外食業界第4位のコロワイドが大戸屋ホールディングス(以下、大戸屋HD)に対して仕掛けている敵対的買収。この連載では前2回にわたり、なぜ大戸屋HDの経営権をめぐって両社の間に騒動が勃発したのかを整理してきました。
株式公開買付け(TOB)でコロワイドが提示した買付け価格は3081円。直近10年間における最高値です。市場価値よりも約70億円(時価総額ベース)も高い買い物をしようとしているコロワイドの目論見とはいったい——。
将来キャッシュフローを割り引くということ
前回見てきたように、コロワイドは大戸屋ホールディングス(以下、大戸屋HD)に対し、「公開買付け(TOB:Take Over Bid)」と呼ばれる方法で敵対的買収を試みています。コロワイドが提示したTOBの条件をおさらいしておきましょう。
これも前回見てきたとおり、買付け価格の3081円という金額は直近10年間で最高値。公開買付け発表前の大戸屋の株価(2113円)と比較すると、実に45.8%ものプレミアムが乗っている計算になります。ずいぶん高い買い物に見えますが、コロワイドはこの金額をどう正当化しているのでしょうか?
2020年7月9日にコロワイドが公表した「株式会社大戸屋ホールディングス株式(証券コード:2705)に対する公開買付けの開始に関するお知らせ」(以下、「お知らせ」)によれば、今回の公開買付け価格は、コロワイドと大戸屋HDから独立した第三者算定機関の会計事務所が算定したとのことです。
そして3081円という株価(時価総額では223億円)は、大戸屋HDの業績内容や予想等を勘案したディスカウンテッド・キャッシュ・フロー法(DCF法)により計算されています。
DCF法とは、将来獲得できる見込みのキャッシュフローを予想したうえで、将来のキャッシュフローを割り引いて(ディスカウントして)現在価値を求める手法です。現在価値(Present Value)とは、将来のキャッシュフローを割り引いて求められる価値のことを言います。
ここで、「割り引く」という考え方について説明しておきしましょう。
同じ1万円でも価値が違う
「今日1万円もらえるのと、1年後に1万円もらえるのとではどちらがいい?」
そう聞かれたら、あなたはどちらを選びますか?
なかには「1年後に1万円をもらえる方がお楽しみ感があって嬉しい」と感じる人もいるかもしれませんが、多くの人は今日1万円をもらえる方を選ぶでしょう。1年後には覚えていないかもしれませんし、下手をしたらもらえなくなってしまうかもしれませんから。
では今度は「今日1万円をもらえる vs. 3年後に1万円もらえる」では? おそらくほとんどの人は今日1万円もらうことを選ぶでしょう。同じように、「1年後に1万円もらえる vs. 3年後に1万円もらえる」でも、ほぼ全員が1年後に受け取るほうを選ぶはずです。
このように、同じ1万円でも、「今日もらえる1万円」と「1年後にもらえる1万円」と「3年後にもらえる1万円」とでは価値が違う——ファイナンスではそう考えます。
では、「今日の1万円」と「1年後の1万円」の価値はどれだけ違うのでしょうか? 今日の1年後と1年後の1万円を結びつけるもの、それが「割引率(ディスカウントレート)」です。
割引率とは
割引率を理解するために、金利の例で考えてみましょう。預金金利が5%だとして、1万円を1年間預けると1年後は1万500円になります。では逆に、1年後の1万円は現在いくらになるでしょうか?
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“今日の?円”×1.05(金利5%)=1万円(1年後の1万円)となるため、“今日の?円”は1万円÷1.05で求められます。この「1.05で割ること」を、専門用語で「割り引く(ディスカウントする)」と言います。この例では、「1年後の1万円」の現在の価値(=“今日の?円”)は、9523円になります。
このように計算すると、「今日の1万円」と「1年後の1万円(現在価値は9523円)」を比較できるようになります。当然、「今日の1万円」の方が高くなりますね。
このように、将来得られるお金を現在価値に割り引く際に用いられる利率を「割引率(Discount Rate)」と呼びます。
金の卵を産むガチョウをいくらで買うか
では別の例を考えましょう。金の卵を向こう3年間で毎年1回ずつ産むガチョウがいるとします。この金の卵は市場で1万円で売れるとしましょう。このガチョウをいくら出して買いますか?
金の卵は1万円で売れるので、毎年卵を得られるとすれば、1年後に1万円、2年後にも1万円、そして3年後にも1万円もらえます。「割り引く」という概念を使わなければ、向こう3年でもらえるお金の合計は3万円です。このような、「割り引く」という概念を用いない将来のお価値を、現在価値との対比で「将来価値」と言います。
一方で、1年後、2年後、3年後の1万円をそれぞれ金利5%で割り引くと、現在価値は以下のような計算になります。
筆者作成
つまり、将来3年にわたってもらえる金の卵の将来価値3万円の現在価値は、9524+9070円+8638円=2万7232円となります。
なお、ここでは割引率を5%と仮定しましたが、仮に10%にすると合計額は図表4のように2万4869円となります。このように、割引率を変えることで現在価値は変わってきます。
筆者作成
割引率は将来に対するリスクの度合いによって変わり、割引率が高いほどハイリスク・ハイリターンとなります。
「金の卵を産むガチョウ」と言っても、売る前に卵が割れてしまうかもしれないし、もしかしたらガチョウが急に卵を産んでくれなくなるかもしれない。
こうした懸念に対し、「いやリスクは限定的だろう、それよりもこのガチョウには十分な価値がある」と考える人は、割引率は低めに設定して高い値段を出してもガチョウを買うでしょう。割引率5%、つまり2万7232円を払ってガチョウを買った人は、うまく金の卵をゲットできれば3万円分の価値が戻ってくることになるので、2768円の儲けとなります。
一方、「いずれ卵を産まなくなるリスクは十分にあり得るな……」と感じる人は、割引率を高めに設定してガチョウの価格を低く見積もることになるでしょう。割引率10%で購入をした人は、ガチョウの購入金額2万4869円に対して想定どおり3万円を回収できれば、5131円の儲けとなります。これがハイリスク・ハイリターンの構造です。
筆者作成
このことは潰れそうな銀行を想像してみると分かりやすいでしょう。経営が思わしくない銀行は、金利を高くしないと預金を集められません。預金者は、「潰れるかもしれない」というリスクはあるにせよ、その分高い金利が付くなら預金をしてもいいと考えるかもしれません。
経営が危ぶまれていた日本振興銀行は高い預金金利で多くの預金を集めものの、2010年9月に民事再生法を申請して経営破綻。預金者は一部お金が返ってこなくなり、社会問題にもなった。
Toru Hanai/REUTERS
この連載の第9回で、「利益」と「キャッシュ」は違うと書きました。会計では利益を重視しますが、ファイナンスではキャッシュを重視します。なぜか?
売掛金等のようにまだ手元にキャッシュが入っていなくても、「利益」の計上は可能です。しかしファイナンスの考えでは、将来入るキャッシュは現在価値に割り引いて考える必要があります。また、手元にないキャッシュには何かしらの不確実性(未回収リスクなど)が存在します(※1)。
この連載ではこれまでもしつこいぐらいにキャッシュ重視の分析をしてきましたが、その理由はファイナンス的な視点を常に意識しているためです。
「ガチョウ=企業」「金の卵=キャッシュ」
もう少しだけ「ガチョウ」のたとえにお付き合いください。
先ほど見てきたように、割引率を高くして安く買った方が儲けは大きくなります。当然誰もが「なるべく安く買いたい」と思うでしょう。
しかし、高い確率でガチョウが金の卵を産み、かつ金の卵を市場で売れるなら、ガチョウが高くても購入する人は出てきます。そうなると必然的にガチョウの値段は上がり、ガチョウを安く買いたくても買えません。
反対に、ガチョウが金の卵を産まなさそうと多くの人が考えるなら、ガチョウの値段は安くなります(=割引率は高く想定されます)。この場合、もしガチョウを安く買えて、かつ無事ガチョウが金の卵を産んで市場で売れれば儲けは大きくなりますが、卵を産んでくれなければ損を被ることもありえます。
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このように、世の中の需給次第でガチョウの値段は上下します。この動き、何かに似ていませんか? そう、株価ですね。
「ガチョウ=企業」「金の卵=キャッシュ」と置き換えれば、ガチョウの値段をいくらに見積もるかということは、まさに企業の値段や株価を計算していることと本質的には同じことです。すなわち、将来キャッシュを多く稼ぎそうだと予想される企業の株価は上がり、逆にキャッシュを稼ぐのは難しいと予想される企業の株価は下がるということです。
以上のように、割引率を用いれば、将来のキャッシュを現在価値に割り戻して比較できるようになり、その結果として企業の価値も算出できるようになります。
コロワイドは「3081円」をどう正当化するのか
さて、DCF法の基本的な考え方が分かったところで、コロワイドによる大戸屋HDの敵対的買収に話を戻しましょう。
私たちが知りたいことは、コロワイドは大戸屋HDの業績内容や今後の成長予想を勘案したうえで、なぜ「3081円」という公開買付け価格をはじき出したのかということでした。
先にお話ししたDCF法の定義をコロワイドの例に当てはめると、「大戸屋HDが事業を通じて将来獲得できるキャッシュを予想したうえで、将来の不確実性を踏まえて将来キャッシュを割り引き、大戸屋HDの企業価値を計算する」という作業をすればいいわけです。
具体的には、金の卵を産むガチョウの値段を計算するように、1年後、2年後、3年後……と向こう数年分の事業予想をし、将来得られるであろうキャッシュフローを計算したうえで、それぞれの年ごとに割り引くことで、大戸屋HDの企業価値を計算するというものです。
やっていること自体は金の卵を産むガチョウと同じです。違う点は、ガチョウは向こう3年分しか金の卵を産みませんが、企業は倒産しない限りキャッシュを継続的に生むことを期待されているという点です。
実際、コロワイドによる「お知らせ」には、次のように書かれています。
DCF法では、公開買付者[筆者注:コロワイドのこと]が対象者[筆者注:大戸屋HDのこと]の事業に関して有する知見をもとに、対象者の直近までの業績の動向、一般に公開された情報等の諸要素を考慮して公開買付者が策定した、2021年3月期から2025年3月期までの5期分の対象者の事業計画における収益や投資計画、一般に公開された情報等の諸要素を前提として、対象者が2021年3月期以降に創出すると見込まれるフリー・キャッシュ・フローを対象者の事業リスク等を踏まえた割引率で現在価値に割り引いて企業価値や株式価値を分析し、対象者株式1株当たり株式価値の範囲を2,817円から3,346円までと算定しております。なお、DCF法において前提とした対象者の事業計画においては、本公開買付けの実行により実現することが期待できるシナジー効果を含む計画です。
企業が将来生み出せるキャッシュは、「売上の成長」と「これまでに投下した資本から生み出される利益構造」で決まります。このことを踏まえると、企業価値はシンプルに図表6のように分解することができます。
筆者作成
コロワイドの「お知らせ」を読むかぎり、同社が大戸屋HDを買収するにあたって高い株価を算定している理由は次のように表現できます。
- 店舗数を増やすことで売上を増やす成長戦略
- 投下資本に対する利益率を上げるための費用構造等の見直し
- 将来得られるキャッシュフローの確度を上げるような戦略を描くことで、割引率を下げる
これらの戦略は本当に実現できそうでしょうか? 次回はいよいよこの点について、コロワイドの「お知らせ」を読み解きながら考えていくことにします。
※1 もちろん、会計にもファイナンスの視点は用いられています。だからこそ、回収の見込みが少ない売掛金については「引当金」を計上し、損失を見込むのです。
※次回は8月21日(金)に公開予定です。
(執筆協力・伊藤達也、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
村上 茂久:1980年生まれ。経済学研究科の大学院を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして大手企業や地方の新規事業の開発及び起業の支援等をしている。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も実施している。