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安倍晋三首相が8月28日、持病悪化を理由に退陣を表明した。
安倍氏は成就できなかった政策として憲法改正と、拉致問題、北方領土問題の外交問題を挙げたが、日中関係については一言も触れなかった。一方の中国は、米中対立が深刻化する中、対日関係重視の路線を鮮明にしており、「ポスト安倍」政権にもその姿勢を継続するのは間違いない。
安倍外交評価する異例談話
中国外務省は安倍首相の退陣表明の翌29日、「日中関係は軌道に戻り新たな発展を遂げた。両国首脳は新時代の要求に応える日中関係の樹立推進で重要な合意に達した」と、対中関係改善を進めてきた安倍外交を持ち上げる異例の談話を出した。
談話は「ポスト安倍」候補を意識し、安倍対中外交を継続するよう期待する意思表明とみていい。中国共産党機関紙「人民日報」系の「環球時報」は、安倍の対中姿勢を「強硬が基盤」(環球時報)としつつも、柔軟性を保ち関係改善の努力をしたと評価。
さらに米中対立が激化する中、「日米は対中で一枚岩ではない」とし、中国は日本を味方に引き入れ「日米分断」を図るべきと主張した。
尖閣、大使人事での「気遣い」
2019年、香港で始まった抗議デモに対する中国政府の対応により、日本では反中世論が高まった。
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2019年の香港抗議行動を機に高まった日本の反中世論は、中国にとって想定以上の「逆風」だった。習近平国家主席の国賓訪日に対し、与党内からも反対の声が挙がった。だが、それを抑えられたのはタカ派の安倍氏だけと中国側は読んでいる。
事実、コロナ禍を理由に習国賓訪問の延期が決まった後の中国の対日姿勢は、「強硬」とは程遠い、気遣いを感じさせる。
日本では尖閣諸島(中国名・釣魚島)周辺の中国公船の活動活発化が「強硬姿勢」の見本のように報道されているが、中国からすれば、そんな見立ては全くの「心外」なのだ。
最近の「気遣い」の例を挙げる。
第1は、尖閣周辺での禁漁が解禁された8月16日以降、中国漁船が尖閣領海に入る動きは一切見せていない。2018年8月には200隻近くの中国漁船が押し寄せたが、中国当局の抑えが効いているのだ。日本外務省高官はこれまで、中国漁船の「大量領海侵入」が8月16日以降予想されると警告を発してきたが、「空振り」に終わりそうだ。
第2は、次期駐中国大使として日本政府が中国にアグレマン(同意)を求めた垂秀夫前外務省官房長に、中国側が同意を出した。中国モンゴル課長や駐中国公使を務めた垂氏は台湾と太い人脈がある上、高い情報収集能力を中国側が警戒しているとみられてきた。
大使人事については相手国のアグレマンが出てから報道するのが通例。日本政府筋が事前にリークし、「嫌がる」とみられた中国側の反応を探ろうとしたようだ。中国の同意もまた対日関係を冷却させないようとの配慮を感じさせる。
日中は最も困難な局面
2012年、尖閣諸島の国有化問題で中国国内では反日運動が激化。日本車や日本食店などが破壊されるなどターゲットとなった。
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現在の日中関係はおそらく、戦後最も難しい局面にある。背景には両国の力関係の逆転に加え、米中の対立がある。
1972年の日中国交正常化は、台湾断交に反対する右派の抵抗はあった。しかし、ニクソン米大統領が決断した米中の歴史的関係改善という国際政治の潮目の変化の「後押し」があった。
日中関係は1980年代、日本が鄧小平の改革・開放路線に側面支援することで順調に推移した。しかしバブル経済がはじけ、日本は30年に及ぶ停滞の時代に入る。その一方、世界貿易機関(WTO)入りを果たした中国は、大国として台頭し、日中の経済規模は逆転する。
その中で起きたのが、靖国神社参拝問題など歴史認識をめぐる日中対立。さらに2012年の尖閣諸島の国有化は、両国の領土ナショナリズムを発火させた。
デカップリングの「板挟み」
だが歴史認識も領土問題も、対等な二国間関係の枠組みの中で処理できる課題だった。ところがトランプ政権誕生とともに始まった米中対立は、日中関係を「対等な二国間関係」から米中関係の「副次関係」に変えてしまった。
日本も中国も、常に米中関係への跳ね返りを計算するのを優先して政策決定せざるを得なくなったのである。
例えばトランプ政権は、日本を含む同盟・友好国に、中国の通信大手ファーウェイ排除を迫り、世界経済をデカップリング(切り離し)しようとする。「イエス」か「ノー」を迫られれば、日米同盟を外交基軸に据える日本には「ノー」の選択肢はない。
事実、安倍政権は2018年末、ファーウェイ排除を議論しないまま決定した。
訪韓優先、日本の出方探る
一方、中国にとって経済を中心に日本を引き寄せることは、習政権の「目玉外交」のひとつ。米中貿易戦が火ぶたを切った2017年、安倍政権は「一帯一路」に条件付きで協力する姿勢に転換し、対中関係改善に乗り出した。中国にとってまさに「渡りに船」だった。
米中関係が悪化すればするほど、対日関係改善は中国にとり政治的にプラスに働く。「周辺外交」の重点は、アジアでは日本のほか、国境衝突で関係悪化するインド、韓国である。
習氏はコロナ後の初外遊として年内にも訪韓を優先させる方針だ。米韓関係にくさびを打つとともに、悪化する日韓関係も視野に、新型コロナウイルスの感染拡大で宙に浮いた習訪日問題での日本政府の出方も探ろうとしている。延期された習訪日は「白紙」化したわけではない。実現の可能性は低いにせよ、外交の継続性から言えば、ポスト安倍政権も取り消すわけにはいかない。
石破氏に警戒感、菅氏は歓迎
安全保障政策では「アジア版NATO」の創設を提唱する石破氏に中国は警戒を隠さない。
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そこで中国外務省に近い日本問題の研究者に、「ポスト安倍」について、中国の「意中の人」を聞いた。
まず各種世論調査で一番人気の石破茂元幹事長。習国賓訪問について石破氏が「取り消しはあり得ない」と述べているのは「評価する」としつつ、安全保障政策では対米自立を視野に「アジア版NATO」の創設を提唱するなど、「かなりの対中強硬論者」と警戒感を隠さない。
日本の「ファイブ・アイズ」入りを提唱するなど対中強硬姿勢を鮮明にする河野太郎防衛相については「反中というより、世論の動向に敏感な機会主義者(日和見主義者)では?」(前出の研究者)と素っ気ない。
これまで安倍氏が後継者に指名してきたが、支持率は低迷し続ける岸田文雄政審会長への評価は高い。
「確かに優柔不断な印象が強い。しかし政策的にはバランスがとれており、中国にとってベスト・リーダー」(前出の研究者)
そして出馬の意向を示したと言われる菅義偉官房長官について、前出の研究者は「コロナ危機管理内閣」という中継ぎ政権とみる一方、「安倍氏が進めてきた対中関係改善を継続できるベターな選択」と歓迎し、「安倍氏は政変で辞めるわけではない。党内にまだ政治的影響力を残しており、菅氏を通じて影響力を行使できる」とみる。
この研究者は「日中関係は誰がなるにせよ、新政権の下で良くなるはず」と楽観的だ。しかし、日本の世論を支配する根強い「反中感情」を反転させるのは容易ではない。日中関係の現状についての双方の温度差を埋めるのもまた、楽ではない。
(文・岡田充)
岡田充:共同通信客員論説委員、桜美林大非常勤講師。共同通信時代、香港、モスクワ、台北各支局長などを歴任。「21世紀中国総研」で「海峡両岸論」を連載中。