「お兄ちゃん、この前、すごく嫌なことがあってさ……」
シマオには2歳下の妹がいる。先日、久々に電話で話した時、妹がため息混じりに話したことを、シマオは反芻していた。
それまでジェンダーという言葉を耳にしても、あまりピンときていないシマオだったが、妹の憂鬱な気持をもっと理解してあげたいと佐藤優さんのもとへ向かった。
男性優位社会の理由は「腕力が強かっただけ」
シマオ:佐藤さんは社会における男女の差って、結構感じていますか?
佐藤さん:日本社会はかなり男権だと思います。これは良くないです。
シマオ:この前、実家にいる妹とZoomで話していたのですが、まだまだ地方は男女格差が激しいみたいで。取引先との飲み会の際、上司に「女の子が一人いたほうが華があるから」と連れて行かれるみたいなんですけど、特に意見を求めらるわけでもなく、ただいるだけ。そんな扱いに何かとストレスが溜まっているみたいでした。
佐藤さん:それはいけませんね。女性を添え物のように考える価値観は間違っています。しかし女性が軽く見られるという話は、いまだに耳にしますね。ジェンダーの問題は、日本だけでなく各国共通で根強くあるのが現実です。
シマオ:僕、正直あまり実感がなくて。こういうことを言うと勉強不足と怒られるかもですが……、僕の会社も女性の活躍推進のため、結構いろいろな制度ができてたりと、良くなっている気がしているんですよね。
佐藤さん:表層が整えられてきたのがこの40年。少しずつ浸透はしてきていますが、表皮に塗られた薬が患部まで効いてきたとは言えません。日本はそのスピードがかなり遅いのだと思います。韓国の作家、チョ・ナムジュ氏の『82年生まれ、キム・ジヨン』という小説を読みましたか?
シマオ:いや、まだです。
佐藤さん:この本は韓国だけでなく日本でもベストセラーとなりました。女性ならではの困難や理不尽を描いていますが、日本女性が共感するのは当然のことと思いましたね。
シマオ:確かに、さまざまな場面で女性が生きづらさを感じていることは分かります。僕もその潜っている差別を知っていかなければいけないとは感じます。しかし……そもそも、なぜ男性優位の社会になってしまったのでしょうか?
佐藤さん:いろいろな考え方はあるけれど、私は端的に「男のほうが筋力が強かっただけ」だと思っています。
シマオ:確かに、平均的に見れば男性のほうが体格がよいですね。
佐藤さん:人間は社会的な動物です。社会的だということは摩擦が起きるわけで、その時に腕力が強いものが勝つというのは、古い時代では当たり前でした。でも、それは非常に乱暴で野蛮なことで、人間が文化的になるということは、そういう腕力に頼らないで問題を解決できるようになるということです。
シマオ:確かに、暴力で問題を解決するような社会は前時代的、というかただの動物ですよね……。でも、そう考えると今の先進国はそういう弱肉強食の社会ではないはずなのに、それでも男性が優位になってしまっているのはなぜでしょうか?
佐藤さん:二つの意味で男性優位ということが「潜って」しまっていることだと思います。
シマオ:潜っている?
佐藤さん:一つは、社会の制度自体が男性優位につくられてきたので、それが当たり前だと思ってしまうこと。もう一つは、男性自身が自分が優位であるということに気づいていないので、無意識に強権的に振る舞ってしまうことです。
シマオ:具体的にはどういうことなのでしょうか。
佐藤さん:例えば、男女雇用機会均等法が1986年に施行される前は、女性が深夜労働をすることなどが禁止されており、実質的に雇用の機会が制限されていました。シマオ君が勤めているような大手企業でも大卒の女性を採用することはほとんどなくて、女性社員は高卒か短大卒の人を一般職、つまり補助的な役割として採用していたんですよ。
シマオ:えっ、そうだったんですか……! 今では考えられないです。
佐藤さん:それはおかしいとなって男女雇用機会均等法ができて、そうした制度的な差別は廃止されました。では、それで男女平等は実現されたと思いますか?
シマオ:そうではない……んですよ。それが無意識の差別ということですね。
佐藤さん:そうです。
アファーマティブ・アクションという解決
シマオ:でも「女性差別がいけない」ということ自体に反対する人は少ないと思うんですけど、社会や企業の姿勢はなかなか変わらないのはなんでなのか……?
佐藤さん:そもそも、日本人はジェンダー的な視点に疎いところがありますね。以前、東京オリンピックに向けて、日本ではAIを活用した「受付嬢ロボット」の開発が進んでいたのを知っていますか?
シマオ:あ、何かニュースになっていましたね。いろいろ批判も多かったと。
佐藤さん:国立情報学研究所教授の新井紀子さんいわく、欧米の研究者から強い批判を受けたそうです。「なぜジェンダー・バイアスを助長しているロボットのことが、社会的に問題にならないのか?」と。
シマオ:そうですよね。
佐藤さん:言われればそのとおりだと思いますが、やはり日本人の多くが、大企業の本社受付には若い女性が座っているのを当たり前だと思っているということです。それが無意識というものです。
シマオ:日本の政治家や企業の管理職における女性比率は、他国と比べても低いとされています。女性活躍の応援団のポスターに男性しかいないとか、本当ギャグですよね。
佐藤さん:無意識というのは意識がない。悪気もない。だから変えにくいんです。
シマオ:そうですよね。良かれと思ってやった……という人もいそうです。
佐藤さん:それを解決する一つにアファーマティブ・アクションという方法があります。
シマオ:アファーマティブ……何でしょうか?
佐藤さん:アファーマティブ・アクションというのは「積極的優遇措置」などと訳されます。簡単に言えば、政策として男女の閣僚の比率や企業の管理職の比率を半々にしてしまうといったことです。 例えばアメリカの大学などでは、アフリカ系黒人の入学者数を一定数確保するということが、アファーマティブ・アクションとして行われたことがあります。
シマオ:なるほど……。でも、それって逆に女性を優遇することになりませんか?
佐藤さん:アファーマティブ・アクションが「逆差別」ではないかという指摘は常にされてきました。でも、その指摘は正しくありません。例えば、企業のトップが男性ばかりだから男性の目線で採用や昇進が決められてしまうのだとすれば、その状況は永久に変わりようがありませんよね? 少々強引でも意志決定メンバーの中に女性を入れなくては、せっかく女性活躍のために作った制度もまったく見当違いなものとなってしまう。
シマオ:そもそもの前提条件である「トップが男ばかり」っていう部分を強制的に変えなければいけないということですね。
佐藤さん:そのとおりです。最初のうちは女性に対する優遇だという声があるのは仕方ないでしょう。でも、そのうちに男女の間に能力差なんてないんだということがはっきりしてきます。
大学で教鞭を執る佐藤さんは男女の能力に差がないことを肌感覚で知っている。「家族など女性を取り巻く身近な環境が活躍のストッパーとなっていることが多い」という。
東京医大入試不正の原因と、東大に女子学生が少ない理由
佐藤さん:東京大学の合格者数の男女比は、女性が20%に届いていません。では、男性のほうが女性より圧倒的に優秀なのかと言えば、決してそんなことはありません。私は大学で教えていますが、この数字は肌感覚としておかしい。
シマオ:つまり、そもそも女性が東大を受けていない、ということになりますね。それってどうしてなのでしょうか。
佐藤さん:複合的な要因だと思います。「女の子なんだから浪人してまで東大を狙わなくてもいい」「下手に高学歴・高収入を得たら独身で働き続けなければいけない」……。こうした価値観は親世代に今でも残っていて、面と向かっては言われなくても、女子学生自身が感じて内面化してしまうこともあると思います。
シマオ:すると、東大に受かる学力があっても、地元の大学を選んでしまったりするわけですね……。
佐藤さん:スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットは『大衆の反逆』という本の中で「私とは、私と私の環境である」と言いました。どんなに個人が平等を望んでも、社会意識という環境がそうなっていなければ見えない障害となる。このことを英語では「ガラスの天井」と呼んでいます。
シマオ:大学と言えば、東京医科大学をはじめとする医学部の入学試験で男性が不正に優遇されていたという事件が話題になりましたね。あれもあり得ないですよね!
佐藤さん:もちろん、男女でテストの点数に差をつけるのは完全な差別で、あってはならないことです。結論としては間違いだけれども、一方で大学側の言い分にある根拠も理解することはできます。
シマオ:と言いますと?
佐藤さん:大学の医学部というのは事実上の就職試験で、防衛大学校とかと似た性質があります。つまり、卒業後に医師や医学者になることが前提となっている。というのも、医学部教育には莫大なお金がかかるからです。
シマオ:学費がすごく高いって言いますよね。
佐藤さん:国立はもちろん、私立の高い学費をもってしてもまったくペイしていません。大学という場所はどこも税金が投入されていますが、医学部はその投資額が桁違いに大きい。だからこそ、医学部を卒業したら医者になってもらわなければ困る。そして、女性は結婚などで辞めやすいと考えられるから男性を優先したい。そういう意識が大学にはあったのでしょう。
シマオ:でも、仮に女性が結婚や出産で辞めたとしても、辞めざるを得ない状況が差別的だということですよね?
佐藤さん:はい、まさにシマオ君の言うとおりですね。だから、今回の不正には2段階の間違いがあります。1つ目は、男女で点差をつけるという差別的な方法ではなく、本人の意思をちゃんと確認して行うべきでした。
シマオ:どうやって確認すればよいのでしょうか。
佐藤さん:それが面接の役割ですよね。本人がどれだけの覚悟をもって医師を目指そうとしているのか。丁寧に面接をすればそれを確認することができます。そして、もう1つがシマオ君の言うとおり、仮に女性がライフステージによって離職せざるを得ないということがあれば、それが起きてしまう仕組み自体を問い直すことです。
シマオ:女性医師が出産しても戻ってきやすい環境を整えるということですね。
佐藤さん:結局、こういった不正が承認されるのも、大学の上層部のほとんどが男性だったことに起因すると考えられます。だからこそ、まずは男女の比率を半々にしてしまう。そうすれば、おのずと社会意識が変わってくると考えています。
※本連載の第28回は、9月2日(水)を予定しています 。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)