REUTERS/Jeenah Moon
新型コロナウイルスの感染が依然として世界で広がり続ける中、この感染症がこれまでの社会問題をより可視化させていることが指摘されている。
その一つが「人種間の格差」だ。2020年8月に発表されたジョンズ・ホプキンズ大学の最新レポートでは、アメリカでの黒人の新型コロナウイルスの感染率は白人の3倍、死亡率は2倍、という現実が明らかになった。人口10万人当たりの死者数は、白人は30人なのに対し、黒人は70人にも上る。
レポートは、黒人・ラテン系の人は白人と比べて、人口密度の高い住環境で暮らし、リモートワークができない職業に就いていることを指摘。また、黒人・ラテン系の患者は基礎疾患があることが多く、重症化のリスクが高いにもかかわらず、白人の患者と比べて、コロナの検査や治療を受けている人の割合が少なかったという。
アメリカでは保険を所持しない人の割合は、白人は7.5%に対し、黒人は11.5%、ラテン系は19%に上る。既存の社会・経済格差が、医療機関へのアクセス・ケアや健康状況に大きな影響を与え、感染率、そして死亡率でも格差を生んでいる。
新型ウイルスが改めて浮き彫りにした、人種間の格差。
一方、コロナウイルスという新たな危機と並行して、気候変動などの既存の危機も進行している。コロナなどの感染症や、気候変動や環境問題の危機は、地球規模、国単位の脅威として捉えられる傾向があるが、その中に隠れた構造的な人種差別や格差による影響の違いを、改めて捉える必要がある。
発がんリスク50倍の「がん街道」
大気汚染、気温や水面上昇、気象災害の増加など、気候変動や環境問題の多様な影響は、世界中で見られている。しかし、その影響は決して平等ではなく、特に人種、職業、ジェンダー、国によって大きく変わる。
例えば、有害物質を扱う工場から出る廃棄物や、幹線道路の建設による大気汚染による健康被害は、有色人種に偏っている。1970年代以降、特にアメリカで注目されてきた「環境レイシズム」とは、有色人種の生活する場所の近くに、環境の汚染源が集中している、構造的な差別を指している。
バトンルージュの化学工場。「がん街道」と呼ばれるルイジアナ州地域の一角にある。
REUTERS / Lee Celano
「がん街道(Cancer Alley)」 —— 。
アメリカのミシシッピ川沿いのバトンルージュとニューオーリンズの町の間の約135キロにわたる地域はこう呼ばれている。140以上の石油精製所や化学製品の工場が密集する「がん街道」は、全米で最も汚染されている場所の一つとして、名高い。この地域に住んでいる人は、アメリカの全国平均と比べて、発がんリスクが50倍にも上るという。
「がん街道」の住む人の大半は、黒人だ。住人は長年にわたり、健康症状や病気を訴えているが、周辺環境と健康被害の直接的な因果関係を証明することは、容易ではない。
環境汚染や公害の影響を受けやすいのは、低所得者層が多い。その中でも、人種による格差が明らかになっている。
アメリカの環境保護庁の研究者の論文によると、経済格差を考慮したうえでも、特に黒人は環境の汚染源の近くに住み、汚染された空気の中で暮らしているとし、国・州・郡の全ての行政区分において、非白人は白人に比べて、不相応な大気汚染の影響を受けていると、指摘している。さらに論文は、環境問題に対する公正な対応を考えるうえでは、社会・経済格差の考慮のみでは不十分だと結論付け、人種による格差の視点が、環境の政策立案でも重要であることを強調している。
環境汚染の影響は所得よりも人種
アメリカ中西部のインディアナ州などでは子どもにも鉛中毒の被害が出ている。
REUTERS / Joshua Lott
また、別のアメリカの研究では、アフリカ系アメリカ人の子どもは、白人の子どもに比べて、鉛中毒になる確率が5倍にも上ることが示されている。原因は、生活環境の有害な廃棄物への距離の近さだという。
鉛中毒は、空気に飛び散った鉛を吸い込んだり、はがれた鉛に触れた手をなめたりすることで発症する。子どもの鉛中毒は、知的障害、けいれん、貧血などさまざまな健康被害を引き起こすことがある。
さらにこの研究は、年収が約600万円の黒人と約100万円の白人の居住エリアを比較しても、黒人の方が、環境汚染が進んでいる場所に住む傾向があることを証明している。有害廃棄物がどこにあるかを分析する際、最も関連性が強い指標は、収入や教育水準などの社会・経済指標ではなく、人種だという。
よりヒートアイランド化する有色人種の居住地域
1934年に作成されたマイアミの地図。赤く「レッドライニング」されているのが分かる。
出典:National Archives Catalogより
気候変動の影響の一つとして、誰も身近に感じやすいのは、気温の上昇だ。特に、都市部のヒートアイランド現象は日本でも、観測されている。
例えば、過去100年間の中小規模の都市の平均気温上昇が約1度であるのに比べて、東京では約3度も上昇している。ヒートアイランド現象は、アスファルトやコンクリートに覆われた地面の増加、自動車や建物などから排出される熱の増加、さらには、緑地や水面の減少などが原因だ。つまり、都市の構造や設計の結果として、より暑い場所が出てきているのだ。
この暑さについても、人種格差が明らかになっている。
2020年1月に発表された研究では、アメリカの108都市の気温の変化を分析。すると、1930年代に「レッドライニング」された地区は、同都市の他の地区と比べて、平均で約2.6度高いことが分かった。「レッドライニング」とは、金融機関が低所得者層の黒人が住む地域を融資リスクが高いとして赤線で囲み、ローンや融資などの対象から外して、差別をした問題だ。
過去に「レッドライニング」された地区は、今でも黒人や有色人種が住んでいることが多い。研究した都市計画の専門家のヴィヴェック・シャンダス氏は、「今日の“暑さ”は、過去の決定がもたらした現象だ。レッドライ二ングや数々の差別的な政策は、気温の低下を促す緑地と、高速道路や工場など健康に影響を及ぼす建造物の配置にも影響を与えている。紐解くと、政策の影響は何十年にもわたり、続いている」と指摘している。
気候危機がもたらす早産・死産リスク
アメリカでは高い気温や環境汚染にさらされている妊婦は早産や死産の可能性が高いという研究結果が出ている。
REUTERS / Chris Aluka Berry
大気汚染などの環境問題に、気候変動による暑さなどの影響が加わることで、新たな問題も明らかになっている。
アメリカの3200万の出産例を分析した研究では、高い気温や大気汚染にさらされている妊婦は、早産や死産の可能性が高いことが示されている。さらに、その中でもアフリカ系アメリカ人の妊婦は特にリスクが高いという。
環境汚染源となる工場などが、黒人の居住地域に近い場所に位置する傾向や、ヒートアイランド現象が黒人により深刻な影響を与えていることを考えると、この結果は驚きではないだろう。既存の社会・経済格差によって健康状況や医療機関へのアクセスに人種間の差がある中、環境や気候変動の影響は、人種格差をさらに広げているのだ。
大統領選の結果で大きく変わる政策
引用:https://joebiden.com/climate-plan/より
11月の米大統領選に向けて、トランプ大統領と民主党のバイデン前副大統領が、それぞれ政策を打ち出す中、環境政策では、明確な違いが見られる。
トランプ大統領は、アメリカのパリ協定からの離脱を正式に国連に通告した。また、約40年ぶりとなる資源開発やインフラ整備に関する環境規制の大幅な緩和も進めている。対するバイデン氏の気候変動の政策をホームページで見ると、まず出てくるタイトルは、「クリーン・エネルギー革命と環境正義のバイデンプラン(THE BIDEN PLAN FOR A CLEAN ENERGY REVOLUTION AND ENVIRONMENTAL JUSTICE)」だ。
バイデン氏は、環境汚染や気候変動は有色人種や低所得者層により大きな影響を与えていることを政策で明言し、環境汚染に加担している企業に行動をとると提言している。パリ協定にも復帰し、気候変動の対応に国際社会と協力する意欲や、アメリカのクリーン・エネルギーへの完全移行を打ち出している。
アメリカでは特に、気候変動や環境問題の影響の人種格差が浮彫りになっているが、これはアメリカに限らず、世界中の国でも明らかになっている問題だ。人種間での不平等、不公平な影響が示されている中、政策でどう格差を是正できるのか。気候変動や環境問題をその枠を超えて、社会、経済、そして人権問題として捉える必要がある。
(文・大倉瑶子)
大倉瑶子:米系国際NGOのMercy Corpsで、官民学の洪水防災プロジェクト(Zurich Flood Resilience Alliance)のアジア統括。職員6000人のうち唯一の日本人として、防災や気候変動の問題に取り組む。慶應義塾大学法学部卒業、テレビ朝日報道局に勤務。東日本大震災の取材を通して、防災分野に興味を持ち、ハーバード大学大学院で公共政策修士号取得。UNICEFネパール事務所、マサチューセッツ工科大学(MIT)のUrban Risk Lab、ミャンマーの防災専門NGOを経て、現職。インドネシア・ジャカルタ在住。