Reuters/Kim Kyung Hoon
新型コロナ危機、それにオーバーラップして盛り上がった Black Lives Matter 運動(BLM)は、教育・健康・経済面での格差、構造的な人種差別など、それまで社会に存在しながらも無視されてきた数多くの問題をさらけ出すことになった。これは、新型コロナというウィルスがもたらした「副作用」だったと思う。
その中で、期せずして見えてきたことがある。どんな社会が未知の危機に比較的うまく対応できるかということだ。特徴の一つは、「多様性(ダイバーシティ)」と「包容力(インクルージョン)」の高い社会の強さ、そして画一的で排他的な社会の弱点ではなかっただろうか。
「ダイバーシティとインクルージョン(D&I)」というコンセプト自体は、昨日今日生まれたものではないが、「社会を多様なタイプの人々に対してもっと公平なものにしていこう」「人種や性別などで人を差別するような社会は変えていこう」「これまで主流派でなかった人々の声に耳を傾けていくことが必要だ」という変化への要求は、少なくともアメリカにおいては、この数カ月間で目に見えて強まった。企業もそのような世論の流れに対し、素早く明確な対応を見せている。
2020年選挙は「マイノリティ女性の年」に
副大統領候補に指名されたカマラ・ハリス氏(右)。正副大統領候補として黒人の女性が指名されることは史上初(2020年8月20日撮影)。
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今秋の米大統領選に向け、民主党のバイデン候補がカマラ・ハリス上院議員をパートナーに指名し、彼女がアメリカ史上初の黒人(かつアジア系)女性副大統領候補であることが目下話題になっている。
実はハリス氏のみならず、2020年の選挙では、有色人種女性候補の多さが注目を集めている。
歴史上最多の女性議員が誕生した2018年の中間選挙は「女性の年」と呼ばれたが、今回は「マイノリティ女性の年」として歴史に残るだろう。
2020年大統領選と同時に行われる米連邦議会の上院・下院選挙には、267人の有色人種女性が出馬する予定だ(8月6日現在)。そのうち130人は黒人で、この数字は米国史上最多。他にもヒスパニック、先住民、アジア・太平洋系、中東系などのマイノリティの候補者数も史上最多になっている。
このような動きは、頻繁にマイノリティや女性を侮辱してきたトランプという大統領への怒りから生まれたものだと思うが、BLMの影響も明らかにある。BLM運動はいまや「黒人の人権問題」を超え、「あらゆる差別を許さない」「今まで十分に機会を与えられなかったマイノリティの声を今こそ聞こう」という空気を作り出している。結果、女性、人種マイノリティが、有権者としても候補者としてもこれまでになく重要視されているのだ。
BLM運動は黒人の人権運動を超えて、あらゆる差別を許さない、という空気を醸成しつつある(2020年7月29日、ポートランドで撮影)。
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アメリカでこのようにダイナミックな変化の雰囲気が盛り上がっているまさにその時、日本からは逆行するようなニュースが流れてきた。2020年度までに指導的地位に女性が占める割合を30%にするという目標を「今から10年以内のなるべく早い時期」に先送りしたという話だ。これには心底がっかりし、違和感も感じた。現在の世界や日本を取り巻く状況を考えたら、むしろこれまで以上に緊迫感をもって急ピッチでゴールを目指すべきだろうと思うからだ。
新型コロナで注目された女性リーダーたち
ドイツ、ニュージーランド、台湾、デンマーク、ベルギー、ノルウェー、アイスランド、フィンランド……。これらの国の共通点は、新型コロナウィルスの犠牲者の数を比較的低く抑えたと評価されたこと、そしてリーダーが女性だということだ。
国連によると、2020年1月1日時点で、選挙によって選ばれた国家元首152人のうち女性はわずか10人、つまり全世界で約7%だ。非常に少数派である女性リーダーたちがなぜ大多数の男性リーダーが率いる国々に比べ比較的うまく危機をマネージできているのか? これは広く関心を集め、さまざまなメディアや社会心理学者などが分析を試みている。
- フォーブズ:コロナ対策に成功した国々、共通点は女性リーダーの存在
- ニューヨーク・タイムズ: Why Are Women-Led Nations Doing Better With Covid-19?
- ジャパン・タイムズ: Why women make better crisis leaders
- Harvard Business Review: Will the Pandemic Reshape Notions of Female Leadership?
多くの記事は成功の理由として、柔軟な対応、正解が何かわからない状況の中であくまで事実に注目し、専門家たちの意見に耳を傾ける謙虚さ、ウィルスを「正しく恐れる」生活感度の高さ、不安の中で国民に寄り添った目線でメッセージを発信したことなどを指摘している。
メルケル首相など女性リーダーの国がコロナの封じ込めに比較的成功したのは、果たして偶然なのだろうか。
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例えばドイツのメルケル首相は、科学者らしい冷静さで淡々と状況の厳しさを説明しつつ、国民に理解と結束を求めた。医療関係者、スーパーで働く人々などに対して感謝の気持ちを述べることも忘れなかった。
ノルウェーのソルベルグ首相は、「育児をしながら、仕事もいつも通りに、しっかりやろうとしないように」「完璧な保護者になろうとしないように」と、自宅で育児と仕事をこなさなくてはならない母親たちに響く言葉で語った。
ニュージーランドのアーダーン首相は子どもを寝かしつけたあと、毎晩のように自宅からスウェット姿で動画を配信し、国民に自宅での自粛生活を勧めた。彼女がイースター(復活祭)前に子どもたちむけに発したメッセージの動画は、SNSで広く拡散された(ニュージーランド首相、イースターバニーと歯の妖精は「必要不可欠な労働者」(CNN))。
デンマーク、フィンランド、ノルウェーの首相は、子どもの不安や疑問に答えるための記者会見も行った。「いつ学校に行けますか?」「友達の家にいってもいい?」「おばあちゃんにはずっと会えないの?」などといった素朴な疑問に率直にわかりやすく答えた。
デンマーク首相による、コロナウィルスに関する子どものための「記者会見」
このようなEmpathy(共感力)、Compassion(同情する心、哀れみの心)を感じさせる発想や、相手に寄り添うコミュニケーション・スタイルは、「女性らしさ」と結び付けられやすい。確かにそのような側面はある程度あるだろうが、むしろそこにばかり注目し、因果関係を引き出そうとしすぎるのも、ある意味性的ステレオタイプへの依存というリスクがある。
私はむしろ、女性を一国のトップに選べるような国には、危機に強い何らかの特性があり、そこにこそ重要な鍵が隠れているのでは?という見解により説得力を感じる。つまりこれらの国々には、性別に関係なくフェアに機会を与え、評価する環境があり、それが危機における強靭さを生んでいるということではないだろうか。そして、それこそがまさに「ダイバーシティとインクルージョン(D&I)」度の高い社会や組織が危機において発揮する強みなのではないかと思う。
「ダイバーシティ&インクルージョン」とは
D&Iは、直訳すれば「人材のダイバーシティ(多様性)をインクルージョン(包容)すること」だが、「さまざまな違いを超えて、一人ひとりの価値観と能力を認め合い、各自が実力を発揮できるような環境こそが、持続的成長の原動力である」とする考え方だ。
日本ではダイバーシティを「女性活躍推進」と同義語に捉える傾向が強いが、本来はもっと幅広い属性が含まれる。 例えば、人種/民族/国籍/性別/年齢/学歴/性的アイデンティティ/性的指向/社会的クラス/身体的能力や障害の有無/宗教的信条/倫理的価値観/政治的信条/働き方/キャリア観/ライフスタイル、などだ。
ダイバーシティとは性別だけでなく、年齢や国籍、人種など本来もっと広い属性が含まれる。
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アメリカで「D&I」の概念が注目されるようになったきっかけの一つが、1987年に発表されたシンクタンクのハドソン研究所の「Workforce 2000」 という研究だった。この論文によれば、1985年から2000年までの新規労働力のうち、米国生まれの白人男性はわずか15%で、ほとんどの新規労働力は米国生まれの白人女性とマイノリティ人種及び移民だという。
そこで2000年頃からアメリカでは、多様な人材のモチベーションを高め、力を引き出す職場環境が企業の競争力維持に必要だという考え方が広まった。一方、欧州では、EU統合による労働力の流動化がきっかけとなり、D&I施策が進んだと言われている。
日本も人口動態(日本の場合は少子高齢化)が引き金になってはいるが、上述の通り、これまでのところもっぱら「ダイバーシティ=女性活躍推進」というくくり方が主流で、女性以外のマイノリティについての議論は限られており、「価値観や働き方、キャリアに対する考え方の違いなども多様性の一部である」という考え方はそれほど浸透してこなかった。
新型コロナ危機は、特にこの後者の点について、間接的にD&Iを推進する可能性がある。この数カ月でオフィスのあり方、テクノロジーの使い方、仕事の進め方、評価の仕方などが急速に変化し、従来のやり方に100%戻ることはないだろうと言われている。従来のやり方にとらわれず、新しい価値観や発想、新しい働き方を受け入れない限り、新たな世界には対応することはできない。そのことに気がつき始めている経営者は多いと思う。
コロナとBLMで加速するESG・SDG
アップルのティム・クックCEOは、フロイドさんの事件の後、人種差別と闘う姿勢を示し、黒人社員のキャリアの支援などに取り組むことを表明した。
HANDOUT /Reuters
投資コミュニティにおいては、コロナの前からESG投資、SDGs(持続可能な開発目標) への関心が高まっていた。ESG投資とは従来の財務情報だけでなく、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)要素も考慮した投資のことだ。ブルームバーグによると、グローバルのESG関連債の2019年の発行残高は2719億ドル(約28兆7202億円)と、過去5年で約20倍に増えたという。
2020年1月、世界最大の資産運用機関である米ブラックロックのラリー・フィンクCEOが、「サステイナビリティ宣言」を発表し、今後はESG(環境・社会・統治)を軸にした運用を強化すると表明した。彼はESGを考慮したポートフォリオのほうが、投資家により良いリターンをもたらすと確信するとも述べている。
同じく1月に、米ゴールドマン・サックスが「女性の取締役がいない会社の新規株式公開(IPO)は引き受けない」と発表した。7月1日から新方針を適用し、2021年からは最低2人の就任を求めるという。ソロモンCEOは新指針の導入の理由として、上場企業のうち、女性取締役がいる企業の方が業績が良いことを挙げている(今回対象はアメリカと欧州で、女性の登用が遅れている日本などアジアでは現在のところ適用を見送っている)。
また同社はこの夏、2025年までにバイス・プレジデントと呼ばれる管理職に占める女性の比率を40%に、黒人は北米、南米、イギリスにおける同比率を7%に、ヒスパニックは北米・南米で9%にすることを発表した。新入社員の黒人比率も引き上げるため、2025年までに黒人中心の大学卒のアナリスト採用数を倍増させる計画もある。人種や性別だけでなく、性的少数者(LGBTQ)など多様な人からなる企業を目指す一環で、今秋から7000人の管理職を対象にしたダイバーシティー研修も実施するという。
これらは、明らかにBLMの流れをうけての施策だろう。なお、同社では、今年の大卒アナリスト採用で初めて女性が過半数になった。
社会における企業のあり方を再考
世界最大のコロナ感染地域となったアメリカ。セントラルパークには“野戦病院”のような緊急病院までできた。写真はそれを解体する様子(2020年5月9日)。
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ESGを推し進める傾向は、コロナ危機やBLM運動の流れで、停滞するどころか一層強まっている。
例えば、J.P.モルガンがグローバル機関の投資家を対象に行った最近の調査によれば、 「コロナ危機はESG投資に今後3年間でどう影響を与えるか?」という質問に、回答者の過半数は「ポジティブな影響を与える」と答えている。
パンデミックがESGを後押ししている一つの明らかな理由は、危機によって「S」、社会における企業の役割を投資家たちが捉え直しているということだ。
現在世界中で、雇用の安定、医療へのアクセスなどが喫緊の課題になっている。資本主義が構造的格差の原因を作ってきたという批判の声も強くなっている。そのような環境下、「企業がこれらの問題にきちんと対応できているかどうかは、その組織の価値を左右する重要な問題である」という認識が投資家の間でも強まっているのだ。
日本も決して例外ではない。
例えば、議決権助言会社のグラス・ルイスは2019年から、東証1部上場企業100社に対して、女性役員が1人もいない場合、トップの選任に反対票を投じるよう機関投資家に助言している。2020年2月からは、反対を助言する対象をすべての東証1部・2部上場企業に広げた。
日本でも、例えば年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が2017年からESG指数に連動する投資を始めた。この動きは、海外でも大変注目を集めている。
業績や採用、リスク管理でもプラス
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ESG・SDGの流れとも相まって、D&Iはいまや企業の競争力や将来性を評価する重要指標と考えられている。多様性の高い組織の優れている点については数々の研究があるが、よく指摘されている主なポイントは下記のようなものだ。
●より優れたガバナンス
多様な属性や価値観を持った人材が意思決定に参加することで、企業のガバナンス、透明性、リスク管理、経営判断の質が向上する。
●イノベーションに適した環境
多様なものの見方、価値観、経験をもつ人々が強みを生かして共に働くことで、斬新でクリエイティブな発想が生まれる確率が高まる。
●多様性を重視している企業の方が業績が良い
ダイバーシティの向上と企業の業績には相関関係があるとされている。この分野では多くの分析がなされているが、日本でも次のような事例が報告されている。:
ー平成22年(2010年)みずほ情報総研の調査では、管理職の女性比率が過去5年間に増加した企業は5年前と比較し、経常利益が増加する傾向がみられた。
ー女性の活躍推進が進んでいる企業ほど経営指標が良く、株式市場での評価も高まるという報告(平成24年、経済産業省)。
ー2015年のPwC世界CEO意識調査では、85%のCEOが「会社のダイバーシティ戦略が業績を向上させた」と答えている。
●ブランディング
今日の従業員や消費者は、企業に社会の課題に向き合うことを強く求めるようになっている。D&Iの問題も、その重要な一つだ。
特に、ミレニアル世代(25〜39歳)、Z世代(8〜24歳)は、消費者や従業員(あるいは将来の消費者・従業員)としても重要な世代だ。彼らは環境、人権といった社会正義に対し、親の世代に比べてはるかに敏感で、企業もそのレンズを通して評価する。正しくないことをやっている思う企業の商品はボイコットし、価値観に賛同できない組織では働きたくない。異議を唱える時にはSNSを使い、一気に拡散する方法も心得ている。
●人事面でのメリット
多様性の問題にしっかり向き合うことは、人事面でのリスクマネジメントにもなる。今日の社員たちは、自分の勤める企業が日頃からどの程度真剣に人権問題に向き合い、多様性に取り組もうとしているかを厳しく見ている。 それはジェンダー、性的指向、障がい者、人種、あらゆる意味においての「多様性」だ。
企業がこれらに真剣に取り組んでいるかは、就職時の企業選択、従業員の定着度、満足度、組織への帰属意識、仕事への意欲などに関わってくる。また、何か問題が起きた時のための防御としても重要である。
日本の「2020年30%」ゴール延期
安倍政権は「女性活躍」を掲げるものの現実の対応は女性活躍にはほど遠い。
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世界的には、D&I推進を今や「経営上の戦略的課題」と捉えている企業が多いにもかかわらず、日本政府は7月21日、「2020年度までに指導的地位に女性が占める割合を30%に」という目標を先送りし、「20年代の可能な限り早期」とする方針を示した。この言い回しに、「できたらやる」というぐらいの切迫感のなさを感じた方は多かったのではないだろうか。私もその一人だった。
そもそもなぜ30%なのか。内閣府のサイトには「国連ナイロビ将来戦略勧告で提示された30%の目標数値や諸外国の状況を踏まえて」と記載されているが、30%というと、ハーバード大学のロザベス・モス・カンター教授による「黄金の3割」理論が有名である。構成人数の30%を少数派が占めると、意思決定に影響力を持つようになるという理論だ。
2019年の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で、安倍首相は日本の女性の労働参加率は67%になり、「アメリカより高い比率になった」と述べた。しかし、同年12月に世界経済フォーラムが発表した「ジェンダー・ギャップ指数」レポートでは、調査対象153カ国のうち、日本は121位と前年(110位)からさらに順位を落とした。これは日本にとって過去最低、G7ではもちろん最低順位、中韓両国と比べても下回る。
日本のジェンダーギャップが特に大きいのは政界。衆議院議員に女性議員が占める割合は10%にとどまる。
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日本は女性の労働参加率や4年制大学への進学率はアップしているにもかかわらず、企業や政治におけるリーダー層には女性はまだまだ少ない。現実は:
●2019年6月、内閣府の発表によると、部長相当職6.6%、課長相当職11.2%、係長相当職18.3%と、30%の目標値からはほど遠い。企業規模が大きいほど女性管理職の平均割合が低くなる傾向もある。
●2019年の時点で、課長相当職以上の管理職に占める女性の割合は11.8%(厚生労働省)
●衆議院議員の女性比率は10.1%。世界193カ国中164位(内閣府、2019年)。一方、イギリス・フランスと比較すると、1980年代までは女性議員比率に日本とほとんど差はなかったが、現在の女性議員比率はイギリス約32%、フランスは約40%。
「2020年に指導的地位に占める女性の割合を30%に」という政府目標が定められたのは2003年。17年経ってもここまでしか来られなかったということを考えると、今後10年以内に30%を達成できるかも正直心細い。
トルドー首相は「2015年だから」
カナダのジャスティントルドー首相。組閣した内閣の閣僚は男女同数。男女の賃金格差の是正なども促進している。
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2015年、カナダのトルドー首相は新内閣の閣僚を男性15人、女性15人の同数にした。この内閣は、女性の登用のみならず、先住民、移民出身者、元パラリンピック選手など多様なバックグラウンドを持つ人々から構成されており、国民の多様性に価値を置くカナダらしいと称賛された。2019年の内閣改造時も、男女比は半々に保たれ、再びニュースとなった。
このほかにもカナダは、連邦法によって設立された企業に対しては、取締役会の構成員と上級管理職の性別比率を公開するよう奨励したり、男女賃金格差を解消するための賃金衡平法を導入したりしている。
2015年の組閣時、記者会見で閣僚を男女同数にした理由を問われたトルドー首相は、「……2015年だから?」と答えた。「なぜそんな当たり前のことを聞くんですか?」と言わんばかりに。日本が男女比の修正に向かって全力で進まない根本的な理由は、ここにあるのではないかと思う。つまり「それが当たり前のことだ」という考え方が欠けているということだ。
「同質性こそが強み」という考え方
撮影:今村拓馬
「日本の強みは同質性にある」という考え方がある。多民族国家アメリカや、多くの人が頻繁に国境を超えて働く欧州などと比べると、日本は、人種問題などマイノリティの問題にコストをかけずにやってこられた。日本のビジネス界は長い間、日本人男性を基準にデザインされ、それ以外の人々を「例外」とみなし、別の基準を作ることなくやってきた。「男は仕事、女は家庭」というくくりが有効だった間、これはある意味で非常に効率的なシステムだった。みんなが一つのモデルに合わせれば良いのだから。
でも、この先にある世界を考えた時、これまで通りの男性中心の組織に国際競争力、持続性があると言えるのだろうか。
同質の人々が作る組織は、物事がうまくいっている時には効率的だが、画一的な Group Think (集団思考。合意に至ろうとするプレッシャーから、集団において物事を多様な視点から批判的に評価する能力が欠落する傾向)、Path Dependency (経路依存性)に陥りやすい。特にこれまでのシナリオが有効でなくなった時に、軌道修正が難しい。これらのリスクを避ける最も確実な方法は、多数派と違うバックグラウンドや専門性、価値観を持つ人々をあえてまとまった数(例えば上述の30%)意思決定の場に巻き込むことだ。
欧州諸国では、役員の一定比率を女性に割り当てるクオータ制(割当制)を課している国も多い。クオータ制に対しては、「優秀な女性がいない」「数合わせのために、女性にだけ下駄を履かせるのか」といった反発がしばしば聞かれるが、私は「2030延期」の発表を聞いて、日本にはクオータ制の導入にも意味があるのではないかと思えてきた。そこまでやらないといつまで経っても数字が伸びないのではないかと。もしくは欧州諸国ではクオータではなく、コーポレート・ガバナンス・コード(CGC=企業統治指針)など自主規制によって女性役員比率が30%程度まで向上しているケースもあるというから、クオータ制だけが答えではないのかもしれない。
性別欄のない履歴書
そんな中、ここへきて日本でも変化を感じる話があった。例えば、2020年3月のユニリーバジャパンの「採用の履歴書から顔写真とファーストネームをなくします」という取り組みだ。
日本では性別・年齢・既婚か未婚かなど、個人の属性を問う項目のある履歴書が広く使用されてきた。これは、多くの先進国では考えられない慣習だ。
例えば、アメリカでは、履歴書に性別も年齢も書かないし、写真はもちろん貼らないので、男女両方あり得るような名前(例えばアレックス)の場合、実際に顔を合わせるまではその人が男か女かわからない。面接では家族構成も聞いてはいけない。採用されなかった人が、「能力と直接関係ないことで差別されたかもしれない」と思うような原因は、極力作らないようにしなくてはならない。
ユニリーバジャパンは、このグローバル・スタンダードを日本にも適用しますと宣言したわけだ。ユニリーバは、D&I分野ではしばしばモデル企業として取り上げられる。2010年に策定した長期行動計画で、女性管理職比率を2020年までに世界中で50%にする目標を掲げ、既に達成している。
●Unilever achieves 50/50 gender balance across global leadership (03/03/2020)
●Unilever announces gender parity among global managers (03/10/2020)
また、ジェンダーのみならず、多様性を多面的に向上させることに取り組み、結果を出している。例えば、米国ユニリーバのリーダーシップは、42%が有色人種、17%が黒人、従業員の30%が有色人種だ。
また、8月には文具大手のコクヨが、性別欄をなくした履歴書を発売する方針を発表。主要メーカーの履歴書で初めてになるという。
履歴書の性別欄の廃止など、これまでの常識を疑うことで意識も変わる。
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D&Iを推進していく中で一番難しいのは、意識改革だ。人々の固定観念や過去の経験、無意識の偏見を取り除き、認識をリセットすること、これはある日突然できることではない。リーダー自身が強い信念に基づいたメッセージを発信し、身を以て範を示し、D&Iの理念と一貫した組織文化と制度デザインを整え、オペレーションにまで落とし込んでいくという包括的で地道な努力が必要だ。
ユニリーバの履歴書の例のように、ともかくデザインやプロセスを変えてしまうという方法もあるだろう。これまで常識と思ってきたことを捨て、新たな常識に慣れるのは時間と努力が要ることだし、「これをやることが絶対に必要だ」という優先順位付けなしには実現しない。
ある意味、コロナで将来が見えないいまは一つのチャンスでもある。これほどまでに根本的なリセットと変革に適した時もなかなかないからだ。海外では多くの企業が、新たな世界の中で優れた人材を確保し、競争力と成長力を保つためにD&Iを経営戦略のプライオリティと捉え、思い切った組織改革と意識改革を加速させている。日本がますます引き離されないないことを願っている。
(文・渡邊裕子)
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパン を設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。Twitterは YukoWatanabe @ywny