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香港、上海の両取引所に株式上場を申請したアリババグループ傘下の金融会社、アント・グループ(螞蟻集団)。早ければ10月に上場し、サウジアラビア国営石油会社サウジアラムコを超えて至上最大のIPOとなる可能性が高い。アントの成り立ちやアリババとの関係を紹介した前編に続き、後編では上場申請の目論見書から判明した事業構造を解説する。
アリペイの決済額、年間1800兆円
目論見書によるとアリペイ(支付宝)は10億ユーザーを抱え、2020年6月の月間アクティブユーザー(MAU)は7億1100万人だった。サービスを利用する事業所は8000万を超え、2000以上の金融機関が業務提携している。
アリペイはモバイル決済機能だけでなく、アプリ内アプリ「ミニアプリ」が100万以上あり、例えば新型コロナウイルスの拡大期にはオンライン診療を提供したり感染リスクを判定するミニアプリも登場した。配車や旅行、出前などミニアプリでの取引を含めると、2020年6月までの1年間で、アリペイ上で行われた決済額は118兆元(約1800兆円)に達した。
そんなアリペイの2019年の売上高は1206億1800万元(約1兆9000億円)。純利益は169億5700万元(約2600億円)だった。
目論見書から作成
注目すべきは、アントの収益構造だ。2019年、融資や投資などの金融サービスで金融機関などから受け取る手数料収入が、アリペイ決済による手数料収入を逆転した。アントの成長の源泉はこの金融サービスセグメントであり、将来の成長の芽を探るイノベーション事業セグメントも、徐々に収益化しつつある。
目論見書から作成
アリペイ事業を逆転した金融サービス
中国でアリペイとWeChat Payが短期間で普及し、キャッシュレス社会が形成されたのは多くの人が知るところだ。これには2つの要因がある。
まず、日本のようにクレジットカードや電子マネーが普及しておらず、ライバルが少なかったことが1点。クレカが普及していなかったのは、導入コストや決済手数料(平均3%と言われる)の高さが一因だったが、アリペイとWeChat Payは加盟店から受け取る決済手数料を低くし(アリペイは最大で0.6%と言われる)、事業者の導入の障壁を取り払った。QRコード決済が広がるにつれ、現金を取り扱わなくていい便利さが事業者・消費者双方に認識され、雪崩を打つように普及した。
言い換えれば、アントは当初からアリペイの手数料収入に頼ったビジネスモデルを想定していないことが分かる。アントの本当の狙いは、あらゆる決済をアリペイに集約させてプラットフォーマーとしての地位を確立し、次の事業につなげることにあった。
現在のアントの収益の柱である金融サービスは、融資や投資商品、保険商品の販売による手数料収入だが、そこで大きな役割を果たしているのが人工知能(AI)やビッグデータ、さらにはこれらの技術を活用した信用スコアだ。
ビザ取得まで優遇する信用スコア
アリペイに実装された顔認証システム。アリペイ内には感染リスク表示アプリ「健康コード」など、無数のアプリが存在する。
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アントの信用スコア「芝麻信用(セサミクレジット)は、スマホやモバイル決済が中国で普及した2015年に正式リリースされた。
アリババのECサイトやアントの金融サービスの利用状況、さらには警察や公共機関とも連携し、犯罪歴、光熱費や家賃の支払い状況、引っ越し情報、交友関係も含めた膨大なデータからユーザーの信用を350~950の範囲で数値化する。芝麻信用は不動産仲介企業やレンタカー企業とも提携し、信用スコアが高い顧客に対しては、敷金やデポジットの免除、料金の後払いなどの優遇措置を提供した。
消費者向け与信管理の仕組みが整備されておらず、家を借りる時には家賃の1年分前払いやレンタカーする時などは高額デポジットが当たり前だった中国社会では、画期的かつ消費者に明確なインセンティブを与えるサービスだった。高スコアのユーザーは海外旅行ビザ申請も優遇されるなど、多くの機関が芝麻信用を利用するようになり、ユーザーにもスコア維持のための「規範的な行動」を動機付けた。
融資申請後AIが数秒で審査、即時入金
信用スコアと同時期に登場したのが、消費者向けの無担保融資サービスだ。金融機関に相手にされなかった個人と零細事業者の返済能力をAIが審査し、無担保で融資を行う仕組みで、ユーザーが融資を申請すれば、AIが数秒で融資限度額や利率などの結果を示し、即座に入金する。
目論見書によると、2020年6月30日までの1年だけでも個人の5億ユーザーがアント経由で融資を受け、その額は1兆7320億元約27兆円)。30日以上の延滞率は1.56%、90日以上は1.05%にとどまる。
零細事業者については2000万人以上が同期間に総額4217億元(約6兆5600億元)の融資を受けた。こちらは30日以上の延滞率は2.03%、90日以上は1.57%と個人事業者よりやや高い。
融資プラットフォームとしては消費者向け、零細事業者ともに中国トップとなっている。
銀行を不要にした「決済+融資+投資」プラットフォーム
日本でもQRコード決済が続々と登場し、乱戦となっている。
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融資と共にアントの飛躍に貢献した事業が、金融機関と提携した投資商品や保険商品の販売プラットフォーム。2013年にローンチしたMMF(マネーマーケットファンド)「余額宝」はその代表だ。
アントの投資プラットフォームはAIによって人手を減らし店舗もない。運営コストを低く抑えている分、銀行の定期預金より高い利息を提供できる。スマホ上でアリペイの残高から自由に出し入れできる手軽さで、大学生も使うようになった。2015年に取材した中国人学生は、「仕送りやバイト代は余額宝に入れて、必要最小限のお金だけアリペイに移す」と話していた。当時は余額宝の金利が5%前後あった。
スマホ決済+余額宝、さらに少額決済プラットフォームがあれば、ほとんどの人にとって銀行はいらなくなる。余額宝のユーザーは2019年時点で3億人に増えた。
余額宝に続いて零細事業者向けのMMF「余利宝」もリリースされ、こちらは2020年6月末までの12カ月で5億人が投資を行っている。
目論見書によると2020年6月末時点で、アントがオンラインで運営する投資商品の資産管理額は4兆986億元(約64兆円)だった。
AIで最適のポートフォリオを作成
アントのAIの活用はさらに進化している。
2020年4月にはAIを利用して6000以上の市場公募債からユーザーに適したポートフォリオを提案し、そこから一定の手数料を徴収するサービス「帮你投」(あなたの投資を助ける、という意味)を始めた。サービス開始3カ月で20万人が利用し、そこからなされた投資は22億元(約340億円)に達する。
アントは保険分野でも4月、2000以上の商品からユーザーに適した商品を勧めるサービスを始めた。保険金の支払いにはさまざまな証明書が必要だが、そこにもテクノロジーが使われている。
医療機関の受信記録をアップロードすると、光学文字認識技術(OCR)と自然言語処理(NLP)技術でデータを読み取り、病歴の真偽を識別。保険金搾取の防止と人件費、運営コスト低減の両立を図る。
「フィンテック」から「テックフィン」に
目論見書から作成
銀行を代表とする既存金融機関の利益モデルを浸食しながら成長してきたアントは2017年、「フィンテック」から「テックフィン」の企業に変わると宣言した。「テックフィン」は造語であり、具体的なイメージはアントしか持っていないだろう。
アリババとアントの創業者であるジャック・マー氏は2016年に「新小売り」という新たな概念を提唱し、それをきっかけにEC企業と小売企業の提携が進み、コンセプトの具現化として「無人コンビニ」「ハイテクスーパー」が生まれていった。
そこから考えると、アントは金融機関のデジタル化をサポートすることで、「テックフィン」という言葉を浸透させていく図を描いていると想像できる。
現在の取り組みでいえば、アントは金融機関に技術、ビッグデータを提供し、収入を得るようになった。
金融機関はアントの技術を融資申請者の返済能力の算定や、銀行サービスの中で好む商品、受け入れられる価格など顧客分析に活用している。また、リスク別の演算、マネーロンダリング対策、セキュリティー向上にもなどアントの技術を使っている。
銀行はアリペイや余額宝によってデジタルトランスフォーメーション(DX)を迫られ、アントの力を借りることを選んだ。アントは約100の銀行、約170の資産管理会社、そして約90の保険会社と技術提携しているほか、インターネット企業、フィンテック企業にも技術提供している。
自社が浸食する既存業界に手を差し伸べWin-Winの関係をつくるのが、アリババグループの“いつものやり方”になるのかもしれない。
ブロックチェーンでも収益
中国のメガIT企業全体にも言えることだが、アントは将来性のある技術についてもいち早く取り組んでいる。
同社はブロックチェーンチームを2016年に設立し、2017年~2019年のブロックチェーン特許申請件数は世界一だった。2018年にブロックチェーンサービス「アントチェーン(螞蟻鍵)」をリリースし、中小企業の財務を透明化して融資を受けやすくするために、売掛金をデジタル化して記録するサービスを展開する。
モバイル決済や信用スコア、AIによる融資も登場時はイノベーションそのものであり、アントはイノベーションの掛け算で中国の金融業界のみならず社会を変えてきた。ブロックチェーン事業など、現時点ではそれほど利益も応用例も出ていない技術も、アントのエコシステムに加えることで、掛け算の「和」を飛躍的に大きくしていくのだろう。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。