撮影:伊藤圭
ザンクトガレン シンポジウム「LEADERS OF TOMORROW」、Forbesジャパン「起業家ランキング2020」BEST10、ウーマン・オブ・ザ・イヤー2019といった、国内外の数々の賞を受けてきた「シナモンAI」CEOの平野未来(36)は、起業家として、キラキラしたキャリアを築いてきたように見える。
でも振り返れば、累々と続く失敗の山……。
平野は、正直に実感を語る。
「私の起業家人生は、全然キラキラなんかしていない。失敗も財産という側面もあるけれど、それにしても大きな勉強代を支払った、という感じです」
これまでに2度、痛みを伴う大きな失敗を経験しているという。
1度目は、東大大学院生の時に初めて起業した「ネイキッドテクノロジー」の時。
2度目は、シンガポールで創業した「シナモン」で当初展開していた、ビジュアルなプライベートコミュニケーションサービス事業の時だ。
技術からビジネスを発想した失敗
実は2012年、学生時代に起業した「ネイキッドテクノロジー」で最初に手がけていたのは、人工知能(AI)を使ったサービスだった。
平野は、共同創業者の堀田創(37、現・シナモンAI 執行役員Futurist)とともに「SNSマーケティングエンジン」を開発。これは、国のIT系人材発掘プロジェクトに応募(後に2人は「未踏スーパークリエイター」に認定される)するため平野と堀田が時間をかけて研究開発してきた入魂のテクノロジーであり、起業後に発展させたものだ。人と人との相関関係をウェブ上の友人関係やコミュニティによって分析する「ソーシャルグラフ(人間関係図)」技術の先駆けで、今でいう人工知能によるビッグデータ分析の技術を使っている。
にもかかわらず、「それがさっぱり売れなかった」と平野はあっけらかんと言う。
「3年近く研究開発に時間をかけてリリースしたものが、蓋を開けてみたら誰も使ってくれないという感じだったんです。今でこそ、Facebookだったり、Twitterだったりに、友人情報がレコメンド情報として使われているのは普通ですよね? 私たちは当時から、そういうことがしたいと考えて、SNS向けのレコメンデーションエンジンとして完成させたわけですが、かなり早すぎましたね。ビジネスにタイミングは大事なんだなと理解しました」(平野)
せっかく時間をかけて作ったものが、起業初期のタイミングでお蔵入りになってしまった。平野はこの1度目の大きな失敗を、こう分析している。
「スタートアップなのに、開発に3年も費やすなんて、今考えると何やっていたんだろうと。私たちは大きな時間を失ったわけです。私たちはともにエンジニア出身というのもあって、技術からビジネスを発想してしまったわけです。『こんなに素晴らしい技術を作れば、みんなが使ってくれるに違いない』と」
登る山がないのに費やした無駄な努力
AI事業にシフト後、2017年に取材した時の堀田創さん(左)、平野さん。右は2016年から経営陣に合流した、COOの家田佳明さん。
撮影:今村拓馬
2度目の失敗へと話を移す。これは比較的直近に起こった、平野にとっては悪夢のような「人生最大の失敗だった」という。
平野は28歳の時に、ベトナムのカフェで「これからは、ビジュアルなプライベートコミュニケーションのサービスが求められる」と思いついた。この構想が、シナモンAIで最初に展開した写真チャットアプリ「Koala」の事業につながった。
シナモンを起業した2012年当時は、スマートフォンが爆発的に普及し始め、日本ではLINEでのコミュニケーションが一般的になりつつあるタイミングだった。
「当時私たちが始めた『Koala』ビジネスは、Instagramのアジア版みたいなもの。スマホにいいカメラが付いて、かつ、大きなディスプレイが付いているんだったら、コミュニケーションというものが、これからはどんどんビジュアル系になるなと思ったんです」
その先読み自体は、ドンピシャに合っていた。ただ1点、平野が読み間違えたのは、ターゲットをアジアに絞り込んでいたことだ。
「結果的に言語の壁のない写真や動画のサービスは、アジア特有の市場はなかったということで。その後、みんながSnapchatだとか、Instagramだとか、グローバル水準のものを使うようになっていった。私たちが歩いていた道の先に、実は登る山がなかったということだと思います。私たちは市場がないところに対して、根性で頑張ってしまった。大きな努力をかけてしまったというわけです」
VCから調達した約1.5億円の資金を元手に、4年間で10本近いアプリをリリースしたものの、全てうまくいかなかった。
「2016年のタイミングですっかり資金が尽きて、途方に暮れているような状況になってしまったんです」
食べて行くため営業にかけずり回った
2016年3月の段階で、「あと3カ月で資金が尽きる」という危機的な状況に陥る。ベトナム、台湾の人員を縮小した後、平野は同年4月、「失意のどん底にいる気分」で日本に帰国した。「残り3カ月で何とか挽回しないと」と日本企業を1人で営業して回った。
「何年も頑張ってきたのに、全部駄目になっちゃったなって。振出しに戻ったというより、マイナスからの再出発ですよね。起業した最初の段階って、ビジョンを掲げて資金調達できたりする。でも失敗続きのスタートアップに、誰も資金援助なんかしてくれないですから」
チームをギリギリ存続させるために平野は、IT系のシステム受託の営業に駆けずり回った。だが10社訪れても、10社ともソッポを向かれるという時期が数カ月続いた。
その上、平野はアメリカ人の起業家と結婚し、妊娠したタイミングでもあった(翌2017年2月に長男を出産)。つわりでしんどい時でも、会社の資金が尽きるデッドラインと睨めっこしながら「食べつないでいくための営業」を続けるしかなかった。
運命を変えた「AI」の2文字
営業資料には、「ボイプ(ビデオ通話の技術)ができます」「IoTに強みがあります」といった自社の「できることリスト」を載せていた。ある時、平野はそこに「AI」の2文字を書き足した。平野と堀田の原点とも言える要素技術だ。
すると、顧客の反応がガラリと変わった。
「平野さんのところは、AIもできるんだね?」と。
顧客のニーズを捉えてAIビジネスにシフトした2016〜2017年。大きく成長を遂げた2018年には、ベトナムのリゾート地で自社のビジネスミーティングを開催した。
提供:シナモン
ポツポツとAIの受託を受けるようになり、2016年の夏には、「自転車操業は変わらないけれど、何とかチームがサバイブできる状態」には落ち着いた。
同社では、2016年の後半、平野が営業して取ってきた案件のテクノロジーをひたすら開発。AIの受託案件の一つが、実は、シナモンAIの記念すべき最初のプロダクト「Flax Scanner」の開発から始まる逆転ヒットにつながった。プロダクトの基礎となるようなアイデアを、顧客の需要から掬い上げることができたわけだ。
「そのクライアントは人材紹介会社だったんですけれども、大量のレジュメを社内の人がデータベースにひたすら入力するという作業が発生していて。それを私たちがお手伝いして、『AIがやるようにしますよ』というプロジェクトだったんです。いわゆる『デジタイズ』。その時ふと、膨大に人の時間を使う『ひたすら入力系』のタスクって、すべての企業に存在するんじゃないかなと思ったんですよ」
平野はいつかプロダクト化ができる要素技術として、AIによるデジタイズを事業構想の一つに入れておいた。
「小さな球でも、まずは投げ続けることだなと。当時、私としてはAIをやりたいというよりは、とにかく稼がなければいけないという状況で。そのための苦肉の策としてAIの2文字を入れた、ぐらいの感じでした。
半分思いつきだったとしても、相手にボールを投げていくうちに、相手の反応から光る原石が見つかることもある。あの時のようなピンチは二度と味わいたくないけれど、この学びを得られただけでも、まあよかったのかな」
3日で完成させたAIプロダクト
チャンスがめぐってきたのは、2017年4月。連載1回目でも触れた、デロイトトーマツベンチャーサポートと野村証券主催の「モーニングピッチ」に、平野の登壇が決まったのだ。
開催3日前に急遽登壇が決まったモーニングピッチ。受託事業から着想していたAIプロダクトをリリース。
提供:シナモン
実はその日は登壇者が埋まっており、平野の登板はその次に、と言われていたという。ところが開催の3日前、主催者から連絡が入る。
「1人が来られなくなったんだけど、平野さん登壇できますか?」
ただし、1点の条件を出された。
「受託ビジネスは、うちのピッチで扱っていない。紹介するのは、プロダクトじゃないと駄目です」
そこで平野は、すでに受託で磨いていたAIデジタイズ技術のプロダクト化を決めた。残りの3日で準備し、登壇の当日に同社初のAIプロダクト「Flax Scanner」をリリース。ピッチが、文字通りのお披露目の場となった。
華々しいお披露目に間に合わせるため、その裏側は起業以来の突貫作業に追われたという。
まずプロダクト化する製品のリリースを作る。外注していたら間に合わないため、プロダクトのロゴも自分で作る。当時はホームページも登壇日に配る名刺もなかったため、平野自身がピッチの準備の合間に全て作成。その全ての作業を、生後2カ月の長男を片手に抱っこをしながら、授乳しながら、ともかくはやり遂げた。
「登壇日までは、私の30数年間の人生の中で一番生産性が高い3日間でした」
と平野は述懐する。
撮影:伊藤圭
平野は、ネイキッドテクノロジーとシナモン2社で経験した失敗から、3つの教訓を得た。
- プロダクトや技術からビジネスを発想してはいけないということ。
- ポテンシャルがある技術なのかどうかを確かめるため、開発の初期段階から周りに話を聞きにいくべきだということ。
- 登る山を間違えない。間違えていると気づいたら、すぐに引き返すということ。
先手先手のスタートダッシュは欠かせないが、需要や市場を見極める目を養うことがどれだけ大事かを、彼女は思い知った。平野は言う。
「今は技術を作り込む前、完成の何段階も前の時点から、とにかく周りに話を聞きに行くことにしています。簡単なものでもいいから、とりあえず営業資料的なものを作って。売り込みに行って、それが本当にその相手にとって、お金を払うに値するものなのか?というところは、お客さんの反応を見れば大体分かってくるものです」
(敬称略、明日に続く)
(文・古川雅子、 写真・伊藤圭)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。