【ニューノーマルの時代・角田光代】物語を読む意味は他の人の人生を知り、自分の人生を見つめ直すこと

角田光代

撮影:三原久明

ポストコロナの時代の新たな指針、「ニューノーマル」とは何か。今回は作家の角田光代さん。

最新刊『物語の海を泳いで』には、これまでの読書歴から「物語を読む」「本を読む」体験が角田さんの人生をどう形づくってきたのかが綴られている。

今回のコロナ危機は小説のあり方などにどんな影響を及ぼすのだろうか。


—— コロナによる自粛期間、角田さんはどう過ごされていましたか?

この5年間ずっと現代語訳に取り組んでいた『源氏物語』がついに完成したのですが、2月下旬から予定されていた完成記念イベントが全て中止になり、4、5月はずっと家に閉じこもっていました。普段から私は1人で仕事をしているので、基本的な生活は変わらないのですが、感染に対する不安から執筆に集中できませんでした。小説を書く意味を見出せなくなってつらかったですね。

小説

ますます先が見えない時代に、小説はどんな存在になるのだろうか(写真はイメージです)。

Shutterstock.com / Shuang Li

—— そのつらさは6月以降、外出ができるようになって変化はありましたか?

6月末に(ライターで「酒場放浪記」などの番組も持つ)吉田類さんとの対談がありました。家族以外の人と会って話すのが久しぶりで、とても楽しかったんです。それなのに、後日その対談原稿を確認したら、「小説を書いて何の意味があるのか」「コロナによって人間の心の闇が露呈した」など、とてもネガティブな発言をしていて、自分でも驚きました。

自分ではもっと和やかに語っていたつもりだったのですが、不安な気持ちが潜在意識としてあったのかもしれません。人と会わず、くだらないことも話さない時期が続くと、人間はこんなにもネガティブになるのだなと実感しました。

ニューノーマル 角田光代さん セリフ

—— 私も連日コロナのニュースを編集していると、どうしてもネガティブな思考に陥りがちだったので、現実逃避にと『愛の不時着』を見出したら、韓流ドラマにどっぷりハマってしまいました。

私もです! Netflixで見る韓流ドラマが日々の癒しになっていました。『愛の不時着』から入り『梨泰院クラス』を見て、今は『マイ・ディア・ミスター 〜私のおじさん〜』を見ています。読書はいろいろと考えてしまうのですが、ドラマは何も考えずに楽しめるのがいいですよね。

—— 先ほど、「小説を書く意味を見出せなくなった」とおっしゃいましたが、そのときの気持ちをもう少し教えていただけますか。

小説を書いても現実は変わらない。この不安が消える訳ではないのだと、どんどんネガティブな方に考えてしまいました。この5年間、『源氏物語』を現代語に訳すという仕事に集中して、小説を一切書いてなかったのも大きいと思います。締切が近づくと部屋に缶詰になって、1日16時間執筆に費やした期間もあります。1年に何カ月かはそうして缶詰になって、食事と睡眠以外は、『源氏物語』に費やしていました。

東日本大震災

社会を大きく変える危機が起きたとき、「小説は無力だ」と感じるそうだ。2011年の東日本大震災の時も、そうだったという。

REUTERS / Toru Hanai

訳し出した最初の2年間は思いついたアイデアをメモして、源氏訳が終わったら短編小説にしようと思っていましたが、だんだん書ける自信がなくなってきて、3年目からは恐怖しかなくなりました。

この小説から離れた5年の後にコロナ危機が来たので、余計に気持ちがネガティブになってしまったのかもしれません。

2011年の東日本大震災のときも「小説は無力だ」と感じたのですが、自分の仕事が無駄だと思ったことはなかったので。

—— 角田さんはこれまでの読書体験を書かれた新刊『物語の海を泳いで』の中で、「1995年を境に小説の立場が変わった」と書かれていますよね。

阪神・淡路大震災とオウム事件が起こって以降、「小説の在り方が変わった」とは思っていましたが、その変化が、それらの災害や事件と関係しているとは思いつつも、どのように関係しているのかはっきりと分かっていなかったんです。

ある時、(劇作家の)鴻上尚史さんと話していたときにその話題になり、「オウム事件はあまりにも人の理解を超える出来事だったから、みんなが理解可能なものを求めるようになった」と鴻上さんがおっしゃったんです。そのときに「なるほどそういうことだ」と納得しました。

1995年以降は、難解な小説が避けられるようになり誰にでも分かりやすく、共感しやすい小説が求められるようになった。「求められる小説が変わった」と感じました。

ニューノーマル 角田光代さん セリフ

—— そう感じることで、角田さんご自身の変化はありましたか?

私は1990年に(純文学雑誌の)『海燕』でデビューしたのですが、だんだん純文学の仕事が来なくなって、意識してエンターテインメントへと移行したんです。個人的にエンタメにスイッチした時期が偶然、社会の変化とシンクロしていたんです。

純文学は難解でいい。分からない人は分からなくてもいいというスタンスですが、エンタメは誰もが理解できて、終わり方もはっきりしたものが求められますよね。

以前、(作家の)川上弘美さんと穂村弘さんと対談したとき、「純文学とエンタメの違いは何ですか」とお二人に聞いたら、純文学は銀行強盗を書くときに「強盗をした」という事実だけでいい。銃もお金も銀行すらも出てこなくていいと。一方、エンタメは、「どこの銀行で、どうやって犯行を行ったのかまで、詳細に描写しなければならない」とお二人がおっしゃったんです。

その言葉を聞いて、エンタメ小説を書くときは、誰もが場面を想像できるように、社会の描写が必要であると改めて感じました。

オウム事件

人々の「理解を超えたところ」で起きたオウム事件。今回のコロナ危機も、多くの小説やエンターテイメントに影響を与えるだろう。

REUTERS / Toshiyuki aizawa

—— オウム事件の影響は大きく、メディアも政治や経済のニュースだけでなく、人間のより内面を取材するようになり「心の時代」と言われました。一方で、小説界では、村上春樹さんがオウム事件を題材にしたノンフィクション『アンダーグラウンド』を書かれるなど、現実の社会に直接向き合う方も出ました。

角田さんはこのコロナ危機を経て、今後書く小説の題材が変わっていくと思われますか?

絶対、変わると思います。1995年から小説が変わってきた結果が分かったのが10年後ぐらいでした。コロナによる小説の変化も10年後くらいに分かるのではないかと思います。どう変わるかはまだ分からないですが、時代が変わっても、小説自体は淘汰されない。でも、書かれるテーマなど内容には確実に影響を及ぼすと思います。

—— 今は読売新聞で連載をされていますが、少しずつ小説を書く感覚は取り戻されていますか。

それが全然、感覚を取り戻せないんです。

連載では東京五輪のパラリンピックを題材にした小説を書いています。ずっと取材も続けていたのですが、延期になって少し困っている状況です。

連載は毎日なので、今はとにかく書くだけ書いて、いつでも直せるように書き溜めることに注力しています。まずは感覚を取り戻すまで、ひたすら書くしかないと思っています。いまの連載が無事終わったら、少し自信を取り戻せるかもしれません。

本を読む女性

アフターコロナの文学とは。それが明らかになるのは10年ぐらい経った頃かもしれない。

Getty Images / d3sign

—— こうした先の見えない時代にそれでも“物語が持つ力”ってなんだと思われますか。

この5年間、『源氏物語』を書きながら、「なぜ人は物語を必要としているのか」を考え続けてきました。行きついた答えが、人間は他人の人生を知りたいのだと。なぜなら、他人の人生を知ることは、自分の人生を見つめ直すことにつながるからだと思ったのです。

ニューノーマル 角田光代さん セリフ

『源氏物語』には、たくさんの女性が登場します。例えば、紫の上はあんなに光源氏の寵愛を受けるのに、最後は別の人が正妻になって「出家したい」と言いながら死んでいきます。こんなに愛された人が不幸な死に方をするというのは、「人生とは何か」「生きる意味とは何か」という問いかけでもあると思うのです。

読み手にとって、登場人物のさまざまな生き方のモデルを知ることが、自分の生き方を考えるきっかけになるのではないでしょうか。

私自身も5年間かけて『源氏物語』を訳して、小説に対する考えが少し変わりました。例えば、『坂の途中の家』という過去に書いた小説では、細かい心理描写が多いんです。でも、『源氏物語』に取り組む中で、今後はそうした作風ではなく、大河ドラマのようなダイナミックな小説に挑戦したいと思うようになりました。

(聞き手・浜田敬子、構成・松元順子、浜田敬子)


角田光代:1967年生まれ。早稲田大学卒業後、1990年『幸福な遊戯』で『海燕』新人文学賞を受賞し作家デビュー。主な作品に『空中庭園』『対岸の彼女』『八日目の蝉』『ツリーハウス』『紙の月』『私の中の彼女』など多数。『2020年『源氏物語』の個人全訳(全3巻)が完訳。最新刊は『物語の海を泳いで』。

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