総裁選後に会見する菅義偉官房長官。本日の臨時国会で第99代首相に選出される見通しだ。
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自民党は9月14日投開票の総裁選挙で、菅義偉官房長官を第26代総裁に選出した。有効投票数の7割を獲得する圧勝だった。
菅氏は本日(16日)の臨時国会で第99代首相に選出される見通しだ。任期は安倍首相の残した2021年9月までの1年間となる。
選出後、菅氏は記者会見で「規制改革は徹底してやりたい」と表明し、携帯電話の料金引き下げや中小企業・地方銀行の再編、そして行政のデジタル化を含めた新型コロナウイルス対策への意欲を示している。
しかし、いずれも基本的には既定路線の確認と受け取る向きがほとんどであり、総裁選を受けた金融市場の反応は限定的だ。菅新政権を「安倍政権の居抜き」ととらえ、レジームチェンジ(体制転換)トレードを展開するのは難しいと考えているのだろう。
安倍政権の残した「爪痕」
安倍晋三首相から花束を受け取る菅義偉・自民党新総裁。「安倍政権の居抜き」と表現される新政権をどう運営するか。
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「菅官房長官が総裁選に出馬」の一報以降、筆者が最も多く受けた照会は「菅次期政権における金融政策運営の展望と相場への影響」だった。
7年8カ月前、民主党から自民党への政権交代とともに大相場が到来したことを思えば、そのような関心の持ち方は容易に理解できる。
だが、「政権が交代すれば金融政策も大きく変わる」という考え方は本来適切ではない。
政府・与党が抱く金融政策の志向に着目し、それに沿って政策運営が展開されると予想し、資産価格の見通しを語ろうとする行為は、意識・無意識のうちに「中央銀行の独立性」を忘却の彼方に追いやることを意味する。
もちろん、世界的に物価が上がらないことが問題視されている現状で、(物価水準の安定を確保するための)「中央銀行の独立性」はそもそも必要なのかという根本的な議論はあり得るが、ここでは触れずにおきたい。
いずれにせよ、今回の突発的な政権交代劇を受けて、多くの人々の意識が反射的に金融政策運営に向かったことは、政治と金融政策というテーマについて、安倍政権の残した爪痕(つめあと)が非常に深いものであることを示唆しているように感じられた。
日銀の「次の一手」が枯渇していることは、すでに金融市場に知れわたっている。日銀はいまや日米欧三極で最も論点の少ない中央銀行と言って差し支えない。
イールドカーブコントロール(長短金利操作)の導入によって表舞台から存在感を消し、無為な市場の期待につきまとわれなくなったことは、黒田東彦体制下の日銀が成し遂げた「地味な偉業」だと筆者は考えている。
金融市場だけでなく、日本の政局からも日銀の存在感は消えかかっている。今回の総裁選でも、市場の注目とは裏腹に、日銀のあり方が議論の対象になることはなかった。政治と日銀が交錯する局面がこれから来るとすれば、それはおそらく2019年3月、桜井眞審議委員が交代するタイミングではないか。
コロナ禍が続く以上、機動性に優れた金融政策への期待が消えることはないだろうが、世界的な潮流も踏まえ、対応の中心となるのは財政政策、すなわち政府にならざるを得ないと考える。
「景気対策より構造改革」
菅新総裁誕生の号外を受け取りメディアの取材を受ける歩行者。民間調査によれば、女子高生からも圧倒的支持を受けている。安定支持を基盤に構造改革にまで手をつけられるか注目だ。
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では、政府の役割について、菅氏の胸中はどのようなものなのか。
菅氏は総裁選中の公開討論会で、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた経済政策について、「これで(影響が)収まらなければ次の手を打っていく」と述べており、財政出動に関し「次の一手」の可能性を否定していない。
しかし、各種報道を見るかぎり、菅氏からは財政政策で景気を押し上げるより、構造改革を通じて効率性を高めたい意欲が強く感じられる。
菅氏が主張する、携帯電話料金の引き下げや地銀・中小企業の再編、厚生労働省の再編、各省の政策を一元化するデジタル庁の創設などは、構造改革を通じて日本経済の潜在成長率を向上させていく方策と考えられる。
とりわけ、総務大臣(および副大臣)を歴任した知見を活かし、通信業界へ深く切り込んでいくとの見方は根強く、「菅首相対通信大手企業」はもはや次期政権のアイコンのように扱われている。
論理的に考えれば、通信費の引き下げはリフレ(=インフレにならない程度の水準まで物価を引き上げる)政策との整合性に難があるように思えるが、世論の高い支持を得られることは間違いなく、解散総選挙を睨むならばこのテーマへの語気が強くなることが予想される。
また、菅氏は総務大臣時代に内閣府特命担当大臣を兼務して地方分権改革にあたっていた経験もある。地方経済振興の屋台骨だったインバウンド需要が消滅したいま、菅氏がこのテーマにどう切り込むかは手腕の見せどころに思えるが、コロナ禍で実体経済が委縮するなか、そこまでリーチは届かないかもしれない。
金融市場は「民意の獲得」「無難な安全運転」を期待
コロナ対策を脇に置いた上で次期政権のありようを展望するならば、アベノミクスが「金融政策を中心としたマクロ経済政策運営」を主眼としていたのに対し、スガノミクスは「構造改革を中心としたミクロな産業政策運営」の色合いが濃くなりそうな雰囲気が見てとれる。
新総裁に選出された直後の挨拶で「役所の縦割り、既得権益、悪しき前例を打破して、規制改革を進めていく」とまで述べた以上、やはりテーマは構造改革なのだろう。
とはいえ、菅氏が「やりたいこと」に注力するためには、この秋冬の新型コロナウイルス感染拡大を大過なく切り抜ける必要がある。感染症と戦うための非常事態モードからはまだ抜け出ておらず、何にせよ政策選択には強い制約が出てくるはずだ。
なお、金融市場は構造改革のような長い目線の話を評価材料にすることはない。
金融市場が注目するのは、菅新政権が感染症対策について大きな失点なく、最初の半年間を手堅い支持率とともに切り抜けられるか、それに尽きる。
まずは解散総選挙を経て民意を獲得した政権という建てつけを築き、秋冬は無難な安全運転を心がけるのが、金融市場の期待に沿うことになろう。
下方リスクが大きめの市況
最後に、金融市場の目線から簡単に次期政権への所感を述べておきたい。
歴史をひも解けば、日本経済の不幸は円高とともに到来することが多かった。そんななかで安倍政権は、アメリカとの金利差の消滅や、貿易収支構造の変化などのおかげで、コロナ禍でも円高に見舞われずに済んだ。
菅新政権もおそらく、円高につきまとわれて無力感に苛まれた民主党政権時代のようにはならないだろう。
それでも、いま思えば「超」がつくほどの円高・株安と言える水準、言い換えれば「どん底」から始まった第二次安倍政権とは異なり、菅新政権の“発射台”はかなり高いところにある。
実質実効為替相場(=貿易量や物価水準を踏まえて算出された通貨の実力を示す総合指標)ベースで見れば、第二次安倍政権が発足した2012年11月は現在より2割ほど円高が進んだ水準にあった【図表1】。
【図表1】円の実質実効為替相場の推移。
出典:BIS資料より筆者作成
したがって、菅新政権はそれなりに下方リスクが大きめの市況を引き継ぐことになると考えるのが妥当だろう。
もっとも、足もとでは新型コロナウイルスの感染拡大が抑制傾向にあり、世界的にも感染者数の増加こそ再加速しているものの死者数は増えていないとの指摘も出てきている。それらは筆者の専門外ではあるが、菅政権にとっては一定の追い風が吹いているようにも見える。
もし、巷(ちまた)で言われる通り、10月に解散総選挙が行われ、政府・与党が勝利を手にした場合、菅政権は名実ともに民意を得ることになる。11月以降、本格的に政権が始動し、無事に越冬することができれば、「一番大変なときにバトンを渡され、それを乗り切った首相」として長期政権への橋頭保を築くことになる可能性も秘める。
少なくとも、新型コロナウイルスとの兼ね合いを踏まえれば、金融市場は秋冬を挟んだいまから半年程度が山場となる可能性が高い。ここを乗り切れば、米金利の上昇とともにドル/円相場が盛り返してくる公算が大きい。
そうなった場合、日経平均株価も底堅く推移するのではないか。円安・株高を前提とすれば、政権支持率も堅調を維持できるはずだ。そうしたステップを踏んだ上で、春先以降に構造改革を中心とする政権の真価が試される ——。そんなシナリオが、現時点で抱ける最大限の展望と考えている。
(文・唐鎌大輔)
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。