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思想なき「柔軟さ」と政権にしがみつく「我慢強さ」と。安倍首相が最長在任日数を更新できた「3つの理由」

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8月28日、安倍首相の辞任表明を伝えるテレビニュース。

REUTERS/Kim Kyung-Hoon

安倍首相が辞任を表明した。憲政史上最長の連続在任期間2799日を含むおよそ9年の足跡について、明治学院大学社会学部教授の石原俊氏がふり返る。

「断腸の思い」は率直な心境の吐露

筆者は、安倍首相は自身の言葉通り「断腸の思い」で辞任したと受けとめている。

安倍政権には功罪両面あると考えるが、第二次政権下で進行した、自由民主主義の根幹をなす法治(法による支配)の軽視、公文書改ざんや統計不正に代表される官僚制の劣化などには、強い遺憾の意をもつ。

だが、安倍氏の心境は、筆者には「同意」はできなくとも、「理解」はできなくもない。

安倍首相の辞任記者会見は、メモこそ準備されていたものの、いつもの(透明のガラス板に原稿を投影する)プロンプターを用いずに行われた。

また、記者からの質疑でも、事前に想定されていなかった質問に対し、安倍氏は考えをめぐらせつつ、応答しようとする姿勢を見せていた。

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北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさん(中央)と内閣官房副長官時代の安倍氏(右)。拉致被害者家族会の横田拓也事務局長は「(安倍首相には)解決しなくてはいけないという強い思いがあった」(日本経済新聞)と評価したが、在任中に全員の帰還はかなわなかった。

REUTERS/Yoshikazu Tsuno

安倍氏は、北朝鮮による日本人拉致問題の解決、日ロ平和条約の締結(北方領土問題の解決)、そして憲法改正の3点を挙げ、これらを8年弱の第二次政権中に達成できなかったことについて、「断腸の思い」だと述べた。

とりわけ、憲法改正と北方領土問題に関する「断腸の思い」は、率直な心境の吐露だったと筆者は捉えている。

ただしそれは、安倍政権を支持しない層を含む広範な国民にとっての利益、すなわち国益に照らしての「断腸の思い」というより、自らの政権のレガシーを残せなかったことに対する「断腸の思い」ではないだろうか。

「歴史教科書に残るような」レガシーは残せなかった

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2019年5月、訪日したトランプ大統領と六本木で会食した安倍首相。「日本史上、最も偉大な首相」と同大統領は評した(8月31日)が……。

Kiyoshi Ota/Pool via Reuters

端的にいえば、安倍氏は、二次9年の在任期間がありながら、歴史教科書に残るようなレガシーを残すことができなかった。

だからこそ、筆者は、安倍氏が第3次政権(でのレガシー確立)を狙っているのではないかと考えている。もちろん、今後の自身の治療状況や、自民党の党内環境、国民の世論環境が許すならの話だが。

安倍氏は、自己の「権力」への執着以上に、自己の「権威」——退任後にそれがレガシーとなる——への執着が、戦後民主主義体制下の首相のなかでも並外れて強い政治家である。

小泉純一郎氏を除き、首相がひんぱんに交代し続けた1990年代以後の政局にあって、安倍氏の首相としての「我慢強さ」は群を抜いていた

従来の自民党の内閣であれば、何度吹っ飛んでもおかしくないレベルのスキャンダルを次から次へと経験しても、安倍氏は首相の座にとどまり続けた。

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安倍首相の祖父で、1960年安保条約を自らの辞職と引き換えに成立させた岸信介元首相。手前は幼少時代の安倍首相。その後、政治家として偉大な祖父の背中を追い続けることになる。

Wikimedia Commons

そこまでして長く政権にしがみついた安倍氏でも、自己の歴史的権威を定着させるレガシーは残せなかった。

2015年の新安保法制の導入は、特措法に基づく海外派兵が既成事実化されている現状を追認した側面が強く、安倍氏の祖父である岸信介元首相が辞職と引き換えに実現した、1960年安保条約に比肩するほどの歴史的インパクトはない。そのことは、安倍氏本人が何より分かっているはずだ。

日ロ交渉は、国際取引や情報戦において明らかに上手のプーチン大統領に翻弄された挙げ句、北方領土のロシアによる実効支配をかえって強める結果をもたらしてしまった。

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2016年12月、ロシアのプーチン大統領と会談した安倍首相。在任中に北方領土問題の進展もあるかと注目されたが、プーチン大統領に翻弄される結果となった。

REUTERS/Kim Kyung-Hoon

そして、最大のレガシーになり得たはずの憲法改正は、自民党の野党時代の改憲案から大幅に穏健化させ、4項目に論点をしぼって何とか実現しようとしたが、国民世論も連立与党の公明党も改憲には消極的であり、さらにコロナ禍という予測不可能な事態も手伝って、国民投票に持ち込むことが難しくなった。

確信的な「思想」がない政治家

各方面からの異論を承知で言うが、筆者の目に安倍首相は、それほど確信的/核心的な「思想」がない政治家として映る

もちろん、右派的な思考様式への親和性や、「左翼」嫌いの感情、そして右派系首相として鳴らした祖父への憧れは、強く持っているだろう。

だが、安倍氏はコアな右派や左派の人たちが考えているほどには、一貫した「思想」を持たない政治家なのではないだろうか。

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2006年9月、戦後最年少となる52歳の若さで首相に就任した安倍氏。

REUTERS/Yuriko Nakao

もちろん、安倍氏を一般的な基準で「右派」政治家に分類することには、筆者も異論はない。

2001年の官房副長官時代には、昭和天皇に「有罪判決」を言い渡した「日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷」を取り上げたETV特集の編集過程で、NHK側に忖度を求めたとされる(ただし、本人は「圧力」をかけたことは認めていない)。

「美しい国」を掲げた第一次政権では、教育基本法の改正を実現し、第2条(教育の目標)において、旧法になかった「伝統と文化を尊重し(中略)我が国と郷土を愛する(中略)態度を養う」という文言を挿入することに成功した。

また、安倍氏が国内最大級の右派組織である日本会議と密接な関係を持ち続けてきたことは、よく知られている。

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2012年12月、民主党から政権を奪還した安倍首相。

REUTERS/Toru Hanai

しかし、第二次政権における安倍氏は、そうした「右派」的なスタンスに固執することなく、思想的イデオロギーを超えてある程度幅広い「配慮」を怠らない顔と、一部の人々に対する非常に強権的な顔との、両面をもつ首相であり続けた

例えば、安倍氏が自民党総裁として民主党から政権を奪還した際の目玉公約、いわゆるアベノミクスが、欧州急進左派の経済政策をモデルにしていたことは周知の事実だ。

また、第二次政権では、障害者差別解消法、ヘイトスピーチ対策法、部落差別解消推進法、アイヌ文化振興法などを次々と成立させ、多様なマイノリティの擁護者としての一面を強く打ち出している

その一方で、在日コリアンや沖縄に関しては非常に冷たい態度に終始し、特に辺野古の新基地建設に関しては、選挙で選ばれた知事の意思を尊重するという地方自治の法慣行を無視して、工事を強行してきたことを見落とすわけにはいかない。

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2016年3月、安倍首相との会談を終えた沖縄県の翁長雄志知事。辺野古基地の建設に断固反対を続けたまま、2018年8月に世を去った。

REUTERS/Kimimasa Mayama

こうした態度や判断からは、一貫した「思想」を感じ取ることができない。

権威を高めるためなら何でもやってきた

安倍氏は一部の反対派の人たちから「反知性主義」と揶揄される。

だが筆者は、少なくとも第二次政権における安倍首相は、非常に「クレバー」だったと捉えている。

ブレーンになりうる研究者や官僚を、そのイデオロギーの左右はあまり深く問わずに使いこなしていたし、キャッチコピー政治(あるいは「電通政治」と言ってもいいかもしれない)も、ある時期まではかなり上手にやっていたと思う。

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2016年8月、リオ五輪の閉会式で、人気ゲームキャラクター「マリオ」に扮して登場した安倍首相。このお膳立てをしたのも電通だった。

REUTERS/Stoyan Nenov

安倍首相が報道機関への介入を含め、メディア・コントロールに腐心したのも、一部で言われるような右派的プロパガンダや独裁への欲望の表れというよりは、自身や政権のイメージの棄損を防ぐことで、レガシーを達成するまでの間、権力維持を図るための手段だったのだろう。

安倍氏は在任中、世論の広範な支持を調達し「名宰相」としての権威を高めるためなら、文字通り「思想」など横に置いて何でもやってきた。

例えば、高等教育や幼児教育の一部無償化。第一次政権時代や野党時代、社会民主主義的な再分配に消極的だった安倍氏は、民主党政権の——未達成のまま終わった——公約を事実上流用して、これを実現させた。

また、安倍氏の支持基盤である右派が声高に問い続けてきた、中国・習近平政権による香港弾圧やウィグル人弾圧については「弱腰」の対応に終始し、中国人観光客を軸とするインバウンド政策を重視する実利をとった。

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安倍首相は自らの支持基盤である右派の要求をはねのけ、中国の習近平政権に対しては「弱腰外交」を続けた。

REUTERS/Kim Kyung-Hoon

野党が第二次安倍政権から「学ぶべきこと」

安倍氏は歴史教科書に長く残るようなレガシーづくりにこそ失敗したものの、最長首相在任日数という大きな記録は達成している。

第二次安倍政権が長期政権になりえた背景として、野党勢力の分裂状態や自民党内の対抗勢力の弱さがよく指摘される。

だが、ここまで見てきたように、長期政権の主たる要因は次の3点に集約されるだろう。

(1)21世紀になって財政緊縮派(経済右派)の政党に変質した自民党に、安倍氏がアベノミクスという反緊縮派(経済左派)の主張を一部持ち込みつつ、(コロナ禍までは)雇用状況や株価に関して一定程度の水準を維持したこと。

(2)「クレバー」な安倍氏が、その他の政策決定についても幅広い有権者からの支持を調達するため、「思想」の左右にかかわらず柔軟に対応し続けたこと。

(3)レガシーにこだわる安倍氏が驚異的な「我慢強さ」で政権にしがみつき続けたこと。

これらは、第二次安倍政権前の民主党政権が、主に経済・財政政策で内輪揉めをくり返して分裂・瓦解したのと対照的だ。

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経済・財政政策を中心に内輪揉めをくり返し、分裂や瓦解に至った民主党。写真は2012年12月、衆院選に敗れて自民党・公明党に政権を譲り渡した民主党の野田佳彦代表(当時首相)。

REUTERS/Issei Kato

第一次安倍政権から民主党政権へと向かう政権交代は、緊縮派(経済右派)、増税を前提とする福祉国家派(社会民主主義派)、そして反緊縮派(経済左派)という、異なる3つの勢力に対する有権者の支持が一つに集まった結果だった

3つの「思想」の対立関係はその後、民主党が下野してからの分裂・合流のくり返しにも、大きな影響を及ぼした。

今後、野党側への政権交代の可能性があるとすれば、この3つの「思想」グループのうち最低でも2つの勢力が、対立の助長を厳に控え、前向きな対話をくり返しつつ手を組むことが前提になると思われる。

第二次安倍政権から野党側がよく「学ぶ」べきは、おそらくこの点にある。


石原俊(いしはら・しゅん):1974年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科(社会学専修)博士後期課程修了。博士(文学)。千葉大学などを経て現職。2018〜20年、毎日新聞「月刊時論フォーラム」担当。専門は、社会学・歴史社会学。著書に『近代日本と小笠原諸島——移動民の島々と帝国』(平凡社、2007年:第7回日本社会学会奨励賞受賞)『〈群島〉の歴史社会学』(弘文堂、2013年)『群島と大学——冷戦ガラパゴスを超えて』(共和国、2017年)『硫黄島 国策に翻弄された130年』(中公新書、2019年)など。

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