日本橋(左 2020年 右 1923年)
吉川慧,関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
(※この記事は2020年9月1日に掲載されたものです。)
1923年9月1日午前11時58分、関東地方では相模湾を震源とする巨大地震が発生。死者・行方不明者およそ10万5000人、家屋の全壊・焼失は70万戸余りという未曾有の被害をもたらした。
マグニチュード7.9の激しい揺れは、昼食の準備をしていた人々を襲い、その後の強風の影響で都市部では大火災が発生。江戸情緒と明治以降の近代の街並みが同居していた東京の景色を一変させた。
街はどう変わったのか。震災当時の写真と比較すると、見えてくるものがあるかもしれない。1923年に撮影された写真を手に、2020年の東京の街を歩いてみた。
日本橋(2020年)
撮影:吉川慧
日本橋(1923年)
関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
日比谷通り〜馬場先門(2020年)
撮影:吉川慧
日比谷通り〜馬場先門(1923年)
「日比谷から東京會舘馬場先門内に至る避難者」関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)より。
関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
浅草・仲見世通り1(2020年)
撮影:吉川慧
浅草・仲見世通り1(1923年)
関東大震災記念:新旧対照(木戸正栄,大成社), 国立国会図書館
日本橋・丸善(2020年)
撮影:吉川慧
日本橋・丸善(1923年)
関東大震災史:教授資料(大日本教育通信社 編)/国立国会図書館
浅草・仲見世通り2(2020年)
撮影:吉川慧
浅草・仲見世通り2(1923年)
関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
上野公園・西郷隆盛像(2020年)
撮影:吉川慧
上野公園・西郷隆盛像(1923年)
関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
コレド日本橋(百貨店「白木屋」跡地、2020年)
撮影:吉川慧
百貨店白木屋(1923年)
関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
神田駿河台・ニコライ堂(2020年)
撮影:吉川慧
神田駿河台・ニコライ堂(1923年)
関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
皇居前(2020年)
撮影:吉川慧
皇居前(1923年)
関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
上野駅(2020年)
撮影:吉川慧
上野駅(1923年)
関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
永代橋(2020年)
撮影:吉川慧
永代橋(1923年)
関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
吾妻橋1(2020年)
撮影:吉川慧
吾妻橋1(1923年)
HultonArchive:GettyImages
上野広小路〜上野松坂屋(2020年)
撮影:吉川慧
上野広小路〜上野松坂屋(1923年)
関東大震災写真帖:大正十二年九月(藤田二郎)/国立国会図書館
吾妻橋2(2020年)
撮影:吉川慧
吾妻橋2(1923年)
関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
神田橋(2020年)
撮影:吉川慧
神田橋(1923年)
関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
水道橋駅ガード下(2020年)
撮影:吉川慧
水道橋駅ガード下(1923年)
関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
厩橋(2020年)
撮影:吉川慧
厩橋(1923年)
関東大震災写真帖(日本聯合通信社 編)/国立国会図書館
「全被災者は約340万人」関東大震災とは
1923年10月の東京市日本橋区周辺(現在の中央区日本橋付近)
Topical Press Agency/Getty Images
発生時刻:1923年9月1日午前11時58分
震源:相模湾北西部
地震の規模:マグニチュード7.9
人的被害:死者9万93331人、行方不明者4万3476人、負傷者10万3733人、全被災者は約340万人(『山川日本小辞典』より)
当時の山本権兵衛内閣は地震翌日の1923年9月2日には東京市内に、3日には東京府・神奈川県に戒厳令をしいたが、人心の不安からデマが飛び、朝鮮人が虐殺される事件などが発生した。
「1日夕刻から『朝鮮人投毒・放火』などの流言が広がり、自警団・軍隊・警察などによって数千人の朝鮮人が虐殺され、また亀戸事件・甘粕事件・王希天事件などがおこった」(『山川日本小辞典 新版』より)
浅草・仲見世(東京・台東区 左:2020年、右:1923年)
吉川慧/関東大震災記念:新旧対照(木戸正栄,大成社), 国立国会図書館
未曾有の震災は第一次世界大戦後の好景気で潤った日本経済に打撃を与え、不況が深刻化。政府は支払猶予令や震災手形割引損失令を出し、日銀特別融資も実施するなどで対応した。
震災後には帝都復興院(総裁:後藤新平)を中心に、東京・横浜などで新たな都市計画がつくられ、丸の内のオフィス街や山の手地域の住宅地が発達した。「復興は橋から」を合言葉に、隅田川にかかっていた永代橋など都内の橋も「震災復興橋梁」として架け替えられた。
しかし震災復興で立ち上がった街並みも、この20年後には太平洋戦争による空襲でまたも灰燼(かいじん)に帰すことになる。
1960年に9月1日は「防災の日」と定められ、全国各地ではこの日に地震や津波、火災などに備えた防災訓練が実施されるようになった。
(撮影、文・吉川慧)