何気なく言ってしまう「男の子なんだから」「女の子なんだから」という言葉が、ジェンダー観に影響してないだろうか。
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わが子を性差別や性暴力の加害者にしないための子育て本『これからの男の子たちへ』が、出版前から話題だ。著者の太田啓子さんは、離婚事件やDV、セクハラの問題に携わる弁護士で、2人の男の子の母親でもある。ジェンダーバイアスを前提とする今の社会システムを変え、性差別を次世代に引き継がないための“種まき”として、筆を執ったと言う。
男女が対等な関係性になるには何が必要か、これからの男の子たちに大人はどんなメッセージを伝えるべきかを聞いた。
日々の“もやもや”に言葉が与えられた
出典:太田啓子さんのツイッター
——『これからの男の子たちへ』について、太田さんがTwitterで告知するとすぐに話題となり、Amazonのジェンダー部門第1位、書籍総合ランキングでも50位以内にランクインしました。なぜここまで大きな反響があったと思いますか?
「もう性差別は嫌だ!」という社会的風潮がある程度広がっていることが、関係しているのではないでしょうか。性差別という言葉は認識していなくても、いまだ女性ばかりに家事・育児の負担が偏っていることに“もやもや”を抱えている人は多いと思います。
例えば、子どもが熱を出した時に仕事を休むのはいつも女性だとか、女性だって昇進したいのに家庭を考えると転勤は困るとか。だから昇進に消極的にならざるを得ないのに、「女性は管理職への昇進を望まない」と言われてしまうことへのいら立ちなど、日々の“もやもや”に言葉が与えられたことへの反響だと思います。
提供:大月書店
多くの女性は、パートナーや彼氏など身近な男性との衝突でかなり疲れています。ぶつかりたいわけでもないのに、何度も何度もぶつからざるを得ず、それでも相手は十分には理解してくれない。大人になって、何年もの人生経験を経ている彼らの価値観をアップデートさせることはものすごく大変だという「負の手応え」が積み重なっているのです。
それに、性差別は社会的なすり込みも大きく影響しています。私自身、小学6年生と3年生の息子がいますが、1~2歳の時点でもすでに社会から「男の子だから」というジェンダーバイアスに基づくメッセージを受け取っている気がしました。
幼いうちから性差別的な価値観の中で育った男性がそれを自覚し、変えていくのは大変すぎる。男の子の育て方が重要ではないか?という問題意識を持つ人が増えてきているのだと思います。子育て世代の責任として、性差別の再生産を止めるようと。
女性誌の『VERY』は昨年、『LEE』でも今年に入って同様のテーマの記事を掲載していましたから、このテーマに関心がある人は多いだろうとは思っていました。刊行前からここまで大きな反響があるとまでは予想していませんでしたが。
—— 性差別的な価値観が変わりにくい問題は、弁護士として離婚事件にかかわる中でも感じてきたそうですね。
離婚事件では、男女の経済力格差が露骨に表れます。
妻の経済力が圧倒的に弱くても、夫が別居期間中の生活費(婚姻費)を払いたがらない、財産分与にも応じようとないことはよくあります。法律では、どちらの名義であっても、婚姻期間中に築いた財産の半分を妻が受け取る権利があるのに、そういう夫は「俺が稼いだ金は俺のもの」「妻に俺の財産を取られたくない」と本気で思っているのです。
2人の男の子を育ている中でも、弁護士として多くの離婚訴訟を担当する中でも、性差別が生まれる背景を感じてきたという太田啓子さん。
撮影:Business Insider Japan編集部
本来、妻が離婚を突きつけて家を出るなんて大変な話で、「自分にも問題があったかな」と振り返るきっかけになるはずですが、性差別意識の強い男性はなかなかそうなりません。
「妻は俺のことを誤解している」「妻はメンタル不調に違いない」「夫婦間には何も問題がないのに出ていったなんて、きっとほかに男がいるんだろう」などと言って、とにかく自省に向かわないのです。
残念ながらいくら妻側が「あなたがしたことはDV、モラルハラスメントだ」と主張しても、伝わらない男性は少なくありません。
これは、DVが絡む離婚事件を扱う弁護士の間ではありふれた経験です。
どう伝えても自分の問題として自省に向かわない男性を、仕事でよく見てきました。男性に伝え続けることは大事ではあるものの、限られているエネルギー配分の問題として、これからの世代の男の子にはたらきかけるほうが現実的だとは思います。
男性はすぐに防御に走りがち
セクハラや性差別的な失言をしてしまった際によく聞く、「誤解を与えてしまい申し訳ない」などという謝罪。自分の差別意識を直視していないケースだ。
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—— アメリカでは1980年代から「有害な男らしさ」(Toxic Masculinity)という言葉が言われてきたそうですね。社会が求める「男らしさ」には、暴力や性差別的な言動につながる要素が含まれているという概念ですが、日本ではあまり注目されてきませんでした。
欧米でも、「有害な男らしさ」という言葉がどれくらい社会に浸透していたかは、私はよく知りません。
イギリスのアーティスト、グレイソン・ペリー氏の著書『男らしさの終焉』には「ジェンダーを議論する時、男性の感覚は『壊れていないなら直すなよ』である」という一文があります。これは英語の慣用句的な言い回しで、「システムや方法が問題なく機能しているなら、変えるべきではない」という意味です。
つまり、男性にとって今の社会はさほど問題がなく、わざわざ変える必要はないということです。男性は、男性のあり方に何か問題があるということ自体を認めたがらず、変えることに対する抵抗が強いのかもしれません。
—— 「自分が性差別をしている」という自覚を持つ男性は少なさそうですね。
そもそも差別というのは意図的ではなく、無自覚に行われるのだと思います。誰かに突きつけられてようやくハッとするようなもの。私だって、差別に鈍感な発言をしてしまうことがありますし、男性を糾弾すれば済むとは思っていません。社会システム自体がジェンダーバイアスを前提としている以上、よくも悪くもそこから何らかの利益を得ることがあるので、性差別は自覚しにくいのでしょう。
ただ、男性にこういう話をするとすぐ防御に走りがちな傾向があると感じています。いわゆる「Not all men」(すべての男性がそうではない)で、「俺は差別なんてしていない!」という態度をとられることが多いのですが、薄々「自分も何かやらかしてしまっているかもしれない」と差別意識や加害者性に気づいてはいて、それを糾弾されたくないという思いから過剰反応するのではないでしょうか。
—— 自分の加害者性や弱さを直視するのは、女性も含めてだれもが避けたいことかもしれません。
自分の差別意識や加害性を直視するのは苦いけれど大事なことで、それには勇気が必要ですね。そのロールモデルがなかなかなくて、ダメな「謝罪」例ばかりになっている気がします。
セクハラや性差別的な失言をしてしまった政治家、影響力がある著名人やメディアなどが、謝罪のつもりで「誤解を与えてしまい申し訳ない」と言うのをよく聞きますが、自分の差別意識を直視しない典型ですよね。
例えばですが、「指摘を受けて、自分が無自覚に性差別をしてしまったことに気づかされた。自分の言動について恥ずかしく思う。自分の中にある差別性にこれからも向き合い、抗い続けていくことを約束する」などと正面から認めて、自分をアップデートしていく姿勢をとることが重要なのではないでしょうか。
こういう姿勢に触れる機会があれば、自分が実際に何かやらかしてしまった時、とるべき態度がわかると思うのですが。
カギは「感情の言語化」を鍛えること
家事・育児をしない夫のとのやりとりに疲憊している妻たちは少なくない。
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—— 『これからの男の子たちへ』では、「感情の言語化」という重要なキーワードも書かれていました。例えば、男の子が転んで泣きそうになった時、周囲の大人が「痛くない! 男の子なんだから泣かないの」と先手を打つことがよくあります。その繰り返しで、自分の感情を言語化するスキルが育まれず、成人してから女性に対して気に入らないことがあると怒鳴ったり、無言になって威圧したりするそうですね。
「痛くない!」と言ってしまう大人には深い意味がなく、脊髄反射のような発言だと思います。でも、「男の子なんだから泣かないの」などというのはよく考えたら性差別的ですし、自分の痛みを蔑ろにする感覚は、自分を大切にしないことにもつながりそうです。
大人がこうした発言をやめて、子育ての常識をアップデートしていくことはとても大事だと思います。
こうしたことは、私自身も本書に収録されている対談で気づきました。対談相手の一人、清田隆之さん(恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表)は、学生時代からいろんな人の恋愛話を聞いてこられた人ですが、男性は「自分の感情の解像度が低い」とおっしゃっていました。
私も弁護士として離婚事件の陳述書を書く時に、同じような印象を受けます。陳述書は、依頼者の経験や思ったことを弁護士が聞きながら文書化します。依頼者が女性の場合は、実に事細かなエピソードを交えながら、感情豊かに離婚したい理由を語ることが多い。
一方、男性は話が抽象的で、妻に対して「腹が立った」「ひどいことを言われて傷ついた」とおっしゃるので、「そのとき具体的にはどんなやりとりがあって?」「どんな言葉を聞いて、どのように感じたのですか?」と細かく聞く必要性が高いと感じています。口下手ということなのかもしれませんが、細かくうかがっても「いやあ、それ以上言いようがないですね」と。
もちろんこれは大きな傾向に過ぎず、個々には違う事例もあるのですが、男性は自分の感情を言葉にすることが不慣れで上手ではない印象があります。
なるべく子どもの頃から、感情を言語化するトレーニングが必要だと思います。多分、女性のほうがこのトレーニングを積む機会が多いので、言語化が上手な人が多いのではと思っています。
—— 男の子の「感情の言語化」を鍛えるにはどうしたらいいのでしょうか?
言葉の専門家ではないので詳しいことはわかりませんが、幼児のうちは親が「痛かったね」などと言葉を与える必要はあるのだろうと思います。ただ、パターン化しないようにすることが難しくて、本書で対談した小島慶子さん(タレント、エッセイスト)は、「親の先回りによって、子ども自身が言語化する機会を奪われる」と指摘していました。
だから、子どもの個性や成長度合いを見定めながら鍛えなくてはいけないし、悩みますよね。
私は介入したがりな性格なので、かなり自分を制御しています。息子の気持ちを決めつけず、「今は悲しいのか悔しいのか、それとも言い返したいのか、どれかな?それ以外のどれかな?」と選択肢を用意し、少しでも一方向に誘導せずに済むようにしたりとか。
親として試行錯誤しているつもりなのに、そうこうしているうちに息子がどこかに行ってしまうこともしばしばですが(笑)。
経済力から家事・育児能力へ
性差別をなくすためには、経済力ではなく、性差別しない男性が「モテる」社会にする必要がある。
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—— 性差別の再生産をしているタイプの親は、男の子が中学受験をする頃から勢いづいてくると感じます。受験を前にすると、とにかく勉強ができればいい。家の手伝いはしなくていいし、身の回りのことも親が世話をする。「受験に勝つ」という一つの価値観だけが、男の子の人生で重要かのような育て方をしてしまうのです。
エリートコースを歩んだ官僚や企業経営者にはジェンダーの意識が低い人もいますが、そうした親の勉強さえできればいい、という育て方に問題があると感じています。
すごくよく分かります。知り合いの女性は、息子さんの中学受験に熱心で、それはいいのですが、受験の動機として「男は勉強ができないとシャレにならない。女の子はなんとかなるかもしれないけど」と言っていました。私はまったく賛同できなくて、「女の子も経済力がないと大変だよ」と返答しました。
資本主義社会である以上、経済力は生きていく力です。それを親が女の子から削いでしまうような発想は性差別で、あまりにも危ない。
それに、男の子だって経済力さえあればいいものではありません。
男性が性差別的な価値観を持たないようにするには、女性がパートナーの男性を選ぶ基準も重要だと思います。女性が経済力を重視して男性を選ぶなら、やっぱり男性は経済力を高くすることを「モテる要素」と考え、それを目指すことがあるでしょう。
でも、「女性と対等に付き合える」とか「当然のこととして家事・育児に携わる」「性差別をしない、女性にマウントしてこない」が「モテる要素」として重視されるようになれば、モテたい男の子はそのための努力をするはず。自然と変わっていくのではないでしょうか。
ただ強調したいのは、女性がそうした基準でパートナーとしての男性を選べるためには、女性自身が男性と同等に経済力を持てることや、誰もが誰かに経済的に依存しなくても暮らせる社会であることが必須です。
男女の賃金格差が是正され、男性の経済力の魅力が相対的に下がっていってはじめて、女性はパートナーに求める価値基準を変えられるのです。男女平等社会と、女性が男性を選ぶ基準の変更は同時に進めなくてはなりません。
子育て世代が、次に世代に差別を引き継がないためにできることとはなんだろうか。
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—— 男性にとっても、人間性より経済力を重視される状況はつらいはずです。「女性と対等に付き合える」がモテる基準になることは、男性にとっても歓迎すべき変化のはずなのですが……。
男女平等が進むことは男性にとってもいいことだと思うんですが、なぜか男女平等を求める主張に反発し攻撃する男性もいて、なんだかねじれているんですよね。
本書でも書きましたが、「モテない」「女性とのセックスの経験がない/乏しい」ことの劣等感をこじらせた男性の一部が、女性に対して極端に攻撃的な言動をとる「ミソジニー」(女性嫌悪)になる現象が気になっています。彼らは「インセル」(Involuntary celibate:非自発的な禁欲主義者)とも呼ばれていますが、女性一般に憎悪を募らせ、海外では殺人や傷害事件まで起きています。
そうした犯罪は許されることではありませんが、私はインセルの人たちがなぜそんなにこじらせてしまったのかと、痛ましい思いもあります。赤ちゃん時代はそんな人ではなかったはずで、誰もが落ちる可能性のある「社会が生んだわな」ではないかと。適切な働きかけがなければ、自分の息子だって10年後、20年後、そのわなに絶対かからないとも言えません。
そう思うと、女性を極端に攻撃する言動に怒りを感じつつ、「親心」みたいな気持ちにもなってきて、彼らが救われる方法があって欲しいと心から思います。
それには、やっぱり感情を言語化することが大切ですし、できれば誰かと気持ちを共感し合えるといいと思います。例えば、ネット上で知りましたが、「ぼくらの非モテ研究会」という当事者研究グループがあり、「非モテ意識はなぜ生まれるのか」「どうしたら非モテの苦しさから抜け出すことができるのか」を追求するような取り組みをしているそうです
—— 男性がミソジニーやインセルになる要因は、経済的弱者であることも関係していると思います。ネット上で女性を攻撃する男性を見ていると、医師など高所得者もいますが、非正規雇用で経済力がない人もいます。構造的な経済格差を解消しないと性差別は終わらないのではないでしょうか。
どんな階層の男性にもミソジニーはありますが、経済不安を抱える男性のミソジニーや女性バッシングは、ネット上でとても気になる傾向です。
今後、日本経済が凋落して多くの人が自己肯定感を失うと、「自分より力の弱いものを叩いて自尊心を保ちたい」という風潮が高まるかもしれません。そうなると、ますます女性が手頃な対象になることは容易に想像できます。「女性バッシングはあなたを救わない」という正論は、言い続けなくてはなりません。
性差別を許容しない社会への「種まき」
少しでも性差別に対して声をあげる人が増えれば…社会は一歩ずつ変わっていくだろう。
撮影:今村拓馬
—— メディアの責任については、どう思われますか? テレビ番組には、いまだに「ブスいじり」をするお笑い芸人が出ていますし、女の子向けのメディアでは「見た目や振る舞いのかわいさ=モテ」という情報があふれています。
メディアの影響は大きいと思います。本書でも書きましたが、少し前に、小学生の女の子向けのファッション指南書『おしゃカワ! ビューティー大じてん』がTwitterで話題になりましたよね。男の子にモテるための「さしすせそ」として、「さ=さすが!」「し=知らなかった!」「す=すごい!」などが解説されていて唖然としました。
ただ、最近はお笑いコンビの「ぺこぱ」のように、「人を傷つけない笑い」が広く支持される印象があります。彼らのような芸人を応援する視聴者が増えたり、性差別のある番組は支持しない意思を可視化したりすることで、メディアも考えるのではないでしょうか。メディアは視聴者の流行に敏感ですから、意外と早く変わるかもしれません。
—— 『これからの男の子たちへ』は、子育て中の親や、これからの社会を担う若い人たちにぜひ読んで欲しい本です。ただ、親の立場としては、ジェンダー教育をすることで子どもが周囲から浮くのでは? と心配でもあります。
うちでは「ママは性差別はいけないと思う。あなたにもそう思って欲しい」というだけでなく、「お友達の中には、今は違う風に思う子もいるかもしれないね」まで教えています。意見が違っても仲良くできるところはあるかもしれないし、必ずしも常にぶつからなきゃダメというわけではないとも伝えています。それから、自分で抱えきれないことがあったら、いつでも言って欲しいと。
性差別の傾向が強い社会ほど、性差別について発言する人は叩かれ、今の日本はその状況でしょう。北欧やフランスなど日本よりずっと性差別の少ない国でもまだ完全な男女平等ではなく、性犯罪もゼロにはなりませんが、「性差別はいけない」という社会的な意識が日本より強いのだろうと感じます。
今の日本は性差別について声をあげる人を攻撃したり、冷笑を浴びせたりする風潮が非常に強いので、内心ではジェンダーやフェミニズムに関心を持つ人も「ああはなりたくない」と口をつぐみたくなってしまう。その気持ちは分かります。社会を一度に変えることはできません。
でも、少しずつでも声をあげる人が増えれば変わりますし、性差別的でない男性が増えれば今とは絶対に違う社会になります。そのためには今の子世代の行動はとても重要です。
おそらく、今の子育てが社会に影響を与えるようになるのは20年、30年後ですから、将来の社会のための“種まき”をしている気持ちです。
( 聞き手・構成、越膳綾子)
太田啓子:弁護士。2002年弁護士登録、離婚・相続等の家事事件、セクシュアルハラスメント・性被害、各種損害賠償請求等の民事事件を主に手掛ける。明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)メンバーとして「憲法カフェ」を各地で開催。2014年より「怒れる女子会」呼びかけ人。2019年には『DAYS JAPAN』広河隆一元編集長のセクハラ・パワハラ事件に関する検証委員会の委員を務めた。