撮影:岡田清孝
ポストコロナの時代の新たな指針、「ニューノーマル」とは何かをスタジオジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫氏に聞く後編。
前編で鈴木さんは、消費社会や資本主義社会、グローバリゼーションの行き詰まりがコロナでさらに可視化されたと話す一方で、コロナによって行き過ぎたグローバリゼーションが見直される機会になるとも指摘した。
後編では、付加価値にお金を払わなくなる時代に映画づくりはどう変わっていくか、またジブリの新作『君たちはどう生きるか』というタイトルが持つ意味について聞いた。
—— ポストコロナは人が自由に動く時代の終わりの始まり……という感じがします。
本当に必要なところに行くようになるんじゃないですか。皆さん観光、観光と言っているけど、観光ばかりする必要もない。
例えば、僕の小説『南の国のカンヤダ』で取り上げたタイ人シングルマザーのカンヤダは日本で知り合ったタイの女性ですが、タイの田舎に暮らしている。その彼女を何度も訪ねたけど、あれは観光ではない。彼女に会いに行くためですから。そうするとね、おもしろいことが起きた。
そこにはカンヤダのお母さんもいれば、兄弟もいる、そしておじいちゃんおばあちゃんもいる。実家みたいな安心感があった。だから、僕にとってつらいことと言えば、彼ら彼女らに会いに行けないことですよね。
—— 鈴木さんは小説の中で、カンヤダさんが住まうタイの田舎町を見て、昔の日本を彷彿とさせると書かれています。
鈴木さんが訪れたタイの田舎町、パクトンチャイはバンコクから車で4~5時間の距離にある。
Photo by Kanyada
僕が生まれたのは1948年(昭和23年)。戦争が終わってまだ3年。子どもながらに覚えていますよ、本当に貧乏だった。衣服は着た切り雀だったし、1964年の東京オリンピックで日本が繁栄したのかといえば、そうでもなかった。大学に入った1967年はまだまだ貧しかったですよ。
僕ら団塊の世代は人数が多いこともあって、常に商売のターゲットでした。売れるもの、はやるものを見ていたら、団塊世代と団塊ジュニア、その両方に受けるもの。一番の典型例が『週刊少年ジャンプ』。お父さんが買ってきて、子どもも読む。ホンダはファミリカー。ジブリの映画も団塊世代と団塊ジュニアの家族で見たんです。
そうやって日本が繁栄を迎え、バブルを目の当たりにしてきた訳ですが、どこかにいつも疑問があったんですよ。要するに、自分が生まれたあの時代だけ、あそこだけが本物で、あとは全部嘘という感覚があるんです。
—— 貧しい頃がリアルということでしょうか?
そう。いつかあそこに戻るんじゃないかという気がしています。だから、(コロナの感染拡大のような)今回みたいなことがあっても、あまり驚かない。
—— 嘘という感覚はどこからくるんでしょうか?
大学時代に読んだ忘れられない3冊の本があるんです。デイヴィッド・リースマンの『孤独な群衆』、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』、ダニエル・J・ブーアスティンの『幻影の時代』。ここに、その後日本に起きたことが書いてあった。一見華やかにやっているけど、どこかであっという間に終わると。
つまり、大衆消費社会の終焉はアメリカで先に起きていたけど、日本にもすぐにやってくるはずだと。『自由からの逃走』は特に覚えています。大衆消費社会が終わって、その後そうじゃない時代がくるという予感を書いているけど、コロナによって我々は体験してしまった。
—— コロナで消費の虚しさに気づいたと?