撮影:竹井俊晴
ポストコロナの時代の新たな指針、「ニューノーマル」とは何か。「コロナ後」もリモートワークを定着させようという企業が増える中、オフィスのあり方はどう変わっていくのか。また都市の価値や東京の魅力はどう変遷していくのだろうか。建築家の隈研吾氏に聞いた。
—— 隈さんとは7月に『変われ!東京 — 自由で、ゆるくて、閉じない都市 — 』を上梓して、都市の変革を訴えましたが、図らずもコロナ禍で、変化が強制的に、すごいスピードでやってきました。
ついこの間まで、人口にしても、機能にしても、都市の一極集中がますます進んで、地方が衰退すると喧伝されていましたが、以前から僕の考えは逆で、今後の方向性として、都市人口の比率は減っていくと思っていました。
なぜなら、現代のテクノロジーは、好きな時に、好きな場所で仕事をして、眠り、移動するという自由を、すでに僕たちに与えてくれているから。その自由を受け取るのに、東京にいる必要はないですよ。
満員電車で通勤することが当たり前になっている日本。リモートワークが実現した現在、働くことの本質を問い直されている。
撮影:今村拓馬
—— それなのに、毎日、地獄のような満員電車に乗って、同じ時間に通勤、通学して、それを「普通(ノーマル)」だと思っていた。あれは、いったい何だったんだろう?という話ですよね。
20世紀の資本主義で、最も重視された基準は「効率性」で、その効率性が高ければ人の幸福度も増すとされていました。
人々は電車やバスというハコに詰め込まれて、都心のオフィスというハコに通い、また長い時間をかけて郊外のハコに帰る。僕はこれを「オオバコモデル」と呼んでいるのですが、実際のところ、オオバコモデルは今では少しも効率的ではありません。ハコの中に閉じ込められた人は、常に競争のストレスにさらされて、心身を病むことにもなってしまって、幸せとは程遠い状況です。
この先、都市は新しい原理によって、間違いなく選別されていきます。今までの効率性の原理にしがみついていたら、一極集中を謳歌していた東京だって衰退するしかありません。ただ、僕はこれを都市、東京が変わる大きなチャンスだと考えています。
—— 隈さんが考える新しい原理とは、どのようなことでしょうか。
人の身体的な感覚にもとづいた幸福感、満足感です。
コロナ以前の僕は、毎週1回の頻度でアメリカ、ヨーロッパ、中東、アジア、中国と、世界中のクライアントと現場をぐるぐる回る日々を過ごしていました。持ち物はショルダーバッグひとつ。ブラジルなど移動時間がかかる国の出張は、朝に着いて、夜に出発する。会食のために、バンコクから東京に来て、食事をしたらまたバンコクに戻る、なんてこともやっていました。
自分でもちょっと普通じゃないな、とは思いますが、常に移動すること、流動的であることが、僕の身体リズムをつくっていたんです。
—— 今回、コロナ禍で海外渡航ができなくなりましたが、その中でどのように過ごしていますか。
ずっと日本にいるというのは、生まれて初めて、というくらい新鮮な感覚を味わっています。自宅と事務所を拠点にして、打ち合わせはオンライン中心でやっていて、最初は支障が出て困ると思ったんですが、それが意外に困っていなくて(笑)。
それまでは僕自身も、現場に出かけないとプロジェクトはコントロールできないと思っていたのですが、文字通り、それは思い込みに過ぎなかった。国内外でハードな移動を続けていたのも、自己満足の部分が大きかったのかもしれませんね。
ただ、いわゆる仕事はオンラインで解決できても、自分自身は狩猟採集生活的な移動のリズムを必要としているので、これを機に、いくつかのプロジェクトが進んでいる沖縄と北海道にリモートワークの拠点を作って、月のうち、何日かはそこで暮らしながら仕事をしようと考えています。
コロナで大きく利用者が増えたUber Eats。ギグワーカーという新しい働き方は、人を幸せにするだろうか。
Getty Images / Tomohiro Ohsumi
—— 「ニューノーマル」という言葉とともに、リモートワークだけでなく、ワーケーション、多拠点居住なども関心を集めています。ただ、東京のような大都市以外で仕事はあるのでしょうか。
「仕事を与えてもらう」という意識を、まずは変えていかないとまずいんじゃないでしょうか。仕事があるかどうかよりも、自ら仕事をつくり出せるかが、これからは前提として極めて大事なことになっていきます。
リモートワーク、ワーケーションという言葉がバズると、建築界では、じゃあ、受け皿となるハコを作りましょう、というのが、今までの日本のパターンでしたが、その発想からも逃れないといけないですね。AIの進歩で、オオバコにいる人の仕事は、ほとんどなくなりますから、もうハコなんかいらないんですよ。
それよりも、Wi-Fiなど通信インフラや、Uber的、Airbnb的なプラットフォームが、もっと安全に、もっと機能的に使いこなせるようになっていくことが大事。そうなれば、空間と時間はかなり人の自由になります。
コロナで改めて注目された医療従事者などのエッセンシャルワーカーという仕事。
Getty Images / Carl Court
—— コロナ禍では、医療、スーパーの販売、ゴミ収集などに従事する、エッセンシャルワーカーの重要性が浮き彫りになりました。現場を離れることができない人たちを、いかに支えていくかも、都市の命題になるのでは?
ヨーロッパの都市開発では、エッセンシャルワーカーの人たちが、低家賃で住める家を必ずつくるようにと定められていますが、日本はその発想が遅れていますね。日本政府は好景気だった1980年代に、公営、公団住宅を支援する方向性を放棄したのですが、あの転換はすごく乱暴でした。代わりに何が起こったかというと、同じようなマンションの乱立です。
マンションというのは戦後の持ち家願望というフィクションと一体で、企業は終身雇用制で労働者を囲い込み、労働者はそれをもとに、生涯のローンを組んで、持ち家を買った。とりわけマンションには、同じ所得層の人たちが核家族の形で囲い込まれたわけで、東京の街が持っていた、本来の多様性を奪ってしまったと思っています。
はっきりいって、新築のタワーのあり方は考え直した方がいい。既存の街並みをいかに上手にリノベートするかが住宅、オフィス問題解決の鍵です。その場合、壁になっているのはハードの老朽化ではなく、建築基準法をはじめ、20世紀の枠組みの中で作られた、がんじがらめのルールの方です。
超高層のオフィスビルを住居に転換することは技術的に難しいのですが、超高層以前の中低層の古ぼけた雑居ビルなどは、用途などの規制を緩和すれば、事務所兼住宅にリノベートは可能です。1階がコワーキングスペース、上階がシェアハウスといったような形にすれば、若い世代も集まってくる。そうやって、どんどんおしゃれに変えていくといい。
—— 戦後の東京は駅前や横丁の商店街が発達し、カラフルな活気がありましたが、コンクリートのビルが林立するようになって、限りなくモノトーンの都市に変わってしまいました。そんな時代の中で、「会社」「オフィス」の意味はどうなっていくと思われますか。
人が集まる場所という点で、会社もオフィス空間も一定の意味は保ち続けます。ただ、これからは「労働するため」にではなく、「食べるため」に集まるという発想が、先端になる。仕事の相手と心の距離をどう近づけていくかは、今も昔もコミュニケーションの要諦ですが、そのためには、ものを一緒に食べながら話すことが一番だと、僕は経験的に感じます。
ですから今後、都市開発をする時は、都市機能のひとつとして「食べること」を重視するべきですね。例えば超高層ビルでも、ナショナルチェーンをひっぱってきて、全国どこでも同じ眺めを作るのではなく、1階は地元の個人が出店できるような家賃にして、そこでおいしい食堂やカフェをやってもらう。そうやって街とつながっていければ、東京のストリートはいい感じになっていきますよ。
今後、重宝されるのは「都市の中のオアシスのような場所」だろう。
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—— 隈さんが目指す都市像のモデルはありますか。
僕の地元の神楽坂は、路地と坂道が多いところで、住宅街の間にこじんまりした公園もあって、散歩するのが楽しい街なんですね。低層で木造の街並みだから、ぴかぴかのハコ型のビルと比べて家賃も安くて、個人経営の飲食店もいっぱいあるんです。
自粛期間中は、毎日散歩に出かけて、途中の公園で仕事の電話をしたりして、顔なじみの店主がやっている店でお弁当を買ったりして。だから、あまり不自由を感じませんでした。そういう、都市の中のオアシスみたいな場所は、絶対に失ってはいけません。
街を使いこなしているモデルとして、僕はかねてから「猫」に興味を持っていて、神楽坂では猫にGPSを付けて、生態観察を行ったんです。家猫、ノラ、半ノラと、三種の猫をサンプリングした結果、半ノラがいちばん自由で楽しく生きているんじゃないか、ということになった。半ノラは、何人かの飼い主を持って、それぞれの家で違う名前で呼ばれながら、違うエサをもらって、その家に飽きたら別の家へと、ぐるぐると好きなように回っているんですよね。
—— ニューノーマルの時代に示唆的な話ですね。
そう、ひとつのハコの中でエリートになって出世することじゃなくて、ハコを渡り歩いていけるたくましさが大事なわけです。東京に限らず、そういう自由さ、ゆるさを支える都市像を本気で探っていかないといけないですね。
(聞き手・構成、清野由美)
隈研吾:1954年生まれ。建築家。東京大学特別教授。主な著書に『ひとの住処』『建築家、走る』「負ける建築』など多数。