撮影:岡田清孝
ポストコロナの時代の新たな指針、「ニューノーマル」とは何か。消費社会や資本主義社会、グローバリゼーションが揺らぐいま、現代日本人の生き方はどう変わっていくのか。スタジオジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫氏に聞いた。
—— 今も小金井のスタジオジブリには週2日ペースで通っていらっしゃると聞きました。
宮さん(宮崎駿監督)は新作の制作を毎日やっていますよ。土曜日も出てますから。
僕は、スタジオにいると人が寄ってくるので仕事にならないんです(笑)。その中でも一番多いのは宮さんです。僕が行くと朝に1時間以上話す。「さぁ、仕事に戻ろうかな……」と思うと、また来る(笑)。僕が他の人と会っていても顔を出しにくる。ありがたいことですけどね。
取材は恵比寿にある鈴木さんの隠れ家「れんが家」で行われた。本棚には蔵書がぎっしりと並んでいる。
撮影:岡田清孝
—— コロナ禍で、人が集まってアニメーションを作ることが難しい時代です。ジブリでも働き方に変化はありましたか。
実はジブリの制作現場はそれほど困ってはいないんです。緊急事態宣言の時は一時制作をやめたりしましたけど、アニメーターもテレワークをやってみたら生産性が上がったんです。それを見て僕は日本人だなぁと思いましたね。
会社にいれば、遅れる時もみんなで一緒にズルズルと遅れるから一人遅れても問題にならない。でも、自宅作業というのは一人ひとりの成果の数字が見えやすいんです。
—— 企業によっては、在宅ワークで社員がサボるのではと監視を強めようとする動きもあるようです。
僕は逆だと思います。日本は共同体意識が強いのかな。「他の人が自分よりも仕事が進んでいたらどうしよう」と不安に思いがち。本当に真面目なんだなぁと思い知りました。
ただ、一番困ったのはジブリ美術館(三鷹の森ジブリ美術館)です。2月からずっと閉館※しています。あの頃から「これは長引くだろうな」と思っていたけど、スペインかぜの流行が3年くらい続いたことを考えると、(収束まで)3年はみておいたほうがいいなと思っています。
そして、落ち着いたからと言って、すぐにお客さんは戻らないという覚悟はしていますね。
※三鷹の森ジブリ美術館は9月から入館者数や営業日数の削減、営業時間短縮のうえ、一部再開している
—— 緊急事態宣言が解除されて映画館が再開した6月から、全国の映画館で過去の作品である『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』の4作品を再上映しました。なぜこの4作品だったのですか。
提供:スタジオジブリ
配給元の東宝さんでも、新作映画の公開が難しくなっていたんですね。『天気の子』や『シン・ゴジラ』などの旧作上映していた流れの中で、東宝さんから「ジブリも旧作を出してもらえませんか」と協力要請がきたんです。映画館の方たちから「ジブリの旧作を上映したい」という声が出ていると。これまで映画館にはお世話になってきたので、これは協力しなければと二つ返事でOKしました。
最初、東宝からあがったのは『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』そして『ハウルの動く城』の4作品だったのですが、僕は「1本だけ違うやつをやりませんか」と。『ゲド戦記』を提案したんです。劇中では、年老いたゲド、つまりハイタカは若きアレンにいろいろなことを教えます。そうした言葉が、最近ネットでちょっと話題になったんですね。
ハイタカさん「聞きなさいアレン、この世に永遠に生き続けるものなどありはしないのだ。自分がいつか死ぬことを知ってるということは、我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだよ」ハイタカさんが命の本質をアレンさんに伝えるこのシーン、真の父親のような存在感ですね? #ハイタカカッコいい pic.twitter.com/gd0auUBc1Y
— アンク@金曜ロードSHOW!公式 (@kinro_ntv) January 12, 2018
幼い頃に『ゲド戦記』を見た人たちも、大人になった。20代になっても、その言葉を忘れていないという人もいる。そういう人たちに喜んでもらえるんじゃないかと思ったんです。
—— 『ゲド戦記』を選ばれたのは意外でした。
『ゲド戦記』は、世界の均衡が崩れてしまった……という作品です。それも念頭にありました。糸井重里さんに作っていただいたコピーがマッチしているなぁと。
——「見えぬものこそ」。
まさにコロナだなぁ……とも思いましたね。
今回旧作を上映するにあたって、僕からは「宣伝費は0でやらないか」と提案しました。宣伝コピーも一切なし。メディアにも連絡しない。それでどうなるかを僕自身が見てみたかったんです。
でも、東宝さんの前で思わず言ってしまったんですよね。「一生に一度は映画館でジブリを……」と。そうしたら東宝の市川南(東宝映画社長、東宝常務取締役)さんが「それ使わせてください!」と。東宝のレポートによると、キャッチコピーが効いたともあって、この目論見は失敗でしたね(笑)。
—— ネット上で「再上映」の話がじわじわと、どう広がっていくのかを見たかった、と。
いま、インターネットにどれくらいの伝播力があるのか知りたかったですね。実際、告知を出してからテレビなど(ネット以外の)他の媒体が取り上げるのは遅かったですし。
結果的に、僕らが思っていた以上に反響※がありました。だから、東宝としては第2弾をやりたいと。でも、それはお断りしましたね。実は個人的に映画業界の知り合いから「もうやめて欲しい」と連絡をもらっていたんです。一説ではコロナ禍でおよそ60本もの映画が公開されないまま眠っている。それを邪魔するのは僕らの本意ではありません。
※興行通信社の全国週末興行成績によると、公開1週目の土日である6月27~28日はトップ3をジブリ再上映作品が占めた。1位は『千と千尋の神隠し』2位は『もののけ姫』3位は『風の谷のナウシカ』だった。
—— 鈴木さんは著書『禅とジブリ』の中で、「現代は禅的な気分になっている」と書かれていました。お金やモノに執着してきた世代が「今の若者はどこへいくのか」と心配しているが、鈴木さんは「本当の幸せ」を考える時代になったと問いかけています。こうした意識はコロナ後も高まっていくと思いますか。
かつては何でも「お金」の時代で、僕もそういう時代を生きてきた。だから、その中で(仕事を)やらざるを得ない部分もありました。一方で、それだけを物差しにされるとつらいと思っていました。
「ポケモンGO」が4年前にはやったじゃないですか。あの時に「あぁ、価値が変わったんだな」と思いましたよ。人々は「お金」ではなく「時間」が大事だと思うようになった。そうなると「次に人々はどこに向かって行くんだろう」と思っていたところです。
そんな中でコロナが起きた。ある日、フランスのマルセイユに住む友人からLINEがきました。フランスでは本当に、徹底して外に出られなかった。すると、モノを買いに外出しても「本当に必要なモノ」しか買わなくなる。これはどういうことなんだろうと。
つまり「買わなくてもいいモノ」を買っていた訳ですね。同時にいまは「買わなくてもいい」という解放感もあると。子どもや夫、家族で話し合う時間も増えた。この時間が愛おしい……そんなことを言っていました。
コロナ禍の外出自粛を通じて、これまで「買わなくてもいいモノ」を買っていたのでは、と気づく人もいる(画像はイメージです)。
Natalya Lys / shutterstock
当の新型コロナウイルスはそんなことを考えていないでしょうが、奇しくもこれまでの人間の傲慢さに冷や水をぶっかけた機会だったんじゃないかと思いました。大衆消費社会の終焉も早くなるかもしれない。
その中で僕らは、どうやって生きていくのか。なるようになるんでしょうけど、そこは見てみたいですよね。
—— コロナ禍になって、鈴木さん初のノンフィクション小説『南の国のカンヤダ』を読み返しました。タイ人シングルマザーのカンヤダさんを取り上げた作品ですが、カンヤダさんはあるべき未来から逆算して効率的に今を生き、最大限の進歩をする……といった合理的・資本主義的な考えに縛られていない。こういった生き方が見直されることはあるんでしょうか。
それは大学の頃から思っていましたね。僕が大学2年の時、1968年に、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の原典講読の授業があったんです。でも、哲学の世界ではまだサルトルを代表とする実存主義の時代だった。レヴィ=ストロースについては何も知らなかったんです。
読んでみると、レヴィ=ストロースは西欧的な進歩主義に対してNOと言った人だったんです。興味を抱かざるを得なかった。近代合理主義が作り上げた大衆消費社会はいずれ終わりが来る……。「人間は進歩する」という考え方に対するアンチテーゼですよね。
レヴィ=ストロースは実存主義が全盛の時代に南アメリカに行き、先住民(インディオ)の生活を見る訳です。そこには近代合理主義では説明できないことがあった。例えば「ブリコラージュ※」といって、ゼロから何かを作るのではなく、目の前にあるものを寄せ集めて作る。
※「ブリコラージュ」を鈴木さんは、『南の国のカンヤダ』で以下のように説明している。「自分の周辺にある、あり合わせの材料と道具で思考し、モノを作るという意味だ。科学的思考で設計図を作り大量生産をする。それが現代だが、それとは真逆の考え方だ」
僕が社会に出てから出会った宮崎駿、彼もまさしく「ブリコラージュの権化」みたいな人でしたね(笑)。彼の映画の作り方が本当にそうなんですよ。半径3メートル以内のものを組み合わせて作る。なんだ、こんな人も現代日本にいるじゃないかと。
宮崎駿 監督の作品づくりは、半径3メートル以内のものを組み合わせて作られていると鈴木さんは言う。
『千と千尋の神隠し』© 2001 Studio Ghibli・NDDTM
レヴィ=ストロースは言った訳です。西欧が優れていて、南アメリカの先住民が遅れている……なんていうのは間違いであると。そして、サルトルとやりあう※。実存主義でいろいろなことを言っているけど、あなたの根底には人類の進化という問題がある。しかし、人類は進化しない、と彼は言い切った訳ですよね。
※1960年のサルトルの著書『弁証法的理性批判』を、レヴィ=ストロースは1962年の『野生の思考』の最終章「歴史と弁証法」において強烈に批判した。
—— 今回のコロナではまさに家の中だけ「半径3メートル」以内での生活を強いられた。この経験はコロナ後の社会にどう影響を与えると思いますか。
このコロナ禍で考えたのは「グローバリゼーションというのはやはり上手くいかないのでは」ということです。
マスクの需要が高まりましたが、自国でほとんど作っていないことを初めて知った人も多かったでしょう。世界中が中国のマスクを取り合った。そして何が起こったか。「これからは自分の国でもマスクを作ろう」となった。
マスクを手に入れるため、ドラッグストアに開店前から行列ができたことも記憶に新しい。
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これは大事なことですよね。マスクだけじゃなく、食べ物だってある一定量は自国で用意しておかなければまずいという動きも出てきました。身の回りで何か起きた時、最低限必要なものは何か。それはそれぞれの国が自分で作り、その上で他の国と付き合う、そんなようなことが起きるのでは……と、勝手に思っているんです。
そうなると、僕は逆に風通しがよくなると思うんですよ。
—— そうなると保護主義やナショナリズムの台頭と結びつきませんか。
そうは思わないですね。本来はそれが当たり前のことだと思いますから。
実は、僕は三島由紀夫の『潮騒』(の映像化)をやってみたかったんです。『潮騒』の舞台は「神島」という島ですが、その島にはそこで必要なものが全てある。島で生産し、用意している。自分の見知っているところにお店も何もかもが全て揃っていて、島の中だけで生きていける。それは自給自足という言葉とも少し違うんです。
『人口減少社会という希望』という本があるのですが、その中で長野県飯田市の取り組みが書かれている。
それによると、飯田市では再生エネルギーの地産地消を目指し自分の町で生産したものを外に出さず、自分たちで回す試みをしている。それって未来の一つのあり方だと思うんですよね。それは保護主義でもなんでもない気がする。つまり、自立です。
自立した人と人同士が付き合うべきで、国だってその単位がある。「あれはあの国が作ってくれるからいいや」ではなく、高かろうが、ある一定の量は自分たちの範囲の中で作る。それを広げていったものが、一つの国になるんだと思います。
(聞き手・野田翔、吉川慧、浜田敬子、構成・野田翔)