9月14日の両議員総会を待たず、圧倒的な議員票を抑えた菅総裁誕生が報じられている(2020年9月8日に行われた公開討論会)。
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菅義偉という人はどんな政治家なのか。
2013年の春から秋にかけて、私は週刊誌「アエラ」の「現代の肖像」に執筆のために、菅官房長官本人へのインタビューを4回、故郷の秋田県湯沢市での講演の模様、幼少期からの友人、知人、横浜市の選挙区で菅氏を支えてきた後援者や市議らへの取材を集中的に行った。
反世襲、派閥解消、世代交代を訴えてのし上がった菅氏の足跡をたどった。ちょうど2013年7月の参議院選挙で自民・公明両党の与党が非改選と合わせて過半数の議席を獲得してねじれ国会を解消し、安倍一強への体制固めが進む時期と重なっていた。
かなりしつこく本人や関係者に質問を投げかけた。だが正直に言うと、この政治家が本当にやりたいことがつかめなかった。政治的ポジションは中道右派で、規制改革や地方分権に取り組み、憲法改正も口にするけれど核心部分が虚ろで見えなかったのだ。
「政府の動かし方」知ったアルジェリア人質事件
2013年1月にアルジェリアのプラントで起きた人質事件。菅氏はこの事件で、政府の情報統制の「コツ」をつかんだ。。
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一方で、菅氏は権力を操るためのふたつの武器をしっかり手にしていた。「情報」と「人事」である。
情報を統御する契機は、第2次安倍政権発足直後の2013年1月に起きたアルジェリア人質事件だった。イスラム武装勢力がアルジェリア内陸部でエンジニアリング会社の日揮などが運営する天然ガスプラントを襲撃し、日本人10人を含む人質37人が亡くなった。
全国民の視線が犠牲者に向けられるなか、菅氏は一元的に情報を管理し、「前例がない」と抗う外務省や防衛省の事務方を押さえつけて被害者の帰国に向けた政府専用機の派遣を決める。安部首相が決断できるお膳立てをした。初回のインタビューで菅氏はこう語った。
「アルジェリア政府からの(日本人犠牲者の)情報は(人数が)少なかった。それを信用しなかった。別ルートからも情報が入ってくるし、(事件の)現場にも携帯電話を持っている人はいた。そこから本社に連絡も入る。
テロリストは都合のいい情報を通信社に流す。うかつに日本人が何人(犠牲になった)とは言えない。数字は独り歩きします。そこがきつかった。記者会見で詰め寄られ、『厳しい情報に接している』と私は曖昧にし、閣僚がバラバラの発言をしない仕組みをつくった。あれで政権の動かし方が分かってきました」
「人事は政権のメッセージ」という口癖
人事については、日本郵政社長に就いた坂篤郎元大蔵省主計局次長を異例の半年で退任させ、元東芝会長の西室泰三氏を後釜にすえる。「人事は政権のメッセージ」が菅氏の口癖だった。内閣法制局長官には集団的自衛権の行使に前向きだった小松一郎元駐仏大使を配し、尖閣諸島の警備に当たる海上保安庁長官で生え抜きの佐藤雄二海上保安監を昇格させて職員の士気を高め、国土交通省のキャリア官僚の指定席を奪う。
3度目のインタビューで人事の強引さに触れると、菅氏は語気を強めた。
「じゃあ役所の言いなりの人事でいいのか。私たちは選挙で戦って、(勝って)こういう政策をやりたい、とやっているわけです。それをやるのが人事への政治介入だ、と? 違うでしょ。人事検討会議で私が座長で、そこで決めるわけです。恣意的でも何でもなくて、(人事は)私たちがやろうとしている方向性でやる」
人事への執念は並々ならぬものがあった。
「日本民族を信じているから絶対に勝てる」
集団的自衛権の行使を容認した安保関連法に、反対の人々は連日国会前を埋め尽くした。この頃から安倍政権の強引な政権運営に批判が高まっていく。
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では、右手に情報、左手で人事を握って、日本という国をどんな国にしたいのか。国家像、国づくりのビジョンをどう描いているのか、と問うと、こう返ってきた。
「自立した国。もっと言うと『地方の自立』が私の持論です。地方分権。地方交付税に頼るのではなく、国から地方に権限と財源を移譲して、地方にはそれぞれの特色、魅力がありますから、そこで自分たちの責任のもとに、そこを経営する。そういう国にしたい。
行きつく先は道州制だと思っています。地方分権をやって道州制へ。あとは貿易で世界と戦える土俵づくりをしたい。一番大切なのはTPP(環太平洋経済連携協定)。私は日本民族を信じていますから、競争すれば、絶対に勝てる」
「道州制」が日本国の行き着く先と聞き、首を傾げた。行政の無駄を省き、東京一極集中の解消を視野に経済合理性を重視して道州制を導入しようという議論はある。だが道州の大きな自治体にすれば住民が主役の分権型社会ができるかどうかは未知数だ。そもそも道州制にすれば国が自立できるのか。自立というなら米国依存、追従の現状をどうするのか。
道州制は仕組み、手段の問題であり、目ざす国家観としてはピンとこなかった。政治リーダーを船長にたとえれば、その国家観は目ざす港への航海に必要な海図である。菅氏の核心部分の虚ろさは国家観の薄さに起因していると感じて取材を終えた。
対話を断ち切った官房長官会見
森友・加計問題、桜を見る会の問題など安倍首相のスキャンダルに対する厳しい質問に丁寧に答えることはなかった。
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あれから7年の歳月が過ぎた。
この間、安倍首相を官房長官として支える菅氏は、「日本版NSC(国家安全保障会議)」の設置や、「特定秘密保護法」の制定に力を注ぎ、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定の後押しをした。定例の記者会見で政府に批判的な質問が出ると、「そのような指摘は当たらない」「まったく問題ない」と対話を断ち切る。
加計学園の獣医学部新設をめぐって「総理のご意向」と記された文部科学省の記録文書が発見されると「怪文書みたいな文書じゃないか。出どころも明確になっていない」と否定。再調査で文書が確認されると「怪文書という言葉が独り歩きしたのは極めて残念」と釈明した。
森友学園問題で公文書改ざんを指示したとされる佐川宣寿財務省元理財局長を国税庁長官に昇進させる際は、「佐川局長は(国有地売却問題で)質問されたことに的確に答えていたと思いますよ」とかばう。
政治倫理のハードルをぐっと下げ、糾弾の矢をはね返す盾となって7年8カ月の第2次安倍政権を守った。選挙で勝ち続けているのだから文句はあるまいとばかりに肩をそびやかす。情報と人事を駆使する菅メソッドはますます肥大化し、官房長官会見で厳しい質問をする記者の質問を制限するなどメディアにも重圧をかけた。
国家観にそぐわない「自助・共助・公助」
菅氏が掲げる「自助・共助・公助」とは本来災害時に人々の助け合いを促すための概念として使われる。
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そうして、今回の自民党総裁選挙に菅氏は出馬したのである。各社の番組に出演して、「どんな国にしたいか」と問われ、掲げるのが「自助・共助・公助」と書いたフリップである。
「まず自分でできることは自分でやる、自分でできなくなったら家族とかあるいは地域で支えてもらう、そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼のある国づくりというものを行っていきたい」
ふぅーっと私はため息が出た。
もともと「自助・共助・公助」は災害時に個人、地域、行政が連携して人を助けようという趣旨であり、手段、方法の話である。国家観にはそぐわない。なぜこんな言葉を並べたのか。
元建設官僚で側近の和泉洋人内閣総理大臣補佐官あたりの進言を入れたのかと思いきや、自民党の2010年改正綱領に「自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する」とあった。
つまり個人の自助自立が大前提で、行政は補完的な役割を果たす、ということだ。新自由主義的な「小さな政府」が連想される。この自民党の綱領を菅氏は端折って使っていた。自民党員なのだから特に問題があるわけではないが、国家観としては薄い。
繰り返すが、自助・共助・公助は、手段、方法レベルの言葉であり、「目的(ゴール)」としての求心力は弱い。コロナ禍で経済は大きく落ち込み、会社がバタバタ倒れている。国民が自助自立したくてもできない状況で、国が何を担い、ポストコロナの社会をどうデザインしていくのか。手段、手法を極大化させた「自助・共助・公助」からはそこが見通せない。
海図なき菅政権の航海が始まろうとしている。
(文・山岡淳一郎)
山岡淳一郎: ノンフィクション作家。一般社団法人デモクラシータイムス同人。 「人と時代」を共通テーマに政治、経済、近現代史、医療と分野を超えて執筆。時事番組の司会、コメンテーターも務める。 著書は『田中角栄の資源戦争』『後藤新平 日本の羅針盤となった男』『気骨 経営者土光敏夫の闘い』『原発と権力』『生きのびるマンション―〈二つの老い〉をこえて』『ゴッドドクター 徳田虎雄』ほか多数。