く)

(文・古川雅子、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)


古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。

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