筆者作成
連載「『自律思考』を鍛える」では、リクルートグループに29年間勤務し、独立後はさまざまな企業に対して業績向上支援を行っている中尾隆一郎さんに、生産性高く成果を出すスキルを身につけるためのエッセンスを解説していただきます。
前回は、チームメンバーの個性に合わせて仕事を割り振るツール「MAT(Mission Assignment Tool)」を紹介していただきました。今回は、MATを作る際に必要な3つの事前準備のポイントについて解説していただきます。
MAT作成に必要な3つの事前準備
前回は「チームの生産性をもっと高めたい」という課題を解決するひとつの手段として、私が考案した「MAT(マット:Mission Assignment Tool)」というツールをご紹介しました。
MATは私がリクルート在職時代、自分の組織の生産性を高めるために活用していたものです。ミッションの遂行に必要な工数がどのくらいなのかを予測して明記する点が最大の特徴で、シンプルながらもさまざまな組織で活用できます。
実際、コロナの影響が深刻化しはじめた2020年4月、ある勉強会でビジネスリーダーたちにMATを紹介したところ、大企業から中小企業、NPO、ボランティア団体、自主勉協会の事務局などさまざまな組織で活用が進み、効果を発揮しています。
MATの作成手順をざっくり言うと、まず左端の列に「ミッション」を記入し、次に先頭行にチームメンバーの名前を記入、そして、ミッションとメンバー名の交点に「ミッションシェア」を記入する、となります。
前回は詳しく踏み込みませんでしたが、いざMATを作成してみようとすると、ふと疑問が湧いてくるかもしれません。「ミッションはどのくらいの粒度のものを記入すればいいんだろう?」「誰にどのミッションを割り振ればいいんだろう?」と。
実は、上記3つのステップを進めていくためには、次の3つの事前準備が必要になります。
- 左端の列に記入する「ミッション」とその中身の確定
- 先頭行に記入する「チームメンバー」の確定
- 「メンバーの特徴」の把握
(2)は比較的簡単ですね。ただし、(1)と(3)は少々やっかいです。ミッションとその中身の確定はプロジェクトの成否を決める重要なポイントですから方向性を間違えないように定める必要がありますし、「ミッションシェア」を記入するためには、各メンバーの特徴を的確に把握しておく必要があります。
そこで今回は、MATを作成する際に必要となる事前準備、すなわち「ミッションの因数分解」「ミッションシートの作成」「メンバーの特徴の把握」の3つについて、詳しく解説していくことにしましょう。
筆者作成
1. ミッションを因数分解する
まず実施するのは「ミッションの因数分解」です。ここでは、組織が達成しなければならない内容(ミッション)を的確に押さえて、それをいくつかの構成要素に分けていきます。
私がこのお話をすると、よく「どれくらいの細かさで『因数分解』すればいいですか?」という質問が挙がります。それに対してはこんなたとえ話をすることにしています。
あなたが達成しなければいけないことは、いわば“大きな岩”のようなものです。あなたはその岩を、言われた場所まで運ばなくてはなりません。けれど大きな岩のままではびくともせず、チームメンバーが力を合わせても持ち上げることすらできません。
ではどうしたらいいのか? 各メンバーの力量に合わせて、大きな岩を小さく分解すればいいのです。
多少大きくても持ち運べるメンバーもいれば、かなり細かくしないと持てないメンバーもいるでしょう。それぞれの腕力に合わせて大きな岩を砕いていき、最終的に“大きな岩”を目指すべき地点までチーム全体で運べればミッション完了というわけです。
まずは全社のMATを作ります。この作成に当たるのは経営者。つまり、MATの先頭行に並ぶ名前は、取締役や執行役員ということになります。
取締役や執行役員はそれだけ能力や経験の豊富なメンバーのはずですから、担ってもらうミッションはかなり“大きな岩”でも大丈夫です。
経営者からミッション(大きな岩)を渡された取締役や執行役員は、自組織のMATを作ります。このMATのメンバー名には管理職の名前が並ぶことになります。ここで、管理職たちの力量を勘案しながら“大きな岩”を“中くらいの石”に砕くわけです。
それを受け取った各管理職は、自分の担当組織のMATを作ります。MATの先頭行に記入するのは自部署のメンバーたちの名前。もしかすると新人や若手、転職直後のメンバーも含まれているかもしれません。そのような人たちに合わせて、“中くらいの石”を“小さな石”に分解していきます。
どういう軸でミッションを因数分解するか?
ミッションを因数分解する方法は「機能別」「顧客特性別(大手、中堅、中小)」「エリア別(東京、大阪、名古屋、福岡……など)」「商品特性別(新規、既存)」など、いくつか考えられます。自組織の状況と目的に合わせて適切な方法を選びましょう。
例えば、10年ほど前に私がある新規事業の担当役員として、「事業の成長」というミッションに当たった時の例でお話ししましょう。この事例では、集客、CVR(歩留まり)向上……という具合に、1つの事業を機能別に因数分解しました。
私がこの時に作成したのが以下の図です。
筆者作成
新規事業を立ち上げるには、多くのお客様に来ていただき、多くの成約を上げることが重要です。そしてお客様に来ていただくには、[A1-1]集客強化(プロモーション)、[A1-2]集客強化(新規出店)という2つの方法があります。そして、来ていただいたお客様の成約率を上げるために[A2]CVR(歩留まり)アップに取り組む必要が出てきます。
また今後事業が立ち上がっていくに従って、システム、コミュニケーション、管理会計、採用・育成などの[B1]基盤強化・進化も推進する必要があります。そしてもちろん、現在の新規事業と並行して次の事業開発にも着手しておかなければいけません。それが[B2]事業開発です。
当時私の組織には5人の管理職がいたため、5人にそれぞれ1~5のミッションを担ってもらうことにしました。私から“中くらいの石”を受け取った5人の管理職はそれぞれ、それを“小さな石”に分解して配下のメンバーにミッションを割り振っていきました(下図参照)。
このように、自分の組織のメンバーが遂行しやすい軸でミッションを“小さな石”に分解することがポイントです。
2. ミッションシートを作成する
大きなミッションを因数分解したら、それぞれのミッションに対して「ミッションシート」を作成します。ミッションシートとは、「誰が、誰と、何を、いつまでにするのか」という計画書のことです。
基本的に、ミッションシートはミッションを付与する側(つまり上長)が作成します。ただし現場の実態が不明確な場合は、ミッションを付与される側が原案を作成して上長とすり合わせるのがポイントです。
「ミッションシートを作成する」と聞くと一見面倒に思うかもしれません。しかし、この一手間をかけるだけで、ミッションを付与する側/される側の間の認識のズレを最小限に抑えることができます。後になって「言った、言わない」や「担当者同士で“お見合い”してしまった」といったトラブルを避けるためにも、ミッションシートはぜひ作成しておきたいところです。
ここで、以前私が活用していたミッションシート例をご紹介しましょう。
この例では、【ミッション】1つ、主な関係者以下6つの合計7項目について書いています。最低限この7つの項目があれば、ミッションを与えられた人は、誰と何をいつまでにすればよいのかが明確になります。
- 主な関係者:誰と協働するのかを明確にします。
- 内容:何をして欲しいのかを明確にします。
- 現状の仮説:どのような兆しがあると考えているのかを明確にします。
- 報告・共有プロセス:報告の仕方を明確にします。
- 達成基準:どの水準を求めているのかを明確にします。
- 補足:上記の前提が違っている場合に報告してほしいこと、万が一の事態が発生した際の善後策などを明確にします。
ビジネスの現場では「権限移譲」という言葉をよく耳にします。部下にミッションを与えることが上司の仕事。それは間違いないのですが、時々それを勘違いして「ミッションを丸投げして、あとは部下任せ」という人を見かけます。
部下に丸投げして済むなら上司の仕事は楽ちんなもの。ですが実際には、滞りなく実行し、必要に応じて修正を加えながらすべてのミッションを達成に導くのが上司の責務です。
ミッションの丸投げは権限移譲とは言えない。
create jobs 51/Shutterstock
そういうマインドセットがある上司なら、もし万が一「このミッションを達成できないかもしれない」という悪い兆しがあるのなら、1秒でも早く知りたいと思うはずです。少しでも早く知ることができれば、他のメンバーにミッションを代行してもらう、達成基準を下げる、達成時期を延ばす、といった善後策を検討できますから。
その意味でも、いざミッションを実行する前にミッションシートを用意してメンバーとすり合わせをしておくことはとても大切なのです。
3. メンバーの特徴を把握する
さて、ここまでで(1)ミッションを因数分解し、(2)ミッションシートを作成する際のポイントまで説明してきました。最後に、ミッションを誰に担ってもらうのかを考えていくことにしましょう。
ここで重要なのは、メンバーの特徴を把握するということです。「把握すべき特徴」は大きく分けて2つあり、1つはミッション遂行に必要なスキルや経験を持っているかということ(いわゆる強みや弱み)、もう1つは、本人がそのミッションを遂行したいと考えているかどうかです。
スペックが同じロボットとは違って、人はそれぞれ個性や得手不得手があります。その特徴に合わせてミッションを付与することが、組織として、より効率的にミッションを遂行する近道になります。
またメンバーにとっても、自分の特徴に合ったミッションを付与されればモチベーションも高まるでしょう(メンバーのモチベーションを高めるタスクの割り振り方については、この連載の第8回を参照してください)。
私が29年間働いていたリクルートは、本人の「したい」をとても重要視する会社でした。同社の個人向けのミッションシートは、「Will-Can-Must(WCM)シート」と呼ばれています。
メンバーは、自分自身の「Will」、つまり数年後に実現したいことをWCMシートのWillの欄に記載します。次に、自分自身の現在と「Will」のギャップを埋めるために、どのような「Can」を伸ばすのかを記載します。
リクルートでは基本的に、できること(≒強み)を伸ばすことを推奨されていました。もちろん、致命的にできないこと(≒弱み)があればそれを克服する努力は必要です。しかしそれよりも、リクルートでは強みを大きく伸ばすことが求められていました。
上司と本人は、この「Will」と「Can」を共有します。そのうえで会社から本人に「Must(ミッション)」が付与されるのです。
こうすれば、やりたくてできる人に対して、それにふさわしいミッションを付与することができます。極めて合理的、かつメンバー本人を重視する方法だと思いませんか?(※1)
本人の特徴を把握する方法は、他にもあります。「ストレングス・ファインダー」のようなサーベイも有効ですが、私がかつて活用していたのは、「強み(フォアハンド)・弱み(バックハンド)」を聞くという方法でした。
フォアハンド/バックハンド
この「フォアハンド/バックハンド」は、『なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか』という本に触発されて取り入れた方法です。やり方は簡単。例えば、私のことをよく知っているかつての上司、同僚、部下2〜3人ずつに、私の強み、弱みを自由記述で書いてもらうのです。
「現在」ではなく「かつて」の上司、同僚、部下というのがポイントです。いまはもう利害関係がないので、比較的実態に近い内容を書いてくれるからです。
ちなみに、回答を寄せてくれたコメントを読んでいて、「私の弱みがバレていたな」と思った次のような記述がありました。周囲の観察眼というのは精度が高いものです。
中尾さんは「他者への共感が苦手」。自身も苦手感からか、店舗訪問の前には入念にメンバーの日報や店舗の会議録を読み込んで、メンバーがこだわっていることを把握して、声を掛ける、という取り組みをされていました。
ワークログをテキストマイニングする
最後にもうひとつ、メンバーの特徴を把握するために、最近私が取り入れている方法をご紹介しましょう。それは、仕事上で発生するワークログ(work log)から、その人の特徴を把握するというものです。
最近はテキストマイニングの技術が進歩しています。例えばIBMのワトソン(Watson)の「Personality Insights」や、グーグルの「Bert」といった技術です。これらを使って、仕事で発信したテキスト(ログ)からその人物の特徴をつかもうという試みです。
Slackなど社内チャットツールのデータでもできるのですが、私はある程度フォーマットを決めて実施しています。例えばこの連載の第4回で、効果的なグループコーチングの仕方をお話ししました。そこで用いられたテキストデータを活用して、本人の仕事上の特徴や仕事の進め方を「見える化」するのです。
いかがでしたか? 今回お伝えしたのは、ミッションを作成し、それを適切な人に対応してもらうという流れです。ぜひあなたも職場で一度実践してみてください。
次回は、ミッションの「実行」と「修正」に関するポイントをご紹介します。
※1 グーグルやフェイスブックをはじめIT企業などで導入されている「OKR(Objectives and Key Results)」の思想も、このWCMシートに近いものがあります。
※本連載の第11回は、10月1日(木)を予定しています。
(連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
中尾隆一郎:中尾マネジメント研究所代表取締役社長。1989年大阪大学大学院工学研究科修了。リクルート入社。リクルート住まいカンパニー執行役員(事業開発担当)、リクルートテクノロジーズ社長、リクルートワークス研究所副所長などを経て、2019年より現職。株式会社「旅工房」社外取締役、株式会社「LIFULL」社外取締役も兼任。