撮影:鈴木愛子
Business Insider Japan読者にも多い「30代」は、その後のキャリアを決定づける大切な時期。幸せなキャリアを歩むためには、転職にまつわる古い“常識”にとらわれず、刻々と変化する転職市場のトレンドをアップデートすることが大切です。
この連載では、3万人超の転職希望者と接点を持ってきた“カリスマ転職エージェント”森本千賀子さんに、ぜひ知っておきたいポイントを教えていただきます。
前回お話ししたとおり、私が現在のキャリアにつながる道を歩み始めた原点は、「1番を目指しなさい」という母からの教え、そして、難病の弟のためにできることを実行するうちに芽生えた「利他の精神」にあります。
「利他の精神」での行動が、結果的に私のブランドの確立につながったと考えています。
今回は、「1番を目指す」というスタンスで仕事に向き合った私が、どんなキャリア戦略を描き、どのようにそれを実現してきたかをご紹介します。
入社初日から「セルフブランディング」を意識する
子どもの頃から、母の影響で「1番になる!」と意識していた私は、「できるorできない」ではなく「できる方法を考える」クセが身についていました。
複数の選択肢が目の前にやってきた時は、自分にとって「ハードだな」と思うほうを選んできました。
なぜなら、そうして努力することで成果が挙がり、自分が成長できることを何度も体験していたからです。「努力する」→「達成する」→「快感を得られる」→「努力する」のサイクルが、子どもの頃から回っていたんですね。
学生時代もそのようにして過ごし、社会人になった時、「1番になる」に加え、新たな目標が生まれました。それは「森本千賀子ブランドを築く」ことです。
それはリクルート人材センター(現:リクルートキャリア)に入社した初日から始まりました。配属先のマネジャーから言われた一言が、胸に刻まれたのです。
「リクルートの看板で仕事するな」
つまり、お客様から「リクルートに依頼する」ではなく、「森本千賀子に任せたい」と思われるビジネスパーソンになれ、ということです。
実際、リクルートでは40歳くらいまでに転職や起業をする人が大多数でした。リクルートでは退社のことを「卒業」と表現します。卒業後とはまさに、「リクルートの◯◯」ではなく、自身の名前で勝負していくこと。そんなカルチャーの中で、私は自分のブランドをいかにしてつくるかを考え、実行し始めたのです。
そして26歳の時、数十年先にまで目線を向けて、中長期キャリアビジョンを描いてみました。
きっかけは友人から誘われたセミナー。土日2日間・十数万円という高額なものです。20代半ばの私には思い切りが必要な投資でしたが、不思議と背中を押されたような感覚で「これは受けなければならない」と直感し、参加しました。
そこで学んだ成功法則をさっそく実践。「自分がありたい姿」を100個書き出し、目標に向けてのマイルストーンを設定しました。
30歳で『日経ウーマン』に載り、それを見た人からビッグチャンスにつながる依頼を受ける。
40歳でテレビ番組にコメンテーターとして出演。社会に向けて自分の想いを発信する。
その目標を日々意識して過ごしていたら、本当に実現してしまいました。
31歳で“森本千賀子”個人として『日経ビジネスアソシエ』の取材を受け、それを見た昔のお客様とのご縁が復活。さらには以降、さまざまなメディアから取材依頼が寄せられるようになったのです。
森本さんの著書の一部。重版を重ねるベストセラーになったものも。
撮影:鈴木愛子
42歳の時には、NHK『プロフェッショナル~仕事の流儀』に取り上げていただき、さらにそこから多数のご依頼、出版、講演などへの活動へと広がっていきました。
ちなみに、60歳・還暦を迎えた時の目標も26歳の頃に設定済み。“これまでお世話になった方3000人を集めて「感謝の会」を開く”、という目標です。“赤いちゃんちゃんこ”に代わって真っ赤なドレスを着て、皆さんにお礼を伝え、おもてなしする、と(笑)。
その目標達成に向け、さまざまな分野の人々とのネットワークを広げ、信頼関係を築くことに力を注いできたし、今も継続しています。
キャリアビジョンの実現につながった5つの戦略・行動
では、自分ブランドを確立し、描いたキャリアを実現するために、私がどんな戦略を立てて実行してきたか——とてもこだわっていたテーマですので言い出したらきりがないのですが、今回は5つのポイントをご紹介します。
1. 社内に「得意な人」がいない領域を探し、自分が第一人者になる
法人営業としてキャリアのスタートを切った新人時代、社内の他の人が手をつけていない領域を探しました。そして、社内に「専門家」「第一人者」と言える人がいなかった「流通業界」を重点的に攻めることにしました。
そして、大手コンビニチェーンの受注獲得に成功し、社内で注目を浴びることに。加えて、コンビニ業界をはじめとする流通業界のニュースを常にキャッチアップして、同僚たちに発信していました。
結果、「森本と言えば流通」「流通と言えば森本」と、流通業界関連の情報や案件が私に集まってくるようになり、業績アップにつながったのです。まさに「希少性」を価値に変えました。
2. 社内人脈を築き、情報や案件が集まってくるようにする
より多くの情報や案件が自分のもとに集まるようにするためには、まずは社内人脈を広げることが重要と考えました。
そこで、自ら「7月生まれの会」「◯◯沿線住人の会」「関西エリア出身者の会」「ワーキングペアレンツの会」などを企画。
該当する社員を集めることで、普段接点がない他部署のメンバーとも交流する機会をつくりました。それにより、社内各部署からさまざまな情報が集まるようになったのです。
そのほか、人事部の人が「人事制度の見直しをする」、システム部門の人が「社内システムを改善する」、などの目的で社員の声をヒアリングする際、率先して協力しました。
特に、広報部門の人がメディアから取材を受けるにあたり、現場の生の声が必要となった際には、いつも私に声がかかったので、積極的に引き受けました。それは、営業活動の時間を割かれ、「余計な仕事」とも言えますが、私にとってはメディアの方と人脈をつくれる絶好の機会だと捉えたのです。
そのように、他部署に協力してネットワークを広げておくと、私が困った時には快く相談に応じてもらえたり、新しい情報をいただけたりするように。
こうして、さまざまな部署・職種の人とコミュニケーションをとり、社内での存在感を強めていきました。
3. 自分のキャリアプランを上司に発信し続ける
会社で決められている人事評価面談とは別に、私は個人的に上司への面談を申し出ていました。自分の今後のキャリアプランを伝えるためです。プレゼンテーション資料まで作成して、見せながら「自分はこれからこんな経験を積みたい」と訴えました。
面談を申し出るタイミングは、組織変更や人事計画の策定が始まるシーズンの少し手前。ランチなどに誘うと、上司は断れないものです。
時には役員クラスの方にもアプローチ。役員ともなると一社員からランチに誘われるようなことはめったにないので、珍しがられました。「現場で起きていることを報告します!」と申し出ると「ぜひ聴きたい」と歓迎されるのです。その機会に、自分のキャリアプランも伝えました。
人事異動などはブラックボックスで、根拠がよく分からないことは多々あります。ただ、機械ではなく人が決めること。異動やミッションの割り当てに、自分の希望が反映され、描くキャリアプランに近づけた事実からも、効果はあったと確信しています。
4. 会社の「評価軸」を理解し、それに沿う行動・取り組みをする
どんなに努力しても、その行動や結果が「会社が重視しているもの」と一致していなければ、プラス評価されないものです。
そこで私は、「人事評価」「表彰」「MVP選出」などにあたり、どんな点がチェックされているのか、「評価指標」をしっかり調べ、確認しました。
すると、会社として大切にしている価値観が見えてきますので、意識してそれに基づく行動を心がけたのです。
前回もお話ししましたが、「勉強会を開いて、自分の成功体験から得たナレッジ・ノウハウを同僚たちに共有する」という活動を展開したことは、結果として「組織貢献」を高く評価するリクルートにおいて、セルフブランディングの促進につながりました。
まさに評価が上がる中でチャンスと言える仕事の機会が舞い込み「仕事ができる人に仕事が集まる」ということを体感し、さらに拍車がかかったのは言うまでもありません。
「会社の評価軸に沿う努力ができているかが大切です」と森本さん。
撮影:鈴木愛子
5. 「成長」につながるなら不本意なミッションも受け入れる
先ほど、「森本と言えば流通」と言われるセルフブランドを築いたことをお話ししました。ところが実はその数年後、流通業界のお客様をすべて手放したのです。
それは会社から部門異動を命じられたから。まさに荒野を開拓し、種を撒き、せっせと水やりをしながら育て上げ、ようやくたわわな実を収穫できる……そんなタイミングでした。
「せっかく自分のブランドも確立できたのに!」と強く反発し、異動の内示を受けたその日はそのまま家に帰ってしまうほどふてくされました。
けれど、上司から言われた「絶対に君の成長につながる」という言葉を信じ、異動を受け入れることにしました。
新しいミッションは、ベンチャー企業のマーケット開拓。今では「大手」「リーディングカンパニー」となったネット企業群がまだ立ち上がったばかりの時代です。
IT・ネット業界の成長と連動し、私は大きな業績を挙げることができました。「流通の森本」だった頃よりもはるかに強力なブランドを、社内外に築くことができたのです。
私は、若手の皆さんからキャリアに関する相談を受けた時、最終的に「どうありたいか」「どうなりたいか」を描いてみることをお勧めしています。
「◯年後、◯◯業界で◯◯の仕事をしている」といったことではありません。それはあくまでも手段。「その先にどういう社会・世界をつくりたいか、それが大事」と。
目標を意識することで、その達成のために必要な情報への感度が高くなり、チャンスをキャッチしやすくなります。
と同時に、「変化への対応力」も備えるべきとお伝えしています。まさに時代はVUCAの時代。ウィズコロナ、ポストコロナの中、常識が一変し、ニューノーマルの時代がやってきます。予想外のことが起きても、不本意な状況に陥っても、いったん柔軟に受け入れ、まずはチャレンジしてみてほしいのです。
一見、回り道のように見えても、必ず自分の成長につながり、キャリアビジョンの実現につながっていくと思います。
※転職やキャリアに関して、森本さんに相談してみたいことはありませんか? 疑問に思っていることや悩んでいることなど、ぜひアンケートであなたの声をお聞かせください。ご記入いただいた回答は、今後の記事作りに活用させていただく場合があります。
回答フォームが表示されない場合はこちら
※本連載の第34回は、9月21日(月)を予定しています。
(構成・青木典子、撮影・鈴木愛子、編集・常盤亜由子)
森本千賀子:獨協大学外国語学部卒業後、リクルート人材センター(現リクルートキャリア)入社。転職エージェントとして幅広い企業に対し人材戦略コンサルティング、採用支援サポートを手がけ実績多数。リクルート在籍時に、個人事業主としてまた2017年3月には株式会社morichを設立し複業を実践。現在も、NPOの理事や社外取締役、顧問など10数枚の名刺を持ちながらパラレルキャリアを体現。2012年NHK「プロフェッショナル〜仕事の流儀〜」に出演。『成功する転職』『無敵の転職』など著書多数。2男の母の顔も持つ。