撮影:伊藤圭
2019年秋、元アクセンチュアのCMI(チーフ・マーケティング・イノベーター)で、内閣官房官邸国際広報室参事官・文部科学省参与も経験している加治慶光(57)が、AIスタートアップ「シナモン」(以下、シナモンAI)の会長に就任した。
加治は、同社代表取締役社長CEOの平野未来(36)を、「アジアならではの“共生型”のやり方で、新興国と先進国を共創させていくユニークな経営者」と見ている。先進国と新興国の国家共存が世界的なテーマになる中、先進国の課題を新興国の才能が解いていくという、ユニークな経営スタイルを体現してきたからだ。
“共生型”は、学生時代バックパッカーだった平野の持ち味。「テクノロジーに強みを持つ、グローバルな会社を標榜したい」と、アジアに飛び出したのは28歳の時だった。今では2児の母でもあり、「次世代」にも目を向ける。そんな彼女に「28歳だった頃の自分」を振り返ってもらい、「次世代のあなた」へ向けて、希望の持てる未来社会のビジョンを語ってもらった。
自分の嗅覚を信じてやり抜く
2015年にはベトナム・ハノイに超優秀なAI人材を集めた「人口知能」を設立した。
ShutterStock/Vietnam Stock Images
28歳というと、私はちょうどベトナムに移住したタイミング。mixiに最初に立ち上げた会社の売却をした後で、1年間だけ約束していたmixiへの在籍期間が終わって、思い切って海外へ繰り出した時期です。
当時、私は日本で生まれて、日本でずっと教育を受けてきて、日本でしか働いたことなく、初めて海外に住むということにワクワク感を感じていて。バックパッカーで50カ国まわっていた学生時代の延長線上で、どんな人たちがいるのかな、どんな人に出会えるかなって感じてました。私の場合は、先進国の企業が後進国に進出する、みたいな上から目線は全くないですね。
この時に得られたのは、「見知らぬ土地で、訳がわからない環境の中でも、手探りでとりあえずトライしてみる」っていう感覚です。何も確立していないフニャフニャしたところでも、自分の嗅覚を信じて判断を繰り返す中で、「とにかくやり抜く」ことが、仕事の基本スタンスになった。それは、今でもよかったなと思っています。
20代で最大限体験した仕事の多様性
アジアに出る前に、学生起業で経験していたことも活きた。私は22歳で起業して、ずっと起業家をやっているんですけども、最初は5人の小さい会社だったんです。多種多様の雑多なことを含めて、全部自分でやらなくちゃいけなかった。
大企業みたいに、部門ごとに専門家が揃っているわけじゃないので、資金調達もするし、営業も自分でするし、契約業務も担当するし、自力でデザイン作業にも手を伸ばしてイラストレーターとかフォトショップとかを使うようにもなった。20代のうちに、仕事上やることの多様性を極限まで最大化して経験できたというのは、今振り返れば非常によかったなと思っています。
今って、スタートアップを始めようと思ったら、資金調達とは?とか、ノウハウが細かくネット上にも出ている。当時は、スタートアップの方法論の情報なんて、どこにも書かれてなかったんです。方法論が分からないにもかかわらず、何でもやらなくちゃいけないという「無理ゲー」をやっていた訳で。
でもそれはすごく自分の資産になった。不確かさの海の中でも自分なりの方法で足場を作り、ビジョンをしっかり掲げて未来を見据える訓練ができた、という意味で。
コロナで実現が見えた仕事の効率化
コロナ禍で日本でもテレワークが急速に広がった。
ShutterStock/Chaay_Tee
どんなに先読みしていても、物事はその通りにいかないことも多いですよね。今は新型コロナウイルスの影響で世の中が不透明になり、不確実性が増しています。
私たちは拠点が各国に散らばるグローバル企業ということもあり、以前からSlackとZoomを駆使していて、在宅で働く環境が完全に整っていました。なので、自粛生活による在宅ワークが始まっても、「ニューノーマル」の生活に一瞬で移行したという感じでした。
私たちの事業も当面はマイナスの影響を考慮していかなければなりませんが、一方で、コロナ禍で人手が確保しづらくなっている企業からは、弊社のソリューションの導入を早めてほしいという声もありました。こうした動きをプラスに捉えれば、日本が長らく実現できていなかったテレワークの働き方や業務効率化の動きが、コロナ禍で一気に進むかもしれないなと感じています。
私たちが描く、10年後、20年後の幸せな働き方。それは、誰もが一人ひとり、めちゃくちゃ得意で好きな仕事を1日4時間やる。残りの時間は、家族と過ごしたり趣味に没頭したりして、余暇を存分に楽しむ。そんな世界です。
人が直接マネジメントしなくても、AIの進化で企業内のナレッジが集約されていく「ナレッジ・アンマネジメント」の世界を構築して、煩わしい業務から解放された人が自分の幸せのために時間を使える世の中を作る。これが、私たちの会社が目指す最終ゴールです。
子どもを持って変わった働き方への意識
ホワイトカラーの生産性を何とかして向上させないといけないというミッションは、私の中に以前からあったのですが、心の底から「人の働き方を変えなきゃ!」と思うようになったのは、子どもを育てるようになってからです。私には3歳と2歳の子どもがいます。
何年か前に、大手企業の社員が過労死した事件がありました。当時、私は上の子をお腹に宿していて、将来、自分の子どもや、次世代の子どもたちが大人になった時を想像したんです。10年、20年先に彼らが働き始める頃、今のような日本人の働き方を残しちゃダメだ、このアンハッピーな働き方は何としても、私たちの世代で終わらせなければならないと、強く思うようになりました。
これは、私たち一企業の努力だけでは実現できません。多くの人と共創しながら、幸せな働き方が溢れる社会づくりに貢献していきたいです。
起業家は精神的にきつい時もあります。
例えば2016年の5月から6月にかけては、会社の資金がもう尽きるという緊迫感のなかで、シンガポールから東京に戻った私が1人でひたすら営業に駆け回っていたタイミング。他の人が同じ経験をしたら、多分ほとんどの人が諦めていたと思うんです。3、4年間やっていた事業が全部うまくいかなくて、頼みの綱のIT受注もうまくいかず、かつ、妊娠しているという状況でしたから。
撮影:伊藤圭
それでも諦めなかったのは、自分自身、起業家でいることがすごく好きだし、誇りに思える職業だと思っているから。何としても諦めたくなかったんです。
スタートアップの醍醐味は、誰かの生活を変えて、社会に大きく広がっていくサービスを作れるというところです。自分たちのしていることが、人類の進化に貢献している、なんて考えると、もう辞められない。もはや病気?と思うぐらい、私は起業家をやっていないといられないという感じで(笑)。
今は人工知能を使って、特にホワイトカラーの生産性を上げるというものすごく大きなチャレンジをしています。高校生の頃、電車の中で疲れ切った顔をしている大人を見ると、「大人になるって、大変そうだな」と感じていました。人間が人間らしい仕事に集中できるようになってクリエイティビティが増したら、ハッピーな顔の大人が増えて、次世代の子どもたちも、もっと未来に希望を持てるようになるじゃないですか。
私にはもう、次の世代まで含めて、みんなが明るく仕事をし、人生を楽しむ風景が見えています。
(敬称略、完)
(文・古川雅子、写真・伊藤圭)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。