撮影:伊藤圭
AIスタートアップ「シナモン」(以下、シナモンAI)代表取締役社長CEOの平野未来(36)は、コンピュータサイエンスを専門とするエンジニア。その目は、世界を捉えている。現在は東京、ハノイ、ホーチミン、台北の3カ国4都市に事務所を構えている。
2012年、平野は28歳の時に、今の事業の前身となる「スパイシー シナモン」をシンガポールで創業した。当初、主軸としていたのは写真チャットアプリ「Koala」のアプリ開発販売事業。早くから開発拠点をベトナムに置き、2015年には同国に「人工知能ラボ」を設立した。今ではここに、約100人もの「天才級の」(平野)ベトナム人エンジニアが在籍している。
「今ベトナムでAI企業と言えば、一番に我が社の名前が上がるようになったんですよ」
いつも口角をキュッと上げてチャキチャキと話す平野は、こう言うと口元をふっと緩めた。
入り浸った匿名チャットコミュニティ
平野は1984年、弁護士の父と不動産関連会社を経営する母のもと、東京に生まれる。
テクノロジーに目覚めた原点は2つある。一つは“飛行機”だ。
「家族で海外旅行に行くと、空港でずっと飛行機を見ているような少女でしたね」(平野)
もう一つが“インターネット”。Eメール、チャット、mixi……と、ウェブサービスの進化を見続けてきた。高校時代は毎日、「2ちゃんねるの前身みたいな匿名チャット」に入り浸っていた。
「学校にあんまり友達がいなかったし、知らない人が集まるコミュニティで交流するのが楽しかったんです」
と平野は振り返る。
高校1年の時、「パイロットになりたい」と思い立つ。進路指導の第一希望の欄にパイロットの養成機関である「航空大学校」と記したが、パイロットの応募要項を調べてみると、身長163センチ以上とある。150センチと小柄な平野は、泣く泣く断念。「だったら、昔から好きだった飛行機やロケットの機体を作りたい!」と、大学はソフトウェア開発の学びにつながるお茶の水大学情報科学科に進んだ。
大学では、プログラミングに目覚める。その頃は、携帯電話の「着メロ」が流行り始めた時期。GREEやmixiといったSNSサービスにも心が揺り動かされた。
「スゴイ! 私もこんなサービスを作れる人になりたい」と開発にのめり込む。
起業家への道開いた未踏プロジェクト
2005年、2006年の2度にわたり、「未踏ソフトウェア創造事業」(現在の「未踏IT人材発掘・育成事業」)に選ばれる。IT系人材発掘のために経済産業省の外郭団体が個人に資金援助する、若きエンジニアの登竜門となるプロジェクトで、採択されると「スーパークリエイター」に認定される。
「未踏ソフトウェア創造事業」プロジェクトに選ばれたメンバーと。エンジニアとして、プロダクト開発や起業への希望に満ち溢れていた。後列右から2番目が堀田創さん。
提供:シナモン
同プロジェクトで出会ったのが、当時慶應大学大学院修士課程にいた堀田創(現・シナモンAI 執行役員Futurist、37)。未踏の担当プロジェクトマネジャーは現在、シナモンAIの社外取締役も務める、ソニーコンピュータサイエンス研究所社長の北野宏明。平野にとって、このプロジェクトが起業家へと踏み出す大きな足掛かりとなった。
平野は東大大学院に在籍していた2006年、堀田とともに、モバイルテクノロジーを強みとする「ネイキッドテクノロジー」を創業する。未踏プロジェクトで開発費として補助された2500万円を起業の原資に充てた。
折しもスマートフォンの波が押し寄せた時期。同社では今のTwitterのような、一言日記を書けるSNSサービスなどを開発。さらに、HTMLを書くだけでスマホとガラケー両方のアプリを開発できるミドルウェアを売り出したところ、当時スマホ対応の技術と人材を求めていたmixiの目に留まり、売却の話が持ち上がった。
ネイキッドテクノロジーをmixiに売却したのは2011年。翌年、この売却資金を元手に、シンガポール法人として「スパイシー シナモン」を設立した。平野と堀田の共同創業としては2社目となる。
立ち寄ったベトナムで出会った天才たち
平野自身は「女性のグローバル起業家」としてメディアで華々しく紹介されていたが、アプリ事業の方はリリースした約10本の、いずれもがうまくいかなかった。
一方で、連載1回目で伝えたように、AIビジネスに切り替えてからの「シナモンAI」の躍進ぶりは目覚ましい。早くからベトナムに目をつけ、現地に「人工知能ラボ」を開設してAI開発者の頭脳を集積させていたことが、今の競争力に結びついた。AIの高度な技術力を持ちながら、企業の需要に応じてスピーディーな開発を比較的安価にできる体制ができ上がっていたからだ。
同ラボは現在、シナモンAIの開発を推し進める一大拠点になっている。
「私たちは2016年から2017年にかけて、顧客のニーズを捉えて『今こそ、AIビジネスにピボットしよう!』と経営判断したわけですが、いきなり猛ダッシュで開発を進められたのは、その時点で既に優秀なベトナム人エンジニアたちの存在があったから。この時は時代の波に乗れたんです」
2012年に平野がベトナムに「分け入った」頃は、AIブームはまだそのとば口に立ったばかりだった。
世界が注目するアジアのIT開発人材の集積地として真っ先に挙げられていたのは、インドや韓国だった。実は平野のベトナム行きは、「(法人を作った)シンガポールに移住する前に、アジアのいろんな国で、ちょっとユーザーリサーチでもしてこよう」ぐらいのノリだった。
ビジネスをアジアで展開しようとシンガポールに法人を置き、アジア各国でのリサーチを始めた矢先、ベトナムで多くの優秀な人材に出会った。
提供:シナモン
たまたま最初に訪れたのがベトナム。すると彼女は驚いた。同国には若い数学の天才が大勢いて、ソフトウェア人材の層が分厚いことを発見したからだ。
「ネイキッドテクノロジーの時に、日本人のエンジニアを採用する際に使っていたプログラミングのテストがあって。日本人の応募者の1割ぐらいしか答えられなかった問題をベトナム人のプログラマーに出してみたら、全員普通にサーっと一瞬で解いてきて、これはすごい!と」
平野はちょっと立ち寄るつもりが、それから1年間ベトナムに滞在することになった。まずは、人脈作りから開始。地道に開発チーム作りに励んだ。優秀なエンジニアが集まるコミュニティに入り込んでは、「チームに参加してみない?」と直接口説いてまわった。
「学生時代はバックパッカーで50カ国回っていましたから、ゼロからコネを作っていくのは得意なんです。私の場合、ニーズをつかむために、肌で感じる『生の情報』にどれだけ触れられるかを重視します。まずは自分がその国に飛び込む。情報量は、ネットで得る情報の何十倍にも相当すると思うんですよね」
AIの「棟梁」クラスが100人以上
お国柄の違いもあり、「ちゃんと仕事をしてもらえる集団」に仕立て上げるまでには試行錯誤があった。ラボの開設前はアウトソーシング会社からの派遣で人を集めたところ、納期に関係なく定時で帰る人が続出。仕事にならず、チーム全員を解雇した経験もある。
シナモンAIが採用するのは、ハノイ国家工科大学とハノイ工科大学を中心とした学生や卒業生たち。日本でいう東大、東工大のトップ学生、大学院生のレベルなのだという。
少子高齢化が進む日本と違い、ベトナムは20代の人口が日本の倍近くいる。国として、早くからコンピュータサイエンスの人材の育成に力を入れており、理工系の学生の3割近くがコンピュータサイエンスを専攻。機械工学系のウエイトが高い日本とは比べ物にならない程、ベトナムのAI人材の層は厚い。
現在、ラボに勤務するベトナム人スタッフが160人ほどのうち、100人以上が「AIリサーチャー」と呼ばれるスペシャリスト。冒頭で「天才級の」と形容したのは、この「AIリサーチャー」を指す。
世間一般で「AIエンジニア」といえば、ディープラーニングの既存のソースコードを使える人材を指す。それに対してシナモンAIが積極的に採用している「AIリサーチャー」とは、論文を理解し、アルゴリズムをゼロから組める人を指す。
平野は内閣府の資料を引き、一般的な「AIエンジニア」と比べて「AIリサーチャー」がどのぐらい希少な人材なのかを示した。政府がAI人材の基盤を確保する上で理想的な人数として弾き出した「先端IT人材」のうち、「A Iエンジニア」に相当する層が数千人規模。「AIリサーチャー」に相当するのはピラミッドの頂点に位置づけられる「棟梁クラス」であり、全国で年間200人ほど追加での育成が急務だと内閣府の会議で提言されている。
シナモンAIでは、その「棟梁クラス」が1社だけで100人確保できているという。凄まじい頭脳集団であることが窺い知れる。
撮影:伊藤圭
選りすぐりのエンジニアを確保するため、同社は長期に渡るインターンシッププログラムに注力。CTO(現Futurist)としてベトナムのラボを率いる堀田は、難易度の高さをこう解説する。
「応募者には毎回、高度な数学とコンピューターサイエンスの試験を課します。難易度は、東大の理系大学院の院試レベルは軽く超えています」
高レベルの試験を突破した人がまず、叩き込まれるのは、AI開発に必要な数学の基礎である。半年間、給料をもらいながら、同社のラボでビジネス特化型のAIスペシャリスト育成のためのトレーニングを受ける。折々に難しい課題も与えられる。ちなみに、2019年頭に始まったプログラムでは、半年後に修了証を手にできたのは、わずか8人だった。
2019年は台湾にも拠点を作って、20人ほどAI人材を採用した。
「今後、事業を拡大していくにあたって、AI人材を採用・育成していく仕組みができ上がっています。人材こそが、当社の強みになっていますね」(平野)
こうして今は時代の波頭をつかんだ彼女だが、過去に2度、大きな失敗を経験しているという。それをどう乗り越え、どんな教訓を得たかについては、次回に譲る。
(敬称略、明日に続く)
(文・古川雅子、写真・伊藤圭)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。