鶴岡裕太(30)をここまで連れてきた運命は、偶然のきっかけとちょっとした行動、そして気負いのない自然体の人付き合いによってもたらされたようだ。
もともとパソコンが好きで、早くからインターネットに触れていた鶴岡だが、将来に就きたい職業は特に見つかっていなかった。
東京工科大学に進学し、漫然と大学に通っていた頃、中央線に揺られながらふと目にしたTwitterのタイムライン。CAMPFIREというスタートアップが、学生インターンを募集しているという告知が流れてきた。
その少し前、アメリカ発のクラウドファンディング「Kickstarter」などの存在は知っていた。
「完成品にお金を払ってもらうのではなく、チャレンジにお金を払ってもらってから作る。お金の流れの仕組みを変えるだけで、夢を叶えられる人は増えるんだな」
と関心を寄せていた鶴岡は、興味のままに応募することに。その数日後には、当時住んでいた八王子から電車を乗り継いで六本木まで、面接に出かけていた。
そこで出会ったのが、CAMPFIREなどを創業した起業家で投資家でもある家入一真だ。
「あの出会いがなければ、普通に就職していたと思います」
“つくる側”の思想を吸収させてもらった
鶴岡がインターネットの世界に足を踏み入れるきっかけをつくった家入一真と。ただ一緒にいて楽しかったという。
提供:BASE
家入といえば、インターネット好きな若者の間ではよく知られた存在。同じ九州出身という共通点にも親しみを感じていた鶴岡は、家入が手がけるプロジェクトを技術面で手伝うようになった。家入が「こういうサービスを作ってみたい」と打ち上げる構想を受け、それが実現するようにコードを書く学生インターンとして参加した。
退屈に感じ始めていた大学には行かなくなり、家入が行きつけにしていたパスタ店に通う日々。手元のアイディアについて雑談をしたり、ただゲームの話題で盛り上がったり。たまに「じゃ、このコード書いてみてよ」と頼まれたら、やってみる。
「ただ、楽しいから一緒にいたんです。家入さんとは出会ってから8年経ちますが、ずっとそういう感じで、昨日もうちに家入さん一家が遊びに来て、一緒にゲームで遊んでいました(笑)」
投資家と呼ばれる著名人に対し、「自分を成功者の世界へ引き上げてほしい」という野心は微塵もなかったようだ。
「教える・教わる」という師弟関係ではない、緩やかでフラットな関係性。そんな中から生まれた荒削りのサービスの一つが「BASE」だった。
「家入さんからは具体的に何かを指導してもらったという感覚はない。一緒にいる時間の中で自然と、インターネットの世界を“つくる側”の人間としての思想を吸収させてもらったと思っています」
「僕自身もインターネットに救われた」
恵まれていない環境や立場にある人にパワーを与え、公平に戦えるステージを生み出す。そんな「インターネットの正しい使われ方」にこだわりたいのだと鶴岡は強調した。
「僕自身もインターネットに救われた一人だから」
鶴岡がインターネットのパワーに触れた原体験は小学1年生の頃。6歳上の兄が触っていたパソコンで、地元のJリーグチーム・大分トリニータの掲示板をクリックするだけで、どこよりも早くたくさんの情報を受け取れた。
「僕はリアルな人付き合いがそんなに得意ではありませんでした。インターネットを通じて最新の情報を集め、新しい友達をつくることができたから、楽な気持ちになれた。その延長で今ここにいる」
起業家になろうと思い描いたことは一度もなかった。
しかし、家入のもとでコードを書く機会に恵まれ、「自分が作ったプロダクトをすぐに使ってもらえて、よくも悪くも反響をもらえる」という稀有な体験を重ねられた。“たくさんの人に使われるものを生み出す楽しさ”を肌身で感じられた成功体験。それが鶴岡の原動力になっている。
自分も誰かに喜んでもらえるインターネットプロダクトをつくってみたい —— 。
そんな想いを抱いたとき、大分で服を売る母の顔がすぐに浮かんだ。大事にしたい“思想”とピタリと一致するサービスになると確信した鶴岡は、4カ月ほどでコードを書き、2012年11月にリリース。「1年で1万店舗」と掲げていた目標は、なんと1カ月で達成してしまった。
ニーズの高さを掴んだ一方で、すぐに問題点も指摘された。BASEの根幹ともいえる決済システムの脆弱性だった。
(敬称略、明日に続く)
(文・宮本恵理子、写真・伊藤圭)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。